第五話 頼りないね
目を覚ますと、俺は見慣れないベッドの上にいた。
窓から差す夕日で、純白の毛布とカーテンは橙色に染まっている。何やらお腹に重みを感じて、そこに目をやるとクレアさんが眠っていた。
まるで婚約者がいるとは思えない無防備さで、可愛らしい寝息を立てている。できれば、このまま彼女の体温を感じていたい。
そんな思考に水を差すように、聞き慣れた声が、俺を呼びかけた。
「おはよう、よく眠れたかな。クレイド」
そう言って首を傾げるのはグランドマスター。
彼の問いにより、俺はようやく今の状況を思い出した。そのとき、ようやく彼の問いがどれだけ嫌味なものか、気づいた。
「……不甲斐ないですね、あの後どうなりました?」
「本当だよ、全くなんのための用心棒だってね。あの後、ギールは逃亡、例の受付嬢、ああと、何ちゃんだっけ、あの娘は今自警団が保護している。あと、国が大々的にギールを指名手配したよ」
彼は呆れたように、わざとらしい仕草をする。うざい。だが、確かにこれが契約違反なのは事実。
俺はギルドに入る際、彼と二つの契約を交わした。そのうちの一つが、ギルドの用心棒であること。本来、俺に敗北は許されないのだ。
それが、あんなチンピラに負けるなんて。大敗だ。ジゲートも2回使わされた上での敗北なのだから。
「……ほんと、鈍ったじゃ許されないな……」
「ふふ、どうした。君らしくないじゃないか」
「いや、少しショックみたいです」
どうやら俺は、思う以上に弱くなっているし、落ち込んでいるらしい。
そんな俺を見かねたのか、グランドマスターは今度は少し優しい声で問いかけた。
「今回は、万全じゃなかったろう?」
「とはいえ、ですよ。冒険者時代なら、こんなことにはならなかったはずだ」
そこまで言った後、少しの静寂が訪れた。それはきっと、グランドマスターも同じこと、また似たようなことを思ったからだ。
「そう言えば」と俺が言いかけた時、それよりも先に、グランドマスターが言った。俺のお腹に上身を乗せて、寝苦しそうにしているクレアさんに目線を落として。
「クレアも心配していたよ」
「みたいですね……。そう言えば、クレアさんの名前覚えたんですね。あなたは興味のない人の名前は覚えられないと言っていたのに」
「君と関わっているとね、いやでも覚えるよ」
すると、クレアさんがモゾモゾと動き、ようやく起きた。
寝ぼけ眼で、こちらをぼうっと見ている。
「クレイド……くん?」
「おはよう、クレアさん」
「ふぁ、おはよ」
そう言ってクレアさんは大きく伸びをした。
そんなクレアさんに対し、グランドマスターは意地悪な顔で問いかけた。
「クレア君。ただのチンピラに負けた元Cランクを見てどう思う?」
「本当に、何やってるの?昔のクレイド君を知っている身として、がっかりしました」
「う、申し訳ない」
クレアさんにそう言われるのは、少し堪える。少なくともグランドマスターにとやかく言われるよりも、何倍も辛い。
他の職員を守るために俺がいるのに、その俺がまさかボロ負け、入院までさせられるなんて。こんなの、他の職員に見られたら示しがつかない。
「このこと、他の職員は知ってますか」
そう聞くと、グランドマスターの代わりに、クレアさんが答えた。
「いや、誰も知らないよ。一応、アリシアちゃんには「クレイドさんは治療した」とだけ伝えたけど、グランドマスターの意向で今のクレイド君の状態は私たち以外には伝えてない」
「一応、僕としてはクレア君にも秘密にする予定だったんだけどね。全く、どこから情報を得たのか、無理やり押しかけられてしまってね」
「そう、ですか」
それなら一応は安心だ。だが、アリシアさんはきっと不安だろう。まだ初日だというのに、こんな目に遭ってしまってはもう復帰は難しいだろうか。
個人的には、それはそれで構わないと思う。ミーニャやクレアさんも同じ意見だろう。グランドマスターはおそらくどうでもいい。一応アリシアさんを雇った人事のやつが文句を言うかもしれないが、そこはどうとでもなる。
問題は、アリシアさんのメンタルだ。最近冒険者を辞め、ギルドもすぐに辞める羽目になり、すぐに次の仕事と行けるだろうか。
きっと、難しいはずだ。
「ねえ、知ってる?」
クレアさんがふと話し出した。
「ボロボロになってたあなたに、傷の悪化を防ぐ神聖術がかけられていた。多分、アリシアちゃんじゃないかな」
「……そうか」
あんなに混乱していたくせに、結局治癒術を成功させたのか。
アリシアさんは、俺が思うよりも強いのかもしれない。
続けて、クレアさんが悪戯に笑ってこう言った。
「それに比べて、クレイド先輩は頼りないね」
なんだか、冒険者時代に戻った気分だ。きっとクレアさんが気を利かせて、わざとあの頃のような会話をしているんだろう。
「あはは、確かに。じゃあ、すぐに挽回しないとな」
そういうと、すかさず、グランドマスターが口を挟んだ。
「もう体調は大丈夫なのかい?」
「はい、今なら龍も殺せますよ」
「ふふふ、それは困る。僕との契約の意味がなくなってしまうよ。だが、そこまで言えるなら安心だ」
そう言って、グランドマスターは黒い革ケースをこちらへ投げた。
クレアさんに当たらないように、少し前に出て受け取った。
「そこに、君の武器が入ってる」
「おお」
中には、人口宝具ジゲートと俺の冒険者時代使っていたアイテムたちが入っていた。どこに行ったのかと思えば、グランドマスターが持っていたのか。
俺が中を確認したのを見て、グランドマスターが再び問いかけてきた。
「そういえば、なぜ君があの程度の男に負けたんだ?今回の相手、そこまで強いとは思えないけど」
「ギルドに残っている情報とは、魔力も身体能力も、見た目も大きく変わっていました。おそらくは、いまだ違法な強化剤を摂取し続けています」
「詳しく、戦闘中の様子を話してくれないか」
グランドマスターは穏やかな顔のまま、しかし、これまでにない真剣な目で俺の話に耳を傾けた。
そこで、ギールの異常な身体能力、筋肉の肥大化、皮膚の色の変化、魔力の大幅な増加と最後に見た再生能力、再生後の身体能力の上昇などについて話した。
それを黙って聞いていたクレアさんは、思わず、と言うふうに声を荒げた。
「は、はあ、意味がわからない。いつの間にそんなに効力の高い薬物が……それもクレイド君に勝てるレベルなんて、あり得ない」
クレアさんの言葉には、俺も大いに共感できる。あの状態は、『鬼人化薬』や『狂戦士化魔法』、もしくは魔力を一時的だが爆発的に上昇させる『愚者の雫』に似ている。また似たような違法薬物がないことはない。
だが、どれもあれほどの魔力、身体能力上昇は得られない。
しばらく黙っていたグランドマスター、オルセインが口を開く。
「……それは、おそらく『魔人化』の兆候だ」
魔人化、と言う言葉は聞き慣れないが、魔人、と言うのはあまりにも有名だ。
今、この世界は月光暦496年。しかし、その前には太陽暦と呼ばれる時代があった。その時代には魔王と呼ばれる恐怖の象徴がおり、人間は魔王率いる魔物たちに支配されていたのだ。
魔人とは、人間でありながら魔物の力を得た、人類の裏切り者。人間以上の知恵と魔物と同等の魔力、身体能力、理不尽な能力を持つ人類の敵。
彼らは魔王が勇者に倒されて以降、滅多に姿を現さなくなったらしい。俺からすれば、御伽話の中の存在だ。
だが、500年以上の時を生きるエルフには違う。
グランドマスター、オルセインは普段の朗らかさのかけらもない、険しい顔でつぶやいた。
「まさか、人の手で魔王の力が再現される日が来るとは……クレイド君、ちょっとだけ、気をつけたほうがいいかもね。流石に、まだ安定はしていないだろうが、それでも相手は神話の存在に近づき始めている」
「……何か、弱点とかありますか」
「さあ、直接見ないと、なんとも言えない。でも、君が聞いた限りなら、魔法による攻撃はかなり有効だと思うよ」
グランドマスターはそう言って、いつもの表情に戻った。
ふとクレアさんを見ると、とても不安そうな表情で、こちらを見つめている。
本当に、この人をまた心配させてしまうなんて、俺も罪な男だ。
「……じゃあ、行ってきますかね」
クレアさんが、弱々しい声で引き留めた。
「大丈夫なの?」
「絶対とは言えないけど、多分勝てる」
「……ボロ負けのくせに」
「だからこそ、次は勝てる。俺が二度目の依頼で失敗したことあったか?」
「結構知ってるけど?」
「記憶違いだろ」
軽口を言い合っていると、クレアさんの表情も柔らかくなっていった。
やっぱり、クレアさんはこうじゃなきゃな。俺も落ち着かない。
「じゃ、早く帰れよ。
「うるさいなー」
そう言って、クレアさんは軽く笑った。ようやく、完全に不安は解けたようだ。
俺の弱い頃を知ってるからこそだろうが、彼女は俺の元Cランクの力を低く見積もっている気がする。
「じゃあ、また明日」
「また明日」
いつものように、別れの挨拶をした。
のけものだったグランドマスターは、いつもの表情で、改めて問いかける。
「次は勝てそう?」
「勝てますよ、俺が見つけるまでに、捕まってなければね」
「ふふ、それはあり得ないな。君が本気を出せば、いくら王国でも、君より先に目標を捉えることなんてできない」
こっちは俺のことを高く見積もりすぎだ。
まあ、でも、これまでも身の丈に合わないことは散々やってきた。今回も、なんだかんだ、なんとかなるだろう。
「グランドマスター、アリシアさんは今どこに?」
「例の受付嬢のことなら、中央の自警団待機所にいるはずだよ」
「ありがとうございます」
「連れてくのかい?ちょっと危険じゃあないかい」
そう心配するグランドマスターの顔には、一切、心配するような気配はなく、むしろワクワクするような挑発的な笑みが浮かんでいた。
それに対し、俺は反射的に、冒険者時代に山ほど感じた、不思議な高揚感が湧いてきた。自然と、口角が上がり、気だるさも吹き飛んでしまう。
この挑発的な問いに、俺は自信を持って答えた。
「それくらいしないと、名誉挽回にはなりませんから」
グランドマスターは、満足げに頷いた。
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