第18章:最後の対決

『警告! 炉心融解まで、残り30秒! 全職員は直ちに退避せよ!』 タルタロスの心臓部、エネルギーコア制御室に、無機質な合成音声による絶望的なカウントダウンが鳴り響く。臨界点を示す赤色へと染まったコアは、不気味な振動と灼熱の熱波を発し、周囲の壁や床が音を立てて崩落を始めている。ノックスが起動した自爆シークエンスは、もはや誰にも止められないかに思われた。 「くそっ! ここまでかよ…! 脱出口も完全に埋まっちまった!」 ルナは、迫りくる爆発と崩壊の中、瓦礫に埋もれた通路を睨みつけ、悪態をついた。ゼノの部隊員たちも、なす術なく顔面蒼白になっている。 中央制御室でも、モニター越しにその絶望的な状況を目の当たりにしたアリアたちが息を呑んでいた。デバイスにも、タルタロスのエネルギーコアが臨界に達しつつあることを示すアラートが激しく点滅している。 「そんな…! タルタロスが爆発したら…ドーム全体が…!」 「間に合わないのか…! ノックスめ、最後の最後まで…!」ゼノも悔しさに顔を歪める。 スカイ長官のドーム全体への演説も中断され、真実を知りかけたドーム内は、再び絶望的なパニックと恐怖に包まれ始めていた。

『…残り10秒…9…8…』 カウントダウンがついに残り10秒を切った。誰もが最期の瞬間を覚悟し、固く目を閉じた、その時だった。 制御室の中心、暴走し赤黒く染まっていたはずのタルタロスのエネルギーコアが、突如として、内側から眩いばかりの、どこまでも純粋な青白い光を放ち始めたのだ。 それは、レインがノックスの攻撃を受け止めた時に放った光と同じ、しかし比較にならないほど強く、巨大で、そして穏やかな、生命そのものの輝き。コア本来の輝きを取り戻したかのようだった。 その青白い光は、まるで意志を持っているかのように、コア内部の暴走エネルギーを優しく鎮め、自爆シークエンスのカウントダウンを強制的に停止させた。けたたましい警告音は止み、コアの不気味な振動も収まっていく。さらに、その清浄な光の波動は、タルタロスの施設全体、そしてドームの基幹ネットワークを通じて、アークの隅々へと瞬時に広がっていった。破壊されかけていたシステムが奇跡のように自己修復を始め、不安定だったエネルギー供給や空気制御システムが急速に安定を取り戻していく。 中央制御室では、アリアのデバイスが、再びあの未知の信号を、しかし今度は比較にならないほど強く、クリアに受信した。それは、もはや単なる信号や囁きではない。明確な意志と、温かな感情を伴った、呼びかけだった。アリアの脳裏に、直接響いてくる。 (アリア…ルナ…聞こえるか…? 俺だ…レインだ! 大丈夫だ、俺が止める!) 「レイン…!? 本当に、あなたなの!? 生きて…!」 アリアは、涙ながらにホログラムスクリーンに映し出された安定を示す青白い光の波形に向かって呼びかけた。その波動は、間違いなくレインのものだった。温かく、力強く、そしてどこまでも優しい。 (ああ…俺は、コアと一つになった。肉体は失ったのかもしれない。でも、まだここにいる…君たちのそばに…見守っている) タルタロスにいたルナもまた、全身を包む温かく力強い光の波動に、レインの存在を確かに感じ取っていた。制御室を満たしていた赤黒い光と熱波は消え、穏やかな青白い光と清浄な空気が満ちている。コアは完全に安定を取り戻していた。 「…あの馬鹿…! 本当に、とんでもねえことしやがって…! 生きてやがったのか…!」 彼女の目にも、安堵と、驚きと、そして少し呆れたような涙が浮かんでいた。死んだと思っていた弟分が、こんな形で、ドーム全体を救ったのだ。 レインは、コアと融合し、肉体という制約を超えた、新たな存在へと変容していたのだ。彼は、コアの持つ膨大なエネルギーと情報を、自らの意志で制御し、ドーム全体のシステムに干渉する能力を得ていた。

だが、戦いはまだ終わっていなかった。物理的な危機は去ったが、もう一つの戦いが始まっていた。 レインの意識がコアと融合したその瞬間から、彼はコア内部の広大な精神世界、あるいは情報空間とも呼べる場所で、別の存在と対峙していた。 そこには、ノックスの歪んだ意識、その狂気と執念の残滓が、まるで黒い影のように存在し、コアの制御権を奪い取り、再び破壊を引き起こそうとしていた。肉体は滅びかけていても、彼の破壊への意志は、コアのエネルギーと結びつくことで、より純粋な負のエネルギーとして増幅されていた。 『なぜ邪魔をする、レイン! なぜ私の理想を否定する! 君も、この腐った世界の犠牲者だったはずだ! 我々が手を取り合えば、真の楽園を創り出せるのだぞ!』 ノックスの憎悪と絶望に満ちた声が、レインの意識に直接響く。周囲には、彼が経験したであろう過去の裏切り、仲間の死、体制への憎しみ、そしてエリスへの歪んだ執着が、おぞましい幻影となって渦巻いている。 『お前の理想は歪んでいる! 破壊からは何も生まれない! その力は、支配と破滅しか生まない!』 レインの意識もまた、コアと一体化した青白い光の奔流となってノックスの闇と対峙する。彼は、力でノックスをねじ伏せようとはしなかった。それでは、ノックスと同じになってしまう。 彼は、コアを通じて流れ込んできた、生命の、そして宇宙の記憶、その調和と再生の力をもって、ノックスの心の奥底にあるはずの、かつての純粋な理想、そして深い悲しみに語りかけた。 『ノックス…あんたが本当に望んでいたのは、破壊じゃないはずだ。緑豊かな地球を取り戻し、誰もが自由に呼吸できる世界を作ることじゃなかったのか? あんたの親友、エリスが願っていたように…』 レインの言葉は、ノックスの意識の最も深い部分に突き刺さった。彼の狂気の奥底に封印されていた、かつての理想と、親友エリスとの記憶。そして、彼女を守れなかったことへの後悔と罪悪感。 『黙れ! 黙れ黙れ黙れ! 私に理想を語るな! エリスの名を口にするな! あの女も、私を裏切ったのだ! だから…だから私は…この歪んだ世界ごと、全てを…!』 ノックスの闇が、最後の抵抗を見せるかのように激しく荒れ狂う。だが、その激しさの中に、彼の魂の慟哭が聞こえるようだった。孤独、絶望、そして愛への渇望。 レインは、コアの力…生命そのものの持つ、浄化と慈愛の力を最大限に引き出し、その青白い光でノックスの闇を包み込んだ。それは、断罪ではなく、解放。罰ではなく、赦し。憎しみではなく、理解。 『もう、いいんだ、ノックス…。もう、苦しまなくていい。あんたの戦いは、もう終わったんだ…安らかに…』

レインの放つ、どこまでも温かく、そして力強い青白い光に包まれ、ノックスの歪んだ意識の闇は、ゆっくりと、しかし確実に、霧散していくようだった。彼の最後の表情は、苦悶ではなく、どこか驚きと、そして長い苦しみから解放されたかのような、安らかなものに見えた。「エリス…」最後に、そう呟いたような気がした。 物理世界でも、変化は完了していた。 タルタロスのエネルギーコアは、禍々しい赤黒い光を完全に失い、穏やかで安定した青白い輝きを取り戻していた。自爆シーケンスは完全に解除され、施設の崩壊も停止した。 中央制御室では、ノックス派によるハッキングや妨害は完全に沈黙し、アリアとゼノがシステムの制御権を完全に掌握していた。空気制御システムも正常化し、下層で発生していた有毒ガスは浄化され、人々は最悪の危機を脱した。 タルタロスの制御室で、ルナとゼノの部隊は、コアの安定を確認し、安堵の息をついた。床に座り込み、ようやく張り詰めていた緊張を解く。 「…終わった…のか?」部隊員の一人が呟く。 「ああ…終わったようだ。彼の…レイン君のおかげでな」ゼノは、穏やかに輝くコアを見上げ、静かに言った。その声には、畏敬の念が込められていた。 ドーム全体に、スカイ長官の演説が再び流れ始めていた。彼は、自らの過ちとドーム体制の欺瞞を率直に認め、謝罪すると共に、外の世界の真実と、これからドームが進むべき新たな道…困難ではあるが、希望に満ちた未来への道を、力強く語り始めていた。その言葉は、混乱の中にいたドーム市民たちの心に、少しずつだが、確かに届き始めていた。 全てが終わったかに見えた。 だが、アリアは、中央制御室のコンソールに表示されるコアの安定したデータと、空間を満たす温かい波動を見つめ、一抹の寂しさを感じていた。コアは安定を取り戻したが、レインからの明確な「声」は、もう聞こえなくなっていた。ただ、温かく、穏やかな光の波動だけが、コアから、そしてドーム全体へと静かに流れ続けている。まるで、彼が世界そのものに溶け込んでしまったかのように。 (レイン…あなたは…もう、遠くへ行ってしまったの…?) 彼女の目からは、再び涙が溢れ出した。喜びと、安堵と、そして言いようのない寂しさが入り混じった涙だった。彼はドームを救ってくれた。けれど、もう以前の彼ではない。 レインは、物理的な檻であるドームを崩壊から救った。そして、ノックスという狂気に囚われた魂を、精神的な檻から解放した。彼は、まさに「檻の破壊者」となったのだ。 だが、その代償として、彼自身は、もはや以前のような「人間」としての形を失い、コアと、そしてこの世界そのものと融合した、より大きな存在へと変容してしまったのかもしれない。

危機は去った。だが、ドームに残された傷跡は深く、変革への道は始まったばかりだった。 スカイ長官の告白と改革への意志表明は、ドーム社会に大きな衝撃と動揺を与えたが、同時に、多くの人々にとって、長年の閉塞感を打ち破る希望の光ともなった。旧体制派の抵抗は依然として続くだろうし、外の世界への不安や恐怖も根強い。解決すべき課題は山積みだ。 それでも、人々は少しずつ前を向き始めていた。 真実を知った上で、自分たちの未来をどう選択していくのか。ドームに留まるのか、外の世界へ出るのか。コアの力をどう利用し、どう共存していくのか。それは、彼ら自身がこれから考え、決断していかなければならない、重く、しかし希望に満ちた問いかけだった。 中央制御室で、アリアは、コアから流れ続ける穏やかな光の波動を感じながら、静かに決意を新たにしていた。 (レイン…あなたが守ってくれたこの世界で、私たちは、必ず新しい未来を創ってみせる。あなたが見守ってくれていると信じて…) タルタロスでは、ルナが、安定を取り戻したコアを見上げ、不器用な笑顔を浮かべていた。 (…ったく、最後まで世話の焼ける弟分だぜ。だが、まあ…悪くねえ結末だったのかもしれねえな。お前らしいぜ、レイン。達者でな) ゼノもまた、制御室の片隅で、亡き妻エリスの写真に静かに語りかけていた。 (エリス…見たかい? 若者たちが、未来への扉を開いたよ。多くの犠牲の上に…だが、確かに、新しい息吹が始まろうとしている…) ドームの、そして世界の未来が、どのような色をしていて、どのような呼吸をしているのか。それはまだ、誰にも分からない。 確かなことは、人々が自らの意志で、閉ざされた檻の扉を開き、新たな一歩を踏み出したということだけだった。 レインという存在が灯した青白い光は、絶望の淵にあった世界に、確かに、新しい息吹をもたらそうとしていたのだ。

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