第15章ー従者の故郷ー

第9話ー国境越えー

 そしてその翌日、シンシアとフィーゼは東の国、ジェヘラルト公国へ旅立つ前に、再び謁見の間を訪れていた。


「それでは行ってまいります、お父様、お継母様」


「気をつけてな。ジェヘラルト公王とエリオット公子、並びに姫君方によろしく伝えてくれ」


 遠い玉座から微笑み頷く公王。隣に座る公妃はというと、


 くれぐれも粗相のないように。とした上で、


「クリミナードを辱めることのないようにしっかり努めなさい。全くあなたは愛想の欠片もないのだから、エリオット様に失礼のないようにね?」


「…はい、お継母様」


 相変わらず苦々しい言葉しか娘に投げかけることはなかったのだった。


 両親に挨拶を済ませたシンシアはフィーゼに連れられて馬車に乗り込んだ。


 シンシアの席の手前にはフィーゼ、ではなく、シンシアの着替えやその他贈り物などのもろもろが詰められていく。


「荷物、こんなもんでいいのか?」


 フィーゼは一通り詰め終わって呆気に取られる。


 明らかに一国の姫君が持っていく荷物の量とは、かけ離れていたのだ。…まぁ、あくまで彼のイメージのものさしでの話にはなるのだが。


 ———そう、少な過ぎるのだ。従者でさえコレでいいのか?と心配になるほどに。


「あれ、フィーゼは馬車には乗らないの?」


 馬車の小窓から顔を覗かせていまだ外にいる従者に問いかけるシンシア。


「何言ってる?俺は従者だが護衛でもある。馬車の後ろを馬で追走してるよ」


 自分の微々たる荷物を馬の背にくくり付けながらフィーゼは答えるのだった。


 どうやら馬車は御者が操るようだ。フィーゼにはその人が怪しい動きをしないか監視の役目もあった。


 それから少しして、いよいよ出立という時にも関わらず、そこには見送りの者の姿など誰一人として見受けられない。当然ながらあの双子の兄達の姿もどこにも見当たらなかった。


 だが、公王の従者、そしてフィーゼの師匠のダルクは、自分の姿を相手に認知させない加護で、密かにそこにいたことは、その場にいる誰も知る由がなかった…。


 そしてシンシアとフィーゼは、音もなく屋敷を後にしたのだった———。


 西の公国から東の公国へは、一直線で向かうとすると間に帝国を挟む。無闇に帝国に立ち入ってしまうのは具合が悪いので、迂回して行くのが一般的だ。北へ行くか、南へ行くか、そのどちらかを経由して東の公国へ向かうのだ。


 どのルートを選ぼうとも、到着には丸3日は裕にかかる長い旅路だった。


 今回2人は、途中でフィーゼの故郷、北のモントレー王国を通るルートを選んでいた。



 ♢



———それは前日、シンシアの部屋で今回の旅の経路を知らされた時のこと。


「モントレーを経由するだと?!」


「そうしなさいと、お継母かあさまが」


思わず声を上げる従者に、主は小さく頷く。


「———まぁ、もう一つのルートは私たちにとっては、あまりよろしくないのも事実だから」


と、シンシアは苦笑いで話す。


長い歴史の中で、西の公国クリミナード南の王国サリンドラ、両国間の関係性は決してよろしいとは言えない間柄なので、逆にシンシアが危険な目にも遭いかねないのだ。彼女が公王の息女ともなればなおさらである。


「はぁ、なぜいちいち遠回りする?船で帝国に渡って、そのまま船を乗り継いで東へ行けば最短ルートなのに」


 と、前髪をぐしゃっと握りながらため息混じりに愚痴るフィーゼ。


 シンシアは口を尖らせる彼を、まぁまぁと宥めながら、


「帝国を経由するなんてもってのほかだよ!あの国は神域とも言われてるから他の四つの国の人々は無闇に足を踏み込めないから…」


 と困ったように笑うのだった。


 ———それに、フィーゼの故郷ふるさとに行けるなんて楽しみ!と、今度は心からの笑顔で付け加えるのだった。


「無駄に寒いだけだっつの、あんな国」


 フィーゼは彼女からそっと顔を逸らしながら、やはり悪態をつくのだった。



 ♢



 1日馬を走らせて、やっと2人はモントレー王国に辿り着いたのだった。


 夏だというのに、気温はクリミナードの真冬、いやそれ以上に低く、辺り一面雪で覆われた白い世界が広がっている。


 そんな中、公女を乗せた馬車は、国境の関所でまず兵士に止められてしまった。


を」


「はて、通行証、ですと??」


「なんだ?通行証も持たずにこの関門を抜けようってのか?」


「———いや、ワシは何も聞いちゃいませんで…、」


 馬車を運転していた御者も戸惑った様子だ。


 馬車の後ろに控えていたフィーゼだったが、とうとう見兼ねたのか、スッと馬を降り、何を揉めている?と割って入ったのだった。


「だから、通行証を出せと言っているんだ」


「はぁ?通行証だと?なんじゃそりゃ?」


 フィーゼは表情を歪めながら思わず声を上げる。そんな彼に兵士は大きくため息をつく。


「全く、貴様ら一体何者だ?この関門を行き来するには、両国で発行されている共通の通行証がいるんだよ。見たところ高貴な馬車のようじゃないか。知らないとは言わせないぞ?」


 腕を組みながらグイッと睨みつけてくる兵士に、…んなこと言われてもな、と困ったように後頭部をポリポリとかくフィーゼ。もちろん何も聞かされておらず、寝耳に水状態なのだ。


「おい、おっさん、本当に何も知らないんだろうな?」


 と御者にも言いよる。


「もちろんです!ワシはここまで来るのは初めてなもんで、通行証のことなど何も聞かされておらんです」


 嘘ではなさそうな物言いに、フィーゼはやるせなく舌打ちする。


 ———っ、まさかとは思うが、公妃にハメられたわけじゃねぇよな?


 そんな考えと公妃のほくそ笑むイヤラしい顔が脳裏に浮かんで仕方がない。


 憶測だけで判断してはいけないと、いつもシンシアやダルクから言われてはいるものの、どうしても一番にそう考えてしまうフィーゼ。


 それから深く長いため息をつく。


 あまり大袈裟にはしたくないから、この手だけは使いたくなかったが———、


 これではらちがあかないと、渋々重い口を開くのだった。


「———公国の “ 要人 ” のお通りだ。さっさとここを通せ!」


 と、畳み掛けにいってしまったのだった。


 しかし、それがあまりにフワッとした物言いになってしまったようで、


「はぁ?クリミナード公国の要人だと?一体どなた様だって言うんだ?通行証も持たずにおいでとは、とんだ間抜けな要人様のようだな。そんなお方が、王国に一体何のようだというんだ?」


どこか小馬鹿にしたように話す兵士。


 ますます怪しいな、と彼の警戒心をさらに高まらせてしまっただけだった。


「見たところ護衛は貴様一人のようだし、本当に要人か??」


 さもごもっともな意見に、フィーゼは、まぁ、そりゃそうなるわな…と、何も言えず答えに迷ってしまう。


無理もない。要人ともなれば、もっと護衛が用意されて然るべきものなのだから。


 だが、自分とて、決して嘘をついているわけではない。こうなれば、仕方がない。かくなる上は———。


 フィーゼはゴクリと生唾を呑み込むと、


「ば、馬車の中におられるのはクリミナード公国の、公女殿下だ!」


 とうとうそう言ってのけたのだった。


これでどうだ?とフィーゼは兵士を見たものの、


「公女殿下だとぉ??嘘をつけ。公女殿下ともあろうお方に、護衛がお前みたいなガキ1人で、一体何ができるってんだ?バカも休み休み言え!」


 やはり至極真っ当なご意見で跳ね除けられてしまった。


 フィーゼはシンシアが他の王族や公族とは違う扱いだということをことごとく思い知らされる。


 ———と、2人が言い争っている所へ、何事か?ともう一人兵士が様子を見に来たのだった。そして一通り事情を耳にすると、


「———ハハッ、こんな所で公女殿下にお会いできるなら、俺はモントレーの国王陛下だと言ってもまかり通るぞ?」


などと言ってのけられてしまったのだ。それに乗じて、初めからいたもう一人も楽しそうにとんでもないことを言い放つのだった。


「なら俺は帝国の———いや、これ以上言ったらさすがに殺されちまうか。ハハハハ」


 なんとも恐れ多い冗談を大声で言いながら笑い合う2人。


「っ、テメェら…、」


 結局、同類が1人増えただけかよ、とフィーゼは乾いた白い息を吐き捨てる。


 好き放題放言する目の前の2人にイライラのボルテージが静かにふつふつと上昇していくのだった。


 上等じゃねぇか。こんな国、俺がもう一度再起不能にさせてやってもいいんだぞ?


 などと、吐き出したい色々な言葉をグッと呑み込み堪えるフィーゼ。


「残念だな、坊主。悔しかったら通行証を持って出直して来い」


 もぅ帰れと言わんばかりに兵士に手をヒラヒラと振られ、フィーゼは一つ息をつくと、ゆっくりと口を開くのだった。


「アンタらこそ、西の公女殿下がご来訪という大事を、そっちの国王陛下から何も聞いていないのか?


 ハッ、そんならアンタらこそ職務怠慢…、いや、こんな大事を伝えなかったそっちの国王こそが———」


「貴様、国王陛下を愚弄するか?!」


 最後まで言い切られる前に兵士の1人が声を荒らげる。


「やっぱコイツらさっきから怪しいぞ?捕らえて城へ連れていけ!」


 なんて発言まで飛び出すものだから、ぇえ〜?!と目を見張るフィーゼ。


 ———あぁ、もぅ、俺たちはただココを通してくれりゃそれでいいのに…。


 フィーゼは面倒くさそうに頭を抱えていると、


「———何か揉めているんですか?」


 と、後ろから救世主の声が聞こえてきた。


「っ、お嬢〜」


 パッとフィーゼが振り返ると、そこには心配になったシンシアが馬車から降りてきていた。


 うわ、寒っ!とあまりの気温の低さに身を縮こませ両腕を抱えながら手で擦る。


「見たか?!この方がクリミナード公女殿下———」


「お嬢さん、通行証は持ってるかい?」


 フィーゼの言葉はサラリと遮られ、兵士はシンシアに問うのだった。


「つ、通行証??」


 ナニソレ?とシンシアは目を丸くする。


 案の定、もうお約束となってしまった反応を彼女も見事やってみせるので、フィーゼは思わず気づかれないように吹き出す。


 そして、全力で平静を装い直して、


「うぉい、コラっ!公女殿下に気安く話しかけんじゃねぇ!」


 と凄んで見せるのだった。


 そんな彼をシンシアは、やめなさいと慌てて制すると、改めて兵士たちに向き直る。


「…あの、ここを通るには通行証というものが必要なのですか?」


「何だ、嬢ちゃんも知らないのか?もう数十年以上も前からの取り決めだ。公国側は一体どうなってる?


 ———それがないんなら、ここは通せないな。さ、帰った帰った」


 兵士はフィーゼの時同様、手をヒラヒラさせてまさに門前払いと言ったように追い返さんとするばかりだ。


「っ…、お願いします、どうか通してくださいませんか?次は必ず持ってきます、だから、」


 シンシアは懸命に頭を下げる。


 だが、


「誰がそんな口約束で、はい、そうですかと通すものか。仮にもアンタが国賊だったらどう落とし前付けてくれんだ?そんなやからを国に招き入れた罪として、俺らの首が飛ぶんだぞ?」


「こ、国賊って?!」


 滅相もないことにシンシアは驚きながらたじろぐ。


 ———嗚呼、どうしよう。今日中にモントレーに入っておかないと、予定通りにジェヘラルトに着かない…と、シンシアは困り果てて俯いてしまう。


「てめぇ、下手したてに出りゃツケ上がりやがって」


 フィーゼの拳の周りにはそっと冷気と氷の粒が漂う。


「お前ら、命が惜しくはないのか?!さっきから言ってるがこの方は———」


「おいおい、こんな嬢ちゃんが本当にクリミナードの公女殿下だってか?」


「笑わせてくれるぜ。夢でも見てるんじゃないか?ハッ、まさかお前も騙されてるんじゃないか?」


 フィーゼの言葉は兵士たちにまるで通用しない。


「コイツら…、」


 なす術もなくギリっと奥歯を噛むフィーゼ。


 かくなる上は、と、スッと指を構えた、その時だった。



「——— “ これ ” では、ダメですか?」



 シンシアは首から下げていた笛を服の内側から出し、兵士たちに見せた。


「はぁ?なんだ、それ」


 兵士の1人は首をかしげるだけだが、もう1人は、


「っ、そ、それは、まさか?!」


 笛を見た途端目を丸くして、それが何なのか気づいたらしかった。


「なんだなんだ?こんな笛がどうしたってんだよ?お嬢ちゃん」


 相変わらずまだ態度を変えない同僚に向かって、


「バカ、やめろ!頭を下げないか!?」


「え…ちょっ、」


 見兼ねたその人が慌てて相手の頭も下に抑えつけて、一緒に頭を下げたのだった。


「いきなり何するんだよ?!」


「バカ、知らないのか?!あの笛のあの色、クリミナード公国の公族様だけが身に付けることを許された秘宝、 “ 氷翠石 ”だ!」


「…ヒスイセキ??」


「お前はもっとモントレー以外のことも勉強しろ!あれはモントレー我が国で言う、霜曜石そうようせきと同じものだ」


「霜曜石、って、モントレーの初雪と謳われる、あの透明に輝く宝石のことか?だが、あれは王族だけが特権で身に付けられるって———、あぁ!そういうこと?」


「あぁ、もういい、お前は黙ってろ!


 ———クリミナードの公女殿下、私どもの今までの無礼、大変申し訳ございませんでした。深く深くお詫び申し上げます」


 その男の言葉をようやく理解したもう1人は、改めて2人でシンシアに頭を下げるのだった。


「…い、いぇ、とんでもないです。本当に、通行証のことは何も知らなかったのです。こちらこそ準備不足で申し訳ございません。———恐れ入りますが、通して、いただけますか?」


「勿論です!どうぞ、遠慮なくお通りくださいませ!」


 公国の公女であることが証明されて急にペコペコしだす兵士に訝しげな目を向けるフィーゼ。


「…ケッ、最初っからそうしろよ」


 ボソッと吐き捨てる従者を主はそっと諭しながら、


「…あ、そうだ、よかったらこれ、貰ってください。通行証なしで通してくださったお礼です」


 シンシアは持って来た荷物の中から、昨夜夜市で買っておいたお土産の一つを兵士に渡す。


「お嬢、それは———」


 まさかの主の行動にフィーゼは呆然とポカンと口を開く。


 それは婚約者に渡すはずだったんじゃ…??


 予想外の行動に何も言えずただ主を見るのだった。


「実は今回、私たちは非公式で来ていますので、こちらにお知らせが届いていなかったのは当然のことです。従者が無礼な物言いをしてしまい、失礼いたしました。恐れ入りますが、今日のことはどうかご内密に。折を見て、モントレーの国王陛下には、また改めてご挨拶に伺いますので、どうか…、」


「は、はぁ…。しかし、我々なんかが公女殿下から直々にこのようなものをいただいても宜しいのですか?」


 恐れ多いと言ったようにひれ伏す兵士たちに、


 中身は夜市で買ったただの菓子折りなんだけどな、と思わず吹き出しそうになるのを必死で堪えるフィーゼ。


 そんな彼の思いなど露知らず、


「どうぞ遠慮なさらず、休憩中に召し上がってください」


 そう言って微笑むシンシア。


その様子をただそばで見守るフィーゼ。


 ホント、どうしようもないほどのお人好しなんだから、あなたは。…ま、貴女のそう言うところが、俺は———。


 フィーゼは慌てて頭をブンブン横に振ってなかったことにするのだった。


「っ…、恐悦至極に存じます、公女殿下」


 兵士はまた深々と頭を下げるのだった。


 その様子を、フィーゼはどこか清々しい目で見つめていた。


「公女殿下、モントレーには暫く滞在なさるのですか?」


「…あぁ〜、そうしたいのは山々なんですが、そのままジェヘラルト公国へ向かう予定でして。明後日には到着したいなと」


「かしこまりました。では、向こうの関所の兵士にも申し伝えておきます。ですので、そこでも通行証は不要です。今日よりはスムーズに通れるかと」


「良いのですか?!」


 シンシアの顔がパッと明るくなる。と、同時にフィーゼも意外そうな表情を見せたが、ホッと一安心する。またさきの国境でも同じようなことになったら、と考えると、今から気が重くてならなかったところだ。


「良いも何も、隣国の公女殿下のお通りですから。それに、お礼までいただいてしまいましたからね」


「…っ、本当にありがとうございます!心から感謝申し上げます」


 嬉しそうに頭を下げるシンシアを、そばで見つめるフィーゼ。


 ———嗚呼、やっぱりすげぇや、公女殿下の力は。と感服したのだが、


 …いや、違うか、とフィーゼはゆっくり首を振る。


「 “ 貴女だから ” 、か…。


 良いことは巡り巡って返ってくる、だっけ?その通りだな」


 フィーゼは予想外の展開に驚くきつつも、それをあっさり叶えてしまうシンシアを見て、ポツリと呟くのだった。


 そしてシンシアを乗せた馬車は悠々と、そして堂々と王国へと入って行ったのだった。

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