第16章ー誘拐事件ー

第15話ー氷の魔女を守るためー

 ———フィーゼ、イグォル、キュピルの3人は小屋に入り、長方形のローテーブルを囲むようにフカフカのソファにそれぞれ腰掛ける。


「いい子だな、お前の主は」


 窓の外に見えるシンシアとレヴィの姿を微笑ましく見つめるイグォル。


 初めは小さかった雪玉が、だんだんと大玉へと姿を変え始めていた。


 フィーゼはイグォルの言葉に、…あぁ、とだけ呟くと、それ以降は口を閉じてしまった。


 いい子過ぎて、時々心配になる…。いつか自分が気づかないうちに気づかないところで壊れてしまいそうで、消えてしまいそうで、怖い———。


 そんなことを思いながら、やるせなく一つ息をつく。


 そんな彼に妹はズカズカと踏み込む。


「封印が解けただけでも奇跡なのに、まさか、人間なんかに降ってたなんて…。元神使が聞いて呆れるわ。アナタにはプライドってもんがないわけ?」


「神使っつってもお前が言う通り “ 元 ” 、だからな。もぅ400年も前にその名は剥ぎ取られてしまったんだ。今更プライドも何も、あったって仕方がないだろう?」


「それもこれも、アナタが400年前、あんな血迷ったことをしたのが悪いんでしょう?!」


 ため息混じりに話すフィーゼに、キュピルは凄みがかった声で詰め寄る。そんな彼女に、まぁ待てよ、と声をかけるイグォル。


「ヴェッツェが神堕ちになる原因となったのが、人間の大量虐殺だ。あれは———」


「あれは当時、この国にかつてないほどの大寒波が訪れ、平民たちの食料もいよいよ底を尽きそうって時なのに、国が一向に城の食糧庫を解放しなかった。だから俺が動いたまでだ」


 イグォルの話を遮り、ポツリポツリとフィーゼは自ら口を開く。


 北に位置するモントレー王国は冬の国とも称されるほど、一年を通して雪を目にしないということはまずない。


 天候のせいもあって、とにかく食物がは著しく育たず、そもそも港も凍っているからして、海産物も多くは望めない。食料自給率が他の国と比べて極端に低いのことでも有名だ。


 それゆえに食料の大半は他の国からの輸入に頼る他なかった。他国から集められた食品は自動的に宮殿内の食糧庫に納められ、そこから市中に出回る。そこがうまく機能していなかったばかりに、民たちは苦しみあえぐしかなかった。


 食糧庫に手が出せるのは特権階級と呼ばれた王族や上流貴族のみ。彼ら上層部の人間だけが潤い、市場には食料が充分には降りてこない状況だったのだ。


 いくら農民が手塩にかけて懸命に農作物を育て上げたとしても、厳しい税として国に搾り取られていくばかり。手元に残るモノはほとんどと言っていいほどない。


 それゆえ平民は痩せ細り、飢えていくしかなかった。そしてとうとうそんな彼らの我慢も不満も限界値を超えてしまい、国のあちらこちらで内乱が起こるハメとなったのだ。


「だから、俺は———」


「だから殺したって?人間たちがこれ以上苦しまないように?手ずから楽にしてやったとでも言いたいの?!国中の内乱を鎮めて英雄気取り?


 ———ハッ、ふざけてるわけ?仮にも神使という立場で、それで何か守ったつもり?!」


「っ…、」


 フィーゼは思わず声を上げるキュピルから顔を背ける。


 それを見兼ねてかイグォルは


「その話には実は続きがあるんだ、キュピル」


 と口を挟もうとするが、


「よせっ!」


 フィーゼは首を小さく横に振って彼を制する。


「…なら聞くが、こんな極寒の国で、こんな氷雪の加護が一体何の役に立つ?氷の力を持つお前に答えられるのか?!」


「…そ、それは、」


 フィーゼの言葉にキュピルは口籠る。


「内乱ばかりじゃない。愚かな人間どもはこうも考えたわけだ。


 自分たちが飢えてこんな状況になっているのは、守護神スディンペルがお見捨てになったからだと。


 大地を凍死させる厄災、冬の精霊アウスジェルダをあえてこの地に遣わし、自分たちを滅ぼそうとしているんだ、と…」


 フィーゼの話に、何を言って———?と、キュピルは目を見張る。


「『全てはアウスジェルダのせいだ。


 冬の精霊、アウスジェルダさえいなくなれば、この国の冬は終わる』


 とまで抜かしやがるクソ野郎さえ現れた」


 その言葉に、キュピルとイグォルはやるせなく目を伏せる。


 怒りの矛先を国ではなく、アウスジェルダこちらに向けるしかなかったってこと…?

 全く、責任転嫁も甚だしい。これだから人間どもは———。


 キュピルはやるせなくため息をつく。


「この森はいにしえよりアウスジェルダの住処として人間どもにも知られている。


 奴らはこの森を焼き尽くそうとしていたんだ。


 全てはアウスジェルダ俺たちの殲滅のために」


「…でも、人間には精霊私たちは見えないんじゃ?」


「例え見えなくとも、森の全てを焼き尽くせば、自動的にそこにいるアウスジェルダも森と共に死ぬ」


 フィーゼは温度のない言葉で言い放つ。


 ひ弱な人間の恐ろしいまでの醜悪さに、キュピルは嫌悪の念を示す。


 ———しかしながらあの時は結果的に、自分を含む同族たちは無傷だったのも事実だ。


 ふと思い出した、事の矛盾にキュピルは違和感を覚えていた。


「キュピル、どうしてあの時俺たちは無事にすんだと思う?」


「———っ!?」


 キュピルはイグォルの言葉に導かれるようにチラッとフィーゼを見た。


「全てはこの悪魔の仕業だと言いたいの?」


 と、皮肉を口にするキュピル。


 フィーゼはため息混じりにまた口を開く。


「———いくら神使と言えど、俺だって “ 精霊 ” だ。人間と精霊、天秤にかけてどちらを取るかなんて、いちいち聞くまでもないだろう?」


「…へぇ、悪魔と呼ばれていてもそれなりの心は持っていたのね」


 その言葉にフィーゼはフッと苦笑いを浮かべる。


「キュピル、ヴェッツェはあの時、一番にお前を守ろうとしたんだ。たった一人の妹を、家族を」


「…は?」


「バカっ、何言って?!」


 イグォルの言葉にキュピルとフィーゼは目を丸くする。


 ってか、何でお前がそんなことを知って———、と気まずそうに口籠る。


「もぅこうなったら、お前に他人のフリをしろとか言わねーよ。


 この森で俺だけ知ってるとか、もぅ耐えられっか!いい加減お前らはちゃんと話し合って互いの誤解を解け!ヴェッツェだってせっかく戻って来たんだから」


 イグォルに諭され、バツが悪そうにフィーゼは舌打ちして前髪をギュッとしながらそっぽを向く。


「キュピル、わざわざ嫌なことを思い出させて悪い。でも、一度ちゃんとコイツの話も聞いてやってくれ」


「っ…、」


 その言葉にキュピルもそっぽを向く。


 その後、一つため息をついてフィーゼが口を開く。


「———俺からキュピルコイツに話すことなんて何もねぇよ。ってかイグォル、お前は一体何を知ってるって言うんだ?」


「前の長様から真実を聞いた。お前がなぜ神使のお役目を放棄してまで殺戮なんかしたのか」


 イグォルの言葉に、あのクソジジイが…と、フィーゼは表情を歪ませるのだった。


「…さっき “ 氷の魔女 ” を守るため、とか言ってたわね?仰々しく妹を守るためだとも」


「っ———、」


 キュピルの言葉にフィーゼは急にピタッと大人しくなる。


「またダンマリ?アナタは昔からそう。肝心なことは何も言わない。その口は何のためについてるの?!」


「やめろ、キュピル。


 …ヴェッツェ、なぜ本当のことを言わない?」


 キュピルを制しながら、イグォルはフィーゼを問いただす。


 だが、フィーゼの口は相変わらず一文字に固く閉ざされたままだ。


「…フッ、やっと俺が知ってるお前だな。そう、それでこそお前だ」


 イグォルはそう言って今のこのフィーゼの立ち居振る舞いこそ、自分がよく知る彼の姿で、どこか懐かしさを感じつつもホッとしていた。


 コイツはいつもそうだ。必要最低限のことしか喋らなくて、何を考えてるかまるではわからない。


 だからあのお嬢さんには大層驚かされた。こんな無口を、あんな饒舌にさせてしまうのだから———。


 イグォルは小さく息をつく。


「…とにかく、俺はこの森を守るために人間を大量に殺した。だから神堕ちになった。それだけだ」


 淡々と述べるフィーゼに、


「それだけ…、じゃねーだろ?!そもそも人間どもの目的はアウスジェルダの殲滅以外にもあったんだから。むしろそっちのが本命だ」


 なかなか本質に触れないフィーゼに、イグォルは若干苛立ちながら食ってかかる。


 そんな二人の会話の行方をキュピルはそっと見守る。


 アウスジェルダの殲滅以外に、一体どんな目的があったというのだろうか?


 この人が真に守りたかったものは、本当に———。


 いまだ知り得ぬ真相に、期待と不安が入り混じり、ただただ首を傾げるばかりだ。


「イグォル、もういいだろ。もうすんだ話だ。これ以上昔のことを蒸し返すな」


 フィーゼは辟易とした顔で首を横に振る。


 だが、お構いなしにイグォルは続ける。


「平民どもを動かしていた人間が別にいたんだ。恐らくソイツはの人間。ソイツが一番に何を狙っていたのか?」


「イグォル、やめろ!」


 フィーゼは懸命にイグォルの次の言葉を制した。


 …だが、



「 “ 氷の魔女 ” 。———キュピル、お前だよ」



 イグォルは最後まで言い切ってしまい、フィーゼは苦い顔で深い長いため息をつくのだった。


 イグォルの言葉に目を丸くするキュピルと、そんな彼女をうまく見れないフィーゼ。


「『この森にはアウスジェルダとそれを束ねる氷の魔女が住んでいる』。人間の間ではそんな噂が出回っていた。———キュピル、お前が力を暴走させた所を見ていた人間がいたんだろうよ。


 人間はこの森を燃やしてアウスジェルダを殲滅すると共に、氷の魔女、…お前を炙り出そうとしていたんだ。お前が持つ強力な氷の力欲しさにな」


「人間の狙いは、私だった———?」


 イグォルの言葉に途端に戸惑いの表情を見せるキュピル。


「いい加減なことを言うな、イグォル。キュピルコイツは関係ない!」


 フィーゼはそう言うが、イグォルは尚も続ける。


「遠い昔、まだ幼いお前たちはこの森に捨て置かれた。


 それは、お前たちのそれぞれの親が、二人の強過ぎる力で自分たちの身に厄災が降りかかるのを恐れてのことだった。一人は氷の力。もう一人は氷と雪の両方を掛け合わせた力…。


 同族の中でお前ら二人は一、二を争うほどの強大な力の持ち主だってのは、おそらく自覚くらいはあんだろう?


 それに子どもの頃ってのは特に力の制御がままならない不安定な時期だ。大人たちでも手に負えなくなって、この森に捨てて行ったんだろう」


 フィーゼとキュピルはそれぞれに目を伏せる。


 そんな2人の様子を見て、


 ったく、仕草だけはいつもピッタリなんだよな。こう見てるとまるで本当の兄妹みたいだ…。


 と、イグォルは小さくフッと笑う。


「———キュピル、お前はその強大な力ゆえに、あの時、人間に生捕りにされそうになっていたんだ」


 そう言って、次に話し出したのはフィーゼだった。


 どうしてそんな…と、キュピルの声がポロッと溢れる。


「人間どもはこの森で、1000年以上も前に起こしたあの悲劇を、もう一度繰り返そうとしていたんだ」


「悲劇、って、まさか———」


「奴らは “ もう一度 ” 精霊狩りをするつもりだったんだ」


 ボソッと言ったフィーゼをパッと見やるキュピル。


【精霊狩り】

 それは今より1000年以上も前の話。より強い精霊の加護を得たいがために、人間たちが行った、史上最悪とまで言われた愚行だ。


 人間や動植物といった目に見えるモノたちが住まう地界と、神や精霊といった目に見えないモノたちが住まう天界との間に保たれていた均衡が、人間たちの手によって、とうとう壊されてしまった、大惨害だった———。


 ことの発端は、貴族に属さないが見える側にいた一部の人間たちの所業だった。


 彼らは精霊が見えるのをいいことに、彼らを捕らえて高値で他者に売り捌いて富を得ていた。


 だがそこは人間。底なしの欲深さはその所業をますますエスカレートさせていったのだ。


 同じ精霊の種族の中でも、より強い加護を持つ精霊を選別し、生捕りにし、高貴な身分の者たちに高額で売り捌くことを始めたのだ。


 そこで間引かれた弱い精霊たちはなす術もなく全て殲滅され、彼らが棲家としていた山や川、森といった自然は、次々に姿を消していくこととなった。


 それはまさに、地獄絵図そのもの。


 そこで捉えられた精霊はゆくゆくは人間と、眷属、または隷属のいずれかの契約を結ばされることとなる。


 ゆくゆくは奴隷として強制的に主に絶対服従を永久に強いられ、戦争の兵器として使われる…。


 これは一部の悪しき人間たちが犯してしまった、後世にまで延々と語り継がれる、決して消えることのない血塗られた負の歴史だ。


「———人間たちの火の手がこの森に届く前に、火が上がるよりも前に、その全てを滅ぼした、の…?」


「…っ、」


 キュピルの問いにフィーゼは何も答えない。


「私なんかのために、神堕ちになったのかって聞いてるの!


 一族の恥晒し、赤き雪の悪魔って汚名を、自ら被りに行ったって、そう言いたいの?!」


「っ…」


「何とか言いなさいよ!」


 ダンマリを決め込むフィーゼに、キュピルの声は次第に迫力を増していく。その目尻にはだんだんと雫が溜まり始めていた。


「…はぁ、いちいちうるさい。別にお前なんかのためじゃ———」


「っ、氷の魔女の力をナメないで!私の氷の力が人間なんかに負けるわけないでしょう?!アナタがそんなことしなくても私が———」



「だからだよ、キュピル」



 突如放たれたイグォルの一言に、キュピルはスッと止まる。


「お前だって自分の力の強さは自覚してるだろう?だからずっとヴェッツェとあの家で、森の外れでひっそりと暮らしていたんだから。


 同族からも、まるで隠れるように。


 それだけ強いお前の力なら火がこの森を焼き尽くす前に人間どもを始末できたはずだ。けど、そんなことすればお前は、



 本当に氷の魔女になってしまう…」



「…っ、」


 その言葉でキュピルはハッとして、瞬時にフィーゼを見るのだった。


 ———そんなことからも、アナタは私を護ったって言うの?


 キュピルの目からはとうとう溜まりに溜まった雫が溢れ出すのだった。

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