第11話ー再会ー

 ———イグォル…?


 フィーゼは子どもが呼んだその名前を聞いて眉をしかめる。


「イグォル様、あの人間の女の隣にいるのが、例のです!」


「おいおい、コイツが本当にヴェ…、いや、神堕ちなのか?」


 精霊の1人が奥から連れて来たのは、イグォルと呼ばれる森のおさだった。彼はフィーゼの姿を半信半疑に見つめる。


「へぇ、お前が今の長。えらく出世したもんだなぁ」


 フィーゼはそう言ってポッケにそれぞれの手を突っ込み、伺い見るようにイグォルに声をかける。


「高齢化ってやつで、やむを得ず、だ。とはいえお前みたく神使殿には遠く及ばんよ、こんなの」


「ハッ、しばらく見ない間に謙遜も上手くなったのか?さすが長様だ」


 思わず吹き出すフィーゼに、この人、知り合いなの?とコソッと耳元で囁くシンシアに、


「あぁ、ガキん頃はよく一緒にいたってだけの、ただの知り合いだ」


 と答えるフィーゼに、ズコーッとズッコケそうになるその人。


「バカヤロウ、そこは幼馴染みにしとけよ」


 そう言って苦笑いを浮かべるのだった。


「なぜ今更戻って来た?里帰りのつもりか?それも、人間の子娘なんか連れて」


「たまたま寄っただけだ。騒がせて悪かったな。すぐに消えてやるから安心しろ。頼まれてももぅ一生来ねぇよ、こんなところ。


 ———行くぞ、お嬢」


 散々な捨て台詞を吐いてスッと歩きだすフィーゼだったが、シンシアは咄嗟に彼の服の裾を掴む。


「———見てわかんだろ?俺はこの通り歓迎されてない。だからとっとと行こう。見せたいものは見せてやれた。もうここに用はない」


「でも…、」


 渋るシンシアに、くどいぞ、とため息をつくフィーゼ。


 そんな2人の背中に、


「———本当に俺たちを殺しに来たわけじゃないんだな?」


 イグォルは声をかけるのだった。


 フィーゼはそれに仕方なく足を止めて再び彼に向き直る。


「バカか?そこのガキに何言われたか知らんが、神使にもなれんお前らをって何になるってんだ?


 お前らはせいぜい世界中に雪でもばら撒いとけ。冬の精霊、誇り高きアウスジェルダとしてな」


 冷たく言い放つフィーゼの言葉を黙って聞き届けるイグォル。


「貴様、神堕ちのクセに言わせておけば何だその言い草は?!」


 堪らず子どもの1人が口を出した。


「そうだよフィーゼ、そんな言い方しちゃダメ!」


 堪らず声を上げるシンシアに、


 フィーゼは、なんで?とたじたじだ。


この人は一体どっちの味方なんだ?!と反応に困る。


そしてそれは目の前にいる彼らも同じだった。


「に、人間が俺たに味方してる??」


「何で…?」


「騙されるな!私たちを油断させて抱き込もうとしてるんだよ」


「———そういうことか。やっぱ恐ろしいな〜人間って」


 子どもたちも予想外のことに戸惑いを見せるのだった。


 当のシンシアもそういう展開は予想していなかったので、


 あ、あれ?怪しまれちゃった?…なんで??


 と慌てるばかりだ。


「ほ〜ら、言わんこっちゃない。アイツら、逆にビビってんじゃねぇか」


 楽しそうに笑いながら言うフィーゼに、


「ぇ、え、何で??」


 と余計に不安になるシンシア。


 折角味方しようとしたのだが、それが裏目に出てしまい、子どもたちはなかなか警戒を解いてはくれない。むしろますます警戒を強める結果となってしまったのだった。


「…ほら、わかったろう?俺たちは両方お呼びじゃない。もう戻るぞ、お嬢」


「っ、フィーゼ、」


 渋るシンシアの手を掴んで、無理矢理にでも連れ帰ろうとしていると、


「———ったく、相変わらずだな、お前は」


 二人の姿を見兼ねたイグォルが口を開いた。


 それを聞いて、は?とフィーゼは足を止めて彼を振り返る。


「女の子はもっと丁寧に扱ってやれ。特に人間は精霊俺たちとは違って繊細なんだから。そんな力任せにしてたらすぐ死んじまうぞ?」


 とため息混じりに小言を言うのだった。


 その言葉に急に押し黙るフィーゼを見て、…あれ?と何か違和感を感じたイグォル。


 ちょっと揺さぶってみたくなったのか、再び口を開く。


「フィーゼ…、今はそんな名で呼ばれているのか。そこの人間にでも付けてもらったのか?」


「っ、そうだよ。悪いか?!」


 彼からの思ってもない返事に、またもや調子を狂わされてしまう。


 あれ、コイツって、こんなだったっけ?かつて神使だったとはいえ、ここまで人間に入れ込むようなヤツじゃなかっただろう?


 数百年ぶりの再会であまりにも変わりはててしまった幼馴染みを、不思議そうに見やる。


「…ってことはお前、その人間と契約を?」


「あぁ。この名前を貰う代わりにな」


彼から淡々と放たれる予想外すぎる言葉たちに、とうとう耐えられなくなったイグォルは、



「バカか、お前は———?!」



 思わず声を大にして叫んでいた。


 そこまで堕ちぶれてしまったのか?


そこまで、一族の誇りを失ってしまったのか、と———。


 彼の周り半径数キロ内に一瞬にして凄まじい冷気が飛び散った。


 周りは途端に静まり返り、みんな彼を見つめている。


 シンシアは心配そうにフィーゼとイグォルを交互に見やるのだった。


「俺たち精霊にとって契約とは、名前とは、どれ程大切なモノか、知らないお前ではないだろう?


 誇り高きアウスジェルダのお前なら、一度は神使にまで登り詰めたお前なら、なおのことだ」


 一体どうしてしまったんだ?と目の前の幼馴染みを戸惑いの目で見つめるイグォル。


 真名を握られるということは、運命を、命そのものをその人間に掌握されているも同然なんだぞ?!


 今にも問い詰めたい思いをどうにか落ち着けようと努める。


 そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、フィーゼは応戦に出る。


「…フッ、何が誇り高き、だ?俺は神堕ち、氷雪の悪魔、一族の誉に泥を塗ったならず者、アウスジェルダの恥晒し。…そうなんだよな?そこのガキんちょども」


「っ…、」


 フィーゼの言葉に、子どもたちは押し黙って一斉に目を逸らしてしまう。


 それを見てイグォルは、お前たち、喧嘩を売る相手を間違えたな、と苦笑いを浮かべるのだった。


「だから、全て開き直ってそんな人間なんかにくだったと言うのか?」


 ため息混じりにイグォルは言う。


 だが、その一言が、フィーゼに火をつけた。


「黙れ!この人を悪く言うなら俺がタダじゃおかねぇ」


「…っ、」


 まさかの返しにイグォルはまたもや目を丸くする。自分の知っている彼からは、そんなこと聞いたことがなかったのだ。


 そして、そばにいたシンシアも思わずフィーゼを見るのだった。


「どの道、神堕ちに行くとこなんてないんだ。だったら求められるところに納まった方が一番いいだろ?現に今俺はそれで満足してる。


 そもそも神使なんていう、生きとし生けるものを無差別に助け導くて大役、俺にははなから無理だったってだけだ。そばにいるこの人1人守れたら、俺はそれでいい」


 その言葉に、フィーゼはシンシアを振り返る。


 お互いピッタリ目が合ってしまい、2人はどこか気まずそうにゆっくりとまた目を逸らすのだった。


「———変わったな、お前。かつては神使としてこの区域一帯を縄張りとしていたくせに」


「俺は何も変わっちゃおらんさ。神使なんて半分ノリでなったようなもんだし」


「ぇ、神使って、そんな感じでなれるの?」


「ぁ、いや、お嬢、今のはほんの例えでだなぁ…」


 ポロっと出た発言に思わず目を丸くするシンシアに慌てて言い訳するフィーゼ。


「…フッ、」


 そんな2人のやり取りに、思わず笑ってしまうイグォル。


 ———そうか、400年振りのお前は、そんな顔をするようになったのか。


 ツノが取れた、キバが抜けた…、適当な表現はすぐには見当たらなかったが、とにかくそんな感じだ。


 邪が抜けたというか…。


 なんだか2人を見ていると、今までのことがどうでもよく思えてきた。一族の誇りとか、精霊とか人間とか…。


 イグォルはそんなことを思っていた。


 それは不意にシンシアの目に入っていた。


 ———あ、今、笑ってくれ、た…?


 イグォルの表情がフワッと緩んだことにシンシアはホッとする。


「…ぁ、すまない、つい。子どもたちが無礼な態度を取ってしまって申し訳なかった。この子たちはお前のことも、人間のこともよく知らない世代なのです。どうかこの通り、許してやってください」


 イグォルはそう言って、2人に頭を下げる。


「長様が人間なんかに頭を下げるなんて…」


「…ほら、お前たちもだ!」


「っ…。」


 イグォルに促されて子どもたちも頭を下げる。


「そんな、みなさん頭を上げてください。


 それにしてもフィーゼのことも知らないって…。フィーゼって一体何歳なの?」


「忘れたよ、んなの」


 シンシアの問いにフィーゼはやはりそれしか答えない。


 そんなやり取りをよそに、


「———さ、お2人ともどうぞへ。 歓迎 いたします」


 とイグォルがそんなことを口にするものだから


「ぇ…、」


「お、長様、正気ですか?!」


「コイツらを森の中へ迎え入れるのですか?」


 イグォルの言葉に唖然とする子どもたち。


「コラコラ、コイツらとは失礼な。この方達はお客人だぞ?お前達は先に小屋へ行って火を焚いておいてくれ。1人は人間だ。私達とは違って特に寒さに弱い生き物だ。早く温めてやらないと。


 ———さ、早く行きなさい」


「…は〜い」


 イグォルの言葉に駆け出す子供たち。その1人がパッと振り返って恐る恐るシンシアを見上げる。


「ねぇ人間、お前本当に敵じゃないの?」


「ぇ?」


「———ぁ、コラっ!」


 無礼なことを言うなと注意するイグォルを、シンシアは平気ですと笑顔で返す。


「もちろん!私は敵じゃないよ。…あと、このお兄ちゃんの監督役だから、何か言われたらすぐ教えてね?私が叱っといてあげるから」


「わかった〜!」


「おぃ、なにがわかっただ?タコ」


 フィーゼのツッコミもさて置き、シンシアの言葉に満足したのか、その子も前を行く2人を追いかけて駆け出して行ったのだった。


 と、その時、


「っ、消え、た…??」


 奥の方まで続く雪原だが、ある場所を境に、その子の姿が突然見えなくなってしまったのだ。


「さっきと同じ。今度はに入ったんだよ。結界の内側は外からは見えないから、消えたように見えるだけ」


 フィーゼの説明に、へぇ〜、すごいね!と不思議そうに子どもたちが姿を消したところをじーっと見つめるシンシア。


「さ、お二人も…、と言いたい所ですが、まずはその着ている外套のフードを目深く被ってください」


 と、イグォルは案内する。


「精霊の中には人間をよく思わないものもいます。ご存知の通り、過去には精霊狩りもありましたから」


 その言葉に、シンシアはピクッと反応した。


 そっか。だからあの子たち、“ 狩りにきた ” のかって———。


 と、先ほどの子どもたちの言葉を思い出していた。


「我が一族もほとんど壊滅状態でした」


「…っ、申し訳、ございません」


 イグォルの言葉に思わずシンシアからそんな言葉が出ていた。


「おいおい、なぜ貴女がわざわざ謝る?何も関係ないだろう?」


「でも…」


 フィーゼの言葉に目を伏せるシンシア。関係ないと言われても、全ては人間が犯してしまった過ちだ。全くの無関係とは言えなかったし、言いたくなかった。現に先ほど敵認定されてしまったばかりだ。


「———あとお前も」


「俺?」


 フィーゼは自分を指さしてポカンとする。


「一族の汚名とまで言われてるんだ。堂々と同族の前を———、まぁ、お前はいいか。あのガキ共にあれだけ言い返せてるんだ。問題ないだろう」


「おぃ、途中で諦めるなよ!」


 途中で話を切り上げられてしまい、フィーゼは呆れながらツッコむのだった。


 それからシンシアとフィーゼは、イグォルに導かれるままに結界の中へと足を踏み入れた。


 その瞬間、世界が変わった。


「———っ、本当に森の中にいる。さっきまで辺り一面雪原で、何もなかったのに、まるで別世界みたい…」


 シンシアはキョロキョロと辺りを見渡しながら、その口角は自然と上がっていた。


「結界が目隠しになっているんです。私が解かない限り、ココは誰にも見つかることはありません」


「そうなんですね!」


 すご〜い!と拍手までして称賛するシンシアに、


「っ、ただのとばりみたいなもんだろ?全然大したことない」


 どこかつまらなそうなむくれっ面で悪態をつくフィーゼ。


 そんな2人を見て、また自然と笑みが溢れるイグォル。


「フフッ、相変わらず手厳しいな、お前は。元神使のお前が張っていた頃と比べると、そりゃ見劣りするかもな」


「前はフィーゼが、結界を?」


「昔の話だ。遠い遠い昔のな」


 フィーゼはどこか遠くを見ながらぼーっと答えた。


「———それより寒くないか?俺の上着羽織っとくか?」


「大丈夫だよ。いっぱい着込んできたから」


 2人の平和なやり取りをイグォルはやはり意外そうに見ていた。


 そんな中、イグォルがふと足を止めた。


「…っ、ココは、」


 見慣れた景色にフィーゼはポツリと呟く。


 3人が歩いていた先には、アウスジェルダたちが作った集落が広がっており、皆それぞれがひっそりとそこに暮らしていた。


「うわぁ、お家がいっぱい!フィーゼのお家はどこ?」


「…忘れたよ、んなもん」


 楽しそうに振り返る少女に、フィーゼはそっぽを向く。


 塩対応な彼に寂しそうな表情を浮かべるシンシア。


 そんな彼女を見兼ねて、


「もうすぐ見えて来ますよ。そこの角を曲がった奥が、ヴェッ———、コイツの家です」


 と、代わりに笑顔で答えてやるイグォル。


「おまっ、いちいち教えるな。その口凍らせるぞ?ぐぉら!」


「今はコイツの妹夫婦がそこで暮らしています」


 その言葉に、


「妹?」


「夫婦だって?!」


 シンシアとフィーゼは口々に言葉を発する。


「お前がこの森を出てどれだけ経ったと思ってる?そりゃキュピルだって結婚ぐらいする。あの子は森一番の美女と言われた…いや、今も言われてんだから」


「…っ、そ、か」


 イグォルの言葉にフィーゼは歯切れ悪く頷いた。


 ———俺がこんなでも、アイツはアイツでちゃんと幸せを手にしたのか…。


 フィーゼは人知れず心の奥でホッとしていた。


 すると、


「パパ〜!!」


 と、奥から男の子が駆けてきて、イグォルにバッと抱きつく。


「おぉ、レヴィ!」


 笑顔でその子の頭を撫でるイグォルを前に、


「…パパ??」


 と、訝しげな顔で彼らを見るフィーゼに、俺の息子、レヴィってんだ。と照れくさそうに後頭部をポリポリしてはにかむその人。


「ねぇパパ、その人達はだぁれ?」


「お客様だよ。さ、ご挨拶して?」


 イグォルはそう言うとレヴィと呼ばれる男の子の身体をシンシア達に向かせる。


「こ、こんにちは…」


 イグォルにしがみ付きながら自信なさげに小さく囁くレヴィ。


 そんな彼に、こんにちは。と笑顔で答えるシンシア。


 ちゃんと挨拶できてえらいねと、スッと屈んで目線を合わせてやるのだった。


 ———と、そこに、


「レヴィー?勝手に走っていっちゃダメでしょう?」


 と、奥から顔を見せた女性にフィーゼは即座に固まってしまった。


「ぁ、ママー!!」


 と男の子は嬉しそうに微笑む。


 フィーゼは戸惑いを隠せない表情で、


「…キュピル??」


 と一言溢していた。


 女性はその声に一瞬止まり首をかしげたが、そのままレヴィの元へ足を進めた。


「レヴィ、勝手に遠くへ行かないでっていつも言ってるでしょう?」


「ごめんなさい…」


 母親に怒られてシュンとなる男の子。それを見兼ねてか、


「…あの、あまりこの子を叱らないであげてください」


 と、シンシアは慌てて二人の間に割って入った。


「———パパの姿が見えたから、遠くから走って来てくれたんだよね?」


 穏やかなシンシアの言葉にレヴィは小さく頷く。


 しかしそれだけでは納得してくれないその人は、


「それで貴女は?この森の人じゃない、わよね?一体誰なの?」


「えっと、私は…、」


 そう言ってさり気なくレヴィをシンシアから遠ざけながら詰め寄る。イグォルの提案が幸いしてか、外套のフードを目深く被っているのもあり、顔までは見えていないようだ。


「お客人だよ、キュピル。今、俺の仕事場まで案内する所だ」


「こんな所にお客様?珍しいこともあるのね。どこの種族の方?」


「あー、えっと…、」


「アンタらと同じアウスジェルダですよ。“ はぐれもの ” 、ね」


 答えに詰まるシンシアとイグォルに代わって、フィーゼはなぜか堂々と答えた。


「同族…?この森以外にも生き残りがいたってことですか?」


 キュピルは俄かに信じられないのか、フィーゼの言葉に眉をひそめる。


「ま、まぁ、詳しい話は向こうで聞くので、さ、行きましょう、お客人方。


 レヴィ?ママの言うことちゃんと聞くんだぞ?」


 イグォルはそう言いうと、まだ怪しい目を向けるキュピルの厳しい視線を掻い潜り、そそくさとシンシアとフィーゼを自分の執務室へと連れて行くのだった。


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