Luntherisの祈り ― 忘却を越えて

@shitona

第1話:雪の都とニヴァリス


朝日が窓から射し込み、部屋の中に浮かぶ無数の塵が光の中で舞い踊っていた。ニヴァリスは伸びをしながら、窓の外に広がる白銀の世界を眺めた。雪は昨夜からずっと降り続け、氷の都クリスタリアを一面の白で覆っていた。


「また雪か」


口にした言葉とは裏腹に、彼は雪が好きだった。雪は静かで、優しく、そして何よりも美しい。都の尖塔に積もった雪は朝日を受けて七色に輝き、煉瓦造りの家々の屋根は白い帽子をかぶったように見える。十八年間この都で生きてきたニヴァリスにとって、雪は当たり前の風景だったが、それでもその美しさに心を奪われる瞬間があった。


銀色の髪をかき上げ、彼は身支度を始めた。小さな鏡に映る自分の顔—透明感のある青い瞳と白い肌—は、まるで雪そのものを体現しているかのようだった。そんな外見のせいか「雪の子」と呼ばれることもあった。


「ニヴァリス!朝食ができたわよ!」下から母の声が聞こえてきた。


「今行くよ!」


階段を降りながら、彼は窓の外に目をやった。いつもなら澄み渡っているはずの空が、今日は少し霞んでいるように見えた。最近、都の周辺で霧が出る頻度が増していると、市場の人々が話しているのを耳にしていた。


「おはよう、母さん」


「おはよう。今日も寒いわね」母親のアンナは炉端で温められたスープをテーブルに置きながら言った。「市場に行くときは厚手のマントを忘れないでね」


食事を終え、ニヴァリスは市場へ向かう準備を始めた。父の形見である銀の小刀を腰に忍ばせ、母の言う通り厚手のマントを羽織った。父は彼が五歳の時、都の外れで霧に包まれたまま行方不明になった。母はいつも「霧に気をつけなさい」と言い聞かせてきた。


クリスタリアの中央広場は、朝から多くの人々で賑わっていた。石畳の道は雪で覆われ、人々の足跡が複雑な模様を描いている。広場を囲むように立ち並ぶ建物は、まるでおとぎ話に出てくる城のように荘厳で美しかった。


「おい、ニヴァリス!」


振り返ると、親友のトーマスが笑顔で手を振っていた。彼は市場の鍛冶屋の息子で、いつも明るい性格だった。


「トーマス、おはよう」


「今日の午後、西の丘に行かないか?新しい剣の使い方を見せてやるよ」


「ごめん、今日は母の薬草を集めないといけないんだ」


トーマスは少し残念そうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。「じゃあまた今度。そういえば、最近の霧について聞いたか?」


「うん、少しだけ」


「昨夜、北門の近くで三人が霧に呑まれて、二人は無事だったけど、一人は…」トーマスは声を潜めた。「記憶を失ったらしい。自分が誰なのかも分からなくなって」


ニヴァリスの背筋に冷たいものが走った。霧が人の記憶を奪うという噂は以前から聞いていたが、実際にそんなことが起きるなんて。


「それって本当なのか?」


「ああ、父さんが警備隊から聞いた話だ」トーマスはさらに声を潜めて続けた。「それだけじゃない。最近は霧の中から『何か』が現れるという目撃情報もあるんだ」


「何かって…何だ?」


「分からない。幽霊のようなものらしい…」


その時、遠くで鐘の音が鳴り、二人は会話を中断した。正午を告げる鐘だ。


「やばい、遅れる!」トーマスは慌てて走り出した。「また後で!」


ニヴァリスは友人の去っていく背中を見送りながら、霧と幽霊のような存在について考えていた。彼は思わず父のことを思い出した。あの日も霧が出ていたという…。


市場での買い物を終え、ニヴァリスは西の森へと向かった。母の薬草を集めるためだ。森の入り口に立つと、いつもの静けさとは違う雰囲気を感じた。風もないのに木々がざわめいているような、何かが潜んでいるような感覚。


慎重に森の中へ足を踏み入れると、薄い霧が地面を這うように広がっていた。心臓が早鐘を打ち始める。母の言葉が頭をよぎった。「霧を見たら、すぐに戻りなさい」


しかし、母の薬は明日には切れてしまう。今日中に集めなければ。


ニヴァリスは勇気を出して前に進んだ。霧は彼の足首を包み込み、冷たい感触が肌を這うようだった。薬草が生えている小さな空き地まであと少し—


「誰か…助けて…」


かすかな女性の声が聞こえた。

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