仄暗き海底洞窟

 いつものように月が海面から顔を出した頃、クラゲンさんの拠点に集まったわたしたちは、予定通りに龍狩りの同行者として、海底洞窟へと向かった。


「皆さん揃いましたな。そんじゃ、ぼちぼち行きましょか。海底洞窟ミナソコへ」


 クラゲンさんが、転移術の巻物スクロールを使う。


 ……詳しくは知らないけど、転移術って、転移のときの安全対策で、発動までにちょっと時間がかかるんだよね。途中で妨害されると発動しないから、戦闘中の緊急脱出には使えないし。

 単純な魔法なら、感覚でなんとなくでも使えるんだけど、複雑な魔法を使うときは、その行程を正確に把握した上で、適宜組み立てないといけないから、どうしても難しい。後衛職の中でも、特に高度な魔法を主体で使うのは、頭の良さとセンスが要るから、わたし向きじゃないかな。見習いなら、もしかしたらいけるかも。


 そんな魔法技術の中でも、転移術のように行程が複雑な大魔法を、巻物スクロールなしで発動できるような魔法使いは、たぶん世界には数えるほどしかいないだろうし、もしかしたら、もう誰もいないかもしれない。決して安くはないけど、それでもそこそこの値段で買えるような巻物スクロールをケチって、大魔法使いを目指す……みたいな人もいるのかな。もし仮にいたとしたら、凄い執念だと思う。

 そして、それだけケチなら、不安定な冒険稼業なんてやってるより、巻物スクロールを作る仕事をする方が、どう考えても遥かに実入りがいい。そこまで改めて考えると、転移術を巻物スクロールなしで使う魔法使いがいない、というのも納得だ。転移術の使い所を考えると、事前に準備しておけばいいタイプの魔法だからね。


 ……とにかく暇なので、ゆっくり、ぼんやり長々とそんなことを考えていると、やっと転移の準備が完了したらしい。


 ……そう、これがだ。やっぱり、この間のトレイシーの往復は、どう考えても速すぎたよね? ホロウェンバークスには、秘伝の転移術でもあるんだろうか。

 確か、トレイシーは「見られてるとできない、秘密の方法」だ、って言ってたっけ。


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 転移術によって移動してきた先は、潮の匂いが一際強い、岩壁に囲まれた『休憩地点セーブポイント』だった。薄暗いけど、ほんのりと光は残っている。


「こういうところって、普通はどうやってくるの?」


 不明な座標ところに対して転移術を使うことはできないから、少なくとも誰かが、以前来たことはあるということなんだろうけど。まだ見ぬ新天地を探す参考までに、ちょっと聞いておきたい。


「そうやなぁ。まぁ潜水して到達するような奴もるかもしらんけど、地表に繋がる道とかがあるんちゃうかな、たぶん」

「クラゲンさんの場合は?」

な。うて、最初に来たんは大昔の話やし」


 凄く嘘っぽい。思い出そうとした素振そぶりすらないし。海底洞窟ここみたいな特殊な場所のことだったら、他に類似する記憶はないだろうから、どれだけ昔のことだろうと、普通は憶えてると思うけど。

 きっと、というのが本当のところだろうな。どちらにせよ、参考にはならなさそうだね。


「ま、ここにれとるっちゅう結果が全てよ。その過程は別にどうでもええやろ? そんじゃ、やっこさんの潜む最奥とこまで、油断なく行こな」


 その言葉を聞いてか、物陰に潜んでいたらしいが、奥に隠れるのを感じる。しばらくして、地の底からうめくような、威圧的な重低音が海底洞窟に響き渡った。


 ――アア……アアア……! アルスクイド……! 忌々しい……姑息こそくのアルスクイドぉ……! とうとうはらくくって殺されに来よったのォ……! ワシャあ今度こそおんどれ命渦めいかの混沌にとしたるからなァ……! もう逃がさんぞ……こんクソダボがァ……!


 この声が、今回の討伐対象ターゲット……えっと、確か名前が、カツオノエボシだっけ。なんだか、凄く怒ってるみたい。その声に、等級無しの冒険者のみんなは気圧けおされてるみたいだ。

 そんな中でも、トレイシーだけはいつも通りっぽい。等級無しと言っても、彼は基本的に例外だから、仕方ないね。


大王烏賊アルスクイド、かあ。よく知らないけど、なんか凄そうな名前だねえ」

「海の守り神やからな。実際、大層なもんよ。その大王烏賊アルスクイドサマが現地協力者とくべつゲストでな。アホみたいな間抜け面のタコのバケモンと違って、最高にイカす格好カッコええ、海の王様やで」


 ……いっそ露骨過ぎる自己紹介な気はする。まぁ、そこまで言うなら見た目ビジュアルにも期待しとこうかな。


「念のため、作戦の再確認な。君らの仕事は、あくまでも露払い。克己獲星カツオノエボシの眷属、間抜けな触手どもだけを、可能な範囲でぶっ殺し続けることな。間違っても、克己獲星カツオノエボシにはちょっかい出したらアカンで。直接手を出さん限り、君らは奴には狙われんけど、もし狙われたらその瞬間に死ぬやろし、そのつもりで臨んでな」


 作戦の根本部分に、相手の匙加減さじかげんな要素があって、どうも不安なところがある。


「わたしたちが狙われないのって、絶対なの?」

「うん。ラグナってのは、そういうもんよ。その気にさえなりゃ、いつでもぶっ殺せるような、なんて、普段は見えてすらないねん。なんかムカついたから殺すとかはあっても、見えてもないようなもんを、意識的に殴るってのは出来んのよね」


 つまり、攻撃に巻き込まれる可能性はありそうだね。立ち回りに注意しとこ。


「でも、俺らがその眷属を殺すんなら、戦況に対しては決して無関係じゃねえだろ? なら、絶対に狙われないとまでは言い切れないんじゃねえか?」

「そうやなぁ……。まぁ、力さえ分ければいくらでも作り出せるようなもんが、いくら殺されたところで、別に気にもならんやろ? 極端な話、眷属なんてのはってもらんでもええようなもんやからな」


 そう聞くと、相手がって感じがする。少しならともかく、たくさん減らされると脅威には感じると思うし、ちゃんと理性的に判断すれば、負けに繋がる可能性として、十分判断できることだと思うけどな。そんなに舐めてかかっていいようなもんなの?


「ま、戦況がどうこうとか、そういう総合的な判断が出来るんは、あくまでも人間ヒュマノの特権やしな。やからこそ、わてもこうして今まで生きてこれとるわけやし」


 君達にとってはんだろうけど、という風にクラゲンさんは言った。そういうもの、なんだろうか。


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 クラゲンさんは、迷いなく海底洞窟を先導していく。たまに出くわす眷属……蛸足たこあしも、各個撃破する分には、見習いでも危なげなく倒せるみたいだ。今のところ、わたしの出番は特にないかな。


ねえさん。余裕だからって、警戒はおこたらんでくださいね」

「わかってるよぉ。だから、注意深く見てるんじゃん」


 気軽にまた来れるというわけでもない、初めてのダンジョンなんだから、迷惑にならない範囲で色々と見ておかないとね。


 ふと、脇道の小部屋に、気になるものが見つかった。

 『獲星かくせい鳴貝なりがい』という名のそれは、見た目は浜辺でも見られたような、ありふれた巻貝まきがいの貝殻だった。

 拾い上げて、耳に当ててみる。ざあざあと、波音なみおとに似た音を聞いていると、わたしが昔、冒険者を志したころの気持ちが、ありありとよみがえる。なんだか、初心に帰る気持ち。


 ……でも、その裏で。


 ――日和ヒヨったか、アルスクイド! 人間ヒュマノごときに負けた挙句あげく、ワシらの獲星やぼうまで諦めるっちゅうんか!?

 ――あまつさえ、ワシの邪魔までするんかおんどれはァ……! 許さんぞ、裏切りモン! そんなら諸共もろとも一切鏖殺みなごろしじゃあッ! 覚悟しとれよクソダボがァ!


 聞き覚えのある怨嗟えんさの声が、その激情が、心の中に響き渡る。アイテムに込められた想いを感じ取る経験なんて、今まではなかった。それだけ強烈な想いが、そこにはのこされていたのだろうか。……今はもう、何も感じない。もしかしたら、気のせいだったのかも。


 そんなわたしの様子を見て、クラゲンさんが声をかけてきた。


「あぁ、タコの鳴貝なりがいか。えらい懐かしいもんを見つけてくれるやん、ナズナちゃん」

「これって、どういうものなの?」

「海育ちの連中の、お守りみたいなもんやね。若者の間で、いだいた大願のぞみを忘れんように……って、願掛けによお使われてな。少し迷ったときとか、たまにそれの音を聞きながら、内面と向き合うんよ」


 クラゲンさんと、克己獲星カツオノエボシは、元々は仲が良かったのかな。少なくとも、当時むかし面識があったんだろう、というのはわかる。そこにある感情をうかがい知れないまま、微妙に気になっていることを聞いてみる。


「クラゲンさんは、若者?」

「ん。お兄さんは永遠にお兄さんやで? ……ま、若造わかぞうではないわな。なんも考えんで、ただなんとなしに、雰囲気だけ大層なことを望むようなアホやった時期は、もうっくに終わっとるし」


 しみじみと瞑目めいもくしつつ、クラゲンさんはつぶやいている。きっと、遥か昔のことを思い出しながら。


「今はもっとこう、ちゃあんとわての腕に収まりそうな幸せのこと考えとるよ。例えば……商売ショーバイ頑張っていっぱい旨い飯食おうやとか、君みたいな可愛いお姉ちゃんとたのしゅうはなしたりやとか、ささやかな幸福ことを、やな」

「ふーん……」


 なんか俗っぽいんだよなぁ。どうせなら、もうちょっと格好つけてほしいんだけど。


「ナズナちゃんは、そうやって馬鹿にしよるようやけどさ。でも、生きる上で一番大事なんは、そういうどうでもええようなことやろ? 君のかて、本質的にゃあなんも変わらんで。あのタコも、別にもうその鳴貝なりがいは要らんやろし、持って帰りたいなら、持って帰ったらええよ。役に立つかは知らんけど」


 それもそうか。大事なものは人それぞれだよね。

 それじゃ、遠慮なくもらっちゃいます。やったね。


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「ほい、到着。ここが最奥しゅうてん龍宮りゅうぐうですわ」


 龍宮と呼ばれたその場所は、海底洞窟のどの空間よりもだだっ広い、どう考えても周囲の空間との繋がりに整合性が取れていない感じの場所だった。入り口近く以外は海水に満ちている、この空間だけは、どういうわけか、昼のように明るい。

 ……真っ黒な空に、星のような小さな光が見えているのは、あれは何なんだろう。ここはあくまでも海底だし、本当の空ではないと思うんだけど。月も見えないしね。


「さて、ここからが本番やで。各自、気張きばりよし。……行くでぇ!『大王烏賊アルスクイド・クラウケン』!」


 クラゲンさんが格好をつけながらそう叫ぶと、わたしたちは水辺から飛び出した巨大な触手に絡め取られた。あまりに唐突過ぎて、ろくに反応ができない。


「わあ」

「ちょっとそのまま辛抱しといてや!『我は海を統べる力、一時ひととき海は枯れよ』!」


 大きく渦を巻きながら、急速に龍宮の水辺の水位が下がり、大王烏賊アルスクイドの姿が徐々にあらわになる。それは、城砦じょうさいのように凄く大きな……うん。イカだね。知ってた。格好いいかは、よくわかんない。

 それで、遠くの方にはタコが見える。あれが克己獲星カツオノエボシだね。だいぶ遠くでも十分見えるあたり、あっちも凄く大きいんだろう。


「『果てなき大渦潮リヴァイヴァシイ・メイルストロム』! タコのバケモン! さっさと死にくされオラァ!」


 大王烏賊アルスクイドがそう叫ぶと、空に浮かんで渦を巻いていた大量の海水が、克己獲星カツオノエボシにぶつけられた。……相当の衝撃があったはずだけど、特に効いている様子はない。


 海水が完全に引ききった岩場に、ゆっくりとわたしたちは降ろされた。先の言動からは想像もできない丁寧さに、少し驚いてしまう。でも、そんなことを悠長に気にしている間もなく、耳をつんざく大音声だいおんじょうが、龍宮にとどろいた。


「……ワシに大渦潮おおうずしおなんざ効くわきゃえやろがァッ! ドタマまでからびたんかァ!? こんボケェ!」

「んなこたァ最初ハナからわかっとるわタコ! ただの挨拶じゃカスゥ! 今日こそ手前てめえ命渦めいかかえしたるァ!」

うたなおんどりゃア! そらこっちの台詞セリフじゃいッ! 日和ヒヨって裏切りよった臆病おくびょうモン老頭ロートルイカの分際でェ! やれるもんならやってみんかいッ! クソダボコラァ!」


 轟音の口汚いののしり合いの後、イカとタコの取っ組み合いが始まった。その動きは、見た目からは想像もできないほど、速い。それと同時に、周囲からは数え切れない程に大量の蛸足たこあしが生えてきた。多過ぎて、ちょっとキモい。


(そんじゃ、ナズナちゃん。こっからは、手筈てはず通りよろしく)


 クラゲンさんの声が聞こえた。あれだけの怒声をはなっておきながら、思ったより冷静そう。あるいは、大王烏賊アルスクイドはクラゲンさんそのものではない、ということかもしれないけど。そんなことより、わたしたちも役目を果たさないとね。


「ヴァンさん! 作戦開始の合図をお願い!」


 わたしの声を聞いて、蛮勇士団バルバリーブレイバーズのヴァンさんはしっかりとうなずき、『静寂の大剣クワイタス』を構えた。煌金アルカナの大剣、超格好いいな。わたしも欲しいかも。


「承知。目標、蛸足たこあしの排除。決して克己獲星カツオノエボシには手を出さぬように。各個撃破に努め、突出には気を付けろ。以上、戦闘開始!」

「応!」


 そうして、果ての見えない掃討戦が始まった。


★☆★☆★☆★☆


獲星かくせい鳴貝なりがい

 克己獲星カツオノエボシの原点。その貝に耳を澄ませば、深層意識に刻まれている自らの渇望と共鳴し、意志の力を増幅させると言われている。


静寂の大剣クワイタス

(装備効果なし)

 敵対者に永遠の静寂を与える、煌金アルカナの大剣。大剣にとおされた意志の力は、あらゆる苦難を跳ね除け、守るべきものを寡黙に守り通すとされる。

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