10.黒い渦 -咲-
『咲、
アナタなんて要らないのよ』
待って、行かないでっ。
咲を捨てないでっ!!
『咲、サヨナラ……』
いやっ、
咲を一人ぼっちにしないで。
(和鬼……和鬼……)
いやぁーっ。
真っ暗な世界、
自身の声が部屋中に響く。
ぐっしょりとかいた汗が
肌にはりつく。
「姫さま。
姫さま、
いかがなされましたか?」
襖の向こう、
共に旅をする珠鬼が気遣う声が聴こえる。
だけど……珠鬼が、
その扉を自分から開ける気配はない。
そう、何処までも珠鬼にとっては、
私は咲ではなく、昔、この地の王族だった
咲姫その者。
和鬼に逢いたい一身で、
利用する感覚で、珠鬼を共に連れて
歩き始めた鬼の世界の旅。
どれだけ歩いても、
季節は春から移り変わることはない。
同じような景色を歩き続け、
門のある王都を目指し続けるものの
旅を続ける中で、
時間感覚すら麻痺していく。
訪れるのは、朝と夜ばかり。
季節は姿を変えることはない。
旅の宿に借りるのは、
行く先々の街の集落。
いつものように珠鬼が交渉に赴いて、
村人たちが、咲姫として崇めるように滞在先を提供する。
そこで聞かされるのは、
和鬼と咲姫の話。
★
咲姫さま。
桜鬼神の手により、遠き地へ
流刑されたと聞き及びましたが、
珠鬼さまが救い出されて、
再びのお戻り、この地の民にかわりまして
ことほぎことほぎ》申し上げます。
★
誰も私を咲として接するものは
ここにはいない。
なら、ここに居る私は何?
譲原咲として精一杯
生き続けた私は、何?
私の中で、何が私なのか
正直わからなくなってるほど混乱していた。
今の私は、
珠鬼の掌でもがく操り人形?
「姫様?」
「珠鬼、煩い。
夢見が悪かっただけよ。
だからもう、関わらないで。
出て行ってっ!!
アナタが横に居たら、
和鬼が私を訪ねて来れないわ。
何時まで経っても、
貴方たちの求める和鬼は
貴方たちの前に姿を見せないわよ。
和鬼を壊してしまったのは、
アナタたち、鬼の世界の存在だもの。
そして今、私も同じように
壊そうとしてる。
もう疲れたの。
私は咲であって、咲姫じゃない。
何度も言ってるでしょ。
もう私を姫なんて、呼ばないでっ!!
和鬼は、そんな呼び方絶対しない」
襖の向こうに怒鳴り散らして、
自分の布団の中に、潜り込む。
隣の部屋に居た珠鬼の足音は
ゆっくりと遠ざかっていく。
布団の中、
赤子のように体を小さる丸めて
体を震わせながら、
呪文のように縋り付くように
和鬼の名前を唱え続ける。
……和鬼、
私は此処に居る……
和鬼迎えに来て……助けて。
私が壊れる前に。
(……咲……)
何処からともなく、
彼の優しい声が
聴こえた気がした。
そう……。
和鬼はいつも
私を名前で呼んでくれる。
私を咲姫としてでなく、
咲として……。
名前で……
温もりを運んでくれる。
いつも和鬼は、
私を私として受け止めてくれた。
見つめてくれた。
抱きとめてくれた。
一人ぼっちで泣き叫ぶ私の心を
一番近くで、見守ってくれた。
……和鬼……。
逢いたいよ……。
孤独の冷たさに、
心が凍り付いてしまう前に。
ふと私の前に現れる黒い渦。
「誰?」
慌てて布団から飛び起きて、
黒い渦の中を見つめる。
『誰?
さぁ、どなたかしら?』
聴き覚えのある声と一緒に
姿を見せたその人は、依子先輩。
「依子……先輩……。
どうして」
依子先輩はまっすぐに
黒い渦の中から私の方へと歩いてくる。
黒い渦が私の周囲を包み込んでいくと共に
体が痺れるように
思い通りにならなくなっていく。
「咲、消えてちょうだい。
YUKIは私だけのYUKI。
貴女は目障りなのよ」
先輩は微笑みながら、
その白い両手をゆっくりと私の首元へと回していく。
「咲、アナタはいらない子。
誰からも必要とされない子。
あの世界でもアナタは必要とされない。
だからお父さんにも、
お母さんにも見捨てられた。
アナタのお母さんは、アナタを忘れて
新しい家族と幸せに過ごしていたでしょ?
アナタの居場所なんて、
あの世界の何処にもないの。
そしてこの世界にも、
アナタの居場所はない。
この世界で必要なのは、咲鬼姫であって
アナタじゃないもの。
アナタなんて、何処に居ても
存在価値がないの。
最初から誰にも必要とされない
可愛そうな子」
何度も何度も心の奥底に刻み込むように
黒い渦の中で、呟かれ続ける言葉。
私はいらない子。
そう。
だからお父さんは、
私とお母さんを捨てて出て行った。
私はいらない子。
必要ない存在だから、
お母さんは私を置いて
大好きな人のところに出て行った。
私は連れて行ってくれなかった。
私はいらない子。
要らないから、
もうお母さんの心の中にも
私は残っていない。
私はイラナイ子。
この世界が求めるのは、
私じゃないもの。
私の居場所なんて……どの世界にもないんだ。
そう思った途端、
心の中の鏡がバリンと音を立てて砕け散った。
力なく崩れ落ちる私の体。
そんな私を見つめながら、
依子先輩の笑い声だけが周囲にこだましていた。
その直後、
心地よい声が私を包み込んでいく。
『此処に居るよ。
他の誰もが君を必要としなくても
私だけは君が必要だよ。
私は此処に居る。
君をこうして包み込んでいる』
すっぽりと抱かれたその場所は
とても柔らかくて、心地よくて、暖かい。
……おとうさん?……
『此処に居るよ』
繰り返し囁かれるその言葉に、
私は心を委ねた。
『此処に居るよ……』
黒い渦の中、
繰り返される言葉と温もりは
私の不安をゆっくりと
拭い去ってくれるようだった。
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