#37 正しい道を
何やら陰陽寮中が騒がしい。異様な雰囲気を感じ取った明親は、廊下で鉢合わせた晴明に問いかけた。
「何かあったんですか? 晴明様」
「明親! ちょうどいいところに。雷明を見てないか? 光善がしばらく雷明のことを見ていないと騒いでいるんだ!」
「……俺も見ていないですね。てっきり何処かに仕事に行っているのかと」
「私もそう思ったんだがな。街中探し回っても、賀茂家の陰陽師が仕事に来たという情報がないんだ! まさか奴め、逃げ出したか?」
明親は目を見開くと、すぐに走り出した。
「おい! 明親! 何処に行く!!」
そんな晴明の言葉を無視して明親は走り続けた。
もしも……もしも、雷明が桔梗の元に行っていたとしたら。そんな可能性ほとんどないとは思うが……あの雷明ことだ、完全には否定できない。だとすると、彼は確実に陰陽師たちに殺されてしまう。
早く、誰よりも早く見つけ出さねば。
明親はその一心で陰陽寮を飛び出した。
数ヶ月が経った。雷明と桔梗はひたすらに西に向かった。陰陽師にも、町奉行にも見つからないように。
夜の寒さは、町人の家に泊めてさせてもらって凌いだ。桔梗が孕っているということもあってか、ほとんどの人が快く泊めさせてくれた。
雷明と桔梗は一室を借りる代わりに、家主の仕事の手伝いを積極的に行った。畑仕事に獣狩り、家事だってやった。どれも不慣れなことばかりであったが、幽霊退治ばかりしていた雷明にとって、どれも新鮮で楽しく感じられた。
一つの家に泊まるのは長くても二日間にすると、雷明と桔梗は二人で決めた。それ以上居座ってしまっては相手に申し訳ないと感じたからだ。お礼を言って家から出ると再び西に向かって歩き出す。
助け合い、人々の温もりに触れた二人は、とても充実した日々を過ごしていた。
「雷明、まだ起きているか?」
ある日の夜、同じ布団で横になっている雷明に桔梗が問いかけた。
「どうした? 桔梗」
「なあ、私は今、とても幸せだよ。君はどう?」
「本当にいきなりどうしたんだよ。私も幸せだよ」
雷明の返答に、桔梗からはふふっと笑い声が溢れる。
「実を言うとな。私が陰陽寮に住み始めたのは、家族に対するささやかな抵抗のつもりだったんだよ。君の愛の告白を利用してね」
「え!? そうだったのか?」
驚いた雷明が布団を剥がして飛び起きる。
「もちろん、今は君のこと大大大好きだよ。でも最初はさ、稽古稽古とうるさいあの家が、どうしようもなく嫌で、逃げ出したかった。だから、一人で家を抜け出して旅に出ようと思ったんだ。三週間かけて京都まで行った時、ふと陰陽師に助けてもらったこと思い出してね。陰陽寮まで行ったんだよ。そしたら、急に君が告白し出すの」
クスクスと笑う桔梗に対して、雷明は「笑うなよ」と顔を赤くした。
「本当、意味わかんないって思った。でもこれを利用してやろうって思ったのよ。最初は恋心なんて全然なかったけどさ。誠実な君を見ているうちに、いつしか心が惹かれてた。ああ、私ってこの人のことが好きなんだなぁって」
雷明は顔を赤くしながら桔梗の言葉を聞き続けた。
「絶対に三人で幸せになろうね。雷明」
それからしばらくして、桔梗と雷明の間には子供が生まれた。陣痛が起こった時に泊まっていた家主が出産経験のある人で、子を取り上げる手伝いをしてくれた。
生まれた子供はすぐにわんわんと泣き、そして桔梗の腕に抱かれた。元気な男の子だった。
雷明と桔梗は生まれて来た子を優しく見つめた。
「ねえ雷明、この子の名前、どうするの?」
「そうだな……この子には正しい道を真っ直ぐに歩んでいって欲しい」
「まっすぐに……歩む…………正しい……道……
「正道か……うん。すごくいいじゃないか」
「正道。あなたは今日から正道。私たちの可愛い子」
桔梗が正道に呼びかけると、彼はさらに泣き声を強めた。
「この子も気に入ったみたいだ。よろしくな、正道」
正道が生まれてからは、二人は幸せの絶頂だった。この家族でならばどんな困難も乗り越えることができる。そんな気さえしていた。
しかし、その幸せも長くは続かなかった。
『灰色の着物を着た短髪で白髪の男と、白い着物を着たおかっぱ頭の女を探している。見つけたものには褒美が出る』
そんな噂が触れ回った。その文言が書かれた瓦版も至る所に設置され出した。陰陽師たち、そして町奉行たちが雷明と桔梗のすぐ近くまで迫っていたのだ。
雷明と桔梗は誰かの家に泊まることもできなくなってしまった。身を隠しながら移動し、夜は野宿することも多くなった。
季節は冬、寒さを耐えるのも限界に近くなっていた。そんなある日の夕方。
「雷明?」
ひとけのない路地で、胸元に五芒星の描かれた白の着物を着る男に桔梗と雷明は見つかった。安倍家の陰陽師だ。
「桔梗、逃げるぞ」
雷明とタオルに包まれた正道を抱く桔梗は走り出した。
「待て! 待ってくれ! 俺だ。明親だ!」
「明親!?」
雷明は足を止めて振り返った。近づいてくる人物をじっとよく見てみると、それは親友の明親であった。
「よかった。他の奴らより先に見つけられた!」
明親が安心したような表情で胸を撫で下ろす。
「明親がどうしてここに!?」
「どうしてって……あんた、このままだとやばいぞ! 陰陽師の連中があんたのことを血眼になって探してる。見つかったら殺されっちまうんだぞ!」
明親は雷明の肩を掴んでガシガシと揺らした。
「それはわかってる! でもどうしたらいい!?」
「俺も手伝う。このまま西に行け。最西端まで行ったら朱雀に乗って支那の国まで逃げるんだ」
「国を出る……」
雷明は一瞬固まってしまった。
式神を使って異国の地に辿り着けるのだろうか。辿り着けたとしても無事に暮らせるだろうか。……そんなことで躊躇っている暇はない。
雷明は覚悟を決めた顔をする。
「助かる」
「なあに、友達だろ」
明親は雷明に笑顔を向けた。
それから雷明たちは身を隠しながら四日かけて日本の最西端へと移動した。
しかし、それを先読みされていたかの如く、雷明たちはある人物と再会することとなる。
夕暮れ時、雷明たちは港へと到着した。
「雷明、ここからは朱雀に乗って行け。向こうに行ってしまえば、あいつらも簡単には追ってこれないはずだ」
「明親……本当にありがとうな。………なあ、もうお前には会えないのか」
寂しそうな顔をする雷明に向かって、明親は笑顔を向けた。
「今更そんな心配か? ったく、事が落ち着いたら幾らでも会いに行ってやるよ。だから、そんな顔するな。俺が会いに行くまでくたばるんじゃねーぞ。幸せになってなかったら、絶対に許さないからな」
明親が人差し指をビシッと雷明に向けた。
ここで別れたらもう二度と会えないかもしれない。十九年以上も自分の隣にいた戦友。寂しくないと言ったら嘘になる。でも、ここで彼を引き止めるのは、彼の為にはならない。そんな思いが、明親の気持ちを押し殺す。
「ああ、わかった。お前こそ、絶対に会いに来……」
「シャーーー!!」
別れの言葉も束の間に。気がつけば、雷明たちは数十の蛇たちによって取り囲まれていた。
これは、式神か?
嫌な気配を感じ、雷明は額に汗を伝わせる。
「久しぶりだねぇ、雷明ちゃーん」
「芦屋……
彼らの目の前に現れたのは、髪の長い細身な男。陰陽師芦屋家頭首である芦屋川人とその部下たちであった。雷明たちは一瞬にして彼らに取り囲まれる。
「君たちが考えそうなことなんて、かーんたんにわかっちゃうのよ。あれ? もしかして本気で逃げられると思った? ほーんとうにお馬鹿さんなんだから」
ニヤニヤとした気色の悪い顔で話す川人は、すぐにその表情を険しいものへと豹変させた。
「三人を拘束しろ」
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