第7話ー初めての夜市ー
フィーゼはシンシアの手を引いてある場所へと向かっていた。
「ちょっ、待って、フィーゼ、どこへ行くの?」
「ハハ、来ればわかるよ」
従者は主の問いにそれしか答えなかった。
———さっき食事の間で、確かに聞こえたんだ。あれは他の誰でもない、貴女の声だった。口には出さないとてもとても小さな声で、苦しそうに貴女は静かに叫んでた。
“ ここから出して ” って。
あれは…、あれが貴女の本当の声、なのだろう?
どうして俺なんかに貴女の内側の声が聞こえたのかはわからない。たとえ眷属紋があったとしても、心の声までは聞こえないはず…。
けど、まぁ、よかった。そこに都合よく師匠があんなことを言い出したものだから、
貴女の願いを叶えられる。
フィーゼはさっきから笑いが止まらない。もうすぐ腹まで抱えそうな勢いだ。いや、よじれないかも心配だ。
そんな、いまだ笑いを懸命に噛み殺している彼。こんなに楽しそうに笑うのを見るのは多分初めてで、シンシアはやはり戸惑っていた。
そして再び足を止める頃には、2人は屋敷の厩舎を訪れていた。
フィーゼは馬を走らせる準備を手際よく進める。
「馬に乗ってどこへ行くの?」
シンシアは彼の姿を見ながら不思議そうに首をかしげる。
まさか一度学園へ帰って体制を立て直そうとでも言うつもりだろうか?もう陽が落ちてしまっているこんな時間に?…けど、自分たちはすぐジェヘラルトへ発たなければならない。そんな時間は———。
シンシアの頭の中では色々な思考が忙しなく行き交っていた。
「どこって、“ 王都 ” だよ」
「…はい?」
シンシアはパッとフィーゼを見る。
聞き間違いだろうか?今、王都と聞こえたのだが。そんな所に一体何をしに行くのだろうか?
全く予想がつかず、ただ彼を見ていると、
ほら、乗って!と、腰のあたりを掴まれて、ヒョイと馬の背に乗せられてしまった。
「キャッ!!」
「ほら暴れないで。落っこっちまう」
フィーゼはそう言いながら自分もサッとシンシアの後ろに跨ると、
「っしゃぁ、行けぇ!」
勢いよくポンっと馬の腹の辺りを蹴った。
彼の号令のもとに馬はいななきを上げ、夜の街へ繰り出していくのだった。
ほんの数分前まで、激しい自己嫌悪と罪悪感で自身を責め続けていたシンシア。だがしばらくフィーゼと馬で走っていると、その表情は少しずつだが、だんだんと穏やかなものへと変わっていくのだった…。
♢
王都に着き、馬を預けると、2人は人で賑わう夜市へ足を踏み入れるのだった。
いくつも連なるカラフルな提灯が夜の街を色鮮やかに、華やかに照らしている。
「うわぁ、綺麗…」
その幻想的な風景に、シンシアは目を奪われていた。
「そういやぁお嬢は夜の王都は来たことなかったっけ?」
「夜というか、王都の街自体、こうやってゆっくり歩くのは初めてかも」
「そうか…」
シンシアの発言に、それ以上深くは聞けないフィーゼ。
———そりゃ、あの部屋に半幽閉状態だったもんな…。
フィーゼはふと、自分と出会う前の幼いシンシアに想いを馳せた。
知識や礼儀作法だけは、公爵家の令嬢、そして幼い頃よりの英才教育というヤツも相まって人一倍抜きん出ているのに、どこか世間知らずであどけないところが、それを物語っているような気がしてならなかったのだった。
「うわぁ、何?これ」
ふと、とある屋台の前で足を止める少女。
「串焼きだよ、お嬢ちゃん」
急に店主に声をかけられ、シンシアはサッとフィーゼの後ろに隠れる。その様子にフィーゼも静かに警戒モードに入る。
そういえば、屋敷からそのまま出てきたものだから、顔や身なりを隠せるものを何一つ身につけていない、完全無防備な状態なのだ。
こんなの、公女殿下のお出ましを王都中に知らしめているようなものだ。
そんな重大なことをこの瞬間になってフィーゼはやっと気がついたのだった。
嗚呼、ここで公女殿下がいらっしゃっているなんて騒ぎにでもなったら、間違いなく師匠に八つ裂きにされる———。
フィーゼは一瞬、死を悟った。
そんな彼の思いなど露知らず、目の前の店主は、
「ほら、一本食べてみな?」
と豚の串焼きをシンシアに差し出す。
「…っ?」
どうしてよいかわからず、その場に固まる少女に、フィーゼは穏やかな表情でコクンと一つ頷く。
それを見て、少女は少し安心した面持ちで再び従者の前に出ると、
「あ、ありがとうございます…」
と、店主から串焼きを受け取るのだった。
いざ串を手に持ってみたものの、やはりそのまま固まってしまう少女。
「何だ、嬢ちゃん、肉はダメな人か?」
急に勢いが弱まるその子に、店主は少し戸惑い気味だ。
それを見兼ねてか、
「———っ」
「っ、フィーゼ?!」
フィーゼはシンシアが持っている串の肉に、そのままかぶりついたのだった。
「うん、美味い。いい焼き加減だ。ほら、お嬢も食ってみな?」
従者の豪快な食べっぷりに、ゴクリと生唾を呑むシンシア。
そうか、これはそうやって食べるものなんだ…。うん、理解した!
フィーゼに促されるように、シンシアは先ほどの彼の真似をするようにカプっと肉にかぶりついたのだった。
「…っ、美味しい!このソースもとってもお肉と絶妙に絡み合ってて、ジューシーでとっても美味しいです!」
ほんの数秒前まで石像と化していた少女の顔は途端に満遍の笑みが宿る。
「ハハッ、ソースって嬢ちゃん、お上品だな。ただのタレだよ。喜んでもらえたならよかった。もう一本どうだい?」
「…ぁ、はい———」
「待った!」
促されるままに伸ばすシンシアの手を、スッと阻むフィーゼ。
「まだまだ色々回るから、ここで腹が満たされちゃせわないだろ?」
その言葉に、あ、そうか…と、シンシアは我に帰るのだった。
「おじ様、ごめんなさい、これはいただけません」
シンシアは申し訳なさそうに頭を下げる。
「おじ様って…。ハハッ、こんなしっかりした騎士様がついてんならおじさんも安心だ」
店主はそう言って持っていた串を下げるのだった。
そしてその隙にフィーゼはシンシアの手にある物をこっそり握らせる。
「フィーゼ?」
戸惑う彼女にフィーゼはそっと耳元で囁く。
「あのおじ様に渡してやって?お礼の印だってな」
シンシアはそれに小さく頷くと、店主に向き直る。
「あの、これを。とっても美味しかったので、そのお礼です」
と、彼に言われたそのままを、口にしてしまったのだった。
「え?」
シンシアの言葉に目を丸くする店主と、顔を背け、バツが悪そうに目元を手で覆うフィーゼ。
おぃ、待て待てお嬢、そんなん言わずにただ渡すだけでいいんだよ、そこは———。
苦笑いを通り越してもはや乾いた笑いすら出ない。
知識だけは豊富なお嬢のことだ。何か欲しい物を手に入れるのと引き換えに、金を払うということはもちろん知っている…?だろうが、見た感じ、恐らくそれをした経験がないのだろう。
もっと前に丁寧に教えておくべきだったとフィーゼは後悔するのだった。
「ハハッ、不思議な嬢ちゃんだな。ありがとう。お代はちゃんといただいたよ」
店主は笑いながらシンシアからコインを一枚受け取るのだった。
それを見届けるとフィーゼは、行くぞ、とさりげなくシンシアの手を取る。
「おじ様、ご馳走様でした!」
「あぁ、まいどあり!じっくりと夜市を楽しんで行ってくれ。…くれぐれもその騎士様の手を放すんじゃないぞ?」
「…はい!」
シンシアは店主の言葉に笑顔で頷くのだった。
店から少し離れたところでフィーゼはホッと胸を撫で下ろす。どうやらあの店主は彼女を公女殿下だとは気づいていないらしかった。
夜だから、というのも幸いしてのことだろうが、きっと理由は別にあると踏んでいた。先ほどのシンシアの話では、市中に出たことがないと言っていた。それはつまり幸か不幸か、この国の民がシンシアの顔をよく知らない、そういうことなのだ。
幼い頃は屋敷の外に出たこともなく、7歳になる年には学園の寮へと居を移した。
それから10年、彼女はずっと学園の中だけで生活しており、屋敷にも一切戻らなかった。仮に民の中に幼い頃のシンシアの顔を知る者がいたとしても、その10年後の今の姿など、誰も知る由がない。
フィーゼは心の中で助かった〜とガッツポーズを決めていた。
これで心置きなく自由に動き回れると、心底ホッとするのだった。
当のシンシアはというと、ハッと気がついたように、
「ねぇフィーゼ、さっきのお礼、もう少し差し上げた方がよかったんじゃ…、」
などと口にするものだから、フィーゼは思わずブッと吹き出してしまう。
いや、待て待て、貴女は俺を一晩で破産させる気か?
フィーゼはすかさず心の中でツッコむ。
「大丈夫。串焼き屋のおっさんも満足そうにしてただろ?あれで十分だよ」
「…そう、なの?」
「そういうもんなの」
気にすることはないと、フィーゼは手をヒラヒラさせながら答えるのだった。
♢
———それから2人は色んな店を回った。
たくさんの人々が行き交う往来の脇には食べ物や飲み物はもちろん、書物の店、衣装の店、装飾品や靴の店…、ありとあらゆるものが売り買いされている。見るもの全てが生まれて初めてなものばかりの景色に、シンシアは終始目を奪われるのだった。
「ほら、ちゃんと前見て歩かんと、ぶつかるぞ?」
と、フィーゼがシンシアを振り返ったその時、
ドンっ!と、シンシアが思いっきり誰かとぶつかった。
「キャッ!!」
「お嬢、大丈夫か?!…っ、テんメェ!!」
フィーゼが凄んだのも束の間、ぶつかった相手はそのまま人混みに姿を消してしまった。
「ったく、ぶつかったくせに謝りもしねぇのか?!」
「フィーゼ!…いいよ、別に」
苦笑いで制するシンシアに、けど、とやるせなく口を尖らせるフィーゼ。
そんな時、不意にシンシアが足を止める。
何事か?と振り返るフィーゼの目には、一気に青ざめていく少女の顔が目に入った。
「…ない」
「え?」
「耳飾りが、ない…」
「はぁ?!」
泣きそうな顔でそう訴えるシンシアの右耳には、コバルトブルーの石がついた耳飾りが姿を消していた。
「まさかさっきの…、」
「ぇ、盗まれた…ってこと?あの一瞬で?———っ、すごい、手品みたい!」
「はぁ、何を呑気な…」
相変わらず世間を知らないお嬢様に、相変わらずだな…と呆れながらため息混じりに吐き捨てるフィーゼ。
この人に財布を持たせなかった俺、ホント偉いっ!と、さり気なくドヤ顔するフィーゼとは裏腹に、シンシアの顔は曇るばかりだ。
「でもどうしよう、せっかくフィーゼに貰ったのに…」
「気にすんなって。途中で見てた店でも、アレより綺麗なのなんてたくさんあったろ?…買いに行くか?それか、また俺が新しいの作って———」
「そうじゃなくって!!」
突然話を切られて、フィーゼは目を見張る。
「私はアレがよかったの…。アレじゃなきゃ、ダメなの…」
シンシアはそう言って哀しそうに俯くのだった。
彼女の言葉に、えぇ〜、何がダメなワケ?と、訳がわからず困ったようにポリポリと後頭部を掻くフィーゼ。
先ほどの食事の場とは違って、今は彼女の心がまるで聞こえないのだ。
全く理解できない主の発言に頭を悩ませながら、
「あーもぅ、わかったよ、取り返しゃーいいんだろ?」
と、ため息混じりにフィーゼは答えるのだった。
「…できる、の?」
シンシアは不安そうに問いかける。
もうスリはとっくにどこかへ姿を眩ませている。今更追いかけて見つけ出すのは困難なはずだ。
だが、当のフィーゼは、
「できなかったらわざわざ言わねーよ」
と、腕組みして堂々と言い切るのだった。
「…でも、どうやって?」
「コイツに探させる」
フィーゼはそう言うと自分の左耳から耳飾りを外した。
「あまり認めたくはないが、コイツには確かに意志がある。耳飾りは二つで一つの
彼の言葉に、なるほど、と頷くシンシア。
「ねぇ、教えて?もう一つのあの子は、今何処に?」
シンシアの問いかけに答えるかのように、耳飾りは一筋の光を放つ。
「うわっ?!何だよコレ」
気味悪そうにフィーゼは一歩たじろぐ。
「もしかしたらこの光の先に、もう片方がいるのかも…?」
「チッ、周りっくどいマネしねぇで、さっさと居場所を吐けばそれでいいのに」
面倒くさそうに舌打ちするフィーゼを、そんな言い方しないの、と諭しながら、
「…ありがとう。すぐ取り返すからね!」
そう微笑んで見せるシンシア。
そんな主の姿にフィーゼはなんとも言えない顔で一つ息をつくのだった。
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