第19話ー究極の二択ー

 ———シンシアを大きな氷柱の中に閉じ込めてから数十分が経過したころだった。


「…お嬢!おぃ、お嬢どこだ?いたら返事してくれ!!」


 遠くからそんな声がなり響く。


 何事だ?!と、シンシアの様子を見張っていた男の1人が叫ぶと、


「コーエン様、トニシュ様、侵入者です!例の神堕ちかと思われます!」


 そう言って、彼の部下であろう少年が慌てて入口の方から駆けつけてきた。


「神堕ちだと?…ハッ、やっと来たか」


 コーエン、氷柱を作った方のディゲルマに指示を出した男はニヤリと笑うと、ポケットに手を突っ込みながら氷柱に閉じ込められているシンシアの前に佇む。


「…さて、やっと役者が揃ったようだ。お前はまだ生きているか?人間」


「もう30分はこのままだ。さすがに———」



「さすがに何だって?」



 ディゲルマの声を遮って、別の声が低く冷たく二人に届く。


 その手は、二侵入者が現れたことを知らせに来た少年の顔面をガシッと掴んで、そこから彼の全身を氷漬けにしてのけていた。


 パッと手から離された少年だった氷の塊は、まるで無機質なモノのようにドサっと地面に崩れ落ちる。


「…よぉ、やっと来たか、神堕ち。いや、人間狩りの、と言ったところか」


 二人が目を向けたそこには、ギロリと鋭く睨みを利かせたフィーゼが、全身の身の毛もよだつほどに凄まじい冷気を漂わせて、両手を組み、指をパキポキ鳴らしながら、立っていた。


 松明の灯りだけが頼りの薄暗いその場で、フィーゼの雪色の瞳と胸の辺りにある眷属紋が神々しくもおぞましく光り輝く。


「…女はどこだ?」


「開口一番それか。全く、400年前この森へ攻め入ろうとした人間を返り討ちにしたアンタが聞いて呆れるな」


 コーエンは目の前のフィーゼに圧倒されながらも必死に言葉を紡ぐ。隣のディゲルマはガタガタと震え上がって会話どころではない様子だ。


「御託はいい、女を出せ。このガキみたいになりたくなけりゃな」


 フィーゼは床に転がる氷漬けの少年の頭をガッと踏みつける。それを見て、ヒィ、と恐れおののくディゲルマ。


「こ、ここ、コーエン、もうやめよう!人間一人のために俺たちが殺されちまう。


 ———神堕ち、あなたが探している人間はこの中だ」


 耐えられなくなったディゲルマはとうとう自分の後ろにそびえる氷柱のありさまをフィーゼに見せるのだった。


「チッ、ディゲルマ、絶対に力は解くなよ?」


 コーエンは軽く舌打ちした後、ディゲルマに念押しする。


 あの小娘が氷柱に閉じ込められてからもうすぐ1時間。残念だな、神堕ち。アンタがココへ来た時点で既に50分は経過していたはずだ。もはやオワゲー。


 ———アンタの負けだ。


 したり顔をどうにか隠しながらコーエンは平静を装うのだった。


「コーエン!見ただろ?今神堕ちの下に転がってるアイツ、瞬殺だったじゃないか?!もうやめ———」


「ふざけるな!人間は我等アウスジェルダの敵だ!」


 ディゲルマの静止も遮ってコーエンは前に出てフィーゼと対峙する。


「俺は知ってる。アンタは400年前、人間どもからこの森を守った英雄だ!だからこそアウスジェルダは今もこうして滅びることなく生き続けていられてる。アンタはもっと讃えられて然るべきだろう?


 なのにスディンペルが下した結果はなんだ?神堕ちだと?ふざけるな!仕掛けてきたのは、悪いのは全て人間のはずだ!


 アンタは一族を守ったのにそれで一族を追われる身になっただなんて…、それに今はその憎き人間の元へ降っただと?アンタにはプライドってもんがないのか?!」


 その言葉にフィーゼは、またか、と言いたげに、面倒くさそうにハッと乾いた息を吐き捨てた。


 そんな氷柱の外の様子は、耳飾りのおかげでシンシアの耳にもちゃんと筒抜けになっていることに、この中の誰一人気づくことはなかった。


「俺たちは憧れてたんだ。ゲスな人間どもも含め、生きとし生けるもの全てに誠心誠意を尽くし、守り導く神使のアンタを…。そんなアンタを先に裏切ったのは人間だ!なのになぜ助ける必要がある?


 ———なぁ、もう一度あの時のアンタを見せてくれよ?こんな人間一匹、あの時みたく躊躇なくって見せてくれよ!」


 その言葉に、フィーゼは何も言わず氷柱の前へスッと足を進めた。


“ 殺るのか———? ”


 とうとう意を決したのかと、ディゲルマはその凄まじい冷気漂う冷たい背中を、固唾を呑んで見守る。


 そのかたわらで、


 ———さあ殺れ!


 と言わんばかりにコーエンはニヤリと怪しげに口角を上げる。


 フィーゼは集中するように目を閉じて、ふぅ、と一つ息をつく。ギュッと握った拳には氷の粉が纏わりつき始める。


「———っ、」


 彼は再びカッと目を開くと、肘をグッと引いて拳を構え、それを勢いよく氷柱にぶつけたのだった。


 ピキッ、ピキッと氷にはゆっくりと数本のヒビが入っていく。


 他の二人はその行く末を固唾を飲んで見守っていた。


 そして最後にはバリンッ!とシンシアを取り囲んでいた氷柱は跡形もなく木っ端微塵に打ち砕かれてしまったのだ。


 やはりやりやがったか、とコーエンは興奮気味に笑みを浮かべ、ディゲルマは心配そうに手で顔を覆う。


 だが、その次の瞬間、ウソだろ…?とコーエンは声を零していた。


 ———そう、見事にシンシアだけを避けてそこにあった氷柱は跡形もなく姿を消したのだった。


「…マジか。おぃ、あんな天井と地面とを繋いでいたぶっとい氷柱が、拳一発で全部破壊されるなんて、あり得ないだろ?」


 口をあんぐりと開けて思わず目を疑うディゲルマ。


「お前、まさか手を抜いて———」


「全力でやったさ!俺の氷柱、今まで壊されたことなんてなかったのに…」


 ディゲルマは自分が作った氷柱がこうもあっさり破られてしまい、改めてフィーゼというアウスジェルダ最強と謳われた精霊に恐れおののくのだった。


「お嬢っ?!」


 中から姿を現したシンシアをフィーゼはその腕の中に抱き止める。


 その時、フィーゼはあれ?と、小さな違和感を覚えた。


 温かい———?


 少女の身体は、通常のそれと変わらない温もりを帯びていたのだ。かなりの時間氷の中に閉じ込められていたはずなのに、だ。


 そして氷柱が割れる時、フィーゼの目には一瞬だが何かが映った。


 ———なんだ?今の。お嬢の身体が赤い火の粉を纏っているかのように見えた。まるでこの子を護っていたかのように…。


 あれはまさか、火の神テルカの焔か?


 ぼんやりとそんなことを考えつつも、ふと我に返り、彼女の四肢を縛る布を解いてやるのだった。


 その様子をディゲルマは心配そうに見つめる中、コーエンだけは気に食わない顔をしていた。


 ———チッ、やはり方を選んだか。全く、神堕ちはどこまでいっても神堕ち。堕ちるところまで堕ちてしまったというわけか。


 コーエンは苦虫を噛み潰したような渋い顔で心の中でフィーゼをそう吐き捨てたのだった。


「お嬢…、お嬢?!」


 フィーゼは何度も主のことを呼んだり軽く揺さぶったりしてみるが、その人は一向に目を開けようとしない。それどころか、ある重要なことに気づいてしまった。



 ———っ、息を、していない?



 フィーゼはシンシアの口元にかざした手を力なく下ろした。どこまでも悪い考えが頭の中を一気に支配してしまう。


 だが、フルフルと頭を左右に振って、懸命に自分を奮い立たせると、再び必死にシンシアを呼んだ。


 その様子をただ黙って見つめるディゲルマとコーエン。


「お嬢、…っ、シンシア!」


 フィーゼは焦りながらも必死にシンシアに呼びかける。


 とはいえ彼女がピクリとも動かない様子を見て、コーエンはホッと息をつく。


 やはりもう手遅れだ、神堕ち。お前の負けなんだよ、諦めろ。


 あっけなかったなと息を吐き捨てると、コーエンはその場を去ろうとするが、


「…っ、」


 その腕をディゲルマにガシッと掴まれてそれを阻まれるのだった。


 そんな中、フィーゼはただただなす術なく頭を抱えるばかりだった。


 ———お嬢、ごめん、全部、全部俺のせいだ。俺がこんな危険な場所に貴女を連れて来てしまったから…。なぁ、お嬢、頼む、目を開けてくれ!もう一度、その優しい声で俺の名を、…フィーゼって呼んでくれ!


 彼の顔は口惜しさややるせなさに歪むばかりだ。


 嗚呼、どうすれば———。焦る頭を必死にフル回転させていると、


「っ———、」


 ふと、頭の中にある映像が思い浮かんできた。


 そういや昔、師匠が応急処置にって教えてくれた方法があったな…。


 人間っていう生き物は精霊俺たちが想像するよりもはるかにひ弱な生き物だからと。


 まぁ、あくまで主を傷付けないことは大前提だが、万が一にも瀕死の状態に陥ってしまった時は、を施せと。


 ———まさか、こんな時が来るなんて…。もっと真面目に聞いときゃよかった。


 フィーゼは記憶を懸命に手繰り寄せながら、必死にダルクから習ったことを思い出す。


 まずは自分が着ていた外套を脱ぎ、地面に敷くと、その上にゆっくり丁寧にシンシアを寝かせた。そしてその胸元にそっと自分の重ねた両手を押し当てるのだった。


「おいおい何をする気だ?その女はもう死んだんだよ!アンタは手遅れだったんだ!」


「黙れ。それ以上喋ると頭凍らすぞボケ!?」


 と、後ろで嘲笑うコーエンを口でねじ伏せたフィーゼは、生まれて初めての心臓マッサージをシンシアに施すのだった。


 確か、このくらいの力で押し込んで、えっと、数は———。


 そして顎をクイッと持ち上げて、


「っ…、」


 躊躇いながらも、ええぃ、ままよ!と少女の唇に自分のを重ねて息を吹きかけるのだった。



「頼む、戻って来てくれ———」



 しばらくの間懸命に蘇生術を繰り返し繰り返し行っていると…、


「———ケホっ、コホッ…、」


「っ?!」


 シンシアは何度もむせ返りながらも、やっと息を吹き返したのだった。


「フィー、ゼ…?」


「…お嬢?」


 弱々しくもしっかりと聞こえた自分の名を呼ぶ声にフィーゼはホッと息をつく。そして何かに気づいたのか、今までマッサージを続けていた胸に手の代わりに片耳を当てた。


 ———っ、


 それからようやくホッと胸を撫で下ろしたのだった。


 彼の耳には微かにもシンシアの心臓が力強く脈打つ音が確かに聞こえたのだ。


 とりあえず峠は越えたと、フィーゼはシンシアの頭をひと撫ですると、すっと立ち上がり、男たちの方へ向き直った。


「…さぁて、どうしてくれようか?」


「ヒっ?!」


 再び顔を上げたフィーゼの目は、凄まじく鋭く凍りついていた。


 思わず一歩後ずさるディゲルマと、すまし顔のコーエン。


「どうする気だよ?神堕ち」


「そうだな…、とりあえず、」


 フィーゼはそう言って “ パチンッ! ” と一つ鳴らした。


 すると、


「っ、コー、エン…??」


 一瞬の内にディゲルマの隣にいたコーエンは天井から地面に伸びる氷柱の中に閉じ込められてしまった。まるで自分が作ったシンシアを取り囲んでいた氷柱を模倣したように精巧に作られている。


「な、なんてことを?!」


「それ、お前が言えた口かよ?」


 フィーゼのその言葉に、んグッと口籠るディゲルマ。


「どうだ?仲間を氷柱の中に閉じ込められる気分は。安心しろ。仲間の方は人間じゃなくて精霊だ。こんなことじゃそうやすやすと息の根が止まるなんてことないだろう?」


 フッと怪しげに口角を上げるフィーゼに、仕返しのつもりか?と舌打ちするディゲルマ。


「まさか、人間なんかを助けて俺たちを殺すつもりか?!」


「…あぁ、そうだな。今すぐにでも殺してやりたいよ。だが———」


 そう言いかけて、フィーゼはそっと後ろのシンシアを振り返る。


 きっとあの子はそんなことは望まない。と、フッと力なく笑う。


「ってか、氷柱それは俺の力だろう?!そもそもお前は氷雪の力を操るはずじゃ?」


 なんでお前が?と言いたげな彼に、


「だから?」


 と、腕組みしながらギロっと睨みつけるフィーゼ。


「だ、だから、なんでお前が俺の力を?」


「———あぁ、それな」


 フィーゼはディゲルマとの数回のやりとりで彼の言わんとすることを理解したのか、


「…それはお前が冬の精霊アウスジェルダだからだ」


 一言そう言ってのけた。だがそれだけではあまりにも言葉足らずだったせいで、ディゲルマは、は?と首をかしげるばかりだった。


「あーだから、その———」


 適当な言葉を見つけようと頭を捻るフィーゼの言葉を遮って、


「コイツにコピーされたってことだよ。お前の力を」


 洞穴の入口の方からそんな声が聞こえてきた。


「コピーだと?…って、誰だ?!」


「———まさか、イグォルか?」


 声の主とは、このアウスジェルダの森の長、イグォルだった。


「コイツはアウスジェルダ最強と謳われた神堕ちだぞ?———コイツの力は氷雪、氷と雪のハイブリッドだ。俺たちが持つ力、氷と雪でできることなら、だいたい一度見ればコイツはすぐにやってのけちまう」


「んなっ、そんなんただのチートじゃないか!?」


 イグォルの言葉にディゲルマは羨ましそうな眼差しを向ける。


「そぅ、クッソムカつくチート能力者なんだよ、このキチガイは!!」


 そう言ってこれみよがしに吐き捨てたイグォルに、


 おい、もはや後半はただの悪口になってんじゃねーか!と呆れ顔のフィーゼなのだった。


「あ、そうだ、ヴェッツェ、コレ、その子に飲ませてやれ」


 彼は思い出したようにそう言って、懐から取り出した小さな小瓶をフィーゼに投げ渡した。


「っと…。なんだ?コレ」


「雪解けの聖水。…お前の妹お手製だ」


「キュピルの?」


「おぅ、きっと役に立つだろうからってお前を追ってここへ来る時に持たせてくれた」


 初めは首をかしげるばかりのフィーゼだったが、最終的には、そうか、と頷くのだった。


 ———まぁ、アイツが作ったんなら安心だな。


 イグォルにはそんな言葉が、フィーゼの口から聞こえたような気がした。


【雪解けの聖水】

 それは、四大元素の魔法の中では扱いが難しい氷魔法の、その中でも特に繊細な技術を要して精製される聖水だ。これを飲むとどんな重症重体な患者でも、ある程度の怪我や病気は浄化され回復できる、とても高価で貴重な代物と言われている。


 コレばっかりはあまりに繊細な作業のため、氷雪の力を自在に操れるフィーゼであっても簡単には生成できないのだ。


 ———飲めるか?と、フィーゼはシンシアを抱き起こす。相変わらず不思議なほどに彼女の体温は一定に保たれている。彼女のか細い呼吸が宙を白く染めるほど、外気もそれほどに冷たいはずなのに、である。


「…さ、口を開けて」


「っ…、」


 フィーゼの言葉にシンシアはゆっくり口を開けると、彼は小瓶の蓋を開けて少しずつ聖水を飲ませてやるのだった。


 小さな小瓶一杯飲み干した時、シンシアはやっと身体が楽になったようだった。


「ありがとう、フィーゼ…。助けに、きて、くれて」


「ったりめぇだろ、来ないとでも思ったのか?」


「フフッ、そうだね。



 フィーゼは、私の従者だもんね———」



「っ…、」


 あなたが従者でよかったと微笑む主に、当の従者は複雑そうな面持ちでそっと顔を伏せただけで返事はなかった。


 その様子を、今やボコボコにし終えたディゲルマの胸ぐらを掴んでいるイグォルは、黙って見ているだけだった。

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