8.刹なさの憶(おもい) -咲-


「咲鬼さま、

 今宵は、この地で休みましょう」




鬼の世界に来て、

三度目の夜が訪れた。





砂煙が舞い上がる大地を踏みしめて、

歩き続ける旅。





馬で旅することもなく、

この二本の足でひたすら歩き続ける旅。




泊まる場所を探す為、

一礼して静かに私の前を去っていく珠鬼。





一人残された私の周りには、

よそ者が気になるのか、

一人、また一人と鬼の角を宿した

人々が集まりだす。






気にしないふりをしようとしても、

こればかりは気になってしまうから

どうしようもない。






これじゃ、ゆっくりと

足を休めることも出来ない。







「こんばんは」






必死に笑顔を作って、

立ち上がって笑いかける。





正直、この世界に来たからと言って

私の言葉が変わってるわけじゃない。



私は今も、私の世界の言葉を使い続けている。



和鬼も、珠鬼もそれで通じたから。



だけど……この世界の他の人たちには

私の言葉が通じているのかどうかは

正直、良くわからない。



ただこの世界の人たちが告げる言葉だけは、

私にもどんなメカニズムなのかはわからないけど

わかりやすいようにスーっと心の中に入り込んでくる。





立ち上がって笑いかけた時、

着物にさしこんでいる短刀の形をした

珠鬼に手渡されたお守りの袋が

チリリンと音を響かせた。




次々と頭を垂れて、

お辞儀していく人々。






すると遠くから、

珠鬼と共に駆け出してくる

役人らしき男。







「咲鬼姫さま。


 此度は、この村にお立ち寄りくださいまして

 有難うございます。


 当村を任されています、

 ソウと申します。


 ゆるり、お休みくださいませ。

 

 村をあげて、

 心の限りお持て成しさせて頂きます」



ソウが人々の一番先頭に跪いて、

ゆっくりと頭を垂れると、

その場に居た村人たちも一斉に同じ姿勢を取った。



「珠鬼……これは?」


「一晩の宿をお願いしましたら、

 このような形と相成りました。


 どうぞ、咲鬼さま。


 この地の民たちが、姫様のお言葉を

 待ち望んでおられます」




旅を始めた先々、立ち寄る宿では

いつも今日のようなことが起こる。




「珠鬼、ちょっと」




珠鬼の耳を掴んで、

その場を離れて後ろを向いて、

小声で話す。



「だから珠鬼。


 私は咲であって、咲鬼じゃないって

 言わなかった?


 アンタが咲鬼サマ、姫サマって

 大事(おおごと)にしてくれるから、

 こんなことになるんでしょう。


 ったく、いい加減にしなさいよ」



言い切った私に対して、

珠鬼はサラリと言い返す。




「和鬼を知る貴女さま。


 咲鬼さまの生まれ変わりという事を

 差し引きましても、

 野宿をさせるわけには参りません。


 咲さまは、私自身の恩人でも

 あらせられるのです。


 こればかりは、姫様に何を申されましても

 譲れません。


 和鬼も姫様に野宿をさせるなどありませんから」




キッパリと言い返されてしまった私。




しかも『和鬼だとさせない』。



そうまで言われてしまったら、

私もどうすることも出来ず、今日も珠鬼の手の内で

踊らされる羽目になる。





「探し人を訪ねて旅を続ける

 私と共の珠鬼に、

 一夜の宿をおかしくださるとのこと

 有難うございます。


 お気遣いは、ご無用に。


 一夜、雨風がしのげる場所を頂けるだけで

 どうぞ、お心だけで十分です」




昨日と同じようなことを

民の前で紡ぐ私。




こんな時に、お祖父ちゃんとずっと見続けてた

時代劇が役に立つなんて。




その日、私が通された部屋は

その村にある、最高クラスの部屋。



供の珠鬼は、その部屋の手前に支度された

もう一つの部屋に通された。





『姫様のお着替えです』




そうやって部屋に運び込まれたのは、

天女が着てそうな衣。



それに着替えを済ませると、

今度は、歓迎の宴への招待。




解放されたのは、

月が美しく天高くのぼる刻。







「綺麗……」








空を眺めながら、

その美しさに思わず呟く。






だけどその月は、

人の世界の月よりも

何処か紅いように感じた。






「昨夜は、朧月にございました。


 今宵は、月も姫様への

 お目通りがしたかったのかも知れません」





って、一言多い。


私なんかにお目通りしたいと思う

物好きが何処に居るって言うのよ。



でも……朧月は春じゃなかった?




私が居た世界の季節は、

夏だった。




朧月という事は、

鬼の世界は今は春だという事?




「珠鬼、鬼の世界は

 今、春なの?」



問いかけた言葉に、

珠鬼は驚くような表情を見せた。




「……姫様。


 やはり、アナタの記憶は

 完全ではないのですね。



 姫様が暮らし続けた王宮は、

 その館の中央から外に向けて、

 春の宮・夏の宮・秋の宮・冬の宮と

 四方に分かれておりました。


 それぞれの宮がある方角は、

 それぞれの季節の村しかございません。


 今宵立ち寄りし村は春の城下町と続く村。


 王宮に入るまで、

 季節が変わることはありません」




珠鬼の言葉に、

言葉を失った。




季節を固定された世界。




和鬼……。




神木から続く、

和鬼が居た世界。




そこは常に、

乾いた木々の悲鳴をあげる

肌寒い場所。






和鬼がいるのは、

冬の何処か?





「珠鬼、冬は何処?」





突然、大声をあげた私に、

珠鬼は小さく告げた。





「一度王宮に戻り、

 春の宮を出て、冬の宮に入りませんと

 冬の街には出られません。


 ですが……冬の街は罪人の街と

 伝えられています。


 姫様が出掛けられる場所では

 ありません」




冬の街は、罪人の街?




あの場所が本当に、

和鬼が住んでいる場所なら

彼は今も、

自分を戒めて律しながら

歩き続けてるってこと?






その場所の意味を知って、

改めて、

胸が締め付けられそうになる。






私、和鬼の罪を開放した

気になってた。





和鬼がずっと首から下げていた

咲鬼から託された、首飾りを断ち切って

解放できたと思い込んでた。 







……和鬼……。







「それでは、姫様。

 また明朝」





自室へと移動すると、

襖が珠鬼の手によって、

静かに閉じられた。




まだ会えぬ、

和鬼を想いながら眠る夜。






少しでも和鬼を感じたくて、

勾玉を握りしめながら。





翌朝、

珠鬼の声が静かに響く。



「咲鬼姫さま、

 お目覚めでございましょうか?」


「起きてるわ。

 珠鬼、何度言ったらわかるの?


 私は姫じゃないって言ったでしょ?


 私は咲鬼の記憶があっても、

 それは知識であって私の記憶じゃないの」





この世界に来てから、

私の眠りは浅いらしくて、

何時もなら気が付きもしない、

人の声レベルで目が覚める。




自分の家に居た時は、

沢山の目覚ましと、携帯電話。



何段にも構えて、

連鎖攻撃で

ようやく目覚めてた私なのに。




布団から体を起こして襖を開く。




頭を垂れて、

お辞儀をしている珠鬼。




「申し訳ありません。


 ですが、あなた様は確かに咲鬼姫さま。


 鏡の向こうに旅立たれたとはいえ、

 王の血を受け継ぐ、王家の血統には違いなく

 この珠鬼、呼び捨てにするなど鬼の血が

 させてはくれませぬ。

 

 姫様、ひらにご容赦を」




鬼の血……。





和鬼の……桜鬼の力で

鏡の向こうの世界である人の世に降り立った私。



私の記憶の知識が告げる前世。



それでも……私の中にも

鬼の血が今も受け継がれているなんて

考えられない。




「姫さま、朝餉の仕度が整っております。


 本日のお召し替えの衣、こちらに置いておきます。


 着替えの後、お越しくださいませ」




扉の向こう、

珠鬼の気配がスーッと消えていく。



珠鬼の気配が消えた後、

ゆっくりと扉を開く。



桐箱に収められた真っ白な着物。


ゆっくりと手元に引寄せて

身につけていく。



真っ白な着物の上には、

帯を結んで小さな紋が刻まれた

鈴のついた短刀を帯に差し込む。



帯から出た鈴は、チリリン・チリリンっと

可憐な音を響かせる。



その鈴を身につけることを許されたのは

王族のみ。


王族の血を受け継ぐもの以外は、

その鈴が可憐な音を響かせることがないのだと

珠鬼に聴かされた。



旅立ちの日、咲鬼から和鬼へと託された

王家の証は巡り巡って私の手元へと戻ってきた。






和鬼が私と出会ったのも

私が世界に引き込まれたのも






全ては必然なの?


一人で答えを出そうとしても

思うようには見つからない。



王族の証である短剣を手に

触れながら静かに和鬼を思う。




貴方は今、

何処で何をしてるの?



この世界に来たら

貴方に会えると思ってた。



この世界に来たら、

もっともっと貴方のことを知れると思ってた。




私が知らない貴方のこと。



貴方がいつも、

憂いを帯びた切なそうな表情を浮かべている

本当の意味も……

わかると……思った。




蓋をあけたパンドラの箱は

私が思ったものとあまりにも違いすぎて。




和鬼……。



咲鬼が貴方を追い詰めたのなら、

私が貴方にしてあげられることは何?



咲鬼ではない咲鬼の記憶を持つ私が

貴方にしてあげられること……。




貴方を苦しみから

解放させてあげるすべはあるの?




一人、心の中で和鬼を思いながら短剣を握りしめる。



刀の刃に姿を映し出す。


刀はやがて、私の姿を消して

鏡の向こうの世界を映し出す。



満開の桜。


式服を身に纏い、

桜の幹にゆっくりと手を触れる祖父。



「おじいちゃん……」



思わず呟いた言葉に、

ほんの少し祖父が私を見つけてくれた気がした。


その祖父の隣にも、

和鬼の姿は今もない。




チリリン。




また涼やかな音を響かせる王族の証。



 


「咲鬼姫さま。

 珠鬼にございます。

 

 何か不都合がありましたでしょうか?」



遠慮がちに扉の向こうから再び声を発する。




私がどんなにキツイ言葉をぶつけても、

珠鬼の態度が変わることはない。



いつも私のことを気にかけてくれてる。



珠鬼の優しさは十分に

この世界に来てから感じているはずなのに

素直になりきれない。




「行くわよ。

 行けばいんでしょ」




半ば吐き捨てるようにキツク言うと

扉を開け放って、つかつかと部屋を

後にした。



私の後ろをゆっくりとつき従う珠鬼。




朝餉の支度が整っている部屋へと

一歩踏み入れたら、鬼の民たちは皆、

私を見つめて頭を垂れる。






「姫様、おはようございます」




次々と声をかけていく鬼の民たち。




だから姫じゃないって言ってるじゃない。

そう突っ込み返すのにも、

もう疲れてきてる……。





「この場に和鬼さまがいらっしゃったら」


「こうして姫さまが戻ってきてくださったのに。

 今度は和鬼さまが」


「それもこれも、

 あの桜鬼がお二人を引き裂いたから」




また……。






口々に鬼の民たちが声を揃えるのは、

真実を知らない民たちが揃えて紡ぐ和鬼の一部。


桜鬼の悪口。




正直……うんざり……。






和鬼も桜鬼も和鬼なのに、

どうしてこんなに近くにいる鬼の民たちが

それに気がつかないの?






差し出された朝ご飯を口に運んで、

その場所を後にする。





民たちに見送られて珠鬼と一緒に

屋敷を出て暫く。




私と珠鬼の周囲が騒がしくなる。





「姫様、どうぞお下がりください。


 暴徒化した鬼たちが

 姫さまの人の気にあてられたようです」




緊迫した口調で私を守るように

自らの刀を鞘から抜き放つ。





角を隠すことすらせずに

剥き出しにして、長い爪を凶器に

一斉に襲い掛かってくる暴徒たち。



奮闘する珠鬼だが珠鬼一人では

私を守り切るなんて出来ない。



反射的に帯にさした短刀を

鞘から抜き放って、自らの体の前で構える。



チリリンと再び音が鳴り響いたとき、

珠鬼が他の暴徒と対峙している隙に

私を捕らえた暴徒の凶器。




反射的に身を縮めて体を屈めたとき

訪れるはずの衝撃は、鈍い音へと変わる。




頭からすっぽりと顔を隠す黒衣の羽衣。


その隙間からわずかに見える、

プラチナの髪。


朱金の瞳。



流れるような剣さばきで、

暴徒化した鬼たちを

一刀していくと、鬼狩りの剣で切られた

鬼たちは砂へと瞬時に崩れていく。




黒衣に手を添えた和鬼は

私と視線をあわせることなく

その場を立ち去ろうとする。



その刹那、珠鬼と隠れた黒衣越しに見つめあったように映った

和鬼は固まったかのように、その場で立ち尽くした。




『珠鬼……』




黒衣の奥から零れるように

流れ出た小さな言葉。




「桜鬼、貴様何しに来た。

 再び、姫様を奪いに来たのか?


 姫さまだけでなく、我が親友

 和鬼も貴様が手に掛けたか?


 それ故に友は姿を消したか?」





鋭く放たれた珠鬼の言葉。






ズキンと私の心は痛くなる。




やめて、和鬼をこれ以上苦しめないで。




やめて。

和鬼をこれ以上追い詰めないで。





珠鬼の刀の切っ先が和鬼へと向けられる。




じわじわと縮まっていく距離。





「いやぁぁぁぁぁっ!!。


 どうして、どうしてわからないの?

 桜鬼は……桜鬼の正体は……」



最後まで叫ぼうとしたのに、

その言葉を続けることは

腹部に入った鈍い衝撃がさせてくれなかった。



傾いだ私の体は、

細そうに見えてしっかりと

筋肉がついている和鬼の腕で

支えられた。



「おのれ。

 鬼狩、姫様から手を放せ」



再び和鬼に

刃とともにむかってくる珠鬼に

和鬼は私の体を投げつけた。




黒衣の中で

静かに涙を流す和鬼。




和鬼はそのまま、

姿を消した……。





……和鬼……。





ようやく会えた……。




やっと会うことが

出来たのにどうして

そんな不器用な生き方しか出来ないの?




「咲鬼姫さま……」



私を抱えた珠鬼が

気遣うように声を発する。




ツツっと瞳から零れおちた涙。







和鬼が見せた一筋の涙が

今も視覚に刻まれている。






和鬼……。







刹なのおもい




和鬼を感じるたびに

心が震えていく。








私は貴方のために

何がしてあげられる?






この世界に来てから

何度も何度も問いかける

答えのない答えを

今日も問い続ける。




和鬼を思いながら。




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