第8話 村での支度

 遺跡を出てからしばらく歩くと、谷底特有のひんやりとした空気とは違う、穏やかな風が肌をくすぐる。地面の草の匂いも、どこか懐かしい。先を歩くヴァルシアが立ち止まり、遠くを見つめているのが見えた。


「どうかしました?」


 僕が近づいて声をかけると、ヴァルシアは目を細めたまま小さく鼻を鳴らした。


「ふむ、風の流れに人の気配が混じっているな。どうやら、あちらに村があるらしい」

「そっか、早速行ってみましょう。まずは人里で装備や情報を整えたいですしね」


 ヴァルシアは「人里など久方ぶりだ」とつぶやいて、ゆっくりと歩を再開する。僕もそれに続いて足を動かした。ちょっとした傾斜を越えると、開けた視界の先に小さな村が見えてくる。村の背後には緩やかな丘陵が連なり、ぽつりぽつりと木造の家が散らばったように建っていた。


 近づくにつれて、人々ののどかな気配がはっきりと伝わってくる。道端で大根を売っているおばさんや、幼い子どもを連れた若い母親の姿が見える。どの顔にも笑みが宿っていて、ここが平和な地域だということが一目でわかった。ヴァルシアはまるで初めて見る光景に興奮する子どものように、きょろきょろと周囲を見回す。


「こうして人が争いもなく暮らしている様子を見るのは、我にとっては実に新鮮だな」

「昔は違ったんですか?」

「ふん、我が生まれた頃は人同士の戦乱も多かったからな。こうしたのどかな風景は、ほとんど見られなかった」


 ヴァルシアの声には、どこか懐かしさと切なさが混じっている気がした。僕はそんな彼女の横顔を見つつ、村人に向けて軽く手を挙げて挨拶をする。

 村人たちは警戒心というより好奇心の目を向けてきた。僕たちはいかにも旅人という風貌だし、ヴァルシアは赤い髪と凛々しい雰囲気で目立つから仕方ないのかもしれない。


「まずは服屋を探しましょうか。ヴァルシアさんの服も買わないと……その、今のままじゃ、ちょっと目立ちすぎますし」

「そこまで、目立つか?」

「うーん、できれば普通の服を着てたほうが村人も変な疑いを持たないし、町に行ったときも溶け込みやすいと思うんです」


 ヴァルシアは少し考え込むように首を傾げた。もともと人目など気にしない性格らしいが、僕が真剣な顔をしているのを見て、「ふん、分かった」とあっさり折れてくれた。


 そうして、僕たちは村の中心部らしき広場へ。そこにはいくつか店が並び、通りを歩く人々もちらほら見受けられる。服屋と雑貨屋が同じ建物で開いているのを発見し、僕は勇気を出して扉を押し開けた。


「いらっしゃい……って、あんたら、ずいぶん見慣れない客だね?」


 柔和な笑みを浮かべた店主が奥から顔を出す。僕は苦笑しながら適当な言い訳を考えつつ、「旅の途中で服が破れてしまいまして」と伝える。すると店主の視線はちらりとヴァルシアへ。


「娘さん、その派手な……ええと、鎧に見えるような装いは……」

「いや、別に鎧ではない。少し特殊な布地なのだ」


 ヴァルシアが堂々と答え、店主は何とも言えない表情で頷いた。僕は「彼女のほうが目立つので、買い替えたいんです」とフォローする。すると店主は「分かったよ、まあ見繕ってあげようかね」とあっさり案内を始めてくれた。


 店内はこぢんまりとしているが、実用的な服がそろっている。ヴァルシアがそれらを吟味する様子は、どこか好奇心に満ちているように見えた。僕も視線を巡らせながら、どの程度の予算があれば形になるかを頭の中で計算する。正直、僕はあまりお金を持っていない。


「……この服はどうだ? 動きやすそうではあるが」


 ヴァルシアが手に取ったのは、薄手のローブ風で足さばきが良さそうなデザイン。落ち着いた色合いで、腕や裾に多少の装飾があるが派手すぎない。たしかに今の格好よりはずっと目立たないだろう。


「いいんじゃないですか? それだと村の人にも不審がられなさそうですし」


「ふむ。そなたがそう言うなら、一度試着してみるか」


 そう言うが早いか、ヴァルシアはその場でひょいと布を抱えて、店の奥にある衝立の向こうへ移動した。僕は「あ、着替えスペースは……」と言いかけたものの、店主が苦笑して「うち、狭いからねぇ」とおおらかに笑う。仕方なく、僕は立ったままヴァルシアの姿が見えないよう視線をそらす。


 しかし、薄い衝立越しにヴァルシアのシルエットがうっすら浮かび、あまり恥じらいもなく肌を露わにしている気配が伝わってくる。僕は必死で目を閉じて「ああもう、心臓に悪い……」と心の中で叫ぶ。しばらくしてから衝立がガタリと揺れ、ヴァルシアが出てきた。


「どうだ、リオ?」

「え、えっと……似合ってますよ。すごく動きやすそうですし」


 赤い髪とのコントラストも相まって、落ち着いた雰囲気が逆に彼女の存在感を引き立てているように思えた。ヴァルシア自身は鏡の前で腕を曲げたり伸ばしたりして、「うむ、悪くない」と満足げ。店主も「なかなかいいチョイスだね」と褒めている。


 問題はお金。支払いを計算したところ、何とかギリギリでやっていけそうだった。僕も自分用に軽めのブーツと腰当てを購入する。防具とまではいかなくても、歩き続けるには必要だ。会計を済ませたら、財布の中はスカスカ。これは今後、ちょっと危ういかもしれない。


「ありがとうよ、また旅の途中で寄ってくれな。オマケしてやるからさ」


 店主の温かい言葉に礼を言いつつ、僕とヴァルシアは店を後にした。外に出ると、彼女は「ふん、意外と気分が変わるものだな」と微笑み、ローブの裾を軽くはためかせる。恥じらいが皆無なわりに、自分が新しい服を着ていることに多少のうれしさを感じているようだ。


「次は宿屋を見つけないと。夜までにはちゃんと休みたいですしね」

「我はどこでも眠れるが、そなたが疲れておるならば、そうするがいい」


 お昼を過ぎたころ、僕たちは村はずれにある宿屋へ向かった。扉を開けると、ちょうど宿の主人がカウンターで帳簿をつけていた。


「いらっしゃい。泊まりかい? 一晩1ゴールドになるが、部屋は狭いぞ」


 宿屋主人は親しみやすい笑顔を浮かべつつも、僕の顔とヴァルシアの姿を見比べて首を傾げた。


「二人か? えっと……一つの部屋でいいのか?」


 僕は少し気まずそうに言い訳する。


「実はあまりお金がなくて……一部屋で構いません。狭くてもいいです」


 主人は苦笑いしながら、「まぁいいさ、ちょうど二階に空きがあるから使うといい。荷物は重いのかい?」と声をかけてくれた。

 僕はありがたくお礼を言いつつ、尋ねる。


「あと、ちょっと情報収集したいんですけど、この辺りに遺跡に詳しい人っていますか?」

「遺跡かい? ここには特に詳しい者はいないなぁ。けど大陸中央のアルフランドって街なら、冒険者ギルドや大きな書庫もあるし、情報が集まるって話さ」


 なるほど、やはり大都市を目指すしかなさそうだ。

 宿屋主人は「今夜はゆっくり休むといい。怪我や疲れもあるだろう?」と心配してくれる。


 部屋に案内されると、そこは畳二枚ほどの広さしかない狭い空間だった。壁に小さな窓が一つだけあり、日差しが少しだけ差し込んでいる。床には古い絨毯が敷かれ、布団が二組並べられていたが、正直ギリギリすぎる距離感だ。


「狭いな……。だが、まぁ問題ないだろう」


 ヴァルシアはあっさりと言い放つ。僕はその堂々とした姿に、少なからず戸惑う。彼女には男女が一部屋で過ごすという恥じらい概念があまりないようで、僕だけが勝手にドキドキしているのが馬鹿みたいだ。


「え、えっと……本当に大丈夫なんですか? 気にしないんですか、こういうの?」

「何を気にする必要がある。狭いのは慣れたものだし、そなたとなら別に不便でもあるまい」


 さらりと言われて、僕は内心赤面しつつ「いや、そういう問題でもないんだけど……」と声を飲み込む。ヴァルシアはさして興味もなさそうに肩をすくめ、布団の端に腰掛けた。


「それより、明日からどう動くかだな。アルフランドという都市へ向かうには、そこそこ距離があるのではないか?」

「そうですね。僕も正確な道は知らないけど、地図を手に入れたり、行商人の情報を聞き出したりすれば行けると思います」

「ふん。ならば早々にここを出発しよう。わざわざこの村でぐずぐずしている暇はないしな」

「いえいえ、せめて今夜はちゃんと休んでください。僕だって、さすがに疲れが……」


 ヴァルシアは「分かった分かった」と苦笑いしながら布団に仰向けになった。その拍子に、ローブの裾が少しめくれて眩しい肌が見えかけ、僕は慌てて視線をそらす。


「……リオ、そなた妙に落ち着かぬな?」

「だ、だって……! 普通はこう、恥じらいとか、いろいろあるんですよ……」

「我にはあまり縁のないものだ。それに、そなたは悪い奴ではないだろう?」


 なんという信頼感。僕は「そりゃ、そうかもしれないですけど」と呟きつつ、心臓の高鳴りを必死に鎮めようとする。彼女が僕をまったくの異性として意識していないのか、それとも単に図太いのか分からないが、どちらにせよ自然体すぎて困る。


 夜が更ける頃、僕も布団を敷いて横になった。正面を向くとヴァルシアが目に入るので、あえて背を向けるようにしてみる。それでも意識してしまう自分が恥ずかしくて仕方ない。彼女はそんな僕の様子を面白そうに見やり、「そなた、肩がまだ痛むのか?」と小声で尋ねてくる。


「え? あ、えっと……はい、まあ少し」

「明日にはもう少し良くなっておれよ。そなたが倒れられると困るからな」


 言葉自体は厳しめだけど、どこか気遣いが混じっているようにも感じる。僕は「ありがとう」とだけ返して、やがて瞼が重くなるまま眠りに落ちた。



 ※※※



 翌朝、すっきりと目覚めると、ヴァルシアはもう身支度を整えていた。赤い髪を軽く結い、昨日買ったローブを身にまとった姿は、どこか凛々しくも清潔感があって、僕の眠気を一気に吹き飛ばす。


「ふん、そなた、まだ寝ておったか?」

「すみません、ちょっと疲れが残ってて……でも、もう大丈夫です」


 宿屋の主人に別れの挨拶を済ませると、「気をつけて行きなよ。変な連中に絡まれちゃいけないからね」と温かい言葉をかけられる。僕は笑顔でお礼を言い、二人そろって村を後にする。


「よし、じゃあ行きましょう、ヴァルシアさん。アルフランドまでは遠いけど、きっと何とかなるはずです」

「ふん、そなたの案内に期待しておるぞ。無駄に寄り道しすぎるなよ?」

「そ、そんなに寄り道はしませんって。とにかく、情報や地図をしっかり集めて進みましょう」


 村の門を抜けると、広がる野道がこれからの旅の始まりを象徴しているように見えた。ヴァルシアは肩を軽く回しながら、一度だけ振り返る。村の穏やかな気配に何か思うところがあるのか、ほんのわずかに微笑みを浮かべているのが分かった。


 こうして、僕とヴァルシアの新たな一歩が始まる。村の穏やかな風を背に受けながら、僕たちは足を踏み出していくのだった。

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