#36 穢れた血
雷明が桔梗と結婚してから数日後、陰陽寮に町奉行を束ねる家系“橘家”から使者が送られてきた。町奉行のトップ、橘
まさか橘の人間だったとは、と雷明は酷くショックを受けた。
今まであんなに親しくしていた陰陽師や寮母たちは、途端に桔梗のことを軽蔑するような冷ややかな目で睨みつけていた。桔梗は目を潤ませながら、雷明に何かを伝えようとしていたが、結局何も言わずに大人しく使者に付いて帰って行った。
その後、雷明は賀茂家頭首である賀茂
それからの雷明に対する陰陽寮の人らの態度は一変した。皆が彼のことを避けるようになり、影では悪口を言われてしまうようになった。それでも明親だけは変わらなかった。明親だけは、以前と変わらずに明るく雷明に接し続けた。
「おい雷明。あまり無理をするなよ」
陰陽寮入り口のアプローチで、明親はすれ違いざまの雷明に声をかけた。雷明の顔は酷く衰弱した様子で、虚な目で地を向いている。
「大丈夫だ、心配ない」
「大丈夫じゃないだろう! 仕事も食事もろくにもらえない。こんなにやせ細ってしまっているじゃないか! ほら、これを食え」
明親は雷明に魚のすり身を固めた固形食をこっそりと渡した。しかし、雷明は顔を歪ませながらそれを床に投げ捨てる。
「大丈夫だと言っているだろう! 私に構わないでくれ!!」
そう言ってすぐに雷明は、はっとした。
「すまない。そんなつもりじゃなかった。……でも、本当に私に関わらない方がいい。お前まで皆から軽蔑されてしまう」
「かもな。でも、こんなの間違ってるよ。敵対視してる一族の人を連れ込んだってだけでこんな仕打ち……あいつらだって桔梗と仲良くしてたくせに、急に手のひら返しやがって」
明親は拳に力を込めて震わせた。
「ありがとう明親、私のためにそこまで怒ってくれて。でもいいんだ。本当にいいんだ」
「もしあんたがここから逃げるって言うなら、俺も手伝ってやる」
「そんなことしたら、私もお前も殺されてしまう!」
「大丈夫。陰陽師たちに見つからないところまで逃げてやろう。それにどうせ見つかったって、俺とあんたは頭首に張り合えるくらいには強い。だろ? なんとかなるって」
明親が雷明にニッと笑顔を向ける。
「ありがとう。その気持ちだけで本当に嬉しいよ。ありがとう」
そう言って、雷明は自分の寮に向かって歩いて行ってしまった。そんな雷明を明親は寂しい顔で見送った。
それから、半年ほど経った。陰陽寮の庭にある木々は赤や黄に美しく色づき、紅葉狩りにはもってこいの景観となった。気温も少し下がってきて、肌寒く感じる日もあるほどだ。
依然として雷明は陰陽師の皆から避けられるような日々を過ごしていた。そしてまた、雷明も皆を避けるようにひっそりと暮らしていた。
明親は雷明に積極的に関わろうとしたが、雷明はそれを拒むように、すぐに何処かへ行ってしまった。明親の心に、もやもやとした気持ちが降り積もっていく。
「晴明様、いい加減に雷明への嫌がらせを止めさせたらどうですか!」
陰陽寮の一室で明親が少し怒ったように、二十代目安倍晴明に問い詰める。
「ああ、賀茂雷明のことか? 仕方ないだろう。穢れた血の持ち主をこの陰陽寮に連れ込んできたんだ。当然の罰じゃないか」
「ですが、彼ももう反省しています! それに、なぜ橘をそんなにも忌み嫌っているのですか?」
「おい明親。それはお前もわかっているはずだろう? 我々が魑魅魍魎から一般人を守ってやっているのに、やれ怪しい魔術だ、やれ頭のおかしい連中だのと人々に嘘を吐き、虚仮にしてくるような奴らなんだぞ。橘の一族となんて関わっても碌なことにはならない」
「ですが!」
「ですが?」
晴明は怖い顔をしながら、明親に被せるように発言した。
「私に口答えするのか? 君は私の側近であり、ゆくゆくは晴明の名を襲うというのに。こんなんじゃあ先が思いやられますな」
明親は晴明の顔を睨みつけると、部屋の入り口まで歩いて行き、襖に手をかけた。そして、少しだけ振り返る。
「友を……雷明を見捨てるくらいならば、晴明の名などいらない」
そう言い残して部屋を出て行った明親の影を、晴明は困った顔で眺め続けた。
雷明は外に出かける準備をしていた。
雷明が陰陽寮を抜けて歩いていると、低木の陰から白い着物を着た女が飛び出してきた。
「……桔梗!?」
「……久しぶり雷明」
驚き顔の雷明に向かって桔梗は笑顔を向けた。
「ど……どうしてここに!?」
「君に会いたくて抜け出して来ちゃった」
「抜け出して来た!? そんなことをしたらお前は家の者からこっ酷く叱られてしまうのではないか!?」
雷明の言葉を聞いて桔梗はくすくすと笑い出す。
「な……何がおかしい?」
「私の心配をしてくれるなんて、君は本当に優しいなと思ってさ。雷明のほうが大変だったんじゃないのか? こんなにやせ細ってしまって」
「ああ、酷い目に遭わされた。でも、それはお前の所為じゃない。陰陽師たちがおかしいのだ。こんなに素敵な人を嫌うなんて」
「うちも似たようなものだよ。父さん、ものすごく怒っちゃってさ。『あんな頭のおかしい奴らと一緒に暮らすなんて、お前は一族の恥だ』なんて罵倒されちゃって」
桔梗が悲しい顔をしながら話した。その儚げな表情を見て、雷明は胸がとても苦しくなった。
ふと、雷明が桔梗の腹の方に目をやると、彼女のお腹は少しだけ膨れていた。
「桔梗……その腹はどうした……?」
「赤ちゃんできた。……君との子だよ」
「お前! その腹で江戸からここまで歩いて来たのか!? 体は大丈夫なのか!?」
「大丈夫だよ。私って結構丈夫だから」
心配する雷明に向かって桔梗はニッと笑顔を向けた。
それを見て雷明は、一筋の涙を流すと桔梗の腹に優しく触れた。
「そうか。私たちの子か。…………なあ、桔梗。私と何処か遠くに行かないか。陰陽師からも君の家族からも見つからない、何処か遠くへ」
桔梗はゆっくりと視線を落とし、自身の腹に手を置く彼に触れる。
「うん。君ならそう言ってくれると思ってた。どこまでも、どこまでも遠くに行って。それで、三人で幸せに暮らそう」
雷明が桔梗の手を握ると、二人は歩みを始めた。
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