強敵に挑む覚悟

「作戦決行は、今日の夜な。都合悪いやつがるなら明日でもええけど、みんな大丈夫?」


 クラゲンさんの確認に、特に答える人はいない。まぁ、問題はないよね。覚悟が決まるかどうか、というのはあるかもしれないけど。


「特に問題なさそうやね。そんじゃ、また月の出る頃に、ここに集合よろしく。準備は怠らんようにな」


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「ところで、ナズナ。こういう時の準備ってどんな感じなの?」

「そうだなぁ。消耗品の補充とか、装備の見直しとかかな? ホロウェンバークスではどんな感じなの?」

溢命陸ホロウェンバークスでは、か。まあ、別部隊との情報共有の他は、消耗品……黒刃くろばの残量の確認くらいかな。滅多になくなることはないけど、ここではおれしか持ってないからね。いつもより余裕を持っておかないと」


 黒刃って、消耗品なんだね。投擲もするものみたいだし、それはそうか。

 どうやって調達してるんだろ? さすがにこっちでは売ってないだろうな。


「ふーん。回復薬とかは?」

「ん、。なんか便利そうな気がする」


 回復薬の存在を知らない冒険者がいるとは思わなかった。割と高価だから、気軽には使えないけど、あるのとないのでは、継戦能力に大きく差が出てくる。


「……戦闘中のダメージは、普段どうしてるの?」

「全力回避が基本だねえ。球人おれたちは、自然回復もそんな早くないからさ。戦闘中に深手なんて負っちゃうと、死を覚悟するよね。応急処置も、致命傷回避も、もう慣れたもんだけど。昔は辛かったなあ。……おれ、なんで生きてたんだろ?」


 ……想像以上に過酷シビアっぽい。常識が違いすぎる。あるいは、トレイシーの言う「自然回復」というのが、他の人より相対的に遅くても、わたしたちのそれを遥かに上回るものなのかもしれないけど、多分そうじゃないんだろう。


「……なんか、凄いね。回復薬に頼らなくても、冒険ができるなんて。わたしたちは、完全に死んでない限り、回復薬でダメージが回復できるんだ」

「へえ。いいね。取り返しがつくのはいいことだ。そういうものがあれば、ちゃんと生き延びやすくなるだろうしね」


 そんなものがなくても、実際に挑み続けてきたのが、トレイシーだ。単純な練度の差だけじゃない。そもそも、事に取り組む覚悟が違う。


 それに、わたしたちは。そういう際どい状況で、回復薬を使おうという発想がない。勝てそうなとき、最後の一手を出し切るためにこそ、回復薬ラストリゾートは使われる。勝てそうもないなら、消費を抑えて単に死に、次に備えておく方が、からだ。ただ無事に帰るというだけのために、回復薬を使う冒険者はいない。


「トレイシーは、便利なものに頼り切ってるわたしたちのことを、軟弱だと思う?」

「ん。使えるものは、使えばいいと思うよ。それが当然さ。……ただ、ナズナはちょっと、軟弱そうかも。生きて帰るんだ、って意志をもっと強く持ったほうがいいと思う。いざというときに、ちゃんと踏み留まれないなら、大切な何かを失うかもしれないんだから。そういう意味では、兄さんの方が根性はあるよね」

「何だよ、いきなり。そんな訳あるか。てきとうな事を言うんじゃねえ」


 わかるような、わからないような。トレイシーが何よりも「生きて帰ること」を重要視しているのはわかる。でも、その意志の弱さが、トレイシーにとっての「軟弱さ」に直接関連付けられているのは、なんでだろう。生きて帰ることも、死んで生き返ることも、結果だけ見れば大差ないと思うんだけど。


 そんなわたしの疑問を受けてか、トレイシーはつぶやいた。単純に、見習いの言葉への返事かもしれない。


「……てきとう、なんかじゃないよ。目的を果たす意志の力こそが、おれたちの本質的な強さなのさ。単純な能力の大小は、強大な意志の力の前では覆ることがある。それだけは、忘れないでね」


 やっぱり、よくわかんない。

 腑に落ちないでいると、聞き覚えのある声が語りかけてきた。


「おや。『浪漫の探求者ロマンチェイサー』の御三方おさんかた。こんなとこで、奇遇ですな。暇なら、景気付けに飯でも行かん? それとも、もう食った? 食っとっても行こ?」

「クラゲンさん。いや、食べてないけど……」

「そんじゃ、問題ないな。行きつけの、ええ店があってな。お兄さんが奢ったろ」


 結構強引だなぁ。別に断る理由もないけどね。奢ってくれるみたいだし。


「でも、ご飯って、もったいなくないですか?」

「……え、何が? 時間とか? もしかして、栄養剤くすりで済ませる派閥タイプ?」

「何がって、お金が」


 ただでさえお金がないのに、特に必要でもない食事に、お金をかけるという発想がなかった。食べたら、なくなるじゃん。


 クラゲンさんは、しばらく絶句してから、やっと反応した。


「……いや。飯食わんと、まともに実力ちから出せんやろ?」

「そうかな……? トレイシーはどう?」

「飯? あの、口に入れるってやつ? 球人おれたちは習慣ないなあ」


 だよね。やっぱり、なくていいと思います。


「ちょい待ち。異界いなか育ちの珍妙生物トレイシーはどうか知らんけど、妖霊の冒険者ナズナちゃんが食事の習慣ないのは、どう考えてもおかしいやろ?」

「そんなこと言われてもなぁ。別に、食べなくても死なないし」

「そらまぁ、食わんことが直接の死因にはならんけどさ。死ぬわ。雑魚相手ならともかく、今回の相手、ラグナやで? 正気? ……ザック君は?」


 見習いさん。そこんとこ、どうなんですか。


「……まぁ、たまには食ってる。だいたい、三日に一度くらいか。でも、姐さんが飯を食ってるのは、ほとんど見たことがない。俺が知る限りでは、年一回くらいの頻度だ」


 見習いは食べてたんだ。たまに別行動してるな、とは思ってたけど。ご飯なんて、お祝いのときに、何となく雰囲気で食べるものじゃないの?


「いや、ちゃんと毎日食わんかい。豪勢な飯を毎日食えとは言わんけど、手頃な飯なら、どんだけ赤貧せきひんでも食えるとこくらいあるやろ。三日に一度は本当ホンマの最低限やし、年一ネンイチにいたってはもうやぞ」


 論外かぁ。そこまで言う? 実際、今まで何とかなってきたんだし。塵も積もれば山となる、って言うじゃない。


「……なるほどなぁ。その過剰性能オーバースペックで、今まで無理を通してきとんのか。色々と、納得やわ。えらい非効率なことを……。確かに、極限まで効率を突き詰めるんなら、要らん時は別に食うまでもないけどさ。現実は、いつ何が要るかなんて予想付かんし、普段からちゃんと備えとかなあかんよ? なんにせよ、今は取り敢えずええもん食いに行こ」


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 クラゲンさんに連れられて、なんか上品そうなところに着いた。粋々イカす亭というらしい。見るからに、お高そう。


「邪魔すんで。を四人前、よろしく」

「あら、クラゲンさんじゃないですか。お連れ様がいるのは、随分珍しいですね。最近、調子はいかがです?」


 給仕のお姉さんが、親しげにクラゲンさんに話しかけている。


「ぼちぼちですわ。気の重かった大仕事も、今日の夜には終わらせてきますよってに」

「……例の龍狩りですね。無事にお帰りになられること、クラーケの住民一同で祈っております」

「おおきに。ま、泥船に乗ったつもりで安心してや」


 ……大船じゃなくて? 物言いに不安が残るなぁ。

 でも、クラゲンさんは街の人たちに慕われてるんだね。有名な冒険者に対する憧れだけじゃなくて、もっと深い信頼関係があるように感じる。そういうの、いいよね。


「お待ち。『海千うみせん丼』だよ」


 持ってこられたのは、非常に大きな丼に、大量の色鮮やかな海鮮が「頭おかしいんじゃないの?」と思うほど、天をくように盛られた、豪勢な丼飯どんぶりめしだった。いや、美味しそうではあるんだけど。


故郷ふるさとの言葉に『海千うみせん山千やません』ちゅうのがありましてな。確かな経験を積んで、賢く、したたかに立ち回るものを指す言葉なんやて。なんでも、どっかの伝承によると、海に千年、山に千年生きたヘビは、竜になるんやとさ。ま、細かいことは知らんけど。龍狩りのゲン担ぎには丁度ええやろ?」


 クラゲンさんの説明が、頭に入ってこない。眼の前の光景に圧倒されている。相手が食べ物なのに、逆にわたしが食べられそうな、そんな感じがしている。


「へえ。それで、山千やませんの方は?」

「アホウ。そこはもう、気合と根性。それと、普段の研鑽どりょくでカバーすんねん。全部を他人ひとと物に頼ろうとすんのはアカン」

「なるほどね。確かにそうだ。じゃあ、おれたちはもう問題ないね。これで勝てるよ」


 トレイシーの方は、いつも通りの様子だ。


「……クラゲンさん。これ、いくらするんですか?」

「一人前で10万やな。うて一番ええのやし、そんなもんよ。最悪さいあく、今回でもう最期おわりかもしれんのに、出し惜しみはあきまへんで、ナズナちゃん」


 金銭感覚の違いに、目眩めまいがするのを感じた。


 わたしがたまに食べてたお祝いのご飯なんて、せいぜい100もいかないのに。10万って、回復薬2本分くらいの値段だよ……?


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 帰り際に、給仕のお姉さんに声をかけられた。少し不安の滲む声で、すがるように。


「旅のお方。……クラゲンさんのことを、よろしくお願いします」

「ん。まあ、任せてよ。全力でお手伝いさせてもらうからさ」


 トレイシーは、いつも通りの気楽な声で、軽く返した。

 その声には、なんだかよくわからないけど、漠然とした不安なんて、全部振り払ってしまえるような、前向きな気持ちがこめられていた。

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