第22話ー慈悲の心、って…ー

 ———それから皆は小屋に到着し、談笑の時間を楽しむのだった。


「お姉ちゃんはこっち!」


「へ?…ぁ、うん、」


 端っこ好きなシンシアはスッと、三人掛けソファの端の席をゲットしたが、その隣にはフィーゼではなくレヴィが座り、キュピルと続いた。


 当のフィーゼはテーブルを挟んだ向かい側にイグォルと並んで座った。


 それを見て少し不安そうな様子のシンシアに


「お姉ちゃん、どうかした?」


 と、レヴィは心配そうに見上げると、なんでもないよ…と懸命な笑顔で答えるシンシア。


 そんな彼女に、


「…さっきは息子のこと、ありがとうございました」


 と、キュピルは頭を下げるのだった。


 いえいえ、私はなにも…とシンシアは目を丸くしながら慌てて制する。


 怪我もすぐ治って良かったです。風の神様の機嫌がよかったのかな?などとそれなりのことを付け加えるのだった。


 当のレヴィは母親の膝枕に微睡んでいるようだった


「私、嬉しかったんです。レヴィが人間の私を怖がらないでいてくれて。門番の子たちにはかなり警戒されてましたから…」


 そう言って苦笑いのシンシアに、門番は何事も警戒するのが仕事ですから、勘弁してやってくださいと、キュピルはそっとフォローしてやるのだった。


「…フフッ、何に対しても怖がらないところは、フィーゼにそっくり」


 シンシアは柔らかい笑みでポツリと零すのだった。


 そんな彼女に、フィーゼ…、ね、とまだしっくりきていないその名前を繰り返す。


「…本当に人間なんですね、貴女」


「ぇ?…は、はぃ」


 突然キュピルにポツリと言われ、シンシアはスッと顔を上げ、一つ頷く。


「どうしてあの人と契約したんですか?」


「ぇ?えっと…、」


 シンシアはその言葉に口籠った。


 ———嗚呼、また聞かれてしまった…と、シンシアはひとつ息をつく。



 死んでほしくなかったから。



 が答えだけど、それはデマだったって、さっきイグォルさんに言われちゃったし…、なんて答えれば———。


 いまだに、自分の答えではなく、一般に受け入れられる “ いい答え ” を頭の中で懸命に探してしまう癖は、なかなか抜けてはくれないようだ。


 そのせいでなかなか言葉が出てこず、黙り込んでしまう。


 あ、ダメだ、また黙っちゃった…。変な間が空いてしまった。早く何か言わないと———。


 シンシアはハッと我に帰り、恐る恐る目の前のキュピルを伺い見る。


 彼女は相も変わらず、シンシアの答えを待ってくれているかのようにそちらの方をじーっと見ている。


 その表情は特段苛立った様子はなく、少しホッとするシンシア。


「っ…、あの、“ フィーゼ ”、って、あの人の名前なんですよね?」


「ぇ?…えぇ、」


 なかなか喋らないことに痺れを切らせたのだろうか。彼女の方から口を開かれ、戸惑いながら頷く。


 ———あの人って、フィーゼのこと、だよね?


 …話題、変えてくれたのかな。喋らないから話しにくいことなのかと、思ってくれたのかも。優しい人なんだ。フィーゼの妹さんも。…ぁ、そう言えば、フィーゼの話、だ!えぇっと———。


 シンシアはキュピルのさり気ない気遣いに感謝しつつ、イグォルと話すフィーゼの方をチラッと見ると、


「…ぁ、」


「…っ?」


 バッチリ目が合ってしまい、シンシアは慌てて背けるのだった。



 ♢



 一方、そんな中、イグォルとフィーゼは、先程のシンシアの笛の話をしていた。


「あの子、さっきウチの息子に何をした?」


「別に何も。傷を治してやっただけだ」


「笛なんかでどうやって?!」


「さぁな。笛の音を聞いて、イェティスが癒しの風でも吹かせたんだろ、きっと…」


 若干興奮気味に身を乗り出してくる目の前の彼に、フィーゼはまぁまぁと制するのだった。


「…風の神イェティスが?バカ言え。ここはモントレーだぞ?イェティスが守るのは西の国だろ?こっちは関係ないはず。


 っつーか、お前もイェティスがどうのこうのって…。———やっぱあの子はイェティスとも契約しているのか??」


「俺も詳しいことはよく知らん。あの子本人もよくわかってないみたいだし」


「なんだよソレ…」


 はぁ、と息を吐きながら、イグォルはスッと体制を整えると、不思議そうにシンシアをチラッと見た。


「そもそもなんでわざわざ息子を助けた?精霊が怪我しようがなにしようが、人間なんかには関係ないだろ」


 腕組みしながら考える仕草をするイグォルに、


「相手が人間だろうが精霊だろうが、お嬢には関係ない。



 目の前に傷付いてるヤツがいたから助けた。



 あの子にとってはそれだけの話だ」


「それだけって…、」


 淡々と述べるフィーゼの言葉に、イグォルは困惑する。


「“ 慈悲の心 ”。


 お嬢はほんと無欲で、自分より先に相手の幸せを優先する、そんな人だ」


 そう言ったフィーゼはどこか誇らしげな顔をしていた。


 自分を殺そうとしたヤツらでさえ、助けてやれと言える、そんな清らかな心、か。とイグォルは一つ息をつく。


「だからイェティスも力を貸すんだと思う。あの子は、直接的にはイェティスとは契約してないみたいだし」


「はぁ?!それはつまり、神が手ずから己の力を———?」


 イグォルは思わず声を上げてフィーゼと密かにシンシアを交互に見る。


 いや、マジかよ。契約もなしに、神の力、祝福を使うだと?あり得ない。そんな人間今まで見たことも聞いたこともない———。


「…フッ、笑っちまうだろ?でもそれが、だ」


「な、なるほど———?…まぁ何はともあれ、


 使


 なんだろうな。


 まったく、変わった人間もいたもんだ。あんな人間、見たことねぇや」


「フッ、全くだ。俺も、お嬢が初めてだ」


「…ふ〜ん。


 慈悲の心、ねぇ…」


 そう呟きながらシンシアに感服するイグォルに、フィーゼはやはりどこか誇らし気に小さく笑っていた。


「それにしてもあのお嬢さん、あんまり自分から他人と関わるのは苦手みたいだな」


「お嬢は自分が傷付く以上に、他人が傷付くことに異常に心を傷めていまう人だ。


 だからお嬢は、自分からはあえて他人に無闇に干渉したりはしない。


 どこか抜けてる所があるから、言葉のあやで意図せず相手を傷付けてしまうことを怖がってるところもある。変に神経質になってるというか。


 他人に下手な自分を見せないように、失望させないように、いつも相手が求める100点満点の自分を振る舞えるように———。


 お嬢は常にそれを意識してる」


 フィーゼはどこか遠い目でボーッとシンシアを見ていた。


 それを尻目にイグォルはそっと息をつく。


「そう言うのってさ、



 …クッソ疲れんだろうな」



 その一言にパッと彼の方を見るフィーゼ。


「お前の話だと、あのお嬢さんはいつも気を張り詰めてるってことだろう?24時間365日、常に気が休まることがないってことだ」


 イグォルは肘置きに肘をついて、向いに座って話すシンシアたちに目を向ける。


 ———兄だと慕っていたヤツが神堕ちになって、その途端この森で行き場をなくしたキュピルがそうだった。


 それからアイツはいつも周りの目を気にして怯えてた…。本当はそんなヤツじゃないのに。もっと明るくて、やんちゃで、もっと楽しそうに笑うヤツだったのに…。


 イグォルは少し複雑そうに彼女たちを見やるのだった。


「お貴族様の暮らしがどんなもんか俺には知ったこっちゃないが、きっとあの子の立場が、育ってきた環境が、周りにいる人間どもが、直接あの子に言うでもなく、無言の圧でそれを強いてきたのだろう。


 誰よりも優しいあの子は抵抗することなんて考えもせず、無意識にそれを全て受け入れてしまったってところか」


 イグォルはフィーゼの話を元に、シンシアに抱く違和感に、そんな背景を悟っていた。


「自分のことよりもまず、相手がどう思うか。無意識が、あの子の優しさが、あの子自身を縛り付けて雁字搦めにしてるのかもな。


 それってとても息苦しいし、とんでもなくしんどくて、



 生きづらそう…」



 その言葉に何も返すことができず、ただただ黙ってフィーゼは聞いていた。


 ———確かに、初めて会った時のお嬢は、いつも何かしらに怯えてて、息をすること自体が苦しそうに、生きていること自体が辛そうに見えた。


 フィーゼはイグォルの言葉でふと、初めて会った頃のシンシアを思い出していた。


「なぁ、ヴェッツェ、



 慈悲の心って、他人の幸せしか願っちゃダメなのか?」



 フィーゼは何も言わずにパッとイグォルを見る。



「慈悲の心って、



 自分のためには使っちゃいけないものなのかねぇ…」



 イグォルの言葉に、フィーゼはゆっくりと目を伏せて小さく息をつくと、


 ———まったくだな。と力無く一つ頷くのだった。



 ♢



 キュピルはシンシアに話しかけながら、ふと、あることを思い出した。


「そう言えば、フィーゼ、って、どう言う意味なんですか?」


 思い切って気になっていたことをシンシアに聞いてみるのだった。


「クリミナードの古い言葉で、“ 冬 ” を表す言葉なんです。



 雪導き、冬もたらす者。



 冬の精霊である彼にピッタリだと思って」


「雪導き、冬齎す…。


 とても良い名を付けてもらったんですね、あの人は」


 キュピルはどこか安心したような表情を見せる。


 そして、聞き取れないほどの声で


 …うらやましいな。と囁かれたキュピルの言葉は、静かに消えていったのだった。


「…そういえは、フィーゼはここでは、ヴェッツェって呼ばれてるんですね」


 今度は勇気を出してシンシアから口を開く。


「…えぇ。まぁ、それも愛称ですけど。本当の名は、


 ヴェヒッツ・ウォルター・シュタイン」


「ヴェ、ヴェヒ…??」


 シンシアは聞きなれない言葉に戸惑いながら口籠る。


 クリミナードでは聞かない発音の名前だ。なんだかどこぞの博士でいそうな名前…。


 やっぱりフィーゼって、モントレー異国の人なんだな。


 シンシアは聞いたこともない名前に、改めてそんなことを思う。


「そんなにカッコいい名前なら、契約の時、教えてくれたらよかったのに…」


 と、困ったように小さく笑った。


 そしたらわざわざフィーゼなんて別の名前にしなくても———。


 ふとそんなことを思いながら、チラッとイグォルと話すフィーゼの方を見るのだった。


「その様子だとあの人、貴女に名乗らなかったんですね」


 キュピルはため息混じりにそう言った。


「…はい。契約時に主が名前を決めることで、初めて契約が成立する、とかなんとか言われた気が———」


 斜め上を見ながら必死に当時を思い出すシンシア。


 …嗚呼、きっとあれも適当に考えた嘘だったんだろうな(泣) 。


 シンシアは心の中で頭を抱えるのだった。


 そんな彼女に、


「よかったんだと思いますよ、貴女が名前を付けてあげて」


 とキュピルは呟く。


「真名を書き換えてあげられて、よかったんだと思います。


 あの人にとっては、捨てたくて捨てたくて仕方がなかった名前でしょうから」


 そんなことを言われてしまったものだから、シンシアは、ぇ?と首をかしげる。


 ———それは、どう言う…??


 続きの言葉に懸命に耳を傾けるシンシア。


「あの名前は、あの人のことを呼ぶ名前ではないから」


 キュピルはそう言うと、そっと目を伏せた。


 ヴェヒッツ悪魔の落とし子、か…。


 あの人の親も、酷な名前を付けたものだ。


 赤い雪の悪魔といい勝負と言ったところだなと、不意にフィーゼの昔の名前の意味を思い出して、苦笑いをこぼす。


「個人を指す名前じゃない…って?」


「貴女のことを、名前ではなく、公女殿下と呼んでいるようなものです。


 私のこの、 “ キュピル ” って名前もそう…」


 シンシアの問いに答えながら、キュピルはため息混じりに密かに下唇をギュッと噛んだ。


 彼女の呼び名、キュピルは、精霊の言葉で“ 呪い ”を意味するのだ。


 それからキュピルは再び口を開く。


「…っ、あの、もしよかったら、貴女が私に名前を付けてくれませんか?」


「ぅえ、わ、私が?!」


 突然の申し出にシンシアは目を丸くしながら自身を指差す。


「何でもいい。あの人に付けた、フィーゼ、みたいな、今よりマシな名前なら何でも」


「マシな名前…、と、言われましても…。私が、貴女の真名を書き換えてもいいと?」


 急なことすぎて頭が回らず困り果てるシンシア。



【真名】

 それは自らを自らたらしめる上で最も重要で、唯一のもの。


 それ一つで、その者の生涯の命運をも左右させるとも言われている。


 自分より力ある者にそれを知られれば、奪われでもしたら最後、自分の命運全てをその者の手中に握られてしまうこととなるため、目に見えない存在、特に精霊は同族や仲間以外、そして人間などには決して明かすことはないとされている。


 契約時には必ず必要なもので、主が契約者を縛るためのものでもあるのだ。


 真名はそれほど重要とされているからして、契約でもない限り、容易に真名を変更すること、書き換えることを、シンシアは躊躇っていた。


「真名がどうあろうと、私は別に構いませ———」


「よくありません!貴女の今後が、全て書き変わってしまうんですよ?!」


 急に声を荒らげるシンシアに、目を丸くするキュピル。


「真名はとても神聖なものです。それ一つで、その人の命運さえも大きく左右してしまう、大事な、大事なもの。私なんかが簡単に書き換えて良いものでは———」


 シンシアは必死に目の前のその人に訴えるのだった。


 私に誰かの運命を決めるような大役、背負いきれるわけない…。


 シンシアは心の中で呟いて、俯いてしまう。


 と、そこに、


「おい、お前らさっきから何の話してる?」


 席を立ったフィーゼそう言いながらが割って入ってきたのだった。この子を困らせるんじゃねーよと、彼はそのままシンシアの隣にしゃがみこむ。


「ちょっ、勝手に話に入ってこないで!アナタには関係ないんだから」


「そんなこと言って、俺の主に何か余計なこと吹き込んでんじゃないだろうな?」


「いいから、とっととうせて」


「うせ…っ、チッ、お前なぁ…、」


「まぁまぁ、2人とも、落ち着いて…」


 今にも一触即発で喧嘩が勃発しそうなところをシンシアが懸命に止めに入るのだった。

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