作業工程2 悪徳清掃会社の最期
第7話 素直じゃないねえ…
川崎市多摩区・秋村梨園 早朝
ナマダ清掃襲撃から3日が経った。
その日は早朝から長十郎が日々の農作業に励んでいた。
浄はデブルス清掃とその手伝いだ。
郁実は週何日か駅前のスーパーにパートに出ている。
食堂と同じく、ささやかな金額ながらもこの家の貴重な現金収入のひとつなのだ。
「昔は色々果物作ってたんだがな、今は梨だけだ」
「そうなんだ」
「なんでか、梨はデブルスに強い。少しだけな」
「へえ…これはなんて作業?」
「摘果ってんだ。梨の木は葉っぱ30枚で1つの実を養えるだけの栄養を作る。
だから余分な実はこうして摘んで、残した実の育ちをよくする訳さ」
「この実は食えないの?」
「食えなくもないが、味がなぁ」
梨農家は一年中休み無しだ。天候に病害虫にデブルスに泣かされ、
無事に収穫を迎えた後は来年のための土づくりが待っている。
デブルス禍に苦しむ多摩区だけではない。
その周辺の市区でも梨園を畳む者が後を絶たないのだと言う。
デブルス駆除以外の作業も手伝いながら、つくづく大変な仕事だと浄は思った。
しかし気難しい長十郎も郁実も、梨作りの事となると生き生きと語り出すのだった。
「好きなんだね、この仕事が」
「別に?大変なわりに儲からねえしよ。休みもねえし
首も肩も腰も悪くするし、ロクな仕事じゃねえよ」
「素直じゃないねえ…」
「何言ってやが…ゴホゴホッ!」
マスクの下で長十郎は激しく咳き込んだ。
浄は慌てて駆け寄りその背中をさする。
「秋村さん、大丈夫?」
「すまねえな…寄る年波にゃ勝てねえや」
ふと見上げると、薄汚く濁った雲にわずかな青空が追い遣られようとしている。
午後はデブルス粉塵をたっぷり含んだ風が吹き、夜になれば嵐になる。
また翌朝はデブルス掃除のやり直しだ。
「…キリがないな」
「え?」
「臭い匂いは元から立たなきゃって言うだろ。デブルス隕石をどうにかしなくちゃ」
「…そりゃそうだけどよ」
「ナマダ清掃もあれでお終いとは行かないだろうしな」
涙ぐましい悪事を特務清掃員に蹴散らされたのがさすがに懲りたのか、
ここ数日の悪徳清掃会社は静かだった。悪だくみをしている証拠である。
「…浄さん、ちょっと来てくれ」
キリのいいところで作業の手を止め、長十郎が歩き出した。
肩越しに振り向く長十郎の眼には、強い光があった。
「孫の…翔吉の志を、あんたに継いでほしい」
***
長十郎に先導され、母屋の裏の離れへ向かった。
浄が寝泊まりしている小さな一戸建ての二階だ。
「秋村翔吉は俺の孫でな。郁実の従兄弟にあたる。…早くおっ
俺には息子が二人いてよ。それぞれ嫁を貰って生まれたのが翔吉と郁実だ」
「特務清掃員なんだよな、翔吉くんは」
「ああ。デブルス隕石の調査だって出掛けたまま…もう一年も前になる」
階段を上がると、つきあたりに長細い額縁が飾られた短い廊下。
長十郎は廊下真ん中に設えられたドアを開けた。
「この部屋から着工申出書を探し出して…どうかしたかね」
浄とマメ公の足が止まる。廊下つきあたりの長細い額縁の前だ。
黒々とした達筆で『清掃上等』と書かれている。
「この額縁…」
浄は左手首を額縁に近づける。
その手首には数珠に似たブレスレットが着けられている。
ほのかに発光するそれを近づけると今度は額縁が発光し
ガラス面に12桁の大小英数字の羅列が浮かんだ。
「なんだい、こりゃあ」
「『特スイ認証』…特スイってのは
簡単に言うと、特務清掃員同士に限られた情報共有の手段だよ」
「こういうのってあんたらの間では当たり前なのか?」
「…わりとね。こいつはパソコンのログインパスワードだろう。
60秒で更新されるタイプの」
「パソコンなら翔吉の部屋にあるぜ」
早速パスワードをパソコンのログイン画面に入力する。
開かれたデスクトップにはいくつかのデータがあった。
「…これは多摩区のデブルス汚染分布図。それと…」
「あった!こいつが着工申出書だ!!」
「こっちは作業計画表だな。清掃作業の設計図みたいなもんだ」
浄はいくつかデータを開き、その中身にざっと目を通した。
「他の資料もよく調べてある。デブルス汚染の大気・土壌への影響度まで…」
そしてその一頁を長十郎に指差して示す。
「デブルス核の場所にも目星がつけてある。優秀だな、翔吉くんは」
「こいつを壊せば、多摩区は今よりマシになるんだな?」
「ああ」
「翔吉…一人でこんなに頑張ってたのかよ」
「秋村さん。何とかなるかも知れないぜ…多摩区のデブルス禍は」
感慨にひたる長十郎に、浄は力強く言って聞かせた。
必要となりそうな資料のいくつかを借り受けることにして、
要となる着工申出書も含めてマメ公の記録媒体に保存した。
ふと机やパソコン周辺機器の上を見て浄は気付く。
床にも家具にも埃ひとつ積もっていない。
「きちんと掃除してるんだな。ホコリひとつない」
「郁実が毎日な…。何度言っても聞かねえんだ」
一年もの間帰らない翔吉を待ち続け、
いつ帰ってもいいように彼の部屋を整えているのか。
そんな郁実の姿を想像して、浄はそっと眼を伏せた。
「付き合ってたの?二人は」
「さあなぁ…まあガキの時分から仲はよかったよ。
それに親が死んでグレてた翔吉が立ち直ったのは郁実のおかげだ。
この多摩区で俺と郁実とで暮らすようになってから、
荒れてた翔吉のヤローが見る見る真面目になってよ…。
しまいにゃ特務清掃員なんて大それた仕事に就けた矢先、このザマさ」
「そっか…」
浄の目が机上の写真立てに留まる。
「この人が『ショーちん』?」
「ああ。こりゃあ…翔吉が清掃大学を卒業した時のだなぁ…
みんなスーツ着てるのに、翔吉だけこんなカッコでよ」
写真の中で笑っている青年。古式ゆかしいヤンキー装束に身を包んではいるが、
よく鍛えられた均整のとれた長身。そしてどこか甘さの残る顔立ちをしている。
その屈託のない笑顔には彼の素朴で善良な人柄が滲んでいた。
長十郎も、郁実も、翔吉も…写真の中の三人はみな微笑んでいた。
「なかなか男前だな。俺には負けるが」
浄が努めて明るく言うと、長十郎は小さく鼻をすすった。
「バカなガキだったが…いなくなったらなったで、変に家ん中が静かでよ。
…もっと清々するかと思ったのにな」
そうぶっきらぼうに言い捨てると、さっさと階下に降りて行った。
何故かと問うのは野暮だろう。
「素直じゃないねえ…」
浄は苦笑すると少しの間写真の中の三人を見つめ、PCの電源を落とした。
***
離れから出ると、パートから戻った郁実がいた。
「おかえり。ショーちんの部屋、見せてもらったよ」
「…おじいちゃんから言われたんでしょ?
ショーちんの仕事を継いでくれとかなんとか」
「ああ。その通り」
「口だけだよ。おじいちゃんだって、ショーちんが死んだなんて思ってない」
「そっか…」
ふて腐れたように言う郁実に、浄は相づちだけ返した。
下手な慰めなど、返って彼女を傷つけるだけだと分かっていた。
「じゃ、さっそく仕事してくるよ」
「浄さん…無茶しないでね」
「だいじょーぶ。これでもプロだから」
「ふざけないで!!」
郁実は正面から浄を見上げ、真剣な表情で言い募った。
「絶対危ないことしないで。無事に帰って来て…お願い」
真っ直ぐな視線に浄は小さく苦笑して、同じく真剣に返した。
「分かったよ…今日は下見するだけだし、危ない事なんか何もないさ。
大丈夫だから」
防塵装備を施したバイクに乗って去る、浄の後ろ姿を見送りながら郁実は思った。
翔吉と一度でもこういう会話をしていたら、未来は変わったのだろうか。
後悔ばかりの自分が嫌になり、郁実はうつむいて唇を噛んだ。
そんな郁実は、物陰に潜む何者かの存在に気づいてはいなかった…。
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