#41 家族一緒に

「そんなことはありえない!!」


 吉平が春明に掴み掛かる勢いで叫んだ。

 雷明、桔梗による陰陽寮襲撃の数日前。陰陽寮の一室で春明は、吉平、吉昌と話し合っていた。


「だから万が一って言ってんだろ。俺も晴明さんが負けるなんて思っちゃいねーよ。……だが、相手はあの雷明だ。正直何が起こるかはわからない」


「そうだよ。作戦はしっかり練っておかないと。本当に何が起こるかわからない。春明さんは間違ったことは言ってない」


 春明と吉昌の言葉を聞いて、吉平は唇を噛みながら俯いた。


「俺たちができることは、戦いの準備を万全に整えておくことだけだ。晴明さんが倒された時、弱った雷明を確実に除霊する。その時のために」




「我、この悪霊を滅す、急急如律令」


「あ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 春明に呪符を貼り付けられた雷明がその場に蹲りながら呻き声をあげた。彼の体はボロボロと崩れ始めたが、いつまで経っても完全に崩壊しない。完全には除霊できていない。


「くそっ、さすが大悪霊ってだけはあるな。もう一度……」


 春明がもう一枚の呪符を振り上げて雷明に貼り付けようとした。その時、


「雷明!!」 


 悲痛な叫び声をあげる白い着物の女が、こちらに向かって走ってきた。


「桔梗……!!」


 父と祖父を殺した女が目の前にいる。春明の中でどうしようもない程に憎しみが込み上げてきた。


「殺してやる。我、この悪霊を滅す、急急……」

 

 春明が怖い顔で桔梗に呪符を向けた時、一羽の鷹がその呪符を啄んで飛び去った。

 春明が急いで鷹が飛んできた方を向くと、地に伏した雷明がこちらに向かって手を伸ばしていた。まだ、式神を呼び寄せる力まで残っていたとは。

 走ってきた桔梗は、そんな春明のことを素通りして雷明の元へと駆け寄った。


「雷明……嫌だ……嫌だ……。また私のことを置いて行ってしまうのか」

 

 桔梗がボロボロになった雷明の体を引き寄せる。雷明は震える手で桔梗の頬に優しく触れた。


「すまない桔梗。負けてしまった。お前が頑張ってくれていたのに、結局、復讐を果たすことはできなかった」


「そんなこと……そんなことはもうどうでもいい……。私はただ、君と共に居たかった。また、君に優しく触れて欲しかった」


 桔梗の目からはポロポロと涙がこぼれ落ちる。

 雷明と桔梗に向かって、白虎に跨った吉平と吉昌が険しい表情で迫ってくる。しかし、春明はそれを「待て!!」と叫んで制止させた。


「そうか、そうだな。私もお前といつまでも一緒に居たかった。いつまでも、いつまでも」


 桔梗から溢れた涙が雷明に触れると、雷明の体が崩壊し始めた。


「お前に出会えて本当によかった。こんなにも愛してもらえたのだから」


 雷明がそっと目を閉じる。


「私も……私の方こそ、君に告白してもらえて、君に連れ出してもらえて本当に嬉しかった。退屈でただ辛かった私の日々を変えてくれた。本当に、本当にありがとう。大好きだよ」


「ああ、私もだ。私もお前のことが大好きだよ……桔梗」


 桔梗は雷明に優しく口付けした。


 ……そして、雷明の体は完全に崩壊して、真っ黒な霊魂だけがその場に残った。


 桔梗はその霊魂をそっと拾って立ち上がる。


「安倍春明、私がしてきたこれまでの行いは間違いだなんて思っていない。だが……だが、君にだけは謝らねばな。本当にすまなかった」


 桔梗は立ち上がると春明に向かって深々と頭を下げた。

 桔梗の言葉を聞いて、春明は目をぎゅっと瞑りながら頭をガシガシと掻く。


「どいつもこいつも自分勝手な奴ばっかだな! それで……あんたはどうするつもりなんだ。また陰陽師に復讐するのか? 桔梗」


「もう、復讐なんてどうでも良くなってしまった。私は消滅するまで雷明と共に居るよ。……春明、貴様が私を除霊するというのならばすればいい。貴様にだったら、私は良い」


「……もう俺ももうどうでも良くなっちまった。あんな別れを見せられたら、もうどうにもできねーよ。…………何処にでも行けばいい。だが、二度と俺にその面を見せるな!」


 春明の顔を見て、桔梗は明親のことを思い出した。

 やはり、あいつの子孫なのだな。と、桔梗に優しい笑みが溢れる。


「ありがとう。それじゃあ、行こうか。雷明……」


 その瞬間、地面から巨大な笑顔ピエロが大きな口を開きながら現れて、一瞬にして桔梗のことを飲み込んだ。


「なっ」


 突然のことに春明、吉平、吉昌が驚きの声をあげる。

 そのまま笑顔ピエロは猛獣のように四つん這いになりながら走り去っていった。


「追いかけなきゃ!」

「追いかけるなんて野暮ですよ! 野暮ですね」


 笑顔ピエロを追いかけようとした吉昌の目の前に、楽顔ピエロが現れる。


「くっそ、虎!」


 春明が形代を取り出して、虎の式神を呼び寄せるも、楽顔ピエロはひらりと飛びかかってくる虎を避けた。


「あいつらをどうするつもりだ、ショタ!!」


「せっかく彼らは一緒になれたんです。何百年もの時を超えて。家族水入らずの邪魔は良くない。良くないです。それでは、さよなら」


 そう言って楽顔ピエロは消えていった。


「追いかけますか?」

 

 吉昌が春明に問いかける。しかし春明は首を横に振った。


「もういい。今から追いかけたところで、たぶん追いつけはしねーよ。それに……」


 春明は吉平の方を見た。

 吉平がボロボロになって倒れている晴明の前に歩いて行く。


「ねえ……いつまで倒れているんですか?」


 吉平が細い声で晴明に問いかけた。もちろん、晴明からの返答はない。


「天才なんですよね……負けないんですよね……最強……なんですよね…………なのにどうして……」


 吉平は拳を握りしめて震わせた。


「勝手に死んでるんじゃねぇ!!!!!! あなたからはまだ教わりたいことも山ほどある! あなたの隣に立って、成し遂げたいことだってたくさんある!! 私だけじゃない! 安倍家の皆が、陰陽寮の皆がそう思っているはずだ! それに置いて行かれたマチさんはどうする!? あなたにだってやらなければならないことがたくさんあるはずだろ!!!!」


 吉平の叫びを聞き、吉昌はボロボロと涙を溢した。春明は暗い顔を俯かせながら、ただ、聞いていた。

 吉平が屈んで、顔を晴明に近づける。


「私はまだ、あなたの側に居たかった……。あなたにもっと褒めてもらいたかった……。なあ、いつものように嫌味ったらしくてもいい……憎まれ口でいいから……何か言ってくれよ…………」



「ヒュー、ヒュー」


 吉平は、まだ晴明に息があることに気がついて目を見開いた。細くて今にも消えてしまいそうな微かな呼吸。


「息がある……。まだ、生きている!! 救護班!! 早く救護班を呼べ!!」


 吉平の言葉を聞いて、吉昌は寮に駆け込んだ。

 そして、すぐに安倍晴明の元には複数人の救護者がやって来た。




 桔梗は真っ暗闇の中でこれまでのことを考えていた。

 どうして私はこんなにも復讐に囚われていたのだろう。どうして私は陰陽寮だけでなく、橘の家を襲い、その家族を虐殺しようとしたのだろう、と。

 復讐に囚われるあまり、新たな憎しみの連鎖を生み出してしまった。明親の子孫である春明や私たち一族の子孫である死装束姿のあの子まで。

 ……そうだ、ピエロだ。私はピエロに唆されるままに——


 その時、桔梗の目の前が突然明るくなった。笑顔ピエロに吐き出された桔梗は広い原っぱに座り込んでいた。空は青く澄み渡り、心地の良い風が吹いている。

 

「この場所はあなたを弔うために、毎年陰陽師たちによって桔梗の種が撒かれます。夏頃には白くて綺麗な花が一面に咲くそうですよ」


 桔梗のすぐそばに立つピエロが、ポツリと言った。


「ピエロ……」


「あれ? 復讐はもういいんですか? せっかく雷明の復活も手伝ってあげたのに、もうこんなになっちゃって」


 ピエロは両手を広げて驚いた素振りを見せた。


「もういいんだ。復讐なんてしなくてもよかったんだ。私はただ……ただ、家族と一緒に幸せに暮らしたかった」


 そう言って桔梗は雷明の霊魂を見た。

 そうだ。私はただ、家族と一緒に幸せになりたかった。雷明と正道と三人で。温かい食卓を囲んで、笑い合う。そんな、普通の幸せを感じたかった——


「腑抜けてしまいましたか。全く、このショーから降りるというのならば、もうあなたは用済みです」


「最後に……最後に聞きたいことがある」


「なんですか?」


 ピエロが桔梗に向かって首を傾げる。


「正道は……あれから幸せに暮らせたか? 私たちの子孫は何処かで幸せに暮らしているのか? …………そんなことあんたに聞いてもわからないか」


 その瞬間、ピエロは桔梗の胸に腕を突き刺した。「ゴフッ」っと桔梗が呻き声をあげる。


「あなたの子孫ですか。そんなもの、もうとっくに…………。橘正道は幼くして死んだ。あの時必死に守ったのも無駄骨でしたね。ケタケタケタケタ」


「そう……か……。きっと私に……罰が当たったの……だな」


 桔梗の体がじわじわと崩壊していく。彼女は薄れていく意識のなかで天を仰いだ。

 桔梗と雷明が正道を挟んで川の字で眠っている。きっとこんな幸せもあったのかもしれない。


 もうすぐ、もうすぐ会えるから。雷明、正道。あの世ではきっと幸せに暮らせるから。それくらい、神様は許してくれるから……


 そして桔梗は静かに消滅していった。

 その場には雷明と桔梗の霊魂が二つ落ちている。その真っ黒な二つの霊魂を、青パジャマを着た、坊ちゃんヘアーの幽霊が拾い上げた。


「あなたたちの魂はもう少しだけ利用させてもらいます。……さようなら、母さん、父さん。俺をこの世に産みやがってくれてありがとう」


 ケタケタケタケタ。

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