2.月に叢雲 花に風 -咲- 

季節は流れて、

あの日……桜に誘われて和鬼を見つけて

一年が流れた。



一年後、こんな風に

和鬼との時間を過ごしてるなんて

想像もできなかった時間。



春祭りの二日後、

和鬼と共に鬼の世界から帰ってきた私は、

私とお祖父ちゃんの家を由岐和喜の自宅とした。



戸籍上は、由岐和喜としての自宅。


だけど私の中では、

和鬼の家のつもり。




和鬼は、この世界に戻ってきて

YUKIとしての活動を開始した。



今は事務所の方針で、

休息兼2ndアルバムの制作期間中ってことなんだけど

スタジオに籠ってる時間が多くて、

不規則と擦れ違いの時間が続いてた。




一つ屋根の下に暮らし始めても、

和鬼を独占することなんて出来やしない。




寂しいと思う気持ちを

紛れさせてくれるのは、司との時間。


学校生活、テニス、そして昨年から始めた箏。




そして和鬼を家族だと言うことを

自分にも自覚させるかの様に、

毎日、毎食作り続ける和鬼の為の手料理。





私だけの和鬼でいて欲しい。



もう置き去りにされるのも、

捨てられるのも怖すぎるから。







和鬼に限って、

そんなことは絶対にしないって

思えるはずなのに、

捨てられる恐怖感が拭いきれない。



信じたいのに信じきれない私が

情けなくて大嫌い。



こんなにも弱い私は嫌いだよ。






「咲、何してるの?

 もっと集中しなさい。


 ボールコントロールを的確に。


 さっきのボールは、

 もっとちゃんとしたコースが狙えたはずよ」




伊集院先輩の声が、

放課後のテニスコートに響く。




「すいません。

 もう一球お願いします」




すかさず気持ちを切り変えて

目の前のボールへと意識を集中させる。



コートを囲んで球拾い中の、

新一年生たちの視線が集まってくるのを感じる。





ボールがトスされて打ち込まれてくるのを

落下地点を予測しながら、先に回り込んでバウンドと共に

一気に打ち返す。



その時に、コートの端から端までに気を配り

確実に抜けるコースへとボールをコントロールする。



前方より構えている二人に対して、

コートギリギリに打ち返す。




「咲先輩、リターンエースだ」




新一年生の声があがる中、

次々と放たれていくサーブを

相手が打ち返せない死角に向かって

打ち込んでいく。




「はいっ、部活終了のチャイムがなったから

 今日の練習は終わりにします。


 明後日からはまた一年生、二年生にとっても

 私たち三年生にとっても重要な実力試験です。


 明日から三日間は練習はありません。


 部活動をしているからと言って、 

 勉強をサボっていいわけではありません。


 各自、勉学に励んでください。


 有難うございました」



「有難うございました。

 お疲れ様でした」




コートの端と端に整列した三年生と、一、二年生組が

一斉にお辞儀をして今日の練習を終えた。



着替えの為に向かった更衣室で、

サッカー部の練習を終えた司と合流。




「お疲れ、咲。

 絞られてたねー」


「まぁね。


 でも、あれは集中力切らせた私が悪いから

 自業自得だよ」


「悩みの種は、もしかしなくても和鬼君?」


 


司の問いかけに、

私は黙って頷いた。




二人着替えを済ませて、

校門を出ると、ゆっくりと横付けされる車。



運転席から運転手が降りてきて

すかさず後部座席のドアを開ける。


中から姿を覗かせたのは、

大学生になった一花先輩。




「ごきげんよう、咲。


 咲が家に遊びに来てくださらないので

 私が押しかけてしまいました」



そう言ってにっこりと微笑んだ後、

一花先輩の濃厚なハグはあの頃から変わらない。


お決まりの絶叫タイム。



ぐったりとした体を立て直して、

車内で平常を取り戻す。




一花先輩は、

ゆっくりと私の方に携帯画面を差し出す。 




画面に映し出されたのは、

YUKIとして仕事をする和鬼を

入待ち、出待ちをしていたファンらしき人が撮影した写真。




「司から聞いたわ。

 和鬼君と、なかなか一緒に居られないみたいね」


「一緒には入れないけど、

 仕方ないです。


 和鬼はYUKIで有名人だもの。


 和鬼は私たちのことをずっと思ってくれてる。


 物が欲しいわけじゃないけど、

 和鬼が、YUKIとして稼いだお給料で

 私の家はリフォームされたもの。


 キッチンだって、お風呂場だって、おトイレだって

 凄く素敵になった。


 神社のお社の改修費用も、和鬼が用立ててくれてる」


「えぇ、司から伺いましたわ。


 だけど咲、何かを与えたからと言って

 貴女を悲しませることなどさせていいはずありませんわ。

 

 和鬼君に抗議しましょう」





そうやって一花先輩が言い出した頃、

私の携帯が着信を告げた。



液晶に映る名前は、

有香琥珀ありか こはく




YUKIのマネージャーの名前だった。




「誰?」


「有香さん。ごめん、電話でるね」



私を断りを入れて、通話ボタンを押す。



「もしもし、譲原です」


「こんにちは、咲さん。

 有香です。


 今日、YUKIの歌入が終わりました。


 スタッフと打ち上げの予定だけど、

 来ない?」


「えっと……」




すぐに返信出来ないでいると、

すかさず司が私の携帯を手を奪い取って一花先輩へ。




「こんにちは。

 有香マネージャー、一花ですわ。


 咲は私共と一緒に居ます。

 時間までに送り届けますので、

 待ち合わせ場所を」



一花先輩は勝手に話を進めると、

楽しそうな笑みを浮かべながら電話を切った。




「さっ、司。

 手伝ってちょうだい。


 咲、今から明日の試験勉強を必死になさい。

 司にみっちりと教えて貰うこと。


 今日の家事は私が代行するわ。


 咲のお祖父さまのご飯も気にしなくていいから、

 待ち合わせ時間に出掛けなさい。


 出かけて素直になりなさい」



すでに決定事項になったらしい私の今日のスケジュール。



一度自宅に戻った後、

約束通り、一花先輩は譲原家の家事を分担。


私は着替えを済ませて、

司の家の車で、

有香さんとの待ち合わせの場所へと送り届けられた。



「こんばんは、咲さん」


「こんばんは。

 有香さん……私なんかがお邪魔していいのかな?」


「えぇ、和喜が喜ぶわ」




そう言って、打ち上げ会場となっている建物へと

私を案内した。



ホテル内の一室。


机の上にはズラリと並べられた料理。


立食形式で好きなものを好きなだけ

自分で選んで楽しむ時間。



和鬼は私を見つけた途端、

手招きして近づいてくる。



この場所に居る皆は、

私と和鬼の関係もちゃんと

見守ってくれてる理解者ばかり。



YUKIをサポートしてる人たちは、

皆、今人気の人たちばかり。



あっ、Ishimaelの魁くん……。

司が会いたかったかも。



そんな風に思いながら、

その時間を私なりに楽しんで、

一次会の終了をきっかけに、

和鬼と二人、有香さんの車で会場を離れた。



有香さんが運転する車内、

後部座席に二人肩を並べて

私はYUKIとしての和鬼に話しかける。



「お疲れ様。

 アルバム作るのって時間かかるんだね。


 桜が満開だった春が、

 もう梅雨の季節なんだもん。


 和鬼がYUKIとして、頑張ってるのは凄い。


 って言うか……本当は私たちが頑張んなきゃなのに、

 和鬼が台所も私好みの最新キッチンにリフォームしてくれた。


 お風呂場だって、お手洗いだって

 新しくしてくれて、住みやすいお家にしてくれた。


 神社のお社だって」


「ボクが咲と咲久の為にやりたかったんだ。

 咲は気にしなくていいよ。


 ボクは今、もう一度この世界に戻ってきて良かったって思ってる。

 思ってた以上に、この世界は優しいね」




和鬼は私の顔を見て、柔らかに微笑みながら告げて

視線をそっと窓の外へと移した。



夜のトンネルを通過する車の窓越しに映った

和鬼のかおは、今も何処か寂しそうで

思わず、和鬼の右手へと自分の左手を伸ばした。



私が和鬼の指先に触れても、

今は何かを考えているみたいで

私の方を向き直ることなんてなかった。


和鬼の温もりを指先で感じながら

沈黙の時間だけが見慣れた景色を走りながら

過ぎていく。



「さぁ、YUKI明日からは、

 LIVEの練習が始まるわよ。


 サポートは、今日手伝ってくれてた子たちが

 LIVEの時も頑張ってくれるみたいだから。


 咲ちゃん、しばらく寂しくなると思うけど

 和喜君借りるわね」



自宅が近くなった頃、

運転してくれた有香さんが

後部座席に聞こえるように、

少し大きな声で話しかけた。








和鬼はYUKI。


YUKIは人気のミュージシャン。



私が独り占めに出来る存在じゃない。

そんなのちゃんとわかってたでしょ。



だけど……

ちゃんと私のことも見てくれてる。



和鬼を信じてればいい。


YUKIとしての活動も、

ちゃんと笑って送り出して応援しないといけない。



心ではわかっていても、

和鬼のツアーが始まると知って私の心は何処か寂しくて。



「咲ちゃん、関係者パス手渡しておくから

 来れるときは顔出しなさいな。


 その時は、事前に私の携帯に連絡貰えると嬉しいわね」



有香さんから手渡されたのは、

YUKIの事務所からの気遣い。



ちゃんと私にYUKIの傍に居ていいって

形で教えてくれる。


伝えてくれるのに……

なんでこんなにも、

和鬼にことになったら独占欲が大きくなってくんだろう。



「有難うございます」



戸惑いながらも封筒を受け取ると

私は有香さんに、丁寧にお礼を告げた。



「有香、有難う。


 明日は咲の学校へ。

 久しぶりに、咲と一緒に歩きたいから」



「わかったわ。

 

 なら七時半に、

 聖フローシアの校門前に迎えに行くわ。


 おやすみなさい」



和鬼と有香さんは、次の日の打ち合わせを終えると

ゆっくりと私たちを送り届けた車は、坂を下っていった。



「「ただいま」」




二人揃って、玄関を開けると

すでにお祖父ちゃんは眠ってた。



もう22時になろうとしているから。


お祖父ちゃんは夜も朝も早いから。


和鬼と二人、お祖父ちゃんの部屋の前を

慎重に通過して、二階へと駆け上がった。



自分の部屋へ戻ろうとした私を

和鬼は、

自分の部屋へと腕を引っ張って引き寄せた。



そして私をギュっと抱き寄せてくれる。



そんな和鬼の優しさを私は知ってる。


だから大丈夫。


心配性の和鬼にちゃんと伝えて、

安心させてあげなきゃ。



「大丈夫だよ。

 和鬼、心配かけて御免。


 和鬼のYUKIの仕事も大切な時間だって

 ちゃんとわかってるから。


 和鬼が仕事で居ない間も、

 私には……テニスもあるし、司も居るし

 YUKI仲間の一花先輩もいる。


 それに……習い始めたお箏もある」



私がゆっくりと告げた言葉も、

嘘じゃない。



多分……嘘にはならないから。



それでも……夏が近づく、

今の季節は、心が折れそうになるだけ。



「有難う。


 LIVEが始まっても、

 ちゃんとボクは帰ってくるよ。


 暗闇に紛れて影を渡ってでも。

 

 ボクは何時も、咲の傍にいるから」



「……うん……。


 和鬼が優しいのは、

 ちゃんと知ってるから」




和鬼は優しくを私を抱きしめながら、

ゆっくりと口づけをする。



そんな和鬼の口づけを受けているうちに、

体内の奥から痺れるような感覚が押し寄せて

私の体は力が抜け落ちていくように眠りの中へと

誘われていった。




目覚めたらベランダから帰ってきたらしい和鬼が、

布団の中に潜り込んできた。




無意識に和鬼に腕を伸ばして

絡めるように抱き寄せると、

私たちはそのまま、朝を迎えた。





何時もの日常。


そして和鬼を皆の元へ返す時間。





朝ご飯を作り、神木に挨拶をして

山越えルートで通学。


約束通り、

学校の校門前に有香さんはYUKIを迎えに来てた。



「いってらっしゃい。

 和鬼」



お別れの時間。



和鬼を車の中へと見送ると、

私は実力テストを退治するため、

教室へと向かった。





テスト勉強は、

打ち上げに参加する前に

司に教えて貰っただけだよ。




「ごきげんよう」



っとシスターに挨拶をして校門を通過すると

自分の机で、必死に暗記に努めた。





その日からYUKIの仕事は

活発になっていった。




TVは、ワイドショーでもYUKIの復活を伝えて

サイン会に、ファンイベント。


2ndアルバムのプロモーションに、

歌番組。



YUKI検索のキーワードで引っかかる

TV番組は毎日のようにあって、

その度に録画して、

少しでも和鬼を感じる。



YUKIは私が求める和鬼じゃない。


だけどYUKIの中にも、

和鬼が存在してるから。




矛盾してる。

だけど、どうすることも出来ない女心。






実力テストの日から、

更に一週間。




梅雨明け間近と言われながらも、

停滞する前線は、

その兆しを一向に見せない。




湿度を含んだ髪を

タオルで乾かしながら、ベッドにもたれて

TVをつける。


21時から始まる歌番組。



オープニングをボーっと見ながら、

携帯電話をジーっと眺める。




『和鬼の馬鹿』




小さく呟きながら指先に引っ掛けた輪ゴムを

TVモニターの和鬼へと発射する。





画面の中の和鬼は、

今日も笑顔を忘れずに、

平安装束の水干をアレンジしたような

着物を纏って弄られてる。



TV番組の中では、

新たな追加公演の発表。


それは日本を飛び出して、

ワールドツアーまで決まったって言うお知らせだった。


本当に忙しそうに

YUKIとしての生活をこなしてる和鬼。



そんな和鬼を見て、

体を厭う《いとう》言葉の一つも出てきそうなものなのに

今の私には余裕なんてなくて。




和鬼に捨てられるんじゃないかって

ビクついてる。








和鬼へ



ただいま。

今、後片付け終わって

自分の部屋でTV見てます。



和鬼、ちょっと緊張してる?

表情硬いよー









送信。




携帯を握りしめてベッドに転がりながら

ボーっとTVを見つめながら和鬼からの返信を待つものの

すぐに帰ってくるはずもない。


思わず音沙汰のない携帯を投げつけて八つ当たりしそうになったけど、

何とか我慢して、机の上に放置した。


番組には、

次から次へとミュージシャンが登場してくる。



そんなTVを見ながら、

視線は和鬼を追いかける。


YUKIとしての和鬼でも、

私は……この際、感じていたいよ。



充電切れだよ……。




鬼の世界から戻って来る時、

和鬼を守るって決めたのに……

私が和鬼にずっと守られてる。




こんなにも和鬼が傍に居ないことが

私を不安定にさせてる。




和鬼に出逢って、

私……めちゃくちゃ心が弱くなってる……。




『責任取ってよ……』




思わず言葉に出す本音。



誰かの音楽が、TVのスピーカーから流れる

その場所に……私は一人。



前にも……あった……。




『ママ、パパは?』


『パパは、もう居ないのよ。


 パパは外に女を作って、

ママと咲ちゃんを捨てて出て行ったのよ』






ヒステリックに泣きながら

私に縋り付いてたお母さん。


まだ幼稚園に通っていた時の、

幼い日の記憶。


真実がどうであれ、

お父さんが私を見捨てたことは事実。


その日からお父さんに捨てられた私は、

お母さんには捨てられないよう必死になった。


家の手伝いも沢山した。


ずっとお母さんの顔色を見ながら、

いろんなものを我慢してきた。


お母さんが仕事に出掛けている時、

家での友達は、TVの音だった。


そして運命の小学校五年生の夏休み。





『咲ちゃん、

 ママ再婚することに決めたわ。


 ママ、新しいパパと幸せになるから。


 咲ちゃんは、お祖父ちゃんと暮らしてね』





お母さんは私を

お祖父ちゃんの家に置き去りにして消えた。


その日から、

お母さんからの連絡は一度もない。


お母さんにも捨てられた。

その寂しさと孤独感。



それはあの日から決して消えない傷。



ふと私の聴覚を刺激する、

箏の音色と、透き通る和鬼の歌声。




……和鬼……

 逢いたいよ……。




和鬼の歌声を子守唄に

そのまま眠りの中に誘われていった。





和鬼と逢えない日々は、

更に一週間続いた。



季節は六月の下旬。



和鬼に逢えない時間のストレスは、

私的には思った以上に大きくて、

食欲も今は落ちてしまってた。



来学期の学費免除もかかってるから、

部活での成績は残さなきゃいけない。


学校生活でのプレッシャーも、

重なって精神的に疲弊していたある朝、

ベッドの頭元に置かれていた、小さなボックス。



ゆっくりと包装を解いて箱を開けると、

その中からは、革紐に通された小さな勾玉が姿を見せる。





和鬼?

帰って来てたんだ……。






慌ててベッドを飛び出して、

隣の和鬼の部屋の扉を開けるものの、

和鬼の姿はない。


お祖父ちゃんと一緒?


それとも御神木に座ってる?




考え付くままに、眠い目をこすりながら

和鬼を探して二階から一階へ駆け下りる。




「咲、階段は静かにら。

 時間に余裕をもって生活しなさい」



お祖父ちゃんの部屋がゆっくりと開いて、

すでに着替え終わってる、

お祖父ちゃんが顔を見せる。



「あっ、ごめんなさい。

 えっと、お祖父ちゃん和鬼は?」


「和喜は仕事に出掛けたぞ。


 四時前だったかな?

 一度帰宅して、五時には出ていった」




四時に帰って来て、五時に出ていったって

一時間くらいしか帰ってなかったってこと?




「帰ってきたなら、

 起こしてくれてもいいじゃない」


「無理を言うもんじゃないよ。

 和喜も仕事してるんだ」


「わかってるけど、逢いたかったの。

 ごめん、朝ご飯作るから」



そのままキッチンへ入ると、勾玉を首からぶら下げた後、

手早く三つのコンロを操って、


・味噌汁

・焼き魚

・卵焼き

・お浸し

・お漬物


っとサクサクっと作ると、

お祖父ちゃんの朝ご飯をテーブルに並べる。



自分用には簡単に、

卵でとじて葱をふっただけのシンプルな雑炊。



ガサガサっとかけこむように胃袋に流し込むと、

食器を片付けて、通学準備を整えて家を出た。




お祖父ちゃんは出掛けたって言ってたけど、

和鬼は御神木にいるから知らない。


和鬼は鬼の仕事もあるんだもん。



一気に駆け上がる坂道。



視界に入る神木に、

和鬼の姿は今日もない。




肩を落としながら、

いつものように神木に手を添えて

祈りを捧げる。





いつもと違うのは、

和鬼からのプレゼントが首からぶら下がってる。




肌に触れた勾玉を服越しに掴んで、


『和鬼に今日は逢えますように』っと

願いを込める。




梅雨時の雨に、ぬかるんだ山道。



一気に、歩きなれた山道を駆け下りて

下山するとコンビニ裏で、

靴下を履き替えて靴の汚れをウェットティッシュで拭き取る。


ジメジメとした湿度が、長い髪をべったりと皮膚に貼りつかせる。



鞄から取り出した櫛で、長い髪を梳いて結いなおすと

コンビニの店内で、冷却シートと飲み物を購入。


一息入れて落ち着いたところで、

ゆっくりと校門の方へと向かっていった。



「ごきげんよう、シスター」


「ごきげんよう。

 譲原さん、今日はどうかなさいましたか?

 お顔の色が優れないようですが」


「御心配には及びません。

 シスター、お心遣い有難うございます」




一年ほどたって、ようやく春夏秋冬。


一年中変わらない、朝の校門での風景にも

意味があることを知った。


シスターは、こうやって生徒たちの様子を毎日感じて、

今日の様に変化が認められたときは、声をかけて相手を気遣う。



両親の愛情を貰えなかった私には、

お母さんが今も居たら、こんな感じなのかなーって

ちょっぴりシスターの中に、お母さんを求めてしまってる。



シスターに一礼をして更衣室へ。

そのまま、朝練をこなして教室へと向かった。



「ごきげんよう。咲」


聴きなれた声が聴こえたと同時に、

ノートを差し出される。



「司……有難う」



差し出されたノートを受け取りながら、

司の顔を見ただけで、

なんかほっとして……泣きそうな自分がいる。



「あららっ。

 咲、また和鬼君となんかあった?


 そのチラっと覗いてるの、

 勾玉はプレゼントかな?」




すかさず、目ざとい司は

和鬼からのプレゼントに気が付く。




「今日、朝起きたらあったんだ」


「朝起きたらってことは、

 まだ和鬼君と逢えてないってこと?


 そろそろ二週間?」


「……そんな感じ。

 

 和鬼……一時間くらいしか

 居なかったみたいなんだ」


「一時間かぁ……。


 うーん、でも一花にシバかれても

 ちょっと、和鬼君に一発入れたくなってきた。


 私の咲を悲しませるなんて」



なんて声のトーンを低くして吐き出す司。



「司……怒ってくれて有難う。


 とりあえず……大丈夫だから。

 もう少し待つよ」



そう言いながら、窓の外に視線を向ける。



さっきまで晴れていた空が、

どんよりと曇って、パラパラと雨が降り出してた。



「あっ、咲。


 一花がYUKIのバースデーイベントがって言ってたぞ。


 明日がどうとかって騒いでたけど、

 咲は行かないの?」



YUKIの誕生日イベント?


そんなの知らない。



誕生日?

そうだ……誕生日も知らない。


和鬼、貴方の誕生日はいつ?





司が教えてくれた、

一花先輩からのYUKI情報。



それが更に

私に追い打ちをかけていく。




とりあえず宿題は、司のノートを丸写しして

その後の授業は、上の空で一日を終えて放課後のテニス部。




全ての不安から逃れようと、餓えてしまった、

温もりを忘れるように一心不乱に練習した。



どうやって自分が家に帰ったのかもわからないほどに

自分を追い込んで、

帰宅したらしい私は和鬼のベッドの上で目が覚めた。



「和鬼……」


ベッドにもたれるように、背中を預けて座っている和鬼に

ゆっくりと手を伸ばす。


「咲」


伏せられていた瞳がゆっくりと開いて、

心配そうに近づけとくる顔。


近づいた顔は止まることもなく

私の唇に触れた。



「お帰りなさい」


小さく紡ぐ言葉。

溢れだす涙。



「ただいま咲。


 心配した……。

 咲の気が途切れるから……。


 有香に送って貰ってたけど、

 それじゃ遅いから降りて影を辿って帰ってきた。


 山の中で倒れてた。

 少しだけ熱もあったんだ。

 

 今はボクの気を流したら、

 落ち着いてると思う。


 もう少しお休み、咲。

 ボクが傍にいるから」




掛け布団をめくって、

ベッドの中に入るように

和鬼にも促すと私の隣に横になった。





「お休みなさい」




和鬼を感じながら眠る。


それだけで、

こんなにも飢えは満たされていく。




今の私にとって、

和鬼は、湧き上がる泉。




温もりを感じながら

朝まで眠り続けた。








朝。

目覚ましが室内に響く。




いつものように枕元の

携帯を手さぐりで探して

スヌーズを解除。



ゆっくりと体を起こすと

昨夜、隣にいたはずの

和鬼の姿はそこにはもうない。




朝陽が昇る時間に和鬼は隣にいない。




ベッドから這い出して、

服を着替えるとダイニングへと顔を出す。




「おはよう、お祖父ちゃん」


「咲、熱はさがったか?

 無理はいかんぞ」



新聞を広げてたお祖父ちゃんが、視線を私に向ける。



「今日は大丈夫だと思う」


「そうか……。

 

 無理せず体調が悪くなったら、

 西園寺先生のところに行くんだよ」

 

「うん、わかってる。

 ご飯作っちゃうね」



いつものように朝の定番メニューを作って、

お祖父ちゃんの前に置く。


そして御神木の木に、

今日も和鬼が居ないか気になって足を向ける。



玄関を出て、一気に駆け上がる坂道。



……あっ……桜の花弁。




ここ数日と違った光景が、

私を刺激する。




和鬼が御神木に居るときのみ、

和鬼の周囲には、桜の花弁が美しく舞い踊って

幻想的な空間を魅せてくれる。



舞い踊る桜の花弁、

掌を開くと、ふわりと一枚舞い降りた。



その桜吹雪の先、ご神木の桜木の枝。



まだ幼さの残る鬼は、

指先から桜の花弁を生み出しながら

下界を見つめる。



「和鬼、おはよう」



和鬼の視線がすっーっと

私の方へと向けられてにっこりと微笑みかける。



「おはよう、咲」



ふんわりと枝から舞い降りて、

和鬼は私の前に向かい合うと、

ゆっくりと目を閉じる。



「今日は調子よさそうだね。

 咲の気が、勢いよく巡ってる拍動を感じる」


「うん。

 今日は調子いいよ」



そうやって答えながら、

心の中では言葉を続ける。




『和鬼が傍に居てくれるから』



なかなか正面切って言い出せない

可愛くない私の本音。




「和鬼、朝ご飯出来たよ。


 お祖父ちゃん、先に食べてるから

 早く行こう」




和鬼を私の方へ引き寄せたいから、

そっと手を伸ばす。



すぐにでも抱きしめたい。



和鬼がゆっくりと私の手をとって、

姫抱きにしたまま、神木の枝へと舞い上がる。




「さっ、行こう」




和鬼はそのまま私を姫抱きにして、

飛翔すると一気に、自宅前へと舞い降りた。


抱かれた温もりを

噛みしめながら、必死に和鬼にしがみつく私。





この温もりが永遠に続いてほしくて。




自宅に戻ると、

私も和鬼も、テーブルについて食事を始める。



シーンとした時間が時計の秒針をも

大きく室内に響かせる。



朝食も終わりかけた頃、

グラグラと建物が揺れる。


お祖父ちゃんは、

私を連れてテーブルの下へ。



和鬼は食事を進める箸を止めて、

何かに意識を集めているみたいだった。




「和鬼、和鬼も早く?」





和鬼は瞳を閉じて

精神を集中させている。





こういう時の和鬼は

桜鬼神としての役割を果たしてる時。






和鬼の瞳が開くのを

ただ私は待ってるしか出来なくて。







「……空間が歪んだ……。


 咲、ごめん。

 ボク……行かなきゃ」









和鬼はそう呟いて

立ち上がるとお祖父さまに、

一礼してダイニングを後にする。








「待って。

 和鬼っ!!」 







和鬼を追いかけて朝食を中断し、

玄関に飛び出すも私が玄関に辿り着いた時には

もう……そこに和鬼の姿はない。





慌ててもう一度神木へと駆け上がる。




さっきまで和鬼が腰かけていた

その枝にも和鬼の姿はない。








この世界と鬼の世界を繋ぐ扉でもある、

御神木の幹に手を触れてみるも、

私が鬼の世界に入れた、あの時のように、

手が中に吸いこまれることもない。










……和鬼……。













私は和鬼の名を紡ぎながら

その場に崩れ落ちる。



















和鬼が鬼だっていうのは、

私も受け止めてる。












和鬼が鬼だと知りながら

私は今を和鬼と共に過ごしてる。



和鬼がYUKIだと知りながら、

私は和鬼と一緒に過ごしてる。




ちゃんとわかってるつもりなのに、


こうやってようやく手に入れた、

楽しいひと時を邪魔されるたびに

和鬼は鬼で、和鬼は芸能人なんだって

強く、突きつけられる。





私とは違う世界で生きてる人。







馬鹿みたい。


鬼だと知りながら

恋をして今を生きてるのに。



芸能人だと知りながら、

傍にいるのに……。





私の知らない「和鬼の姿」を自覚するたびに

酷く不安になる。







和鬼……無理しないで。

ちゃんと帰ってきて。


ううん、今すぐ帰ってきて。

帰って私を安心させて。








傍に居たい。








……和鬼……。



どれほど、

貴方を想い続ければ私の心も、

貴方の心も満たされるの?






私たちの不安は掻き消えるの?






月に叢雲むらくも花に風。






良く言ったものだよね。



どれほどに寄り添い合って、

楽しい時間を過ごしていても、



月を雲が隠すように

和鬼を……YUKIが連れ去り




花を風が散らすように……

和鬼を桜鬼神が消してしまう。









二人の穏やかな時間は

長く続かない。







その度に人間と鬼を気づかされ、

私自身の器の小ささを思い知らされる。








……和鬼……。





あの日から、貴方一人に

こんなにも焦がれて振り回されてる。








寂しさと醜さの裏側に感じられる、

穏やかな優しい時間。








その時間に今は、しがみ付きたくて。


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