第20話ーちょっとは空気読めやー
その後、フィーゼは氷柱を解き、気を失ったコーエンを引き摺り出すと、ディゲルマと一緒にイグォルが持ってきた縄で縛り上げるのだった。
「コイツら、どうする気だ?」
「勝手なことしてくれたからな…。西の公女殿下を殺しかけた。そんなヤツら生かしておけるほど、俺は心が広くはない。晒し首にする」
「イグォルさん?!」
なんて恐ろしいことを———?と言わんばかりに、シンシアは表情をこわばらせながら彼を見る。
「この森にはまだまだ人間を敵だと思って疑わないヤツらはごまんといる。残念だが俺だってその一人だ」
さりげなくスッとぶち込まれた最後の一言に、シンシアはそっと小さく心を痛める。
「ソイツらへの見せしめってわけか」
ボソッと零すフィーゼの言葉にイグォルは一つ頷く。
「っ、でも、あなたは私を迎え入れてくれました」
シンシアは残酷さの中にも確かに垣間見えた、イグォルの優しさの部分を必死に訴える。
「それは貴女がコイツを従わせていたからです。神堕ちになるだけの大量の人間を殺したコイツが従うくらいの人間。それだけで信用にたる人物だと踏んだだけです」
「っ、その人間が言っているんです。どうか、この人たちを助けてください!」
迷いもためらいも曇りも一つもない、真っ直ぐで一生懸命なその言葉に、フィーゼは思わず感服し、逆にイグォルはただ戸惑うばかりだ。
貴女は人間ってだけで、コイツらに殺されかけたんだぞ?それなのに、救えと言うのか?あり得ない。俺が知る人間は、精霊の命なんて虫ケラ同然にしか思ってない外道なヤツらばかりだったのに———。
初めからちょっと変わってるとは思ってたが、本当になんなんだ?この女。
あまりに理解しがたい発言にイグォルは次第に嫌悪感を抱く。
「と、とにかく、貴女がどう思おうが、コレが長の俺が下した決定だ」
シンシアはイグォルの言葉にやるせなく俯く。そんな彼女を見て、フィーゼは一つ息をつくとそっと口を開いた。
「…俺からも頼む」
「は?」
あまりに予想外の発言に、イグォルはさすがに耳を疑った。
「殺されかけたこの子が言ってんだ。殺すまではいかんでも、…そうだな、森からの追放くらいにまけとけ」
その発言に、お前まで何言って———、とイグォルはいよいよ混乱する。
シンシアはどうであれ、先陣を切って一番に殺しにかかりそうなフィーゼまでもがそんなことを言い出すのだから。
「…ったく、なんなんだよ、お前らは」
長く深い息を吐き捨て、イグォルは呆れ顔で根負けしたと言わんばかりに、わかったよと頷くのだった。
それを見てホッと表情を緩めるシンシア。
「…そういうことだ。命拾いしたな、貴様ら」
腕組みしながら上から、眉間に皺が濃く刻まれた顔でディゲルマたちを見下ろすイグォル。
「な、なんでだよ?!いいから殺せ!どうせ失敗したらそのつもりだったんだ。人間なんかの助けなんていらな———」
「残念ながらお前らは、その人間なんかに命を救われるんだよ。その意味を、重みを、その胸に深く刻みながらこれから生きていけ」
「くっ、余計なことを…」
ディゲルマはギリっとシンシアを睨みつけながら、まだ何か言いたげな口をそっと閉じるのだった。
そんな彼にシンシアは、
「あなたは私のこと、助けてくださったのですよね?」
そう声をかけたのだった。
「…は?」
一体何のことだとディゲルマは口をあんぐりと開ける。
「氷柱の中でも私、しばらくは呼吸ができていたんです。もう一人の方が言っていたように、あなたが氷柱の中の空気の量を調節してくださっていたんですよね?ありがとうございます、おかげで助かりました」
「っ———」
ディゲルマはそのまま動きを止める。
この人間は一体何を言っているのかと。確かにコーエンとそんなやり取りはしたが、実のところ何も考えずに氷柱を作っていた。少なからず
「———それ、本当なのか?」
「ぁ、いや、俺はなにも…。ただコーエンに言われるままにやっただけだから」
イグォルの問いに二つ返事では頷かない誠実なその人に、
「なら、無意識のうちにそうしてくださっていたのやも。…お優しい方なのですね」
シンシアはそう言って微笑んで見せるではないか。そんな彼女に、はぁ?!と、あんぐりと口を開けてやはり動けなくなるディゲルマ。
———優しい?おいおい、わかってるのか?お前は俺に殺されかけたんだぞ?人間のくせにマジで何言ってんだ?この女。
どうしても理解できなかった。ディゲルマにとってもイグォル同様、今まで自分が見聞きしてきた人間と目の前にいるこのシンシアとでは、あまりにもかけ離れ過ぎていたのだ。
その様子を見ていたイグォルは、スッとディゲルマの手前にしゃがみ込み、
「———おぃ、ここは素直に “ そうです ” って言っとけ。あのお方はお前が悪者で終わらないように、できうる限りの理由を作ってくださってんだよ」
「はぁ?どういう意味だ?」
「ったく、バカだなお前は。無意識でも、あのお嬢さんを殺すつもりでやったわけじゃなかったってことになりゃ、お前の罪が少しでも軽くなるって、そう思っていらっしゃるんだよ」
ちょっとは空気読めや、ボケとばかりにこっそりと耳打ちする。
「っ、な、なんのために?」
「んなもん、お前らを後腐れなく助けるために決まってんだろーが」
「だからなんで?!」
さっぱりわからんと言いたげにイグォルに詰め寄るディゲルマ。
俺が知るか?!としたところで、その後にイグォルは、
「… “ 慈悲の心 ” 、それをお持ちの方なんだよ、きっと」
とポツリと付け加えるのだった。
「慈悲の、心…?」
ディゲルマは眉間に皺を寄せながら、やはりわからないと言った様子だ。
「人間の中には時に、俺たちの理解をも遥かに超越したヤツも存在するってことだ。俺たちが見聞きしてきた外道もいれば、あの子のような、まるで神を生き写したような綺麗過ぎる心を持ったヤツもいるってこった。お前は人間に、
あの子っていう一人の神に救われたんだよ」
「…っ、」
その言葉に、ディゲルマはイグォルの背中越しにシンシアをチラッと見る。
そして何処か観念したように、———あぁ、そうだよ。すぐには死なないように空気の量を調節していたんだと、いまだ完全には腑に落ちていない頭で頷くのだった。
「…なぁんだ、お前、本気でこの子を殺すつもりでもなかったってことか!」
それならそうともっと早く言えよな〜と、イグォルはわざとらしくあえてみんなに聞こえるようにオーバーリアクションで言う。
「それじゃ仕方ない。追放処分だけで勘弁してやんよ。…ほんと、命拾いしたな」
「っ、」
やっと話がついたところで、コーエンとディゲルマ、そして見張り役の一人(彼はフィーゼが凍らせていたがシンシアに言われて氷は解いてやった)の3人は
———洞穴の外に出たシンシアは開放感からか、大きく深呼吸をして新鮮な空気を身体中に行き渡らせるのだった。そんな無防備な少女、フィーゼはガバッと勢いよく後ろから抱きしめるのだった。
突然のこと過ぎて、シンシアは、きゃぁ!と声を上げ、瞬時に身体を硬直させる。
「ちょ、やめっ、な、な、なにしてんの?!」
一体何が起こっているのか、動揺で頭がついていかないのだ。
「何って、主の身体をこの従者が直々に温めてやってんだろ?」
「はぁ?!何変なこと言って———」
自分の腕から慌てて逃げようとするその人を、
「こ〜ら、逃げんな」
そう言ってガッチリとホールドするフィーゼ。
っ、…身体、今はこんなに冷たい。さっき触れた時暖かかったのは、一体何だったんだ?
フィーゼは氷柱の中から救い出したシンシアに触れた時、いつもと同じくらい暖かかったのを思い出していた。
「…もぅ、いい加減放して」
「まだダメだ。俺が足りない」
「はぇ?!だからさっきから何言って、」
そう簡単にフィーゼが彼女を手放すはずなかった。
「ちょっ、フィーゼ、イグォルさんもいるのに———」
「悪い、やっぱこんなんしても無駄か」
フィーゼは力なく小さく笑った。そして聞こえるか聞こえないかくらいの声で、
———俺が、人間じゃない、から…。
そうポツリと言葉を零すのだった。その声は普段の彼からは想像もつかないほどにか細く、消え入りそうなほど弱々しいものだった。
「ごめん、お嬢。俺が人間だったら、俺に温もりがあったなら、冷たくなった貴女の身体を、もっとちゃんと温めてやれるのに…」
不意にフィーゼの腕の力が緩み、シンシアはその隙にパッと振り向いて彼の顔を見た。
フィーゼはそれに驚きながらも、どこか困ったように力なくフワッと笑って見せた。
「…っ、」
彼のどこかやるせないような、寂しそうな顔は、シンシアの胸をどこまでも柔く締め付けていた。
———そんなふうに、笑わないでよ…。
普段軽口ばかりたたく彼だが、不意にこうして雪と氷を司る精霊よろしく、まるで雪のように知らないうちにどこかへ消えてしまいそうな儚い顔を見せるものだから、堪らなくなる…。
「ううん。フィーゼが来てくれたから、大丈夫。もぅ、寒くないよ」
「———っ、そっか、ならよかった」
柔らかく微笑みながら紡がれる、どこか温もりを秘めたシンシアの言葉にフィーゼの胸にまた一つ、温かいものがジワリと広がっていくのだった。
「…本当にもう大丈夫なのか?お嬢。もしまだ身体キツイなら、おぶるか何かするけど」
歩いて小屋へ戻ると言う主に心配そうに声をかけるフィーゼ。
すかさず、よ!過保護〜と茶化すイグォルに、うっさい、黙れ!とフィーゼは拳を構えて睨みをきかすのだった。
「平気だよ!あのお水飲んでから、一気に身体が楽になったから」
シンシアはそう言って笑顔で振り返るのだった。
「あれは
「凄いんですね、キュピルさんって」
シンシアは鼻高々に自慢気に言うイグォルを微笑ましく見ながら答えるのだった。
「…ってか、お嬢、手、出して」
シンシアの指を見てフィーゼはスッと彼女の手を取る。彼女の白くて細い指先は、寒さからか赤く染まっていたのだ。
「…ぇ、何?」
戸惑うシンシアをよそに、フィーゼはその手を自分の口に近づけて、
はぁ〜と自らの息を吹きかけたのだった。
突然の彼の行動に目を見張って固まるシンシア。
一体何のマネだと言うのだろうか?
不思議そうにただただその様子を見守る。
そんな彼女を見て少し不安そうに、え、違ったか?とたじろぐフィーゼ。
「なんかずっと昔、人間がこんなことしてたの、見た気がしたから」
「ずっと昔、って、フィーゼが神使だった時?」
「っ…、あぁ。まぁ、結局、コレが何を意味するのかはよくわからんかったけど。
こうされた相手は、どこか嬉しそうにしてた、ように見えた、から」
シンシアは、惜しげもなくサラッと昔の話をするフィーゼに驚きを隠せないでいた。今までの彼からは考えられないことだ。
「…そう、なんだ」
シンシアはぎこちなくそれだけ答えた。
やっぱり、ちゃんと見ていたのだ。彼は神使として、ちゃんとお役目に
そういうことなんだよ、ね———?
懸命に人間たちの仕草や様子を観察して、それを理解しようと努めていた過去のフィーゼを見た気がして、シンシアはそっとそんな彼に想いを馳せた。
「…で、どうだ?なんか、なったか?」
ぶっきらぼうにでもどこかに期待を秘めながら、そわそわしながら主に問いかけるフィーゼ。
———いや、そもそもこれで合ってたのか…??ってか、こんなことしてホント何になるんだ?…あー、ホント人間ってわからん。
理解しようにも悩ましいことだらけだ。
「…あんなに冷たかった手が、今はとっても温かいよ。フィーゼがはぁ〜ってしてくれたおかげ。ありがとう」
シンシアは笑顔でそう答えたのだった。
「っ…、そっか」
その顔に、フィーゼも思わず頬が緩む。
———へぇ、こうすると、人間は温かいのか…。
ただの息なのに。人間ってヤツはよくわからんが面白い生き物だと、また人間の新たな一面を知るのだった。
そんな彼とは裏腹に、声にこそ出さないが、
———やっぱりフィーゼの息は、白くならないんだ…。
シンシアは一人、心の中で先ほど垣間見た一瞬の違和感を呟くのだった。
こうして二人で並んで話している間でも、シンシアの吐息だけが、白く広がってはスーッと消えていっていたのだった。
そのことにフィーゼが気付くのには、まだもう少し先の話となりそうだ…。
そんな2人だけの世界に浸っている彼らに、
「…あの、俺もいるってこと忘れないでくれな?お二人さん」
とイグォルがヒョイっと後ろを振り返って声をかける。
す、すみましぇん!?とシンシアはドギマギしながら、若干語尾をカミながら顔を真っ赤にしながら慌てて俯く。
対するフィーゼは、うっさい、黙れ。とだけ、照れくさそうにボソッと呟くのだった。
イグォルは、お前は本当に俺にはそれしか言わないな…と呆れ顔で返すのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます