第6話ー波乱の晩餐会ー
———その夜、シンシアは家族が揃う晩餐に参加することとなっていた。
参加前、食事の間へ向かう途中の廊下で、従者はヒソッと主に耳打ちしていた。
「なぁ、断れないのか?お腹痛いーとか適当なこと言ってさ」
「いやぁ、ムリムリ。私の立場でそんな無礼なことできるわけないよ。お父様、公王様だって一緒なのに」
シンシアは苦笑いで顔の前で手を仰いで否定する。そんな彼女にどこかつまらなそうに口を尖らせる従者。
ホント、相変わらずクッソ真面目だなぁ、この人は。ちょっとくらい悪びれてもいいと思うが…。
フィーゼは面倒くさそうに両腕を頭の後ろに回して組む仕草を見せるのだった。
「…けどさ、また何か嫌がらせとかされたら——、」
「大丈夫だよ。例えそうなったとしても、10年前と違って、今の私にはフィーゼがいるもの。恐れるものなんて何もないよ」
「…っ、」
なんの飾り気もなく、スッとそんな言葉を投げかけてくるものだから、戸惑ってしまう。
———わかっている。貴女が言っているそれは、従者に向けての言葉だってことは…。
フィーゼはフッと、力無く笑う。
「まぁ、何かあったら、いやなくても、すぐ助けるから安心していればいい」
と返すのがやっとだった。
「フフッ、ありがとう」
不安に押し潰されそうになりながらも必死に微笑んで見せる主が、フィーゼにはとても眩しく見えた。
断れないのか?だんて、愚かな提案をしていた少し前の自分を殴り飛ばしてやりたい思いだ。
この子は、初めて会った10年前よりも遥かに強くなってる。俺が思っているよりも、ずっと———。
フィーゼは目の前のことにまっすぐに立ち向かう華奢な背中が、とても逞しく、誇らしく思えたのだった。
そして2人は食事の間へと足を踏み入れたのだった。
「お、すげぇ!一番乗り〜」
「よかったぁ、まだ誰もいなくて」
食事の間にまだ誰も来ていないことにシンシアは心底ホッとする。
目の前にあるのは、奥から入口の方へ長く伸びたテーブル。その中央には燭台が列をなしている。上座から2席空けた先、フィーゼがどうぞ、と引いてくれた椅子に、シンシアは恐る恐る腰掛けるのだった。
だだっ広い部屋にシンシアとフィーゼの2人だけ。お互い何も言葉が出てこずシーンと静まり返っていた。
それからしばらくして、やっと公王と公妃が部屋に入って来た。その後ろには、フィーゼの師匠、ダルク・セライドが控えている。
それに続くように、シェイルがクリューノの乗った車椅子を押して現れた。その後ろには先ほど一緒にいた従者の少年を引き連れている。
「っ…、」
シンシアは慌てて席を立ち、深々と頭を下げ、それぞれが席に着くのを見届ける。そうして、一番最後に彼女もやっと席に着くのだった。
主の後ろに大人しく控えているフィーゼはというと、久々に拝む師匠の姿に、思わず背筋が伸びるのだった。
そんな中、
「…久しぶりだね、シンシア。会うのは10年振りくらいかな」
と、クリューノが声をかけてきた。
「お、お久しぶりです、クリューノ兄様…」
突然のことでビクッと反応するシンシアは、辿々しく頭を下げるのだった。
それを見た継母が一つ息をつく。
「あら、シンシア、お兄上様たちに挨拶をすませていなかったの?…まぁ、学園では顔を合わせているのでしょうけど、」
「…っ、」
その言葉に気まずそうに俯くシンシア。
「聞いてください、母上。シンシアときたら、せっかく帰ってきたというのに挨拶にも来てくれないのですよ?
僕とはたまたま廊下ですれ違ったので言葉を交わしましたが、それだけです。クリューノ兄さんとはまだ———、」
母の言葉に追随するように白々しく言ってのけるシェイル。
「お兄様に先に話しかけてもらうだなんて、一体何様のつもりなのかしら?シンシア。妹の分際でお兄様に失礼でしょう?」
挙句にはそう畳み掛けられてしまった。
「申し訳、ございません」
義兄や継母の言葉に、シンシアはなすすべもなく、ただただ頭を下げてキュッと縮こまる。
それを見て、シェイルはしてやったりといった様子で義妹を鼻で笑っていた。
そんな彼らの姿に、フィーゼは後ろに組んでいた手に自然と力が入る。その周りには無意識の内に冷気が漂うのだった。
そこに、クリューノがスッと口を開く。
「フフッ、母上もシェイルも大袈裟だよ。久々だからって、シンシアをあまりからかってあげないで?
———ごめんね、シンシア。久しぶりだね、元気そうでなによりだ」
小さく笑いながら言うその人に、
「いぇ、改めましてお久しぶりです、クリューノ兄様、シェイル兄様も。本日帰って参りました。ご挨拶が遅くなってしまい、大変申し訳ございません」
シンシアはペコっと頭を下げ、
「…クリューノ兄様も、ご息災のようでよかったです」
そう付け加えた。
「フッ、シンシアは本当に優しいね。こんな僕の身体を見ても、そう言ってくれるなんて…」
「…えっ、ぁ、いぇ、その、、」
微笑みながらも目は決して笑っていないクリューノがシンシアにはとても恐ろしく見えた。
言われてみれば、と、改めてシンシアはクリューノに目を向ける。
自分が知っている彼は、病弱といえどもまだ一人で立って歩けていたのだ。
しかし10年経った今はどうだろう。彼は今や車椅子に腰掛けている。もはや自分の足で、自分の力で立って歩くことさえままならないのだろう。それほどまでに彼の病状は悪化の一途を辿っているらしかった。
———また余計なことを言ってしまったと、シンシアは静かに目を伏せるのだった。
「ほんと、嫌味としか思えないよね…。兄さんをバカにして言ってるんじゃないか?」
「シェイル、やめなよ。何を言われようが、僕は気にしないから」
相変わらず穏やかな口調でクリューノはシェイルを諭す。
しかしその言葉に仕込まれた棘が、シンシアの心を無惨にも突き刺していく…。
「クリューノは妹想いで優しいのです。シンシア、お兄様のご慈悲に感謝しなさい」
「———っ、は、はぃ、ありがとうございます、クリューノ兄様」
シンシアはたどたどしく、ただ言われるがままに頭を下げるのだった。
そんな目の前で繰り広げられる見るに耐えないやりとりが、フィーゼの眉間に徐々に深い皺を刻んでいく。
———ハッ、何がご慈悲だ。その言葉を軽々しく口にするな!そんなものなど一欠片も持ち合わせていない、アンタごときが!
思わず叫び出したい衝動をぐっと押し殺すのにフィーゼは躍起になっていた。
そんなくすぶっている彼の様子を、師匠のダルクは遠くから見ていた。
それから次々に給仕係にり食事が運びこまれ、皆はそれぞれに手を付けていく。
しかし、フィーゼの目の前に座るその人は、カトラリーを手にはしているものの、動きがピタリと止まっているのだ。
見兼ねたフィーゼが、おぃ、大丈夫か?と、思わず耳元でコッソリと声をかけてしまうほどだ。
そんな少女を改めてよく見ると、そのか弱い手は小刻みに震えていたのだった。
———そんな2人に、ある人の眼光は鋭かった。
「…コホンッ、従者が主のお食事の時間を邪魔するとは何事だ?」
ダルクはわざとらしく咳払いをしたかと思うと、厳しい目付きで厳しく弟子に叱責する。
うげっ、と一瞬表情を歪ませたフィーゼは、スーッと定位置に戻るのだった。
「ワシの弟子ともあろう者が、10年経ってもこのザマとは、目も当てられんな」
「申し訳、ございません…」
久々とはいえ、フィーゼはこれまでのこともあってか、ダルクの前では人が変わったように縮こまってしまう。
「違うんです、フィーゼは悪くな———」
「お嬢、やめろ」
「でも、」
咄嗟に庇おうとする主を従者は咄嗟に制する。
「 “ 2人とも ” マナーの欠片もなっておりませんな。従者を躾けることも、主を諌めることも、それぞれが全くなっていない」
ダルクはため息混じりに目を伏せ、頭を左右に振る。
まさか、10年経ってもその方をお嬢様と呼べぬとは、このバカ弟子が———。そしてそれをお嬢様自身も全く咎めないとは…。
2人の間ではもう定着してしまっているそれに、呆れて物も言えない様子だ。
「これ以上は公王様方のお目汚しとなりましょう。ゆえに申し訳ございませんが、従者と共に席を外してくださいますか?公女殿下」
「っ———?!」
その言葉はシンシアはおろか、その場の全員が食事の手を止めることとなった。
「おい、師匠!?」
「黙らぬか、バカ弟子が!」
目を見張り動けなくなるシンシアと、その側で思わず声を上げるフィーゼに、再びダルクの叱責が飛ぶ。
フィーゼはやはりグッと黙り込み、やるせなく目を伏せる。
…お目汚しってなんだよ?他の奴らはこの子に何したって構わないってのか?
フィーゼがその手に作った拳は小刻みに震えていた。
「———ダルク、少しくらい良いじゃないか。シンシアは久方振りにこちらに帰って来たのだし…、」
皆の沈黙を切り裂くように、公王がそっと口を開いたが、
「公王様はご息女を甘やかし過ぎです」
バッサリとダルクに突っぱねられてしまうのだった。
「———さ、何をしている?早く主を外へお連れしろ!」
ダルクはフィーゼに向かって、早くシンシアを連れ出すように急かす。
「…っ、」
師匠の言葉に、フィーゼは渋々シンシアの椅子を引くのだった。
フィーゼ?と、戸惑いながら顔色を伺い見てくる主に、従者は、行こう、としか言えなかった。
シンシアはゆっくり席を立つと公王と公妃達の方に一礼し、従者を引き連れて食事の間を後にしたのだった。
♢
部屋に戻るまでの道のりの途中、シンシアはポツリと後ろの彼に呟いた。
「…ごめん、私のせいで」
それには何も答えずただ沈黙を突き通す従者。そんな彼の行動がシンシアの不安をさらに煽った。
しばらくすると、彼の方から、…クククッ、と、息が漏れ出る音が聞こえてきたので、シンシアは何事かと目を向けると、その肩は小刻みに震えている。
「…フィーゼ?」
「ダッハッハッハ、さすが師匠、good job だ!」
突然上を向いて声を上げて大笑いしだした従者は、そう言って目元に手を当て、大層満足気に天に向かって親指をグッと掲げた。
従者の身に一体何が起きているのかわからず、シンシアはただ呆然と彼を見つめたまま動けないでいる。
まさか、あんまり畏まったところに居過ぎたせいで、頭がパンクしてしまったのだろうか———?
途端に心配になってくるシンシア。
「グフフッ、師匠のヤツ、やってくれんじゃねぇか」
「ねぇ、フィーゼ、さっきから何を言ってるの?」
「なぁ、どうだ?お嬢。
ここならちゃんと息が吸えるだろう?」
従者の言葉に、シンシアはハッとした。
あぁ、確かに…。
フィーゼに言われて初めて、シンシアは今、ちゃんと呼吸できていることに気がついたのだった。すると、これまでギュッと強張っていた身体の力が、スーッと抜けていくのを感じた。なんとも不思議な気分だ。
ここまで来ればもう大丈夫と、やっと身体が安心しているかのようだ。
「クハハハ、あんな息が詰まって仕方ない場所で、よく飯が喉を通るってもんだ。お嬢もそう思わないか?」
「…っ、そ、そんなこと、」
言葉を詰まらせ最後までは言い切らないシンシア。
「フフッ、言えないだけで、腹の底ではそう思ってるんだろ?」
フィーゼはそう言って笑うが、シンシアはやはり、肯定も否定もしなかった。
「———なぁお嬢、何食いたい?」
「ぇ?」
「好きなものを食おう!誰もいちいち監視してないところで、ちゃんと息ができる、緊張とは無縁な場所で!」
そう言うとフィーゼはシンシアの手を掴んだ。
「ちょっ、フィーゼ?!」
まだわけがわかっていないシンシアは戸惑いの表情を浮かべていたが、そんなのお構いなしにフィーゼは主の手を引いて駆け出すのだった。
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