第4話ー半分こにしました(前編)ー

 ———フィーゼがシンシアから耳飾りを外したことで突如意識を失った彼女は、部屋に運び込まれていた。


 それからしばらくして、シンシアはゆっくりと重いまぶたを上げる。


「———あれ、ココ、私の、部屋?」


 気がついたそこは自分の部屋のベッドの中だった。


 …そうだ!私、シェイル兄様と口論になって———。あれ、それからどうしたんだっけ?


 先ほどの兄との一件をぼんやりとしか思い出せないでいるシンシア。


 ふと、規則正しい寝息が彼女の耳を掠め、そちらに目を向けると、かたわらには、ベッドに上半身を預けて眠るフィーゼがいた。


 ———ずっと、そばにいてくれたの?


 よく見るとその手は、シンシアの片手を大切に握っていたのだった。


「お嬢…、」


「っ、フィーゼ、起きたの?さっき私———」


 不意に従者の声が聞こえてその顔を覗き込む少女。言いかけたところで、口を閉じてしまった。


 相変わらず少年の寝息が、心地よく耳に響く。…どうやら先ほどのは寝言だったらしい。


 寝言で私のことを呼ぶなんて、一体どんな夢を見ているのだろうか?


 そんなことを思いながら、多分初めて見るであろう、その安心しきった彼の寝顔にそっと頬を緩めるシンシア。いつもは周りを警戒してくれているのか、キリッと男らしい顔つきの彼だが、今はなんだか子どものような可愛らしい穏やかな顔をしているように見えたのだ。


「…っ、ありがとう、フィーゼ」


 シンシアは空いた手でフィーゼの頭を優しく撫でてやるのだった。そしてふと、重要なことに気がつく。


「…あれ?耳飾りは?!」


 耳になにもついていないことに気づいたシンシアは辺りをキョロキョロと見渡す。すると、ベッド脇のサイドテーブルに耳飾りが置かれているのが目に入り、心底ホッとする。


 ———あった!良かったぁ。まだ壊されていなかった…。


 シンシアはそっと耳飾りを手のひらに乗せて眺める。


 耳飾りこの子をつけている間、実はシェイル兄様の言葉はあまり耳には入ってきていなかった。きっと嫌味ばかり言われていたんだろうことは容易に想像がつくが…。


 ———フフッ、が私を、シェイル兄様から護ってくれたの?


 耳飾りにそっと微笑みかけるシンシア。


 すると、それのトップについている宝石が一瞬煌めき、まるでシンシアの問いに返事をしたかのように思えたのだった。


 と、そこに、


「ん、お嬢、起きたのか?」


 フィーゼは目を擦りながらムクっと身体を起こした。



「おはよう、フィーゼ」



 不意に呼ばれた名前に、スッとそちらを見る。


 この声、呼び方———、


 シンシアの声を聞いた瞬間、フィーゼは何か勘付いた。そして、驚いていた顔が一気に穏やかになる。



「やっと、戻った…」



 ポツリと溢れたフィーゼの言葉に、シンシアは、ぇ?と小さく声を漏らす。


「———っ、」


「おゎ?!ぇ、フィーゼ?!」


 フィーゼはガバッと少女をその腕の中に抱き締めたのだった。まるで、先ほどシェイルと対峙していた時とは立場が逆転している。


「よかった、が戻って来て…」


「ぇ、ぇ、戻るっ、て?一体何の話?」


 唐突な従者の言動に思考が追いつかないシンシア。


 彼女の言葉が耳を掠めたが、いちいち答えてやっている余裕が、今の彼にはなかった。


 もぅ戻って来ないかと思った。あのまま、あなたが消えてしまうんじゃないかと…。


 フィーゼの肩と声は弱々しく震えていた。それだけは腕の中のその人にも伝わり、彼女はそのまま何も言わず身を委ねるのだった。


 それからフィーゼは少し身体を離し、さっきのことを思い出せるか問いかける。


「ん〜、あの時は色々といっぱいいっぱいで、完璧にとはいかないけど…」


 曖昧な返事のシンシアを、ただただ心配そうに見つめるフィーゼ。


「私はただ、許せなくて。フィーゼのこと “ たかが精霊一匹 ” だなんて、あの言葉が、どうしても聞き捨てならなくて…。


 精霊だからなに?死んでも構わないって言いたいの?人間がそんなに偉いの?


 命は皆平等に、たった一つしかない。それは人間でも精霊でも関係ない。誰もが同じはずでしょう?一つ一つの命には上も下も、優も劣も存在しないはずだから…」


 懸命に訴えるシンシアに、フィーゼは眩しそうに目を細めてフワッと笑う。


「…それで、怒ってくれたのか?こんな精霊なんかの、俺なんかのために」



「当たり前だよ!」



 少し声を荒らげたその人に、フィーゼは一瞬ピクッと反応する。



「私の大切なモノが傷つけられてるのに、黙ってなんていられないでしょう?」



「大切な…、モノ」


 何の迷いも躊躇いもなく真っ直ぐとそう言い切る澄み切った瞳に、フィーゼは静かに感服するのだった。



 ———嗚呼、やっぱり、貴女が俺の主で、本当によかった…。



 シンシアの言葉はフィーゼの心をじんわりと緩めていく。


「でも、シェイル兄様と何を話していたかはあまりよく覚えてなくて…。


 あの時はただムカついて、———あ、違っ、イラついて、———あ、これも違っ、ごめん、ごめんなさい、ぇっと、えぇっと、、」


 彼女的に汚い言葉を次々使ってしまって慌てふためくシンシア。


「フフッ、いいよ、いちいち丁寧な言葉を探さなくとも。ココにはお嬢と俺以外、誰もいない。俺しかあなたの言葉を聞いていないのだから。


 ムカついて、イラついて、それから?」


 フィーゼはこんな珍しい、前代未聞の主の姿を、穏やかな口調で見守りながら先を促す。


「哀しくなって、よくわからないモヤモヤした感情が心の中にいっぱい溢れてきて…。


 怒り、悲しみ、憎しみ…、全てがぐちゃぐちゃに混ざり合って、何が何だか自分でもわからなくなった」


 少女のその言葉に、ふむ、とフィーゼは一つ息をつく。


 今までその小さい心に溜めに溜め込んできた負の感情が、一気に爆発した、ってことか?それで、あんな———、


 フィーゼはそっとシンシアを見つめる。


「私、シェイル兄様に何かしたの?


 ———っ、まさか傷付けて、しまったの?」


 シンシアは不安そうに、かけられているシーツをキュッと握る。


 フィーゼはその手にそっと自分の手を重ねると、ゆっくりと重い口を開く。


「…なぁ、お嬢?お嬢は、言葉を具現化する魔法を知ってるか?」


 その言葉に、ぇ、何それ?とまるで初耳と言ったように首をかしげるシンシア。


「…っ、例えば剣に向かって “ 砕けろ ” と言ったら、言葉通りに剣が木っ端微塵になる魔法とか、」


「…その言葉っていうのは、魔法を発動する際に唱える詠唱とはまた違うってことだよね?詠唱はそのものに術式が組み込まれていて、魔法陣の代わりのような役割をするものだから」


 シンシアはう〜ん、と思考を巡らせると、



「私にはそんな高度な魔法使えないよ」



 そう言って力無く笑った。


「それを使うにはきっと、物体に直接声を聞き届かせなければならない。私には無理だよ、そんなこと」


 シンシアはそう言うと、 “ あの人ではない限り ” と、声には出さず言葉を付け加えるのだった。


 そんな彼女の心を読み取ったのか否か、耳飾りが密かに揺らめく。


「それにもしそんな難しい魔法が使えたとしても、私はきっと、怖くて使わないと思う」


 模範解答とも言える、自分が予想した通りの言葉が聞けて、フィーゼは静かに———そうだな。と零した。


 そうだ、貴女はそんな人だ…。


 けど、声や言葉で物質に直接作用させる魔法、か。あんま聞いたことないが…。


 ———音の魔法、とか?


 もしそんなんがあるとしたら、全く、末恐ろしいったらないなと、フィーゼは苦笑いした。


 とはいえ、いまだ疑問は消えずに残ったままだ。


 では、先ほどのシンシアのアレは何だったのか?


 腕組みしながら頭を悩ませている最中の彼に、不意にシンシアが言い放つ。



「だって私、フィーゼの加護だって、まだまともに扱えないのに」



 いきなりの言葉に、フィーゼは固まる。


 ———まさかこの人はそれさえも覚えてないのか?…いや、でも、こんなに覚えてないことってあるだろうか?


 そういや、あの時の彼女は、まるで人が変わったみたいだった。ってことはやっぱり…。


 フィーゼはふと、ある答えに辿り着き、小さく息をついた。


「フィーゼ…?」


 突然黙り込む従者を心配そうに見やるシンシア。


「なぁお嬢、その耳飾りをつけてからだよな?よく覚えてないことが増えたのって」


「そ、そんなこと、」


 シンシアはビクッと肩を一つ跳ねさせると、咄嗟に手にしていた耳飾りをフィーゼから遠ざける。


 ———明らかに警戒されている。


 フィーゼは主の素振りを前に苦笑いを浮かべる。


「安心して。もぅ壊すとか言わない。見せてくれないか?ソレ」


 そう言ったフィーゼはなるたけの穏やかな口調だった。


 シンシアは特には何も言わず、少し躊躇いがちに手のひらに乗る耳飾りを差し出す。


 フィーゼはそれに顔を近づけてじーっと吟味するのだった。


「別におかしな所は見当たらないんだよな〜。…まさか、精霊でも宿ったか?」


「っ?!」


 フィーゼがポツリとこぼした言葉に、声にさえ出さなかったが、ピクッと反応するシンシア。


「いや、かもしれないって話だ。風の神がその笛の中にいるくらいだし、耳飾りに精霊が入り込むなんてことも、ありえるんじゃねぇかなって」


 フィーゼは複雑そうな顔で笑う。あなたにはそういう奴らを呼び寄せる体質があるのかもな、と。


 しかしあくまで推察だとしたところで、やはりまだ確信にまでは辿り着けない。


「他人の精神に作用する加護なんて聞いたことねぇしなぁ…」


 ましてや精神を乗っ取って操るような加護なんて…。


 もしそんな加護を持つ精霊がいようものなら、人間は喉から手が出るほど欲しがるはずだ。たとえ精霊狩りの時に奇跡的に生き延びていたとしても、どうせ早々に人間の手の中に堕ちているはず。そっから眷属や隷属の契約を結んで意思や自由を奪い、永遠に手放すことはしないだろう…。


 そうじゃなかったとしても、そう簡単に人間の前にのこのこ出てくるような阿呆じゃないはず。


 いや、でもこの子の体質だからなぁ。無意識に引き寄せられた?


 いや、ん〜…、、、


 フィーゼは難しい顔をしながら頭を捻る。


 だが、今の仮定が正しいとするなら、全てに合点がいってしまうのも確かだ。


 何かしらの精霊がその耳飾りに宿り、これを通して、あの時シンシアの精神を操っていたとしたら、彼女がまるで別人のような言動をとったことも頷ける。


 俺の加護を手ずから使ったことだって———。


 フィーゼはそっとシンシアを見る。


「なぁ、お嬢は何か知って———」


「ぇ?な、なにが?!」


 突然話しかけられ、シンシアはしばたきながら再びビクッと肩を跳ね上げる。


 それを見てフィーゼも少し驚く。


 ———何か、警戒されてる?お嬢はなにか知ってるのか?…いや、違うか。まだ耳飾りコレを壊されるとでも思っているのだろう。


 シンシアの反応が10年前の、会ったばかりの頃の彼女にとてもよく似ていたから、どこか懐かしさがありつつも、少し複雑な思いも抱えていた。


 あの時は、なにか話しかけるたびにいちいちビックリされてたけど、10年経った今でもそれをされると、少し、くるものがあるな…。


 フィーゼは、心の中心にポタッと落とされた一滴の墨汁が、四方八方にじわりじわりと広がっていくような、そんな感覚を覚えていた。


 ———バカヤロウ、まだたった10年だろーが!!


 フィーゼはフルフルと頭を左右に振る。


 精霊にとって10年なんてほんの一瞬。


 …ハッ、上等じゃねーか。


 見てろ?根比べなら絶対負けねぇ。400年も封印されてたことだってあるこの俺様をナメんなよ?


 フィーゼは深く長い息を一つ吐くと、スッと顔を上げて目の前の少女を見据えた。


「なぁお嬢、一度あげといてこう言うのもアレだけど、その耳飾りの片っ端、俺にくれ」


「はぇ?」


 突然のことに声にならない声を漏らして、一瞬止まるシンシア。


「ダメ、か?」


「っ…、いや、私は別にいいけど、」


「けど?」


「フィーゼがつけるの?アクセサリーこれを?」


「…なんだよ、悪いか?」


 普段絶対そんなこと言い出さない彼を不思議そうに見やるシンシア。


 一体どんな風の吹き回しだろうか?急に美に目覚めた…わけではないだろうし。


 彼の真意が解せず首をかしげる彼女だったが、少し言いづらそうにポツリと一言零した。


「私は別にいいけど、耳飾りこの子が…、」


 シンシアは心配そうに耳飾りに目を落とす。


 ———どうしたことか。フィーゼを怖がっている?いや、壊されるのではないかと怯えているのだろうか?…けどこれだけはわかる。


 離れたくないと、言っている。


 シンシアには、耳飾りがフィーゼの手には渡りたくないと、必死に訴えかけてきていることが感覚的に伝わってくるのだった。


 なかなか次の言葉を言わないシンシアに痺れを切らしたフィーゼは、ため息混じりに言葉を吐く。


「…んだよ、耳飾りが嫌がってるとでも言いたいのか?」


「ん〜?えへへ…」


 彼に気を遣ってか、何とも煮え切らない答え方をしながら、シンシアは困ったように笑って、その後渋々頷いた。


「ったく、さっきから壊しはしないって言ってんだろ?俺の氷で作った代物だ。お嬢同様、俺が身に付けてる限り溶けてなくなることもない」


 腕組みをして少し面倒そうに答えるフィーゼ。シンシアはそれに一つ頷く。


「…フィーゼもこう言ってるし、大丈夫だよ。フィーゼはね、約束は絶対に破らないんだよ?私がダメって言うことは絶対にしない人なの。


 それに何かあったら “ 私が絶対あなたを護るから ” 。だから安心して?…ね?」


 シンシアは優しく耳飾りに語りかけている。


 そのどこか異様な光景を、フィーゼはただ何も言わずに見守っていた。


 ———よかった、今ココにいるのが俺だけで。


 一国の公女殿下が耳飾りと対話してるなんて、こんなんはたから見たら、仮にもあのシェイルなんかに見られたら、何言われるかわかったもんじゃない…。


 フィーゼは密かに辺りをキョロキョロと気にするのだった。


 それから話がついたのか、…はい、コレ、とシンシアは耳飾りの片方、ターコイズブルーの方をフィーゼに手渡した。


「いいのか?」


「うん、やっと納得してくれた」


 シンシアは頷きながら、渋々だけど、と付け加えると、


 渋々、ね…とフィーゼも苦笑いを浮かべるのだった。


「色は?俺がでいいのか?」


 あえて聞いてくる彼に、シンシアは、ぇ?と声を漏らす。


「この色は氷翠石の、クリミナードを象徴する色だろう?」


「…っ、だよ」


 フィーゼもこの国の人だって証。と、目の前のその子がそう言って微笑むものだから、思わず天邪鬼な自分が顔を覗かせる。


「べ、別に俺はこの国の出身でもなんでもな———」



「フィーゼは私の従者でしょう?」



「っ…、」


 問答無用に言葉を遮られて、さも当然と言ったように言い放たれたその一言は、フィーゼの耳に心地よく響いたのだった。


「それに、この国に住んでる時点で、この国と無関係だとは言わせないよ?」


 無駄に説得力のある言葉に、従者は半ば強制的に頷くしか他なかった。


「…っ、わかった。公女殿下の仰せとあらば」


 そう言ってフィーゼは右耳に、シンシアは左耳にそれぞれ耳飾りを付けるのだった。


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