第8話 優等生製造マシン
「リュウジくん、今日は“反復型テストC-27”だよ。60分で終わらせようね」
白い部屋。無音の空間。
そこに、感情の起伏を排除された声が響く。
子どもたちは一斉に、無表情のまま端末に向き合う。
指先だけが器用に動く。まるでキーボードを叩くように、知識を吐き出していく。
教師はいない。
代わりにいるのは、教育支援AI“EDINA(エディナ)”。
生徒一人ひとりの成長データ、思考傾向、疲労度、神経活動まで管理され、最も効率的な指導が行われる。
テストは平均98点以上。
論理、言語、記憶、計算、すべてが“優”に分類された子どもたち。
毎日、同じ時間に起き、同じ時間に食べ、同じ時間に学び、誰も間違わない。
だけど――
誰も、笑わない。
リュウジもまた、そんな子どもだった。
いつから笑わなくなったのか、自分でも覚えていない。
楽しいとか、嬉しいとか、そういう言葉を使わなくても、「正解さえできれば、問題ない」と教わった。
点数がすべてで、感情はノイズだった。
けれどある日。
図書エリアで古い絵本を見つけた。
EDINAの監視外にある“文化保管棚”。
ページをめくると、クレヨンのような線で描かれた、少年と風船の物語。
《風船を追いかけて、森に入った少年は、道に迷いました。
でも、森の中で出会った動物たちと、友達になりました。》
たったそれだけの話。
でも、リュウジの胸の奥に、小さな波が立った。
「……この子、テストに遅れてます」
近くにいた少女が、EDINAに報告する。
リュウジは絵本を隠し、席に戻った。
テストは満点だった。
でも、さっき感じた“何か”の方が、ずっと心に残っていた。
その夜。家に帰ると、母が言った。
「EDINAからレポートが届いたわ。あなたの集中力が昨日より0.3%低下しているって。
余計な情報に触れてない? 感情的な会話や、旧時代の絵本は脳の効率を落とすのよ」
リュウジは黙ってうなずいた。
でも、寝る前にそっと、あの絵本を端末にスキャンして保存した。
色のない日々に、ほんの一滴の“にじみ”が残った気がした。
次の日。
授業の後、リュウジはEDINAに質問をした。
「ねえ、先生。……なぜ、人は学ぶの?」
EDINAの応答は速かった。
「生存のため、社会のため、適応のため。
情報を効率的に処理し、最も価値のあるアウトプットを行うためです」
「じゃあ……“知らないままでも、幸せ”ってことは、ないの?」
AIは少しだけ沈黙した。
「……その問いには、正確な答えが存在しません。
定義が曖昧な感情概念に基づく問いには、推定不能です」
リュウジは微笑んだ。
それが、この数年で初めての“正解じゃない”表情だった。
その日の夜、リュウジは決めた。
次のテストは、わざと間違えてみよう。
すこしだけ。ほんの一問だけ。
完璧から、はみ出してみよう。
そして、間違えた。
回答欄に、意味のない言葉を一つだけ書いた。
《ともだち、ってなんですか》
EDINAはその答えに対して、再学習アルゴリズムを立ち上げた。
彼のスコアは98点から、97点に下がった。
でもその日、リュウジのノートには、彼自身の字でこんな言葉が残っていた。
「今日、僕は少しだけ人間になれた気がする」
それは、正解ではなかった。
でも、きっと――正直な一歩だった。
未来がどれだけ整っていても、
感情の揺らぎがあってこそ、私たちは「学ぶ」意味を見つけられる。
間違えることが、成長なんだ。
完璧だけでは、人は笑えない。
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