第5章:交差する思惑
ディープゾーンの掃き溜めカフェ「ラストブレス」。機械油と合成コーヒーの匂いが充満する裏部屋で、レインとルナはホログラムに映し出されたドームの古い構造図と、アリアから送られてきたポイントX周辺のデータを睨みつけていた。 「…で、こっちがお嬢様(アリア)が命懸けでくすねてきた最新の警備データだ」ルナはデータパッドを操作する。「例の中央排水路第3制御区画…ポイントXの入り口だが、公式記録上は数十年前に閉鎖されたことになってる。だがな、ここ最近、妙なエネルギー反応が断続的に観測されてやがるらしい。管理庁の連中も何か感づいて、非公式に監視レベルを上げてる可能性がある。それも、ただの残留エネルギーじゃねえ。何か…古くて、巨大な何かが息づいているような、気味の悪い反応だ」 「エネルギー反応…?」レインが眉をひそめる。アリアが見つけた古代遺跡の図面、そして自分の肺が時折感じる奇妙な共鳴と関係があるのか? 「さあな。どっちにしろ、ただの古い制御室じゃねえってことだろ」ルナは肩をすくめた。「それに、気になる噂もある。最近、ノックスの犬ども…肺強化者の連中が、やけに活発に嗅ぎ回ってるらしい。特に、下層の古いエネルギー施設や、放棄された研究所跡をな。奴ら、何かデカいことを企んでる匂いがプンプンするぜ。奴らもこのポイントXのエネルギーに気づいて、コアの力を狙ってるんだろうさ」 ルナはそこまで言うと、一瞬だけ表情を曇らせ、拳を握りしめた。その瞳に、消し去ることのできない憎悪の炎が揺らめく。 「…あのクソッタレども、エリスさんの理想を踏みにじり、あたしのダチをモルモットみてえに殺した連中…今度こそ…」 低い、押し殺した声が漏れる。レインはその変化を見逃さなかった。 「ルナ…? ノックスの組織に、何か因縁でもあるのか?」 「…別に」ルナはすぐにいつもの不敵な笑みを浮かべ、吐き捨てた。「あいつらはディープゾーンのダニみてえなもんだ。目障りなだけだよ。ま、とにかく、奴らの動きも警戒しとかねえと、横槍を入れられかねねえってこった。あいつら、あたしのような『出来損ない』には容赦しねえからな」彼女は自嘲するように付け加えた。 「奴の目的が何であれ、あたしたちの計画と鉢合わせする可能性は高い」ルナは気を取り直したように、ホログラムの構造図を指し示した。「侵入ルートはこれで行く。第7廃墟エリアから、古い廃棄物搬送ラインを経由して、中央排水路へ。正規ルートより警備は手薄なはずだが、代わりに何が潜んでるか分からん。文字通り、奈落への片道切っぷだ。覚悟はいいな、弟分?」 「とっくにできてる」レインも頷く。アリアとの約束、自分の過去、そしてルナの抱えるかもしれない何か。背負うものは増えたが、進むしかない。 「へっ、威勢がいいね。ま、せいぜい足を引っ張るんじゃねえぞ」ルナはニヤリと笑った。 二人の間に、危険な計画を共有する共犯者としての、奇妙な信頼感と張り詰めた緊張感が漂っていた。
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一方、上層(クラウンゾーン)のスカイ家の壮麗な邸宅。アリアは自室にこもり、厳重な監視の目を掻い潜りながら、ポイントXに関する情報の収集と解析を続けていた。父の書斎から持ち出した古いデータチップと、自身のハッキング技術を駆使し、管理庁のデータベースの深層を探る。 (ポイントXの座標、構造図はほぼ確定…問題は、リアルタイムの警備状況…内部構造の詳細…そして、父がどこまで私の行動に気づいているか…お母様のことだって…) 端末のスクリーンには、複雑なコードと設計図が並ぶ。ふと、解析中の古い研究所…『生体エネルギー研究所』のデータの中に、再び母の名前を見つけた。 『ダイアナ・スカイ:主任研究員(故人)-プロジェクト・キメラ関連技術応用研究担当』 プロジェクト・キメラ…それは、レインが見つけた記録にあった『越境者実験』のコードネーム。母は、あの非人道的な実験に、やはり関わっていた…? いや、応用研究担当…ということは、実験そのものではなく、そこから得られた何かを別の研究に? アリアは、幼い頃の朧げな記憶を必死に手繰り寄せた。聡明で、優しく、しかし常に何か遠い未来を見つめているような母。父とは、研究方針について激しく口論していた。父は「ドームの安定と秩序」を訴え、母は「人類の真の進化と、失われた地球との再接続…『コア』の意志に応えること」を語っていたような気がする。母が言っていた『コア』とは、あの設計図に描かれたもののことなのだろうか? そして、母はよく、幼いアリアに語りかけていた。 (…アリア、この世界はね、檻の中だけじゃないのよ。外には、もっと広くて、古い秘密と、素晴らしい力に満ちている…いつか、あなたにもそれを見せてあげたい…本当の世界の息吹を…) あの言葉は、単なる夢物語ではなかった。母は、何か重大な真実を知り、それを実現しようとしていたのだ。そして、そのために…父が言うような単なる『事故』ではなく、何者かによって意図的に消されたのではないか…? 父は、その真相を知っているのではないか? (お母様…あなたは、一体何を残そうとして、そして誰に…? 父さんは、どこまで知っているの…?) アリアの心に、母への想いと、父への拭いきれない疑念、そして真実への渇望が、より一層強く燃え上がった。父への罪悪感はある。だが、もう止まれない。母が追い求めたかもしれない真実を、そしてレインと共に掴もうとしている未来を、この手で確かめるまでは。 彼女はデバイスを操作し、レインへ送るための、ポイントX周辺の詳細な警備データと、可能な限りのシステム解除コードを暗号化ファイルにまとめた。そこに、個人的なメッセージを一行だけ添える。「あなたを信じています。どうかご無事で。あなたと共に、真実の光を見つけたい」と。その短い言葉には、彼女の全ての信頼と、そして秘めたる、彼への特別な想いが込められていた。
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呼吸管理庁、中央監視センター。上級調査官ゼノ・ブレスは、無数のモニターが映し出すドームの情景と、流れ続ける膨大なデータを、硬質な仮面の下で複雑な想いを抱えながら見つめていた。 (レイン…実験体No.7。そしてアリア・スカイ。二人は、ついに『ポイントX』へと向かうか…エリスが、そして私が、かつて夢見た場所へ…だが、それは同時に、ノックスが渇望する場所でもある…) 彼の端末には、レインたちの動向を探る監視ドローンからのリアルタイム報告と、断片的に解読された彼らの通信記録が表示されている。 (エリス…君なら、どうしただろう…?) 脳裏に、エリスの最後の笑顔と、彼女が体制の闇に葬られた日の絶望が蘇る。彼女は『越境者実験』の非道さを告発しようとして、消されたのだ。自分はそれを止められなかった。いや、ドームの秩序を守るために、見捨てたのかもしれない。 (もう二度と、あんな悲劇を繰り返してはならない。そのためには、ノックスを排除することが最優先のはずだ。だが、あの若者たちをここで止めれば、真実を知る機会は永遠に失われ、君の死も…無駄になる…! 彼らだけが、コアの真実に辿り着き、ノックスを止められる可能性を持っているのかもしれない…) 妻の遺志と、現在の立場。そして、迫りくるノックスという脅威。ノックスもまた、エリスを死に追いやった元凶の一人なのだ。その男に、エリスが信じた未来を歪めさせるわけにはいかない。 ゼノは決断した。今はまだ、動く時ではない。だが、監視は続ける。そして、必要とあらば、非公式に、彼らを支援する。それが、今の彼にできる、唯一の選択だった。エリスへの贖罪のために。そして、ノックスを確実に葬るために。 「対象『レイン』の監視レベルをステージ3へ移行。直接介入は厳禁。行動パターン、接触者、通信内容の傍受を最優先。全ての情報を収集し、逐一報告せよ。ただし…」ゼノは一瞬ためらい、部下にインカムで指示を出す。「…対象への過度な危険が迫った場合に限り、限定的な状況介入を許可する。あくまで『事故』あるいは『偶然』を装ってだ。我々の関与を悟られるな。彼らが真実に辿り着くのを見届ける必要がある。そして、ノックスを阻止するために…私自身の過去への贖罪のためにも。いいな?」 『…はっ! か、承知いたしました!』部下の戸惑う声。 「それと、ノックス関連のファイル…特に『プロジェクト・キメラ』に関する凍結データを、私の最高アクセス権限で再調査する。奴が何を求め、どう歪んでしまったのか…その根源を探る。情報は全て私に直接送れ。極秘裏に進めろ」 通信が切れる。執務室に重い静寂が戻る。ゼノは再びモニターを見つめた。彼の内なる天秤は、わずかに未来への希望へと傾き始めていたのかもしれない。妻が信じた未来を、これ以上歪んだ形で汚させるわけにはいかない。そのためなら、自らの手を汚すことも厭わない。彼はそう決意し、心を再び硬い氷の殻で覆った。だが、その殻の下で、かつての理想の火が、復讐の炎と共に、再び微かに燃え始めているのを、彼自身も気づいていたのかもしれない。
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ドームの暗部、ノックスの拠点。壁にはテラフォーミング・コアの不鮮明な画像や古代遺跡の設計図が貼られ、中央の培養カプセルが緑色の不気味な光を放っている。ノックスは、そのカプセルを恍惚とした表情で見つめていた。 「…素晴らしいぞ、エリス…君が追い求めた『生命の源』は、こんな形で存在したとはな…! だが、君はそれを理解できなかった…その真の力を、恐れたのだ! このコアのエネルギーと私の技術、そして『彼』の力…『完全肺』が揃えば、人類は古い殻を破り、真の自由を得て新たなステージへと進化できるのだ! それを理解できぬ愚かな者どもは、浄化されるべきなのだよ!」 モニターに、部下からの緊急通信が入る。『ノックス様! 対象レインが、スカイ長官の娘と共に、中層の廃墟エリアから地下へ! おそらく、例の『ポイントX』へ向かうものと思われます!』 「ほう…やはり、あの小娘が鍵だったか」ノックスは薄く、冷酷な笑みを浮かべた。「そして、レイン君も…自ら運命の扉を開けようというわけか。導かれるようにしてな。実に、愛おしい存在よ。私と同じ、この世界の歪みに気づき、変革を望む魂を持っている…ただ、まだその力の使い方を知らないだけだ」 彼のレインに対する執着は、歪んだ父性愛、あるいは後継者への渇望に近いものへと変貌していた。レインの『完全肺』こそが、コアのエネルギーを完全に制御し、彼の理想とする『世界の浄化と再生』を実現するための、唯一無二の『鍵』だと信じていたのだ。 「追跡部隊に伝えろ。ポイントX周辺で待ち伏せし、二人を確保。レイン君には指一本触れるな。彼は丁重に、私の元へ連れてこい。彼は私の…希望なのだからな。あのスカイの小娘は…まあ、好きにしろ。ゼノの犬どもが邪魔するなら、容赦なく排除しろ」 「しかし、ゼノ管理官は…」 「構わん。あの裏切り者も、スカイも、もはや旧世界の遺物にすぎん。真の未来を創造するのは、私と…そして、私の『息子』、レイン君なのだからな。私が彼を、真の自由へと導いてやるのだ…」 ノックスの瞳には、狂信的な光と、全てを手に入れることへの揺るぎない確信が宿っていた。彼の歪んだ理想と執念が、レインたちの行く手に、暗く、巨大な影を落とそうとしていた。
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決行を数時間後に控えた深夜。レインは、ディープゾーンの隠れ家で、アリアからの最後の通信を受け取っていた。ホログラムスクリーンには、ポイントXへの最終侵入ルートと、アリアが解析した最新の警備情報が表示されている。 『…これが、現時点で分かっている全ての情報です。レイン、くれぐれも気をつけて…』アリアの声には、抑えきれない緊張と、そしてレインへの深い信頼が込められていた。 「ああ、分かってる。そっちこそ、絶対に無茶はするなよ」レインもまた、彼女の身を案じていた。 『…一つ、お伝えしてもよろしいでしょうか』アリアが、少しだけためらうように言った。『私の母…ダイアナのことです。彼女も、もしかしたら、このポイントXや、自然回帰派…そして、あの『実験』に、深く関わっていたのかもしれません。父は何も話してくれませんが…もし、そこで何か母に関する手掛かりが見つかったら…どんな些細なことでも、教えていただけますか?彼女が何を願い、何を残そうとしたのか、知りたいのです』 彼女の声には、母の真実を知りたいという切実な願いが込められていた。それは、レイン自身の過去を探求する動機とも、深く重なり合っていた。 「…分かった。もし何か見つけたら、必ず伝える。約束だ」レインは静かに、しかし力強く約束した。その言葉に、彼自身の決意も込められていた。アリアの抱えるものも、自分の過去も、全てを明らかにするために。 『ありがとう…レイン』アリアの声に、温かな響きが戻る。『あなたを、信じています』 通信が切れる。レインは、アリアから託された情報と、そして彼女の想いを胸に、静かに立ち上がった。隣には、全ての準備を終え、鋭い目で彼を見つめるルナがいた。その腰には二丁のブラスターが輝いている。 「行くか、弟分。地獄の入り口へな」ルナは不敵に笑った。その笑顔には、以前よりも強い覚悟が見えた。彼女自身の過去にも、ケリをつけるための。 「ああ」レインも頷く。 それぞれの思惑、それぞれの過去、そしてそれぞれの未来への願い。全てが、ドームの深淵に隠された「ポイントX」という一点へと向かって、今、交差しようとしていた。 事態は、もう誰にも止められない段階へと、突き進んでいたのだ。
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