第18話ー加護のカケラー

 ———その頃、シンシアはというと、森の外れにある岩肌に開いた洞穴の奥にいた。手足や口には布が巻かれ身動きは取れず、喋れもしない。おまけに目隠しもされていて、地べたに跪かされている。自分が今どこにいるのかさえわからない状態だ。そんな中、耳だけは正常に、いや耳飾りのおかげかそれ以上によく働いていた。


「…全く、人間ごときが再びヌミの森ココに足を踏み入れようとは」


「イグォルも何を考えているんだ?人間ごときをなんぞとほざいていると門番のガキたちがふれ回っていたし」


「人間は冬の精霊我らの敵だ。生かしておくわけにはいかない。


 …好都合じゃないか。かつて人間から我らを護ったという神堕ちも一緒に来ているらしい。ソイツにもう一度を犯してもらうとしようじゃないか。


 ———あの時、精霊狩りをしに来た人間を一人残らず返り討ちにした時のように。


 そう、まさに、精霊狩りならぬ、をやってのけた時のようにな」


 そんな会話と下品な笑い声がシンシアの耳に響く。聞き取れた声は今のところ2人。声のトーンからして両者とも大人の男。


 人間のことをよく思っていない側の者どもの仕業のようだ。


 幸いなことにレヴィのことは一言も会話に上っていない。それに、近くに彼らしい息遣いも聞こえてはこないので、きっと連れて来られたのは自分だけだと静かに悟り、こんな時でも、“ よかった ” 、とホッと胸を撫で下ろすシンシア。


 とはいえ、人間狩り———、よく言ったものだ。どうやら連中はフィーゼに自分を狩らせようとしているらしい。


 そんなこと、フィーゼはしないはず。しない、はず、だ…。


 こんな時に限って、イグォルに言われた言葉の数々を思い出してしまう。


【アイツの封印は、解いてはいけなかったかもしれませんね】


【まさか人間の眷属に下るだなんて…。アイツが一番嫌がりそうなので、意外過ぎて】



 シンシアは静かに息をつく。



 ———フィーゼは本当に助けに来てくれるだろうか?



 いやそもそも、私を探そうとしてくれる…?


 レヴィは無事だった。同方が無事だったなら、きっと、彼らの恨みの根源である人間のことなんて、もぅ———。



 心の中にそんな言葉がぽとぽとと、真っ黒い墨汁のごとく零れ落ちていく…。



 今まで当たり前のように彼はそばにいてくれた。だからこそ不安になる。私たちはただ、眷属契約を結んだから一緒にいるに過ぎない。一度離れてしまえば、えにしが切れれば、私たちは———。


 シンシアは静かに目を伏せながら、無意識のうちに小刻みに震えている自身に必死に気づかないふりをしていた。


 そんな時、


「おい、この女どうする?神堕ちがわざわざ降るほどだ。一体どんなヤツかと思えば、見るからに簡単に殺せそうだぞ?」


 と1人がシンシアの髪を掴みながらグッと持ち上げる。


「まぁ待て。…だから選ばせてやるんだよ、神堕ちに。ヤツにらせるからこそ面白いんじゃないか。聞けばヤツはこんなひ弱な人間の小娘なんぞに降ったという。きっと今血眼になってこの人間を探していることだろう。


 かつては何千何百という人間をその手で葬った悪魔が、聞いて呆れる。人間なんぞに尻尾を振って、全く、一族の恥晒しが。


 ———この人間を殺して再び一族の誇りを取り戻すのか、はたまたこの人間を本当に助けるのか。


 そしてヤツが人間を取ると言った時は、俺たちがこの女を殺ればいい。


 ヤツの目の前でな。


 フッ、その時、赤い雪の悪魔は果たしてどんな顔をするのだろうな?」


「ハハッ、見ものだな」


 男たちは尚も楽しそうに笑っている。


 …つくづく趣味が悪い会話だ。聞いていて反吐が出そうになる。


 だが、こんな状況下だからか、やはり心は揺らぐ。



 ———フィーゼは果たして、どちらを取るのだろうか?



 シンシアの中にはただただ不安が渦巻いていた。


 そんな中、不意にシンシアの目隠しが取られた。すると松明で照らされた暗い洞穴の様子が、ぼんやりと視界に入ってくるのだった。


「よし、この女を氷柱つららの中に閉じ込めろ!」


 男の言葉にビクッと反応するシンシア。


「…けどそんなことしたら人間なんて冷たさに加えて息もできず、たちまち死んじまうぞ?」


「そこはお前の力次第だ。空気の配分なんてお前の加減でどうにでもなるだろう?その上でこの人間の息が尽きるのが先か、神堕ちがここに辿り着くのが先か、果たしてどちらが先なのだろうな」


 そんな相方の言葉に、それは面白いと笑いながら、男はシンシアに向かって彼女の反応なんて伺うでもなく、“ パチンっ! ” と一つ指を鳴らすのだった。


 その瞬間だった。


 洞穴の天井から地面に座り込むシンシアを取り囲むように頑丈な氷柱が生成されたのだった。



 ———ぇ、なに?何が起こったの…?



 あまりに刹那的でシンシアには一体自分に何が起こっているのか知る由もない。


 とりあえず冷たい。というより、痛い…。全身の所狭しに鋭い針で突き刺されているような、そんな感覚だ。


 確か、以前フィーゼが零してた、のそれによく似ている。


 そうか、彼はこんなにも辛い思いを…。


 やはり、彼は私なんかと契約してはいけなかった———。


 ふと、シンシアの頭の中をそんなことが過ぎっていった。


 寒い。身体が重い。身動きが取れない。全身の感覚が、失われていく。


 息が、できない———。


 シンシアは意識をほぼほぼ手放しかけていた。


 ———たすけて…。


 心の中で微かに叫ぶ。


 た…す、…、て、———、


 最後に誰の名前を呼んでいたのかも、もはやシンシア自身もよく、わからないまま、意識はそこで途切れてしまったのだった。



 ♢



 それは、フィーゼが今まさにシンシアを探している時だった。



 ———フィーゼ。



「…っ?!」


 ふと、フィーゼはピタッと動きを止める。


 彼の耳に、弱々しくも確かに自分の名前を呼ぶ愛おしい声が確かにはっきりと聞こえた気がしたのだ。



「シンシア———」



 フィーゼはそっとその名前を口にする。


 そして聞こえてきた声に、待ってろ、今行く。と返事をすると、また彼女を探すために動き出すのだった。



 ♢



 氷柱の中に閉じ込められ、身動きも取れなくなってしまったシンシア。


 そんな彼女の心の中核に、ボウッと小さな焔が灯るイメージが、頭の中にスーッと入ってきた。



 ———温かい。まるで身体の芯から隅々まで熱が伝わっていくような…。



 シンシアは、もはや全身の感覚さえもほぼほぼなくなりかけていたところに、細部のいたるところにまで再び熱が宿っていくのを確かに感じていた。


 それはまるで心の奥に降り注いだ一欠片の火の粉が芯に燃え移り、それが大きな焔となって、身体の至る所に張り巡らされた血管という導火線を通りながら、身体全体、末端にまで熱が伝わっていくような、そんな不思議な感覚だった。



 これは、———?



 そのすぐ後に、


〈———殿下、公女殿下?!〉


 暗く閉ざされた意識の向こうで、誰かが呼ぶ声が微かに聞こえてきた。


 それは自分を攫った男たちのものではない。呼び方からして、フィーゼでは決してない。


 消えかける意識を必死に繋ぎ止めてくれているかのようだ。


〈俺です、クロノス帝国皇太子の従者が1人、焔の精霊ペジャンティカ、エスト・ヴァークレーです〉


 ———エスト、さん…??


 声の主に驚きを隠せないシンシア。こんな状態ではもちろん声は出ず、心の中で、頭の中に響いてくる声に反応を示す。


〈今はお辛いでしょうが、どうか気をしっかりとお持ちください。俺の “ 焔 ” が貴女様の身体を温めていますので、氷の中だろうと平気です。だからどうか、雪の騎士が来るまで持ち堪えてください!〉


 頭の中に響く声にシンシアは、意識だけはうん、うん、と、弱々しく頷く。


 ———そうか。これはあなたの…。


 言われてみればそうなのだ。さっきまであんなに寒かったはずなのに、今は違う。まるで、お日様に包まれているかのようだ。


 そうか。この温もりは、この身体の芯から伝わってくる柔らかい熱は、エストさんが———?


 かつてその焔がフィーゼをことごとく傷つけたのを目にしてから、とても怖いものと感じていた。だが今は、



 嗚呼、とても温かい———。



 あなたの焔は、こんなにも優しい温もりも秘めていたのですね。


 シンシアはどこか安心した面持ちでフワッと小さく微笑んだ。


 物事の側面だけしか見ていなかった自分が、どこか恥ずかしく感じてしまったのだった。


 ポツリポツリと弱々しいながらも懸命に反応してくれる彼女の様子にエストはホッと息をつきながらも、そのまま喋り続ける。


 彼女に意識があることを確認しつつ、その意識を手放させないようにするためだ。


 そんな彼の思いを知ってか知らずか、


 …でも、どうしてエストさんが私を———?


 シンシアは言葉を零す。


 当然と言えば当然のことだ。エストがシンシアを助ける理由なんてどこにもない。彼にとって自分は、主の友人、いや、それはおこがましいか。帝国の従属国の公女。そんなものに過ぎないのだから。むしろ無関係であるとも言ってもいい。


〈以前貴女様は俺を助けてくださいました。だから今度は、俺が貴女を助けます〉


 その言葉にシンシアはまた、ん?と頭を捻る。自分がこの人を助けた?…いつ?


 そんなに深く彼と関わった覚えもないので、いくら考えても彼の言葉に二つ返事で頷けないでいた。


 その様子を見てエストはフッ、と音もなく小さく息を漏らした。


 忘れてしまわれるほど、貴女様にとっては些細なことだったんですね、と、まるで息をするかのように何の見返りもなく慈悲を施すシンシアの性格に、また感服させられるのであった。


〈以前、剣術大会の模擬戦で、我が主が貴女様の従者と手合わせしたことがあったでしょう?その時、俺は主の命令を無視して加護を暴走させた報いとして “ 契りの苦痛 ” を受けた。その苦しみから動けなくなった俺を救ってくださったのが他でもない、貴女様です、公女殿下〉


 エストの言葉に、…あぁ、あの時か。とシンシアはボーッとその時のことを思い出していた。


 確か、風の神様にお願いして、助けてもらったんだ。


 シンシアはそっと、胸の辺りに忍ばせてある氷翠石に意識を向けた。今までコレの存在を忘れていた。コレを使う時はいつも、必ず“誰かのため”という前提があったからだ。


〈今こうして貴女様を温めているのは、俺の加護の一部、です〉


 加護の、カケラ———?


〈俺は火の神、テルカの怒りより生まれし焔の精霊。その力は、“ 火の粉 ” なのです〉


 以前見せていただいた、“ 花火 ” のような?


〈———っ、はい、覚えていてくださったのですね。そんな火の粉の一部を密かに貴女様に宿らせていたのです。もしもの時に、恩が返せるように〉


 エストの言葉を聞きながら、


 他人に加護を宿らせる。そんなこともできるのかと、シンシアはボーッとした頭でそんなことを思う。


〈とはいえ、カケラはカケラ。本来の力の半分も出せないので、できるのはこれくらいです。本当なら、こんな氷柱、今すぐにでも俺の焔で溶かして、貴女様をここから出して差し上げるなんて、たやすいはずなんですが、申し訳ございません〉


 その声は本当に申し訳なさそうに、とてももどかしそうに響く。そんな彼に、


 ———充分です。助けてくださって、ありがとうございますと、シンシアは穏やかな口調で返してやるのだった。


 あの時した何気ないことが、まさかこうして、巡り巡って返ってくるだなんて…。全く、お婆さまの言う通りだ。


 良いことをしたら、それが巡り巡って、良いこととして返ってくる———。


 シンシアはこんな時でも、そうやって微笑むのだった。


 そんな時、彼女の耳飾りが弱々しくも懸命に煌めいていることなど、露にも知らず———。



 ♢



 その頃、フィーゼは耳飾りをどやしながら必死にシンシアの居場所を探っていた。


「おぃ、本当にこっちで合ってんだろーな?!」


 全身に自身の冷気を風のように纏わせながら、森の中を猛スピードで飛び回るフィーゼ。


 そのおかげで雪が舞い上がり、まるで吹雪を纏わせているかのようだ。


 今は以前の夜市の時みたく暗闇ではなく真昼の上、一面が真っ白なので余計に光は見えづらく、耳飾りは声でシンシアがいる場所までの道を彼に指示していた。


「…ココを真っ直ぐって、この先は———」


 その先に一体なにがあるのかまるで把握しているかのように、フィーゼは表情をだんだんと曇らせていく。


 そしていよいよその場に降り立つと、目の前には洞穴の入り口が見えていた。…しかしフィーゼはそのまま立ちすくんでしまう。


「…わかってる、行く。けど、少し待て。まだ “ 心の準備 ” が———」


 なにを躊躇っているのか、やはり動かないフィーゼ。耳飾りの声に急かされてか、若干イラつきを見せる。


 ———まさか、この先にお嬢が?


 いやいや、待てよ。ココは、ダメだろ。


 自然と鼓動が速くなっていくのを感じる。身体がまるで石のように動かない。


 忘れるはずがない。だってココは、



 ———かつて俺が封印されていた場所だ。



 地の神、スディンペルが、この洞穴の奥に設けられた祠の中に一時的に創り出した異空間の牢獄。そこに俺は400年間封印されていたのだ。そこは暗くて、狭くて、とても寒い、誰にも見つけられることもない、無だけの空間。今思い出すだけでも身震いがする。



 もうあんなところ、二度とごめんだ———。



 そんな自分に耳飾りは囁き続ける。早く行けと。あの子を早く助けに行けと。


「あぁ、もぅ、うっさい!!」


 そんなことわかってる。わかってはいるのだ。自分が封印されていたのはここであってココではない。そんなこと頭ではわかっている。わかってはいるのに———。


 身体が動かないのだ。


 そんなフィーゼの耳に、どこからか歌声が聞こえてきた。


 それはとても穏やかな声で、うるさく鳴り響くフィーゼの鼓動をスーッと凪に戻してくれるように、優しく身体の中に響き渡っていく。


 今までに味わったこともない、とても不思議な体験だった。


 ———なんだ、この歌。聞いたこともないのに、心が自然と落ち着いていく。


 この声———お嬢の、声…?


 その声は幼い頃のシンシアの声にとてもよく似ている気がした。



 なぜだろう。あの子の声を聞くだけで、こんなにも安心する自分がいる。



 フィーゼはそっと胸に手を添えて、乱れ切った鼓動と呼吸がだんだんと落ち着きを取り戻していくのを感じていた。


 そしてしばらくして歌が終わった頃には、フィーゼは身体を自由に動かせるまでになっていたのだった。


「…あぁ、もう平気だ。


 ———よし、行くか。待ってろよ、お嬢」


 フィーゼは一つ息をつくと、いつもの調子が戻ってきたのか堂々と洞穴に足を踏み入れるのだった。

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