第12話ー従者の過去ー

 2人が迎え入れられたのは小さなロッジで、イグォルが普段執務室として使っている部屋だった。


「うわぁ、あったかい…」


 子どもたちが先に来て暖炉に火を起こしてくれていたお陰でとても温もっている。


「もぅ外套は脱いで大丈夫ですよ。ココは普段俺しか使わないので」


 その言葉に、シンシアとフィーゼはそれぞれ自身を覆っていた外套を脱ぐのだった。


 イグォルはシンシアの服装に思わず目を奪われる。


 あの衣装は…、風の公国のもの、か?それにしても女の方はやけに高貴な装いだな。


 あまりにもじーっと見すぎていたせいか、


 おい、さすがに見過ぎだ!と、フィーゼが警戒した目でツッコんでくるので、


 え?!…いや、俺は何も、と慌てて目を逸らした。


 フィーゼがスッと自分とシンシアの間に割って入ってきたのがあまりにも自然過ぎて逆に疑ってしまう。


 本当に女の方は人間で、目の前のコイツも、本当にあの自分が知る幼馴染みなんだよな?と。


 彼の知らない一面を次々に目の当たりにして戸惑いを隠せない。


 そんなイグォルをよそに、フィーゼはフカフカのソファにドカっと座って足を組み、横柄な態度で見下げている。その横にはシンシアもちょこんと遠慮がちに腰掛けた。


 まるで主人が侍女を横に侍らせているようにしか見えず、どっちが主で従者なのかわからない。


「…で?さっきのは何だ?あの女とガキは?」


 フィーゼがまず切り出す。


「え?!…あぁ、えっと、———俺の嫁と、子ども?」


 イグォルは2人の向かいに座り、両手の人差し指同士をモジモジと突き合わせて、目を泳がせる。


「嫁の名前は?」


「キュピル…」


 名前を聞いた瞬間、フィーゼはガクッと目元を手で覆ったものだから、隣のシンシアは、ぇ、え、どうしたの??と慌てふためく。


「俺の嫁、さっきの女性は、実はヴェッツェ、…えと、今はフィーゼなんだっけ?の、 “ 妹 ” なんです…」


「うぇぇぇぇぇ?!」


 突然の言葉にシンシアも目を丸くし、当のイグォルはアハハハと困ったように笑う。


「ってことはつまり、さっきの綺麗な人が、フィーゼの妹さん?」


 シンシアは驚きのあまり口元に両手を当てながら、さっきの彼女の容姿を頭の中に思い返す。


 冬の精霊であるアウスジェルダの特徴である、雪色の肌に髪、瞳。キュピルはその眩い可憐な髪が腰まで伸びている、とても美しい女の精霊だった。


 フィーゼは、あぁ、そうらしい、と頷く。


「ハッ、まさか数百年ぶりに見たらあんな姿になってたなんて、俺も正直驚いた。


 けど、それ以前に、アイツがお前と結婚してたなんてな。挙げ句の果てには子どもまでいるだと?!」


「…ま、そういうことだ」


 フィーゼの言葉に照れくさそうにそれだけ返すイグォル。


「へぇ、フィーゼ、甥っ子がいたんだ!」


 どこか嬉しそうに微笑む主に、


「いや知らん知らん知らん!俺は何も聞いてないぞ?!」


 と、フィーゼは全力で首を振るのだった。


「お前が知らなくて当然だ。そもそもお前は神堕ちで、どっかに封印されてたし、知らせる術がなかった。


 例えあったとしても、そんなことは———」


「…許されなかっ、た?」


 途中で言うのをやめてしまったイグォルの続きを呟くシンシアに、彼は目を伏せながら頷く。


「前の長様だ。お前について箝口令を敷いたんだよ」


 彼の言葉にシンシアは、そんな…と小さく声を漏らす。


 だからさっき、イグォルさんは子どもたちの前でフィーゼの名前を呼べなかったんだ…。


 先ほどの彼の様子から咄嗟にそう察したシンシアは静かに目を伏せるのだった。


 その隣で、今度は話題に上がっている張本人が口を開いた。


「赤い雪の悪魔…、わざわざそんな異名を付けたのは?」


「それも前の長様だ」


「ケッ、だと思った」


 そんなセンスがあるのかないのかわからん名前を思いつくのはジジィしかいねぇやと、フィーゼはハッと息を吐き捨てた。


 そんな彼をただ何も言わずシンシアは見ていた。


 そして思い出したようにフィーゼはパッと前のめりになって、


「———っ、俺が神堕ちで封印されてた時、キュピルは?」


 と、イグォルに問うとたのだった。


「はぁ、やっと聞いたな、それ」


 一つ深くため息をついたイグォルは、手前にあるローテーブルに静かに両肘をつき、顔の前に両手を組むと、



「… “ 監禁されてた ”よ」



 ゆっくりとだが淡々とそう告げた。


「なんせ、一族の名声を地に落とした、赤っ恥の妹だからな」


 その言葉に、フィーゼは何も言わず前のめりになっていた姿勢をぐーっと後ろに引き直すのだった。


「何年もの間、ずーっと家に閉じ込められていた。———その間の食事の世話とか、色々身の回りのことを俺が面倒見てたんだ」


「お前が、守ってくれたのか?」


「っ、そう言われたら聞こえはいいが、


 要はただの見張り役だよ。


 …聞いた話によると、キュピル、この森からの追放も考えられていたようだ。


 それから数十年して前の長様が亡くなって、俺がその後を引き継ぐことになったから、今はこんな形で落ち着いたってわけ。


 …ま、幸い、お前達が住んでいた家は集落の外れにあったから、あまり人目にはつかないし、今はそこで俺たち家族で暮らしてる」


「家族、ね…」


 フィーゼはその言葉に一瞬反応したが、すぐに表情は戻った。


 形はどうであれ、最後まで護り通してくれてる彼の姿勢に、フィーゼは静かに一つ息をついた。


「ヴェッツェ、一つ、頼みがある」


「何だよ、改まって」


「どうかキュピルの前ではこのまま、



 “ 他人のフリ ” をしてくれないか?」



 その言葉にフィーゼは一瞬動きを止め、シンシアは、ぇ?と小さく声を漏らした。


「勝手言ってるのは十分わかってる。けど、アイツのためにもどうか、聞き入れてほしい。


 お前がここを去ってすでに500年。———やっとなんだ。やっと彼女は平穏な日々ってやつを取り戻しつつある。それを、壊したくない…」


「…っ、」


 フィーゼはただ静かに彼の言葉に耳を傾ける。


「幸い、さっき一瞬顔を合わせただけじゃ、向こうもお前だと気付いていない。多分フードのおかげで顔も見えてなかったと思う。———だから、どうか、」


 妻のために必死に頼み込むイグォルに、


「———フッ、わかってるよ」


 フィーゼは小さく笑った。


「俺は別に妹の幸せを壊すために戻って来たわけじゃない。全ては俺の過ちだし、姿が拝めただけで十分」


 フィーゼはそう言うと、…ごめん、ちょっとトイレ。と、誰とも目線を合わさずにフラッと部屋を出て行こうとした。


 その後ろ姿に、イグォルは語り続ける。


「ヴェッツェ、キュピルは最後までお前のことを信じてた。お前が神堕ちになるわけないって…。それだけは、わかっておいてやってほしい」


 その言葉にフィーゼは振り返らず手だけ振って応えると、そのまま何も言わずに出て行ったのだった。


「フィーゼ…、」


 シンシアは彼が出て行った扉の方を心配そうに見つめる。


 そんな、一人取り残されてしまった少女に、イグォルはゆっくりと口を開く。


「…ホント、ビックリしましたよ。アイツ、500年振りに帰って来たかと思えば、人間のお嬢さんを連れてるなんて」


 イグォルはやっとシンシアとはっきりと目を合わせた。


「あ、名乗るのが遅くなってすみません。は、はじめまして。シンシア・ロゼ・ル・クリミナードと申します」


「え?ちょっ、今、クリミナード、って…、」


 ぎこちないシンシアの自己紹介にイグォルは目を見張る。


 ———おぃ、待て、名前に国の名前が付くってことはつまり、まさかこの人、風の公国の姫さんか?!


 と、半信半疑で目の前のその人を改めて見るのだった。


 ちなみにと前置きして、


「フィーゼ、———ヴェッツェ、さん?でしたっけ。彼は今、私の従者をしてくれていて…、」


 シンシアはそう付け加えるが、当のイグォルにはもうあまりそんなことは耳に入っていなかった。名前の破壊力が強すぎたのだ。


 ———ヴェッツェのヤツ、とんでもねぇ方の元へ降ってんじゃねーかよ。


 もはや話が予想の範疇を裕に超えたところにまで飛躍しており、イグォルは苦笑いしか出てこない。


「つっても、貴女のような高貴なお方が、なぜこんな辺鄙へんぴな所へ?従者アイツに里帰りでもさせたかったのですか?」


「それもあります。私達はちょうど、ジェヘラルト公国へ向かう用事があって、ここはその通り道でして。それに、まぁ、あの、フィーゼの故郷も、見てみたいなぁ、と、思っ、て…」


 フィーゼがいなくなったからか、急に心細そうにポツリポツリと話すシンシアに、


 そう、でしたか。とだけ返すイグォル。


 ———どうしたんだ?緊張していらっしゃるのか?やけに話し方がたどたどしいと、少し心配そうに目の前の少女を見やる。


 今まで自分が見てきた人間というものは、身分が上であればあるほど、精霊なんぞは蔑むべき対象でしか見られてこなかったため、目の前の彼女の様子がそれとはあまりにかけ離れており、余計に拍子抜けしてしまったのだ。


 こんな少女が本当に、クリミナードの、風の公国の姫さんなのか?と。


 それから2人の間には当然のごとく沈黙というヤツが訪れることとなる。


 あまりの気まずさに冷や汗が滲むシンシアはオロオロと心細そうにしている。


 ど、ど、どうしよう、話が終わっちゃった。何か話題を———でも、何を言えば?


 必死に頭を頭をフル回転させている。


 そんな彼女を微笑ましく眺めながら、イグォルの方からそっと気になっていることを尋ねることにした。



「貴女はどうしてアイツと契約したんですか?」



 突然話しかけられビクッとしながら、…ぇ?としか返せないシンシア。


「アイツは誰かの下につくとか、誰かに付き従うっていうより、先頭に立って好き放題暴れたいタイプでしょう?」


「っ、た、確かに…」


 シンシアは普段の従者の立ち居振る舞いからうんうん、と頷いた。


 フィーゼって昔から血気盛んだったんだ…。


 昔の彼もきっと今と変わらなかったのだろうということが、イグォルの言葉から容易く想像がついた。


「アイツはかつて一族の中では最強と謳われたほど、突出した力を持っていた。…いや、今でもそうだ。アイツに敵う者はいまだかつて現れていない。まぁ、敵いそうなのはいるけど。その有り余る力で、アイツはガキの頃から周りから恐れられていた。



 アイツは、ずっと1人だったんです」



 その言葉に、シンシアはピクッと一つ反応を示した。


 そしていつしか、かつてフィーゼがポツリと口にした言葉を思い出していた。



【身の丈に合わない過ぎた力は、己を孤独にする…】



 シンシアは無意識のうちに眷属紋がある右手の甲を撫でていた。


「前の長様もアイツにはかなり手を焼いていました。そんな暴れん坊が、今やこんな可愛らしいお嬢さんの従者をしてるだなんて、一体何が起こったのかと。


 まさか人間の眷属に降るだなんて…。


 アイツが一番嫌がりそうなので、意外過ぎて」


 イグォルの言葉がいちいち引っかかってしまうシンシア。思わず反応に困ってしまったのだ。どう返していいかわからなかった。



 一番嫌がりそうなこと。



 …やっぱり、フィーゼは私と契約するのは、本意じゃなかったのだろうか?


 シンシアの心の中に、不安と疑念いう名のドロドロとした黒い澱みが生まれ、四方八方に広がっていく…。


「アイツの封印を解いたのも貴女なんですか?」


「…ぇ、はい。精霊狩りで力を封印されていた?とかで」


 シンシアの言葉にイグォルは、は?と目を丸くする。


「そんなデマ、誰から?」


「ぇ、デマ?」


 どういうことだろうとシンシアは思わず聞き返す。


「アイツがどうして何百年も封印されていたか、主の貴女はご存知ないのか?!」


 堪らずイグォルは声を荒らげる。


 アイツ、一体このお嬢さんにどんな説明をしてきたんだ?これっぽっちもってわかっていらっしゃらない口ぶりじゃないか。


 イグォルはため息を一つ付き、肘掛けに肘をつきなおした。


 そんな時、


 あの———、と、遠慮がちにシンシアが口を開いた。


「10年前、フィーゼと初めて会った時、彼の両手両足、あと首に、重たい枷がはめられていたんです。あれはフィーゼの力を封印するためのものだったそうで…。精霊狩りの時に、神様が精霊の保護を目的として、精霊の力を一時的に封じるために用いたものだと…、聞いて、いたのですが…?」


 恐る恐る紡がれるその言葉にイグォルは眉を顰めた。


「確かに今より1000年前、人間どもによる精霊狩りという悲劇が起こりました。


 神は精霊を保護するために、200年余り精霊を封印という形で人間からお隠しになりました。その間、この世から精霊は姿を消したのです。…まぁ、中には神の救済が間に合わず生捕りにされた者もいたとかで、完全に、とはいかなかったようですが。


 それゆえ人間は、生捕りにしたもの以外は精霊はほぼ全て滅んだものだと思っているのでしょうね」


 その言葉にシンシアは静かに息を呑んだ。


 そうか。だから本には、精霊は精霊狩りで全て滅んだって———。


 シンシアは幼い頃読んだ本の一節を思い出し、一人静かに腑に落ちていた。


 そしてイグォルは先ほどの言葉にこう付け加えた。


「とはいえ残念ながら精霊は滅んでなどいない。かなり数は減ったが実際のところ、事の200年後には封印が解かれ、世界には再び八百万やおよろずの精霊たちが目覚め、こうして生きていますから」


 その言葉に、シンシアは少し安堵の表情を浮かべた。


 そうか、この森の人たちのように助かった精霊たちもいたのだと。


 目の前のその人の反応を、イグォルは不思議そうに見つめるばかりだった。


「…俺たちは精霊狩りの後に生まれた世代です。だから、そこで封印されていたのは俺たちの親より前の世代。それに、封印とは大層な物言いだが、要は動物たちで言う、 “ 冬眠 ” のようなもの。深い眠りにつかされていただけで、枷なんかで力を封じられていたわけではありません」


「ぇ…」


 イグォルの話を聞いて、シンシアは途端にわからなくなる。


 では、初めて会った頃のあの子に付けられていたあの重々しい枷は、一体何だったのだろうか?


 シンシアの心の中に生まれた黒い澱みがまた少し静かに広がっていくのだった。

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