第6章:潜入作戦
ドームの人工月が鉛色の雲間から地上を照らす深夜。ディープゾーン特有の淀んだ静寂。時計の針が、定められた時刻へと近づいていく。 レインは隠れ家で最後の装備チェックを終えた。黒い特殊繊維の作業着。小型酸素ボンベ数本、レーション、ロックピックツール、センサー類、そして腰のブラスター。深呼吸を一つ。胸の中心が、予感に満ちて微かに熱い。 上層の邸宅では、アリアがステルス機能付きの服に着替え、バックパックにデバイスを詰めていた。窓から見える中層の薄暗い光を見つめ、指輪型の通信機にそっと触れる。(レイン…待っていて…必ず行くわ) 「ラストブレス」の裏部屋では、ルナが壁の構造図と監視配置図を鋭い目つきで最終確認していた。傍らには二丁のブラスターとサバイバルツール。(あのクソッタレども…ノックス…そして実験に関わった連中…。必ず、あいつらを連れて帰る…!)彼女の勘が、この任務が過去との決着をも意味することを告げていた。 それぞれの場所で、三つの魂が動き出す準備を整えていた。
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中層、第7廃墟エリア。打ち捨てられたビル群が墓標のようにそびえる。風が吹き抜け、錆びた金属がきしむ。 指定された廃ビルの最奥部、崩れた壁の陰で、レインとルナは息を潜めて待っていた。時間ぴったりに、瓦礫を踏む微かな音と共に、フード姿のアリアが現れた。 「ごめんなさい、遅れましたわ!」フードを取り、息を切らせながら言う。瞳には揺るぎない決意の光。 「無事ならいい。こっちも準備OKだ」レインが短く応える。彼女が現れた瞬間、周囲の空気がわずかに変わったのを、彼は感じていた。 「ようし、お嬢様。覚悟は決まってるみてえだな」ルナがニヤリと笑う。「ま、何かあったら、このあたしが守ってやる」 「ええ、頼りにしていますわ、ルナさん」アリアも緊張の中、わずかに微笑んで応えた。「レインさんも、よろしくお願いします」 「ああ」レインも頷く。短いやり取りに、確かに仲間としての信頼感が芽生え始めていた。 「よし、作戦開始だ!」ルナが低い声で号令をかける。「時間との勝負だ。管理庁もノックスの犬どもも、いつ嗅ぎつけてくるか分からん。気を引き締めろ!」 三人は頷き合い、ルナを先頭に、廃墟の地下へと続く隠し通路へと足を踏み入れた。古いメンテナンス用通路。濃密な埃とカビの匂い。壁からは絶えず水が滴る。ライトスティックの光だけが道しるべだ。 ルナの持つ構造図と、アリアがリアルタイムで解析する最新の警備データを頼りに、迷路のような地下通路を進む。旧式の赤外線センサー、圧力感知プレート、動体監視カメラ。様々な時代の監視システムが網のように張り巡らされている。だが、アリアが特定した死角やタイムラグを突き、レインがツールでセンサーを無力化し、ルナが持ち前の勘でトラップゾーンを回避していく。レインは、空気の流れや壁の振動から、隠されたセンサーの位置を感じ取ることさえあった。三人の異なる能力が見事に噛み合い、機能していた。 「…それにしても、アリア嬢。あんた、見かけによらず、やるじゃねえか」暗闇の中、センサーを解除しながら、ルナが感心したように言った。 「…少し、父の書斎で本を…あとは独学で…足手まといになっていなければ良いのですが…」アリアは少し照れたように答える。 「とんでもない。あんたがいなきゃ、とっくに警報鳴らされてるぜ。頼むぜ、天才ハッカーさん」 「は、はい!」アリアは少し嬉しそうに頷いた。 「…お前こそ、その勘はどうなってるんだ? 未来でも見えてるみたいだ」レインが、ルナの危機回避能力に改めて驚きながら尋ねた。 「へっ、あたしを誰だと思ってんだい? このディープゾーンで生き延びるには、これくらいの勘は必須なんだよ。ま、レイン、お前のその壁走りみてえな身のこなしも、大概人間じゃねえけどな」 「…生きるために、必要だっただけだ」レインは短く答えた。 張り詰めた空気の中での短い、互いを認め合うような会話が、三人の間の距離を確実に縮めていく。
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数時間後、彼らは目的地の分岐点、中央排水路へと繋がるエリアに到達した。だが、そこには予想外の障害が待ち受けていた。 目的の通路へと続くはずの分厚い隔壁が、物理的にも電子的にも完全にロックダウンされていたのだ。制御パネルは焼き切られ、物理ロックも溶接されたようにびくともしない。明らかに、侵入を予測した罠だ。 「くそっ! ここまで来て、行き止まりかよ!」ルナが悪態をつく。 「…ノックスですわ、おそらく!」アリアが険しい表情で、破壊された制御パネルの残骸を分析しながら言った。「この破壊に使われたエネルギーパターン…特徴的な高周波ノイズ…先日、レインさんが遭遇したものと酷似しています! それに、この区画全体の監視システムが異常にアクティブになっている…罠よ、レイン!」 アリアが警告を発した、まさにその瞬間だった。 通路の前後、そして天井のダクトからも、複数の重く、金属的な駆動音が急速に近づいてくる。暗闇の奥から、赤い単眼レンズの光がいくつも現れた。管理庁の最新型戦闘ドローンだ。だが、その動きは通常の警備プログラムではない。より攻撃的で、連携が取れており、明確な殺意を持って彼らを包囲しようとしている。 「来たか! アリア、隠れろ!」レインが叫び、アリアを瓦礫の影へ押しやる。 「ルナ! やるぞ!」 「言われなくても!」 レインとルナは背中合わせになり、迫りくる戦闘ドローンと対峙した。ルナは二丁のブラスターを構え、先制攻撃を仕掛ける。レインは腰のブラスターを抜き放つと同時に、『完全肺』の能力を静かに解放した。胸が熱を帯び、周囲の空気の流れが、敵の位置、動き、攻撃の軌道を、彼の感覚へと流れ込ませる。 戦闘ドローンは人間離れした速度と正確さでレーザーを発射し、回避の難しい小型ミサイルまで撃ち込んできた。通路の壁が砕け散り、爆風と粉塵が視界を遮る。けたたましい金属音と爆発音が狭い空間に反響する。 「こいつら、本気で殺しに来てるぞ! しかも動きが読めねえ!」ルナが叫びながら、ドローンの装甲をブラスターで撃ち抜くが、敵は怯まない。 「ああ! まるで操られているみたいだ!」レインも応戦しながら叫ぶ。(ノックスか!? ドローンまで掌握しているのか!?) レインは空気の流れを読み、敵の動きを予測しながら、最小限の動きでレーザーを躱し、時には空気の密度を瞬間的に高めて弾道を逸らす。そして、隙を見てブラスターでドローンの弱点であるセンサー部分を正確に撃ち抜いていく。彼の動きは人間のそれを超えていたが、同時に体力の消耗も蓄積していく。息が切れ、胸に鈍い痛みを感じ始める。(くそっ…まだ完全に制御しきれない…! 使うたびに、消耗が…!) 「レイン! 左上! ミサイル接近!」瓦礫の影から、アリアがデバイスの解析結果を叫ぶ。恐怖の中でも、彼女は必死に仲間をサポートしようとしていた。 「チッ!」レインは咄嗟に空気の壁を展開し、ミサイルを防ぐが、爆風で体勢を崩す。そこへ別のドローンがレーザーを浴びせようとする。 「危ねえ!」ルナがレインを突き飛ばし、代わりにレーザーを受ける。彼女の腕のプロテクターが焦げ付き、煙を上げた。 「ルナ!」 「問題ねえ! この程度! それより、活路は!?」ルナは歯を食いしばる。 「通路の上の換気ダクト! 旧式だけど、あそこなら通れるかもしれない!」アリアが構造図とセンサー反応を分析し、唯一の可能性を見つけ出して叫んだ。 「よし! ルナ、援護を!」 「任せな!」 ルナがブラスターを連射し、ドローンの注意を引きつけている間に、レインは壁を駆け上がり、天井近くにある古い換気ダクトの格子を、渾身の力で蹴破った。 「アリア! 先に行け!」 レインはアリアをダクトの中へと押し上げ、続いて負傷した腕を押さえるルナも押し込む。最後にレイン自身が滑り込んだ瞬間、背後でドローンが発射した大型ミサイルが通路全体を巻き込み、大爆発を起こした。轟音と衝撃波がダクトの中まで伝わってくる。間一髪だった。
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換気ダクトの中は、想像以上に狭く、暗く、埃っぽかった。ライトスティックの光もほとんど届かず、身動きもままならない。錆びた金属の壁は冷たく、時折、不気味な風切り音や、正体不明の生物が走り回るような音が聞こえる。 「…はぁ…はぁ…なんとか、撒けたみたいね…」アリアが、狭い空間で息を切らしながら言う。「でも、ひどい…まるでネズミになった気分ですわ…」 「文句言うな、お嬢様。生きてるだけマシだろ」ルナが、負傷した腕を押さえながら軽口を叩く。「それに、ネズミの方が、こういう場所じゃ強いんだぜ?」 「…ええ、そうかもしれませんわね」アリアは少しだけ微笑んだ。 「ああ。だが、油断はできねえ。奴ら、すぐに別のルートで追ってくるかもしれん」レインが付け加えた。彼は目を閉じ、ダクト内の微かな空気の流れや壁の振動を探っていた。先ほどの戦闘での消耗と能力使用の反動で、断続的な頭痛と倦怠感が彼を襲っていた。(やはり、この力には代償がある…使いすぎれば…どうなる…?) どれくらい進んだだろうか。ダクトの先に、微かな光と、ゴーッという低い、水の流れるような音が聞こえてきた。 「…この先だ。排水路に繋がっているはずだ」 ダクトの出口の格子を外し、外に出ると、そこは信じられないほど広大な空間だった。眼下には、暗く濁った水が轟音を立てて流れる、巨大な中央排水路。鼻をつく強烈な汚水の悪臭と、湿った冷気が肌を刺す。天井は遥か高く、闇が広がっている。壁面には、太いパイプや錆びついた梯子、巨大な機械設備の名残が見える。まるで、忘れ去られた地下神殿のようだ。壁の一部には、ドームの標準的な建材とは異なる、奇妙な模様が刻まれた石材が見え隠れしていた。 「ここが…中央排水路…」アリアが、その圧倒的なスケールと汚濁に満ちた光景に、顔をしかめながらも息を呑んで呟いた。 「ああ。そして、俺たちが目指すポイントX…第3制御区画は、この下流にあるはずだ」レインは、ぬかるんだ足場に注意しながら、アリアの手を引いた。「気をつけろ。足元が悪い。絶対に離れるな」 「…ええ。ありがとう、レイン」アリアは、レインの差し伸べた手を、今度はためらわずに、しかし少しだけ頬を赤らめながら、しっかりと握った。その手は荒れて硬かったが、不思議なほど温かく、頼もしく感じられた。 三人は、排水路の壁際に設けられた、狭く、崩れかけたキャットウォークの上を、一列になって慎重に進み始めた。足元にはヘドロと汚水。時折、巨大な何かが水面下を移動するような不気味な波紋が広がる。壁からは汚水が滴り落ち、反響する水音が、まるで深淵からの囁きのように聞こえる。ライトスティックの光が照らす闇の奥には、一体何が待ち受けているのか。 (本当に、この先に答えがあるのか…?) レインは、先の見えない暗闇と、背後から迫るかもしれない脅威、そして自らの内に宿る未知の力への不安を感じながら、それでも、仲間と共に、一歩一歩、確実に足を前に進めた。ポイントXに近づくにつれて、胸の奥の熱が、期待と不安の両方で、より強く脈打つのを感じていた。
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