7.朱い朧月夜 -和鬼-
逃げるように狭間の世界へ戻ったボク。
その後も何度も、
風鬼と紅葉の存在と真実を追い求める。
友の名を語る存在。
真実を暴き、裁くのが
桜鬼としてのボクの役割。
今回の一件で気になるのは、
風鬼の傍に居て付き従う紅葉と言う名の少女。
*
「紅葉は
……待ってるの……。
あの人を……。
あの人が私だけの人に
なってくれるのを」
*
紅葉と呼ばれるその少女が
何度も何度も同じ言葉を繰り返しボクに微笑むたびに
ボクの体は何かに
縛られたように捕らわれて力が抜けていく。
そんな日々を繰り返し続けたボクの時間は、
人の時で二週間と言う時が流れていたのだと、
神木の前で力尽きて倒れたボクを助けた一花は告げた。
二週間と言う月日が、鬼の時間ではどれほどに長く
人の世では、どれ程に早いものかをボクは知っている。
人の命は、砂時計の如く早い。
*
「和鬼さま、良く聞いて。
YUKIの誕生会をしたくて、
昨日、私達三人で
デパートに買い物に行ったの。
これは咲が、貴方の為に買い物をした
誕生日プレゼント。
これを買い物した後、
咲はお手洗いに行くと言って
私たちの傍から離れたの。
何時まで経っても帰ってこない
咲を心配に思って、
司が探しに行ったんだけど
そこには咲は居なくて、
この紙袋だけが残されていたの。
咲の行方は、今はわからないの」
*
自宅のベッドで意識を取り戻したボクが
一花より告げられたのは、
咲の行方がわからなくなったこと。
ボクが消息不明になった時間だけ、
咲もまた、行方が分からない。
咲が消えた?
ボクと咲は、
契りを交わしている。
契りを交わした存在の状態は、
手に取るようにわかるものなのに。
意識をゆっくりと広げたボクは、
咲の居場所を突き止めて、
瞬時に影を渡り始めた。
神木の回廊から、
鬼の世界へと立ち入る。
回廊を渡る間際、
一花と司から手渡された携帯電話を手に取って、
有香へと繋ぐ。
「和喜、何処にいるの?」
ワンコールで繋がる電話。
受話器の向こうからは、
心配そうな有香の声が聞こえた。
「
ボクは、
やらなきゃ行けないことが出来たの。
咲が消えちゃった」
「和喜?
何、どうしたの咲ちゃんが消えたってどういう事?
警察に届は出したの?」
「有香……」
「何?誤魔化そうと思っても駄目よ。
和喜?」
「『大丈夫だよ。有香。
咲は必ず助け出すから。
ボクは必ず帰ってくるから。
有香との過ごす時間も優しかったから。
だから今は見送って。
YUKIとしての世界を有香が守って欲しい。
ボクの我儘を許して』」
鬼の力を込めて、有香に伊吹で伝える暗示と願い。
「和喜、わかってるわ。
貴方の居場所は私が全力で守るわよ。
和喜、いってらっしゃい」
次の瞬間、そうやって言葉を言い返した有香。
「行ってきます」
そんな有香に言葉を返し、
通話を切断するとボクは鬼の姿に戻って
神木の回廊に手を翳した。
神木の回廊から、鬼の世界へ。
身を切るような寒さがボクを突き刺し、
雪深い地へと、重力で叩き付けていくように
体が重くなっていく。
住み慣れた鬼の世界が、
こんなにもボクを拒絶している。
それは……この国が、
国主の存在を受け入れてないから?
負の連鎖の思考は、
ボクをゆっくりと突き落としていく。
咲……。
鉛のような足枷を感じながら、
何度も精神を集中させて、
契を頼りに、咲の居場所を探り続ける。
どうにかこうにか、
何度も何度も影を渡りながら、
息も絶え絶えに、
ようやく辿り着くことが出来た場所。
そこに姿を見せたのも、
紅葉と風鬼の二人だった。
「鬼狩、無様な姿だな」
そう言いながら近づいてくる風鬼。
「風鬼の姿をするな」
絞り出すような声で、渾身の力で剣を振るいあげて
風鬼の方に向かうものの、咲のところに辿り着くどころか
風鬼すらどうすることも出来ない。
風鬼の傍、紅葉はボクの力をいつもの様に削ぎ落とすと、
そのまま咲の元へと向かって、咲の首に手をかけた。
「桜よ。
咲を守れ」
後僅か先に、愛しい咲の気配を感じながらも
動くことがままならなくなったボクは指先から桜の花弁を生み出しながら
咲を守護するように命じる。
桜が咲の首を絞める紅葉と呼ばれた少女に
意思を持って巻き付いていく。
桜の花弁越しに紅葉と呼ばれた少女の正体を見て、
思わず絶句した。
「依子さん」
何故?
「何故、依子さんを巻き込んだ」
「俺は何もしていない。
彼女が俺を見つけたんだ。
YUKIが欲しいと泣き続ける
ソイツを、俺は抱きしめた。
YUKIと過ごせる永遠の夢を
楽しめるように、俺の血を注ぎ込んで。
その日からアイツは紅葉だ。
俺の意のままになる人形。
紅葉の想いが深ければ深いほど、
お前を捕えていく。
鬼狩のお前が、
人の世で芸能人として
ノウノウと暮らすか。
紅葉を使って、
鬼狩が慈しむ全てを
破壊してやるよ。
お前が俺にそうしたように」
全てボクが悪いの?
意識が弱ると桜が緩む。
『紅葉、引きなさい』
その緩みを捕まえた途端に、
風鬼が告げると、
二人の姿は瞬く間に消えた。
安堵した途端に、
消える桜の花弁。
「和鬼?
和鬼いるんでしょ?」
咲の声がボクを求める。
だけど力を使い果たしたボクは
それ以上、立つことも動くことも出来なかった。
この世界はボクには冷たい。
国主としての和鬼には優しく、
桜鬼としてのボクには冷たすぎる国。
そんなの……、
前からわかっていたはずなのに。
咲の気配を感じる傍ら、
そのまま少し体力が回復するのを待つ。
体を休めている合間に、
咲へ近づいてくるボクのもう一人の親友の存在。
その者の名は、
珠鬼が咲を手招きし、
コントロールを失った理性を取り戻させた。
咲をこの国に連れ込んだのは珠鬼。
珠鬼が刻印を付けようとした際、
ボクが手渡した勾玉が、咲を助けたのだと友は告げた。
その勾玉はボクが預かる、
国主としての宝を閉じ込めたもの。
今のボクが預かるには、
民が認めそうにない国の宝物。
無意識に咲の中の、咲鬼に未来を託していたのもボク。
そして咲は、ボクの期待通り、
王族にしか扱えないその力を使い切った。
その力に我を取り戻した珠鬼は、
咲の中に咲鬼の面影を見つけて傍に付き従う。
珠鬼の話題は、和鬼を心配する言葉から、
桜鬼を罵倒する言葉へと続けられる。
咲が戸惑っているのを感じる。
鬼狩の剣が映す、
咲の表情がこおばっていく。
そんな珠鬼の声に
耳を傾けるなと、咲に願うボク。
*
友殺しをしたボクの罪を知って
軽蔑しないで。
*
珠鬼の言葉で紡がれる、ボクの昔語りを
見届ける勇気もなくなって、
僅かに回復した力で、一気に神木の回廊まで移動すると
ボクは咲を鬼の世界に置き去りにして、人の世界へと抜け出した。
神社の境内に倒れこむように体を横たえる。
「和鬼さま」
再びボクの名を紡ぐのは一花。
「何?
一花、和鬼帰ってきたの?」
「えぇ。
でもそのまま境内に倒れこまれてしまって」
「咲は?
咲は一緒じゃないの?」
荒々しく声をあげる司を制して
一花はゆっくりとボクを見る。
「神様である貴方の身に何が起きてるの?
この地の空気は、ずっと澄み渡ってた。
それは貴方が、
この地を守ってくれていたから。
だけど今は、この地の空気は重く
息苦しい。
今もこの場所に居るだけで、
首を締め付けられているような感覚がおそって
息をするのをようやくの状態。
そして和鬼さま。
貴方のその姿。
貴方を肌を覆う、黒い影は何?
貴方を蝕むように広がっていく
その黒い影は?」
とっくに気が付いていた
ボクを蝕む闇。
一花が気が付いてしまうほど、
広がってしまったのだと、
衣の下の腕を見つめる。
前に見た時よりも、
ゆっくりと広がっている黒い闇。
その場で目を閉じると、
ゆっくりと息を吐き出して
先ほどの時間を思い出す。
玉砂利を踏みしめる
音が近づいてくる。
そこに立つのは依子さん。
依子さんの姿を見つけた途端に、
ボクは残された力を集中させながら、
風鬼の姿を探る。
「ごきげんよう、依子さま。
こんな夜更けに何か御用でして?」
「一花さま、貴女には関係ありません。
YUKI、私のYUKI。
私だけのYUKIになりなさい」
暗示にかけられているかのように
感情がなくなった無機質の声が
ボクの体を再び
意識が遠のきかけた頃、
『浄化の
幼い少女の声が神社の空間の中に響いて、
鈴の音が周囲を包み込む。
その鈴の音が空間全てに浸透していくと、
先ほどまでの自由がきかなくなっていた
ボクの体を縛る重圧は薄らいでいた。
その背後、もう一人の女性の前に
水神・
蒼龍が空間を引き裂くように放った
水の渦は依子さんを巻き上げて
天高く消えて行った。
『桜鬼神、我が手を煩わすは何用か?』
一族に伝わる天界の龍の一人。
蒼龍の突然の登場に
ボクは言葉を失ったまま
ただ静かに頭を下げた。
蒼龍の姿はそのまま薄れていき、
境内いっぱいに蒼龍の神気が充満して
清らかな空間が広がり木々の葉が嬉しそうにざわめく。
「何?
蒼い鱗の甲冑を纏った
長い黒髪の女性がいましたわ」
興奮気味に蒼龍を捉えた
一花は告げるものの、司は何も返さず、
ただ茫然と起きたはずの何かを探ろうと、
視えないなりに考えているようだった。
「和鬼さま。
今宵は、この咲久の家で
お休みくださいませ」
そう言った咲久。
咲久にかけていた暗示もとけたという事か。
一度かけた暗示も術者の力が弱まれば
その意味はなくなる。
それほどまでに
ボクの力は弱まってしまっているの?
和喜の為の部屋。
ボクは一人、部屋へと閉じこもり
ボク自身のあの日からの記憶を辿っていく。
紅葉と名乗った少女。
その人は、
依子さんだという事がわかった。
そして依子さんが見つけたのが風鬼。
風鬼は依子さんの願いを聞き届けるために
鬼として契りを交わした。
鬼の血が混じった依子さんが
風鬼によって
だけど風鬼は、
すでにボクが手をかけて葬った存在。
風鬼の正体は誰なの?
そして咲もまた鬼の世界へと白い魔手に導かれた。
咲を招き入れたのは、
同じくボクの親友・
ボクの
二人もボクの大切なものを
奪い取ろうとしている。
それは……あの日、三人で生きて行こうと思っていた
友の輪を桜鬼としてのボクが断ち切ったから?
再び、負の連鎖に囚われかけたボク自身を
咲を思うことで、今に引き戻す。
今も住人のいない咲の部屋。
何時もなら、
あの部屋で眠っている時間。
咲を迎えに行かないと……。
あの世界は鬼の世界。
咲の居場所ではない。
あの場所で手を紅く染めていくのは
ボクだけで十分だから。
咲には、
この光の世界で歩いて欲しい。
そう思うなら、
どうしてはボクは咲に勾玉を渡したの?
矛盾して支配下にすら置けない
ボク自身の心。
今、咲は珠鬼と一緒に行動してる。
咲を珠鬼に預けていると安心だと思う心と、
咲を巻き込まないでほしいと望むボク。
二つのボクが常に表裏となって、
今を迷わせていく。
真っ暗な部屋。
時計の秒針だけが耳に付く。
深呼吸を何度か繰り返して、
ボクの生吹を確認する。
体内に一通り行きわたったボクの力。
蒼龍の加護をその身で感じ、
ベッドを抜け出してベランダから神木の回廊へ。
ふわりと神木の前に舞い降りた時、
先程見かけた、蒼龍に縁のある者がボクを捕えた。
「鬼神、体は回復したのか?」
まだ幼い姿の少年の瞳が
ボクをキツク捕えて言葉を発する。
「神威、何をしている」
神威と呼ばれた少年の後ろ、近づいてきた青年。
青年の体からは、雷龍の気配が漂う。
「飛翔、部屋を抜け出した鬼がいる」
そうやってボクを指差す。
指を指した方向に青年も視線を向けるものの
青年はボクが視える存在ではないようだった。
「神威、暁華と柊さまと三人で、
神社の境内の隅々まで見てきたよ。
でも何処にもないの。
柊さまの力でも、この地の気を乱すものが
見つからないの」
そう言いながら近づいてくる幼い少女が二人。
「大丈夫ですわ。
桜鬼神の守りし結界を覆うように、
暫くの時は作れますわ。
鬼神の名を持ちしもの。
今は休まれているはずでは?」
そう言うと、優しい眼差しでその女性は
ボクの目を捕えて微笑みかけた。
柊さまと少女たちに呼ばれるその女性からは、
蒼龍の神気を感じる。
ボクは、目の前に居るこの者たちが
今の龍人の御子たる存在なのだと繋がった。
一花や咲のように、
鬼のままのボクが視える存在が多い集団。
ゆっくりと立ち上がって、
桜の木へと手をあてる。
幹に触れると流れ込む、
この世界の出来事。
流れ込む膨大なビジョンの中、
ただ一つ、ボクが知りたい映像は
どうやって咲が、導かれたか。
咲の根底にある、
その心の闇を感じたかった。
……見つけた……。
神木は記憶を映し出す。
一花たちと一緒に買い物を楽しむ咲。
買い物を終えて咲は一花たちと離れて一人
別行動をしていく。
そこで出逢った少年。
その少年の母親は、
咲の母、その人。
その人は、咲を見ても
その名を紡ぐことはなく、
咲の心のヒビが広がっていく。
……咲……。
そしてそのヒビは
広がり続け、
咲はデパートから飛び出した。
あの日、一花によって手渡された
咲からの誕生日プレゼントが
入った紙袋を残して。
外に飛び出した
咲の元に降り注ぐ雨。
その雨事態も異質な雨で、
季節外れの紫陽花が咲く、
その場所で、白い魔手を手に取った。
幹に触れた手を離して、
ゆっくりと目を開く。
……咲……。
人の世に意識が戻った時、
少年は目をこすりながら、
欠伸をかみ殺してボクを見つめる。
「どこかに行くのか」
その問いに、ゆっくりと頷くと、
再び、桜の木へと手をあてる。
開いた回廊の中に、
ボクはその身を投じていく。
ボクは咲の住む世界を守りたい。
咲鬼から託された
鬼の世も守りたかった。
国主としてそれだけに
集中することが出来れば
こんなにも国を乱すことはなかったのかも知れない。
願いだけが今も空回りしていく。
たくさんのことをやりたい。
やりたいことを思い始めたらきりがない。
だけど……全部を同時にしようとしても
何も出来ない。
だから……この手に触れるものだけを
一人ずつ確実に守って行きたいだけ。
*
鬼の全てを
桜鬼に滅ぼされてしまう。
*
珠鬼の声は、
ボクを深く突き刺した。
ボクの敵は、ボク自身。
あの日、咲によって
解放されたはずの、
死を迎えたはずの
昔のボクは、
今も罪悪感に抱かれたまま
深い心の底に潜み続けてる。
それでも守り続けたい。
ボク自身が壊れてしまっても。
この両の手に届く
愛しい
守り遂げたい。
鬼狩の剣が、
月の光を受けて反射する。
ふと見上げた空には……
朱い
その月を見上げながら
ボクの心は紅い血を流し始める。
どれほどに求めても
交わることのない二つの役職。
どれほどに求めても
交わることが出来ない
桜鬼として任務。
誤解を解くことも出来ず、
交わるたびに孤独に突き落としていく
鬼の
涙を流すことすらも出来ぬまま今を歩み続ける。
……ただ……
大切なものを守りたい。
だから……
ボクは咲、ただ一人の為に
この力を振るう。
桜鬼神として、国主として、
決して許されぬと知りながら
人に……この剣を向ける。
咲を悲しませた、
その人を……解放するために……。
紅い朧月だけが、
ボクの罪を
受け止めてくれるようだった。
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