第13話ー赤い雪の悪魔ー

 イグォルはフィーゼのことをなにも知らないシンシアに、伝えられる範囲で語ってやることにしたのだった。


「以前貴女が見たという枷とやらは、確かにアイツの強大な力を封じ込めるためのもの。では一体なぜそんなものをつけられていたか?それは一重に、



 アイツが神の逆鱗に触れただからです」



「っ…、大罪人?」


 シンシアは眉を顰めながら繰り返す。


 とはいえ、彼の言葉は言い得て妙だった。フィーゼと初めて出会った時、四肢と首に枷をつけた彼の姿はまるで、何か大きな大きな罪を犯した囚人かのように見えてしまった自分もいたのだ。


 しかし、一体どんな罪を———?


「…あの人が罪人とは、どういうことでしょうか?」


 シンシアは勇気を振り絞って震える声で言葉を放った。


「どうもこうも、言葉通りの意味です。アイツは大罪を犯した。


 “ 神堕ち ” という名の、天界切っての大罪を、ね」


 イグォルはシンシアとは裏腹に淡々と言ってのける。


 ———まただ、その言葉。


「っ、…その、子供たちも言っていた “ 神堕ち ” とは何なのですか?」


 シンシアは珍しく他者と言葉のラリーを続けられている。


「神使の位を剥奪された成れの果て、といったところでしょうか」


「神使の位?」


 その言葉に、シンシアはハッと何か思い当たったような反応を見せた。


 ということは、まさか、フィーゼは———。


 彼女の中で何かの答えに辿り着こうとしていた。


「…そもそも貴女は、“ 神使 ”という言葉は聞いたことがありますか?」


「あ、はい、以前、フィーゼが話してくれたことがあります。確か、精霊の中でも位が高い、上級の精霊?が、神使と呼ばれるのだとか。


 神様の一歩手前、のようなことも言ってました。


 精霊の位の一番上まで登り詰めたら、神様にもなれる、とか何とか」


「その通りです。…まぁ、精霊が神になれるだなんて、夢物語もいいところですが」


「え?」


「それだけ神というのは俺たち精霊にとっても偉大で崇高な、遠く及ばない存在だということです。この世界とやらができてから、いまだ神と呼ばれる存在は4つ、いや5つしかいないのがその理由です。なりたいからってそう簡単になれるものでも、ならせてくれるものでもない」


「なるほど…」


「とはいえ、そもそも精霊が神使になるのも大変なことでして」


「…そういえば、フィーゼの後に、冬の精霊アウスジェルダから神使に選ばれた方がまだいない、とか」


「えぇ、まぁ、はい。お恥ずかしい話ですが…」


 イグォルはどこか気まずそうに苦々しい笑みを浮かべた。


「ぁ、お気に障ってしまったのなら、申し訳ありません…」


 イグォルの表情を見て、シンシアはたちまち頭を下げる。


 ———あぁ、もぅ、私、また余計なことを…。


 シンシアはそっと心の中で悶絶するのだった。


「ぁ、いぇ、大丈夫です。こればっかりは仕方ないことですから。アイツが異例中の異例だっただけです」


「…そうなのですか」


 シンシアはうんうんと頷きながら、そっと普段の彼のことを思い浮かべる。


 フィーゼって、本当に強い力を持ってるんだ…。まぁそりゃそうだよね。最大の弱点である焔だって圧倒しちゃうんだもの。そっか、やっぱり凄いんだ、私の従者は。


 フィーゼが時折見せる無茶苦茶な力を思い出してフワッと微笑みながら、彼のことを改めて誇らしく思うのだった。


 そしてシンシアは、先ほど自分の中で辿り着いた答えを口にする。


「…では、フィーゼは昔、神使だった、と?」


「へ?」


 シンシアの言葉に間の抜けた声を出すイグォル。あ、そっから?と、また苦笑いを浮かべる。


 アイツ、肝心なことはマジで何も話してないのな。っつーか、本当にこの人、アイツの主、で合ってんだよな?と思わず疑ってしまうほどだ。


 イグォルは人知れず面倒くさそうにため息をつく。


「おっしゃる通り、アイツは神使でした。400年前、神堕ちなんかになるまでは」


「っ…、」


 シンシアは何も言わずにそのままイグォルの言葉に耳を傾け続ける。


「神使になるにはまず神に選ばれないといけない。


 アイツはその規格外な力を買われて、神使に選ばれたのです。


 神使になれば、神から “ 御役目 ” を言い渡されます。


 神使、神の使い魔として、小国や小さな村に遣わされて、自らの加護でそこに住む生き物や人々の安寧を見守るという御役目を」


「まるで神様みたいなお仕事、御役目ですっけ?を仰せつかるのですね」


「言い得て妙ですが、簡単に言えばそうです。いくら神と言えどその身は一つ。どうしても手が行き届かない場所が出てくる。そこを精霊…、神使たちがカバーしている、神の仕事を代行しているといったところでしょうか。


 過去にはこの森も含め、王国の北側大半の領域は、アイツの管轄区域だったのですよ?」


「へぇ、凄い!そうだったんですか…」


 そんな広範囲を彼一人で護っていたのかと、シンシアは自分が知らない従者の姿に感服する。それと同時に、


「———それで、神堕ちとは、フィーゼは一体何をしたんですか?」


 とうとう疑問の核心に触れた。


「…っ、」


 それには言いにくそうに俯くイグォル。


 自分の口から言っていいものかと。だが言わなければ、アイツからはこの人に話すことなどないだろう。きっと真実は闇に葬られたままだ…。


 しばらくの心の中での葛藤の末、イグォルは間を置いて、



「 “ 殺戮 ” 」



 とだけ口を開いた。


 その言葉に当然のようにシンシアは耳を疑う。


 ぇ、今、何て…??と、思わず固まってしまう。


 そして次の瞬間、



「ありえません!!」



 シンシアは堪らず声を荒らげ、その場に立ち上がっていた。


 フィーゼがそんなこと、そんなことするはずない。絶対———!


 頼むから聞き間違いであってほしいと、心から願うばかりだった。


 イグォルは予想外なシンシアの反応に、しばたくばかりだった。


 その姿を見て、ぁ、すみせん…、と途端にシンシアは勢いを引っ込め、ゆっくりとまた席に着く。


 そんな彼女の姿を見て、やはり話すべきではなかったのかもしれないと、イグォルは少し後悔するのだった。だが、口火を切ってしまった以上、もう後には引けなかった。


「信じられないかもしれませんが、アイツは神使っていう、生きとし生けるモノを守り導かなければならない存在が、神に代わって神のご意志を代弁しなくてはならない存在が、一番やっちゃいかんことを、神のご意志に一番背く行為をやらかしてしまったのです」


「っ———、」


 淡々と続く話に、シンシアは苦しそうにやるせなく目を伏せた。


「どうしてそんなことを?って顔してますね。それはアイツに直接聞いてみては?…と言ってもきっと喋らないか」


 フッと息を漏らすイグォル。その顔を少しだけ不思議そうに見るシンシア。



「だってアイツ、恐ろしいほど無口でしょう?」



 呆れながら吐き捨てられた言葉に、シンシアは、ぇ?と声を漏らした。


 彼女の反応を不思議そうに眺めるイグォル。


「いや、だってアイツ、普段から何っにも喋らないでしょう?いつもスカした態度で、自分は無関係ですって感じで、傍観者気取りと言うか」


「そうなんですか?!私が知ってる彼は、よくお話ししてくれます。私が話し下手だっていうのもあるかもだけど———」


「よく喋る?!アイツが??」


「ぇ、は、はぃ…」


 思わず前のめりになって捲し立てるイグォルに、シンシアはスッと少しのけぞる。


 ———だがよくよく考えてみたら、先ほどの、あんなに自分から喋ってるヤツの姿はとても珍しかった。気持ち悪いほどに。


「…、フッ、やっぱりか」


「イグォル、さん…?」


 首をかしげるシンシアをよそに、イグォルは顎に手を当てて、ふ〜ん、そういうことかと、うんうんと何度か頷いていた。


 久々にアイツを見た時の違和感。———そう、あの時のアイツはまるで見違えたのだ。全くの別人のように。


 久々だったからじゃない。雰囲気自体が変わっていたのだ。


 …そうか、この子といる時のアイツには、



 “ 殺気 ” がまるで感じられなかったんだ。



 イグォルは自分が知るフィーゼと今の彼との間にあった違和感について、その理由にやっと辿り着けて力無く息を漏らす。


「とはいっても、フィーゼのことです。もしそのようなことをしたのだとしても、何か理由があったはずです。神堕ちになるような、そうせざるを得なかった理由が、必ず」


 シンシアはポツリと呟く。


 理由もなしにフィーゼがそんな恐ろしいこと———。


 彼がそんなことするなんて信じられない、いや、信じたくない。しかし、もしそれが真実でも、何か曲げられない、彼なりの義があってのことだと信じたい。


 そんな想いがシンシアの中で入り乱れていた。


 そんな目の前の少女の姿を、イグォルは意外そうにただ黙って見つめていた。


 それ程までにこの人はヴェッツェを信頼しているというのか…?


 初めから疑って入らないシンシアに、人間のくせに変わった奴もいるものだと、イグォルはそんなことを思っていた。


「下世話だとは思いますが一応、ヴェッツェのこと、これだけは事実なので話しておきます。信じるか否かは貴女次第、ですが。


 ある日一瞬の内に、モントレーの北側のほとんどの雪が、真っ赤に染まってしまった…。それをやってのけたのは他でもない、貴女がフィーゼと呼ぶその人です。しかもたった一人で。



 ——— “ 赤い雪の悪魔 ”、アイツがそう呼ばれるようになったゆえんです」



 イグォルの言葉に、シンシアの顔が瞬く間に暗くなったのは言うまでもなかった。


“ 赤い雪の悪魔 ”


 一点の穢れも知らない美しい真白の雪原を、一瞬の内に一面真っ赤に染め上げてしまった、と———?


 シンシアは背筋がゾクっとするのを感じた。


 思わずキュッと腕を掴む。



「怖くなりましたか?アイツのこと」



 彼のその問いに、シンシアは何も答えられないでいた。


 そんな彼女に一つため息をついたイグォルは、一つ言葉を言い放った。



「アイツの封印は、解いてはいけなかったかもしれませんね」



 その言葉は重々しくシンシアにのしかかったのだった。


 自分の選択は間違いだったのだろうか?いや、そんなはず———。


 シンシアの心はグラグラと揺らいでいた。


 その様をイグォルはただ見つめる。


 それにしても人間の、こんなか弱いお嬢さんが、よくもあんな神堕ちの封印を解けたものだ。


 それほどまでにこの子は強い魔力を持ってるとでも言うのか?


 イグォルは手前に座るシンシアをじーっと見据えながらそんなことを考えていた。


「っ、でも私は、フィーゼには死んでほしくなかったから、」


「は…?」


 急に喋り出したその人の言葉に首をかしげるイグォル。


 視線を感じたシンシアは会話を促されているものと思い、慌てて言葉を紡いでいたのだ。


「封印を解いてしまったことは、それが正しかったのか間違いだったのかはよくわかりません。…けど、あの時はそうするしかなかった。だって精霊は人間と契約しないと、人間から魔力供給を受けないと、この世界に顕現できず、


 消えてしまう、と…、」


 シンシアは懸命に言葉を紡ぐ。


 …まぁ、封印が解けたのは、契約とは関係なかっただろうけど———。


 シンシアはゆっくりとまたイグォルと目を合わせる。


 だが目の前のその人は、先ほどとは違い鋭い目つきで、その眉間には皺が深く刻まれていた。


「ちょっと待て、どういうことだ?消えてしまう?」


「精霊でいう消えてしまうとは、人間でいう、“ 死 ”を意味するって———」



「ふざけるな!!」



 イグォルはそう言ってガンッ!と、拳を勢いよくテーブルに振り落としたのだった。


 その行為にシンシアは身体をギュッと強張らせ、途端に目を伏せて縮こまってしまった。


「…ぁ、す、すんません、つい」


 イグォルは固まるシンシアを目の当たりにしてスッと我に帰った。


 ———にしても、ここまで人間に好き勝手言われてるなんてな。


 衝撃の事実にイグォルはやるせなく前髪を掻き上げて大きなため息をついた。


「…あ、あの、まさか、これは間違いなのでしょうか?」


 シンシアは震える声で恐る恐る声を発すると、


 もちろん間違いですと瞬殺されてしまった。


「貴女が誰に何を吹き込まれたかは知らんが、精霊は自らの祖となる大地や風、火や水といった、人間が “ 自然 ” と呼ぶものから魔力を得ています。


 俺たちアウスジェルダは地の神スディンペルより生まれたので、大地から力を得ているという具合です。だからわざわざ人間なんぞから魔力の供給を受けなくとも、そう易々と死にはしない」


「ぇ…、」


 シンシアはイグォルの言葉に力なく言葉を漏らす。


 ———まただ。聞いてたのと、違う。


 フィーゼとの契約の時、ダルクさんが言ってたことと勝手が違うようなのだ。でも、契約の時、フィーゼはそれに対して何も言わなかった。否定もしなかった。


 実はフィーゼも知らなかった?いや、そんなはず…。


 一体どうして———??


 シンシアの中の黒い澱みがさらに広がりを増していく。


「考えてもみてください。精霊は遠い遠い昔に神から生み出されし存在。———そう、人間なんかが生まれる遥か昔から、精霊は自然と共に生きている。そこに後から加わってきたのがアンタら人間です。


 それなのにどうして、人間なしでは精霊は生きられないということになっているのでしょうか?


 全くの “ 逆 ” です」


「…逆?」


「人間こそ、神や精霊なくしては生きられない。何も持たない人間こそ、神や精霊の祝福や加護を何より欲している。違いますか?」


「…そ、それは、」


 イグォルの言葉に、シンシアはぐうの音も出ない。


「だいたい神が人間と“ 契約 ”なんてものを結ぶようになってから、何もかもがおかしくなったんだ…。愚かな人間どもは神や精霊の力を、神聖なものではなく、さも当たり前のように考えるようになった。思い上がったヤツらは契約で得た力を、あたかも自分の力同然に思うようになった。挙げ句の果てには精霊を戦争の “ 兵器 ” とまで呼ぶようなアホウまでいる始末だ」


 イグォルの表情はやはり晴れないままだそれよりも益々雲行きは怪しくなっていっているように見える。シンシアは気まずすぎてそんな彼と目が合わせられずにいた。


 やっぱり、精霊からしたら、人間は嫌われた存在なのだろう。


 彼の表情からそれが痛いほど読み取れてしまい、そっと胸を痛める。


「大方、貴女は言葉巧みに誘導されたんでしょう。貴女がアイツと契約してやらないと、アイツはたちまち消えてなくなってしまう、死んでしまう、とか何とか都合よく言われたのでは?」


「…うぅ、」


 おっしゃる通りです…と心で頷くシンシア。


「見るからに優しい貴女は、その言葉を真正面から信じて疑うことなく、アイツと契約してやった、と。


 ———ハメられたんですよ、貴女は。


 まんまとあの悪魔を、自由という名の野に解き放ってしまったというわけだ」


 イグォルは大きなため息と共にそう吐き捨てて改めてシンシアを見る。


 全く、こんなマヌケな人間がいたなんてな。


 人間が精霊を騙すことはあっても、まさか、精霊に人間が騙されるなんて———。


 呆れながらも、彼女のお人好しさにフッとまた小さく息をついた。


 一方シンシアは、彼の一言がまたその胸に重くのしかかるのだった。



 …ぇ、私、ハメられた、の??



 またもや彼女の心は揺らぎそうになってしまう。


 だが、その時だった。



【貴女は貴女の信じたいことを信じて———】



 耳元で誰かが囁いたような気がした。


 それはどこか聞き慣れたようなとても優しい声で、とても懐かしく、シンシアの心にスーッと響き渡っていく。すぐにでも乱れそうになる彼女の鼓動と呼吸は次第に落ち着きを取り戻し、凪に戻っていく…。



「…それでも、いいです」



 シンシアはやっとイグォルの目をまっすぐに見て口を開いた。


「例え騙されたんだとしても、私はフィーゼと契約して、これっぽっちも後悔なんてしていません」


 そうはっきりと言ってのけたのだった。


「何、言って…、」


「だって私、まだ殺されていませんし。むしろ彼の強い加護でいつも守ってもらっています。それにもしあの時、騙されてるとわかっていても、きっと私はフィーゼと契約していたと思います」


「…っ、なぜ?」


 思わず聞き返すイグォル。



「———それが、フィーゼの望みだったから」



 その場の空気を切り裂くように言い放たれたシンシアの言葉に、当のイグォルは吸い込まれるかのように彼女を見据えた。


 なんなんだ?この人間は。今まで見てきたヤツらと、何かが違う…。まただ。イグォルの心の中はゾワゾワとかき乱される。



「私しか彼を救えないなんて言われたら、そりゃ、助けるに決まってるじゃないですか」



 何の躊躇いもなく柔らかい笑みでそう言ってのけるシンシアに、イグォルは動けなくなる。


 ただのお人好しではないなにか、とても尊い、モノをシンシアの中に感じて、そんな彼女が眩し過ぎて思わずイグォルは顔を背けるのだった。


 それはきっと、彼女が生まれ持つ心、“ 慈悲の心 ” に他ならなかった。


 ———本当に、アイツはとんでもないお方の下に降ったようだ…。


 そりゃ、アイツが離れたがらないわけだ。


 イグォルは彼女の中に慈悲の心の一部分を垣間見た気がして、ホッと小さく笑ったのだった。

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