第7話 電気の雨が降る町で

私たちは、空気の中から電気を吸い込んで暮らしている。

まるで酸素のように、見えないエネルギーを、当たり前のように。


都市全域を覆う高密度送電フィールドは、今日も無音で稼働していた。

高層ビルの上、街灯の内側、道路のアスファルトの下、そして――この研究所の空間までも。


一切の配線もプラグも必要ない。

人はただ、そこにいるだけで、デバイスを動かし、家を暖め、車を走らせる。


世界はそれを**「電気の雨」**と呼んだ。


静かに降り注ぎ、すべてを潤す光の粒。

けれど私は知っている――その雨が、いつか“命”をも流していくことを。


 


研究主任として、私はこのプロジェクトの初期から関わっていた。

ワイヤレス送電システム**“NOIR(ノワール)”**。

初めてテストに成功した夜、私たちは歓喜に沸いた。

「これで世界は変わる」「すべてが自由になる」と。


でも、本当に変わったのは、世界ではなかった。

人間の感覚だった。


 


最初の異変は、小動物の大量死から始まった。


公園の鳥たちが一斉に姿を消した。

巣を離れ、方向感覚を失い、空を飛べなくなった。

やがて昆虫、野生動物、さらには一部の人間にも、脳神経障害の症例が現れ始めた。


 


それでも、送電は止まらなかった。


「エビデンスが足りない」

「犠牲より恩恵の方が大きい」

「必要なのは最適化された調整だ」


誰もが言い訳を並べ、電気の雨を止めようとしなかった。

止めたら、生活が止まる。

生き方が壊れる。


だから、人の命よりも、便利さのほうが優先された。


 


その中で、私は一人の少年と出会った。


名をレンジという。

11歳。難聴、頭痛、記憶障害。いずれも送電フィールド内で暮らしていたせいだと考えられた。

彼の家はフィールドの中心地。ターミナルステーションの真上だった。


「この音、誰にも聞こえないの?」


レンジがそう言ったとき、私は背筋が凍った。


「どんな音?」


「……雨が、刺さってくる音。チクチクして、頭の中がバラバラになる音」


私は、何も答えられなかった。


 


技術者として、科学者として、私はその“音”を作った側の人間だ。

それが彼の命を削っていると知りながら、何もできない自分がいた。


夜、レンジが描いた絵を見た。

そこには、空から針のように降り注ぐ青い光と、それを避けて逃げる動物たちがいた。

真ん中で一人、泣いている子どもがいた。


それが、彼の“真実”だった。


 


翌朝。私はすべてのログを消去し、システムの一時停止信号を準備した。


これは、違法行為だった。

送電を一度止めれば、都市全体が停止し、何千万人が混乱に陥る。

でも――私は、もう一度あの絵を思い出していた。


“あの子だけが、雨の音を知っている”


 


私は実行ボタンを押した。


世界が一瞬、静寂に包まれた。

電気のノイズが消えた。

空気が軽くなったように感じた。


窓の外を見た。

レンジが公園で、両手を広げて笑っていた。

「やっと……雨が止んだ」と。


それだけで、すべてが報われた気がした。


 


――そのあと、私は解任された。

NOIRは修正された仕様で再稼働し、今も都市を照らし続けている。


けれど時々、雨が降らない夜がある。

そのたびに、私は空を見上げる。


静かな空。音のない夜。


そこには、命の輪郭が、まだはっきりと残っている気がする。


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便利は、正義ではない。

その下に、誰かの声が埋もれているなら――私たちは、もう一度問い直すべきだ。


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あの光の雨の中で、何を失ったのかを。

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