#25 絶望の淵で
太陽は西の地平線へと殆ど沈み、外はすでに薄暗くなっている。そんな中、柔和な顔つきの晴明が、マチをお姫様抱っこで抱えながら、カフェ陰陽へと戻ってきた。
「お待たせみんな、戻ったよ」
晴明が入り口の引き戸を開けてまず目に飛び込んでものは、暗い顔でテーブル席に座る皆と、困惑した様子でいる美波の姿だった。
「あっ、お帰りなさい」と、美波が晴明に声をかける。
「どうしたんだい? こんなに暗い顔をして。まるでお通夜じゃないか」
晴明が軽く微笑んで言うと、それにピクリと反応した春明が「晴明さん……」と声を出した。
「晴明さん。あいつの……雷明の封印はどうなった!!!! …………おい……どうしてマチちゃんがここにいるんだよ!!」
瞼を吊り上げさせながら春明は晴明に問いかけた。晴明は顔色を変えずに静かにマチの顔へと視線を移す。
「ああ、マチを人質に取られてしまってね。雷明の封印は解いてきた。いやいや、私も大誤算だったよ」
そう言った晴明は苦笑の表情を浮かべると、右手で握り拳を作って自らの額にコツンと当てて見せた。
「おい、笑ってる場合じゃないだろ。マチちゃん人質に取られたって、陰陽寮は無事なのかよ? それに雷明はどうしたんだよ!!」
「陰陽寮はひとまず無事だよ。吉平と連絡がついてね。何体かの悪霊に襲われているようだけど、吉平、吉昌、忠司、光樹らが皆に指示を出して頑張ってくれている。とりあえずは、なんとかなりそうだ。……雷明は復活したばかりでまだ本調子ではないようだった。桔梗に連れられて雲隠れしたようだけれど、陰陽寮に攻め入ると宣戦布告されてしまったよ」
晴明は落ち着いた声色でそう話すと、続けて春明たちへの質問を口にした。
「皆んなはどうしたんだい? そんなに顔色を悪くして」
「うちで面倒を見ていた幽霊の一人が…………悪霊ピエロの正体だった」
「……状況から察するに、ショタくんだったのかな」
晴明の問いかけに、春明は何も答えずに晴明から目を逸らして唇を噛み締める。
「そうか、それはこんな雰囲気にもなるな。皆を慰めてあげたい気持ちはやまやまだけれど、雷明がいつ襲撃してくるかわからないんでね、私は早急に帰らねばならない」
すると、晴明の腕の中で眠るマチが、ゆっくりと目を開いた。
「晴明さん……?」
「マチ! ……大丈夫か? 具合は?」
「私は大丈夫。それよりもなんでここに晴明さんがいるの? 陰陽寮が悪霊に襲われて……」
心配した様子の晴明の問いかけに、マチは自分のことではなく陰陽寮の心配をした。晴明がマチのおでこに自分の額を重ね合わせて、「大丈夫だから、君がその心配をする必要はない」と優しく声にした。マチは「そっか、晴明さんがいれば安心だね」と微笑んだ。
それから晴明は身支度を済ませると、マチの手を取り、入り口の取手に手をかけた。その頃には、マチは自分で歩けるほどにまでは回復していた。
「それじゃあすまない、私たちはもう行くよ」
「なあ、晴明さん」
春明の暗い声に反応して晴明が振り返る。
「なんだい? 春明くん」
「雷明は史上最恐の悪霊と言われていたんだろ。その……大丈夫なのかよ?」
「ははっ、君は誰にものを言っているんだい? 私は史上最強の陰陽師だよ」
そう言って晴明は微笑むと、カフェ陰陽から出ていった。
「……皆さんはこれからどうするんですか?」
重苦しい空気の中、美波が先陣を切って声を出した。
「ハハ、どうして良いのかわからなくなってしまったね」
マッチョが困ったような笑顔で頭を掻いた。その声には、普段の元気さは全くと言ってないように感じられた。
「……俺は自分が成仏するために本気で動こうと思う」
静かに口を開いたアクタの発言に、皆の注目が集まる。
「ショタのことは残念だけど、やっぱり自分自身としっかり向き合いたいからさ。あの時、……達海を助けに行った時、本当ならば俺とマッチョは除霊されているはずだった。なのになぜかあの人は俺たちを見逃したんだ」
アクタがそう話してマッチョを一瞥すると、さらに話を続けた。
「それからしばらく身を隠しながら俺たちは行動していたけれど、もうそれだけじゃダメだと思うんだ。皆んなにまた会えたことは嬉しかったし、春明にも皆んなにもすごく、すごく感謝している。だけど俺は、自分が成仏するために、ここから出て行くよ」
アクタの言葉に、レイ、マッチョ、お嬢が目を見開いた。アクタの目は冗談を言っているものでも、悲観的なものでもなく、真剣そのものだった。
すると、春明が顔色を変えずに淡々と話を始めた。
「そうだな、それが良い。ここがいつまた襲われるかもわからねぇー。こんな危ない場所にいるくらいなら、自分で成仏への道を探した方がよっぽど良い」
春明の言葉にお嬢が「ちょっと、春明さん!!」と悲しそうな声を出す。
「マッチョはどうするんだい?」
「ハハハ、そーだな。それじゃあ、ワタクシは全国のボディービルの大会を周る旅にでも出ようかな!」
アクタからの問いかけにマッチョが答えた。その声は無理やり元気を見せるような、そんな声だった。お嬢が「マッチョさんまで……」と声を漏らす。
「春明少年。君はもちろん、ここで店を再開させるんだよな?」
マッチョからの問いに春明は短く「ああ」と返事をした。
「ならばいい。ワタクシは時々ここに帰ってくる! その時に、皆んなに関する嬉しい報告を聞けることを期待する。だから、君もしっかりここに顔を出せよ! 出さなくなったら勝手に成仏したと判断するからな。ハハハハハ!!」
そう言って、マッチョはアクタの肩に図太い腕をかけた。アクタが困ったような笑顔を見せる。
「それじゃあ! それじゃあ、私は春明さんと一緒にいますわ。この人、私が居ないと何しでかすかわからないんですもの」
お嬢は涙目になりながら春明のことを見た。春明は「わかったよ」と困ったような嬉しいような、そんな声を出した。
「レイさんはもちろん……ここに残るんですのよね?」
お嬢から話を振られたレイは、困惑したような表情をした。
「私は……私は……」
そう言って春明の方をチラリと見る。
「ここに残ってくれても構わない。でも、俺に遠慮する必要なんてねぇからな。あんたがやりたいことをやればいいんだ」
そう言った春明の顔は優しかった。
「じゃあ、私も……ここから出ていくよ。私も、私自身が成仏するために、ちょっと頑張ってみようと思う」
レイは眉を下げて、しかし口角は上げて、少し悲しみが混じった笑顔を皆んなに向けた。
レイからの返答を受けて、春明は「そうか」と少し寂しそうな顔で呟く。お嬢は目を大きく見開いて動揺の様子をみせた。
「ちょっと春明! レイは
「アクタはここから出て行くくせに! 私だってちゃんと考えがあるから! そんな過保護にしないでよ……」
心配の声を上げるアクタに、レイは反発した。レイに痛いところをつかれたアクタは「それは……」と言葉を詰まらせる。
「レイならきっと大丈夫さ。それに……一人って訳じゃないんだろ?」
そう言って、春明は美波の方を見た。それに気がついた美波は右の拳で胸を叩いてみせる。
「私もレイについて行きますからね。彼との……達海との約束は私が果たしてみせます。あなたの成仏は、しっかりと私が見届けてみせます」
美波の真面目な言葉に、レイは「……ありがと」と少し呆れたように、けれど、どこか嬉しそうに言った。
その様子を見たアクタはどこか不満げではあったが、顔を伏せて息を吐ききるような動作を見せると、無理やり自分を納得させたようだった。
春明が「決まりだな」と声を出す。
「あんたら、無様に除霊なんてされたら絶対に許さないからな。皆んなが笑顔で成仏することを願ってるよ。それじゃあ、ひとまず、さよならだ」
「皆さん、行ってしまいましたわね」
お嬢が店内のテーブル席で、悲しい顔をしながら項垂れていた。先ほどまでとは打って変わり、店内が酷く広く感じられる。
「そうだな」
春明は埃の積もった食器棚を布巾で丁寧に拭いていた。
「なあ、お嬢。俺はやっぱり、陰陽寮に戻ろうと思う」
「どうして!? ここで店を続けるって言っていたじゃありませんの! それに、もし皆さんが帰ってきたらどうしますの!」
春明の言葉に驚いたお嬢が飛び起きた。
「いや、陰陽寮に移り住むって訳じゃなくてだな。晴明さんやお袋のことも心配だからさ。雷明をどうにかするまでは向こうに居ようと思うんだ。もしかしたら、ショタにも会えるかもしれない。…………その……お嬢も来るか?」
「……そういうことでしたのね。もちろんですわ」
お嬢は優しい笑顔で春明に返事をした。
真夜中の墓地で、黒いキャップとサングラスを身に着けた赤髪の女と、死装束姿の幽霊が、一つの墓石の目の前で手を合わせていた。
「誰も弔ってくれないと達海も可哀想ですからね。晴明さんには本当に感謝します。彼の死体は帰ってきてないようですが、形だけでもお参りできてよかった」
「…………達海、私寂しいよ。どうして勝手にいなくなっちゃったの? 私の成仏を見届けてくれるんじゃなかったの? 陰陽の皆んなもばらばらになっちゃったよ。なんでこんなになちゃったのかな……」
レイは墓石に向かって涙を流した。
レイは春明たちと再開してから、少し涙もろくなったように思う。そんな彼女のことを近くでしっかりと見守ろうと、美波は心の中で誓った。
しばらくして、レイは腕で涙を拭うと、くるりと方向転換をして歩き始めた。美波が急いで後を追う。
「これからどうするつもりですか?」
「京都に……陰陽寮に行こうと思う」
「どうしてまた、陰陽寮に?」
「雷明は陰陽寮を襲いに行くんでしょ? だったらピエロも……ショタもそこに現れるはず。ショタは私の生前を知ってると言ってた。それにショタがどうしてあんなことをやっているのか……全部……全部私から問い質してやる」
「そうですね……わかりました。行きましょう!」
美波はレイに向かってニコッと笑ってみせた。
「タッタッタララッタッタッタララッ……ん?」
陽気な音楽を口づさみながら、軽やかなステップを踏んで夜道を歩くピエロの前に突然、黒い継ぎはぎのポンチョのような服を羽織った、真っ黒な天狗が現れた。
「おやおや、今更来たんですか。もう遅いですよ? 準備、整っちゃいましたよ?」
足を止めたピエロが、おちゃらけたように体を左右に揺らす。
「別にいいですよ。僕は君と少し話したくて来ただけですから」
「なんと! 今まで散々俺の邪魔をしていたくせに、今回は見逃すんですか? 読めない人ですねぇ〜」
「君の邪魔をしていたのは僕だけど僕じゃないって……君はどうせわかっているんだろ?」
「はて? 俺はあなたのことがさっぱりわからないですよ。俺の揃えた役者たちは皆、俺の手のひらの上で可愛くタップダンスを踊ってくれているのに」
そう言ってピエロは、右手の中指と人差し指を立てて“ピース”の形を作ると、それを人型に見立てて、自分の左手のひらでバタバタと踊らせているようにみせた。
「イレギュラーを除いては……ね」
ピエロが黒天狗のことを睨みつける。
すると、いきなり「ゼロちゃーん」と向こうから走ってきた灰色の着物の幽霊が黒天狗の背中に飛びついた。
「ゼロちゃんみっけ! 早く帰ろー。 ……ん? 何こいつ。ピエロ? ちょーきも可愛い!!」
黒天狗の背中から飛び降りた灰色の着物の幽霊が、ピエロの腕をツンツンと触ると、ピエロは鬱陶しそうにその手を振り払った。「こわっ。ねえ、こいつゼロちゃんの知り合い?」と言いながら苦い顔をして灰色の着物の幽霊が手を引っ込める。
「守りたいもの、救いたいものがどんどん増えているようですね」
「ええ、困ったことに」
ピエロの言葉に黒天狗は少し肩を浮かせながら返事をした。
「それじゃあ星奈さん、行きましょうか」
「ういー」
黒天狗と黒天狗から星奈と呼ばれた灰色の着物の幽霊は、くるりと方向転換をすると歩き始めた。
「あなた、守るものが多いといずれ腕からこぼれ落ちて全てが台無しになってしまいますよ! それも、また一興ですが」
ケタケタと嗤うピエロの言葉を聞いて、黒天狗はぴたりと足を止めると、大きくため息を吐いたような動作をみせた。そして首だけを捻り、少しだけ振り返ってみせる。
「そうかもしれないですね。でも皆んな僕にとって大切な人たちだから。……僕は君のことも救いたいと思ってるんですよ」
そう言うと、黒天狗は前を向いて再び星奈と歩き始めた。ピエロからは、闇夜に呑み込まれるように次第に二人の姿が見えなくなっていく。
「……本当に、あなたは優しい人だ。ムカつくなぁ」
ピエロは自らのまあるい赤鼻をポフポフと摘んだ。
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