1.優しい時間 -和鬼- 



「お疲れ様です。

 YUKIさん」




新曲のレコーディングスタジオ、

歌入れを終えて、出てきたボクを演奏を手伝ってくれた

事務所の仲間たちが陣中見舞いよろしく迎えてくれた。




「お疲れ様、YUKI」


「有難うございます。

 有香」


「お礼は私じゃなくて、YUKIの世界をずっと支えてくれる

 事務所の皆にね。


 託実たくみいのり、TOMO《とも》、かい

 忙しいのに時間作って貰えて有難う」





ボクの変わりに、優秀なボクのマネージャーは

事務所仲間たちにお礼を告げる。



Ansyal《アンシャル》の

プロデューサー兼ベースの託実くん。


そして同じくAnsyalのギターリストで祈くん。


もう一人のギターリストは、

Ishimael《イシマエル》の魁くん。


最後にドラムを手伝ってくれたのは、

kreuz《クロイツ》のドラム兼ピアノのTOMO君。




どの仲間たちも今の事務所を支えるボクの新しい仲間たち。




「YUKIさん、有香ありかさん。


 宝珠ほうじゅお姉さまや高臣たかおみお兄様にも伝えますが、

 私が手掛けているkreuzのTOMOにまで

 お声掛けいただきまして有難うございます」



そう言ってボクと有香に丁寧にお辞儀をするのは、

トパーズとクリスタルのインディーズ部門を預かる、

十六夜グループの十六夜鷹花いざよい ようかさん。


鷹花さんがボクたちに挨拶をすると、

すかさず、TOMO君もお辞儀をした。




「YUKI、何時ものお店を予約してあるから

 今日は打ち上げでいいわよね。


 咲ちゃんにも伝えておいたわよ」



有香はそう言うと、

キビキビと準備の為に動き始める。





春祭りの翌日、

生番組の収録中、声を失って失踪したように世間で

騒がれてしまったボク。



実際のところは、

失踪なんてものではなく、

鬼と人の狭間、咲と咲鬼の狭間で視えるべき世界が

視えなくなってしまって声を失った。



自分を見失ったボクを

狭間の世界まで飛び込んで助けてくれた咲。


咲が傍にいるから、

ボクは今もこの世界に存在することが出来る。




咲がいれば、それでいい。



ボクには、

もうYUKIである必要はないから……。




人の世に戻った後、真っ先にYUKIとしても

咲を守りやすいように、弱まっていた人の記憶を

強固なものにするため、鬼の力で操った。



だけど……すぐには、

事務所にも有香にも連絡することが出来なかった。




咲久と咲と一緒に住む家。



朝、鳥の囀り《さえずり》を聞きながら

由岐和喜ゆきかずきとしての目覚めの時間。


YUKIの仕事を続けているように、

咲に心配かけさせぬようにと、

装いながら咲を見送り、

神木の回廊を渡って桜鬼神おうきしんとしての役割を務める。


そして……鬼の世界での、

もう一つの大役。


国主としての時間。

咲鬼が託してくれた世界くにを守ることも

ボクの務めだから。



そんな日々を繰り返す。



神木の回廊を通って、

人の世に戻った後、社の裏側で由岐和喜としての依代よりしろをとって

自宅へと戻ろうとした時、

見慣れた車が、神社の方へと入ってきた。



「YUKI」



車から下りてきたのは有香。



ボクが連絡を取らなかった間、

かなりボクを探し回っていたらしい彼女は

酷くやつれて見えた。



「……有香……」


「YUKI……声、戻ったのね」




彼女はそう言うと、

お社へと続く石段にヘタヘタと腰掛けた。




「咲が声を取り戻してくれたから」


「……そう……」


「どうしてこの場所に?」


「YUKIを探しに……。

 

 貴方が声を失って、

 突然居なくなってしまったでしょ。


 その直後から事務所に

 ファンレターやファンメールが殺到してるの」




そう言って有香は立ち上がると、

車の中から段ボール箱にぎっしりと詰まった手紙やメールを

ボクへと手渡す。



「音楽って素敵よね。


 YUKIの歌は、咲ちゃんの為に歌い続けていたものかもしれないけど、

 たくさんの人の心に寄り添って、力をあげていたのね。


 帰ってらっしゃい。

 YUKIを待つ、皆の世界へ」



有香はそう言うと、

ボクの前にゆっくりと手を差し出した。



それは有香との出逢いの日にも似て、

懐かしい香りに誘われるように、

もう一度彼女の手を取った。



彼女と共に事務所へと顔をだし、

念の為にと大学病院で診察を受け、

異常がないことを確認したものの、すぐには表舞台へと変えることなく

休養を兼ねてのレコーディングと言う地下作業期間となった。



その地下作業期間、ボクを支えてくれたのが

今、此処に居てくれるサポートメンバー。



ボクの2ndアルバムの制作を手伝ってくれたのが

彼らだった。



「YUKIさん、お疲れ様でした。


 今回、YUKIさんのバックバンドで

 勉強させて貰いました。


 今度はAnsyalで、手伝わせてください」



そうやって丁寧に頭を下げるのは託実くん。


託実君の隣、目を輝かせているのは祈くん。



「YUKIさん、

 少し触らせて貰っていいですか?」  

 


ボクのお琴に興味を抱いているのは魁くん。



「YUKIさん、別アレンジで桜月夜さくらづきよ

 こんな風に攻めてみたんですけど

 これもありですか?


 お許し頂けたら、今度LIVEでやりたいんですけど」



ヘッドホンをかけて、端末を操作していたTOMO君は

そう言いながら、ボクの方へと近づいてくる。


TOMO君の発言に、他メンバーも集まって来て

端末から出ていたヘッドホンを抜き取ると、

Bluetoothでメインスピーカーへと繋がって

サウンドが部屋に広がっていく。



ボクが演奏する桜月夜とは違ったテイストで

激しくサウンドが重なり合う演奏。


そんな視点で聴くことになった

ボクの曲が、

何処か何時もと違って聞こえてドキドキした。





「あらあら、まだ片付けてなかったの?

 今、高臣社長と宝珠さまが、

 エントランスに顔出したわよ。

 

 咲ちゃんと一緒に。

 さっ、移動しましょう」



有香が迎えに来てくれて、

ボクたちは、打ち上げ会場へと車で移動した。



一次会、二次会と続く打ち上げ。




だけど咲はまだ高校二年生。


一次会のみ一緒に過ごして、

二次会からはボクも会場を後にした。



有香が運転する車内、

後部座席に二人並んで座ったまま

久しぶりにゆっくりと話す機会。



「お疲れ様。

 アルバム作るのって時間かかるんだね。


 桜が満開だった春が、

 もう梅雨の季節なんだもん。


 和鬼がYUKIとして、頑張ってるのは凄い。


 って言うか……本当は私たちが頑張んなきゃなのに、

 和鬼が台所も私好みの最新キッチンにリフォームしてくれた。


 お風呂場だって、お手洗いだって

 新しくしてくれて、住みやすいお家にしてくれた。


 神社のお社だって」


「ボクが咲と咲久の為にやりたかったんだ。

 咲は気にしなくていいよ。


 ボクは今、もう一度この世界に戻ってきて良かったって思ってる。

 思ってた以上に、この世界は優しいね」



咲にそうやって答えながら、

ボクはもう一つの鬼の世界を思い返していた。




友と一緒に駆け回った

常春とこはるの王宮。



だけど一歩王宮を離れると、

そこは階級に応じて、春の世界・夏の世界・秋の世界・冬の世界と

空間が閉ざされる。


その地に住む人たちは、

それぞれの国に応じた気性を育みながら生きている。



そしてボクが住まう地は冬の世界。


春の暖かさが、

何時も恋しい雪深い真っ暗な世界。



凍り付いた心は、

優しさを知らないまま時間だけが過ぎていく。





そんな鬼の地に住む人たちを

ボクは国主として、どうやって導き

桜鬼神としてどうやって人を守ればいいのだろう?




幾ら咲が隣で支えてくれているとはいえ、

二つの相対する役割を担い続けるボクに

その答えはなかなか見つからない。




「さぁ、YUKI明日からは、

 LIVEの練習が始まるわよ。


 サポートは、今日手伝ってくれてた子たちが

 LIVEの時も頑張ってくれるみたいだから。


 咲ちゃん、しばらく寂しくなると思うけど

 和喜君借りるわね」




自宅に向かう坂道を車で上りながら、

有香が咲へと今後のスケジュールを伝える。




チラリと横に覗き見る咲は、

少し寂しそうに映った。





「咲ちゃん、関係者パス手渡しておくから

 来れるときは顔出しなさいな。


 その時は、事前に私の携帯に連絡貰えると嬉しいわね」




そう言うと、有香は自宅前に車を停車させて

鞄の中から封筒を取り出して、咲へと手渡した。




「有難うございます」




戸惑いながらも封筒を受け取ると

咲はお礼と共にお辞儀した。




「有香、有難う。


 明日は咲の学校へ。

 久しぶりに、咲と一緒に歩きたいから」



「わかったわ。

 

 なら七時半に、

 聖フローシアの校門前に迎えに行くわ。


 おやすみなさい」




有香はそう言うと、目の前で車をターンさせて

来た道を帰って行った。






「「ただいま」」




二人揃って、玄関を開けると

すでに咲久は眠っているみたいだった。




咲久の夜は早く朝も早い。





咲久を起こさないように、

二階へと駆け上がると、

ボクの部屋で、ギュっと咲を抱きしめる。





寂しそうな咲を

少しでも早く笑顔にしたいから。





「大丈夫だよ。

 和鬼、心配かけて御免。


 和鬼のYUKIの仕事も大切な時間だって

 ちゃんとわかってるから。


 和鬼が仕事で居ない間も、

 私には……テニスもあるし、司も居るし

 YUKI仲間の一花先輩もいる。


 それに……習い始めたお箏もある」




心配かけないように、

そう言ってボクに告げる咲の言葉。





「有難う。


 LIVEが始まっても、

 ちゃんとボクは帰ってくるよ。


 暗闇に紛れて影を渡ってでも。

 

 ボクは何時も、咲の傍にいるから」



「……うん……。


 和鬼が優しいのは、

 ちゃんと知ってるから」





そうやってボクに笑いかけてくれる

咲にゆっくりとキスを降らせて

少しだけ鬼の力を流し込む。



不安から不眠になりそうな咲を

穏やかに眠らせてあげたいから、

少しだけ安らぎの夢をあげる……。





流し込んだ鬼の気がすぐに作用したのか、

咲は寝息をたてながら脱力した。




咲を抱え上げて、

ボクの部屋のベッドへと横たわらせると

窓を開けて、ベランダから

闇から闇、影を渡って御神木へと向かった。




ここから先は、夜の時間。




人の姿を解いて、本来の姿を戻ると

桜の回廊をゆっくりと開いた。






鬼の世界は、

相変わらず乾いて閑散としている。





心がズキンと痛む。






この場所に戻る度に、

今の世界がどれほど

ボクに優しい時間なのかを自覚させられる。









咲久と咲に出逢い、

二人はボクに居場所をくれた。




桜の季節から梅雨の今日まで、

ボクが咲と咲久と共に住み始めて、三か月。


どれだけ遅く自宅に帰っても、

台所のテーブルには、

咲の手料理でもある晩御飯が並べられている。




鬼として、桜鬼おうきとしてのみ

現在を生き続けてきたあの時代には、

望むことのできなかった幸福が

今、ボクの目の前には広がっている。







心は穏やかに

満たされている……はず……。











なのにどうしてだろう。










今もボクの心は乱されていく。









全てを諦めていたボクが、

今以上に求め続ける何か……。


















咲をボクだけの元に

縛りつづけたい。

















黒い影が

ボクを包み込んでいく。












その影の正体を

ボクは知ってる。












独占欲と

言う名の魔物。














ボクの中に

魔物が棲みついていく。











ただ静かに咲と咲久と共に過ごす

鬼が求めるには幸福すぎる時間を、

今は……一日でも長く続けていたいだけ。




そんなことを思いながら、

ボクは桜鬼神としての務めを今宵も果たす。



丑三つ時を少し過ぎた頃、

再び桜の回廊を渡って、

ボクは自室のベランダへと飛んだ。



和鬼のままで、

部屋へと帰り着くと

そのまま咲の眠る隣に

ボクの体を横たえる。



衣擦れの音が夜に響く。




一定のリズムで響いてくる

咲の寝息。




咲の寝息を子守唄に

ボクもゆっくりと目を閉じた。




咲が生きている証を

ゆっくりと胸の中に抱きながら。




今は穏やかな寝息も、

耳を澄ますとボクの聴覚に

ダイレクトに響いてくる咲の拍動も、

やがては……失われ崩れていくもの。






人の世界と鬼の世界。











時の進みは

あまりにも違いすぎて。











あのながの孤独に凍りついた時間ときが、

再び訪れることに対する恐怖のカウントダウンは

優しい今も刻み続けられる。





そっと手を伸ばして咲に触れる。




咲の温もりが指先に触れて

ボクの中を満たしていく。






「うん?」






もぞもぞと少し動いて

咲の瞼が震える。






閉ざされていた瞳が

ゆっくりと開いてボクを捕える。







布団の中から咲の両手が伸びてきて

ボクを柔らかく抱く。








「どうしたの?


 和鬼、寂しそうなかおをしてる」





相変わらず鋭い切り込みで

柔らかな言のことのはを降らせてくる咲。




「……咲……」




名前を紡いで、

ゆっくりと唇を重ねる。




甘やかな時間が過ぎていく。




酸素が薄くなって

クラクラっ意識が遠のきそうになる頃

互いの唇がゆっくりと離れる。



二人を繋ぐ透明な糸が

すーっと細く消えていった。




「こらっ。


 悪戯っ子、和鬼。


 ホント和鬼って一緒に暮らし始めると犬みたいだよね」





ボクの腕の中、クスクス笑う咲。







そう……この時間は

ボクを優しく包み込んでくれる。



不安なんて

何もないはずなのに。






ボクはその先の未来を

見つめてしまう。





咲がこの腕の中で

微笑むことをしなくなった時、




ボクは……ボクとして……

咲鬼に託されたあの世界を

守ることが出来るのだろうか。






すぐ傍で、魔手が手招きしているビジョンが

時折流れ込んできてはボクの時間を

ボクの心を凍りつかせる。









孤独ひとりでいることに

慣れてしまっていたはずなのに。








僅かな年月が甘い蜜に満ちていて、

失う時が……怖すぎて。





「ほらっ。


 和鬼……やっぱり……。


 私、傍に居るよ。

 ほらっ、触れるでしょ」




咲の手がボクの手首を掴んで

頬に触れさせる。






頬から流れる温もりは

少しずつ凍りかけた心をとかしていく。







こんなにもボクの中で

存在が大きくなりすぎてる。











……咲……。












優しい時間は

孤独との隣り合わせ。














ボクは何処までこの時間に

溺れ続けていいんだろう。















咲が微笑む

優しい時間の中で……。



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