13.追憶の夢渡-咲-
真っ白な桜の花弁が、
雪がシンシンと降り積もるように
延々と降り続ける世界。
此処何処?
ゆっくりと立ち上がって、
暗闇に少し目が慣れた頃、
大きな屋敷の中を歩いていく私。
シーンと静まり返った空気は、
どこか冷たく凍てついているように思えた。
トコトコと歩きながら、周囲をキョロキョロ見渡しつつ
長い廊下をひたすら歩いていく。
ホント、ここ何処?
少しずつ心細くなっていく私。
人の温もりが届かないのが、
こんなにも心に闇を落としていくことだったなんて、
知っていたのに、忘れてた。
和鬼や司、一花先輩そしてお祖父ちゃんが
ずっと傍に居てくれてたから。
人の姿を見つけたくて彷徨い続け、
どれくらいたっただろう。
身につけている腕時計の秒針は
時を刻むことを忘れたように
ピクリとも動かない。
嘘っ、こんなことってある?
ちゃんと動いてたんだよ。
私の時計。
あっそうだ。
腕時計がダメなら携帯。
そうじゃない。
最初から携帯を取り出して、
和鬼に電話すればいいの。
立ち止まって洋服のポケット、
鞄の隅々を携帯電話を
手探りで辿っていく。
これは財布。
こっちはMP3プレーヤー。
……和鬼……。
プレーヤーを思わず握りしめる。
脳内に響いていく
和鬼の声。
帰るんだから……。
私……ちゃんと、
和鬼のところに帰るんだから。
力強くMP3プレーヤーを
今一度握ると再び、携帯電話を探す。
すると鞄の中で【ピピピ】っと音がする。
ボタンに指先が触れたんだ。
一瞬光った携帯のイルミネーションを
手掛かりに一気に鞄の中から携帯電話を持ち上げる。
気になるのは液晶画面。
電波は?
メールは?
ボタンを押してライトアップされた液晶画面。
覗き込んだ画面に、
電波の強度を知らせるアンテナは一本も立ってなかった。
えっ、圏外なの?
でも圏外マークすら出てない。、
マジっ、ホント何処なの?
思わず……その場にへたへたっと座り込んで
再び、周囲を見渡す。
……闇が落ちてくる……。
濃いく
……深い……闇色……。
思わず携帯電話のデーターを開いて、
YUKIの曲を再生していく。
透き通ったYUKIの箏の音色が
携帯のスピーカーから波音を描いていく。
広がっていく
柔らかな空気。
……和鬼……。
貴方の声はたったこれだけで、
こんなにも元気をくれるんだね。
携帯電話を握りしめて、
もう少し暗闇の中を歩いていく。
和鬼が歌う曲を何度もリピートしながら、
何曲分かを歩ききった時、視界に人の姿が止まる。
誰っ?
思わず携帯の音声を閉じて歩み寄る。
目の前にいる人は奈良時代の
衣装を身にまとった、
少し貫録ある髭がトレードマークっぽい年配の男性。
男性の視線がこちらに向く。
思わず体を萎縮させるも、
深呼吸して声をかけようと年配の男性の方へ歩み寄る。
「あの……」
思い切って声をかけるも
その声は届かない。
もう少し大きな声で呼びかけながら
その男性の肩をトントンとしようと手を伸ばす。
その手男に触れようとした
私の手は、次の瞬間男の体をすり抜けた。
すり抜けた?
あまりの出来事に体が震える。
そんなことが有り得るの?
本当に、此処は何処?
そんなことを思いながら、
その男の人が向かった先へと私は歩みを進めた。
男が入ったその部屋には、
奈良時代っぽい時代衣装を身にまとった
人たちが大勢いた。
私もその輪の中へと
入っていく。
どんなに手を伸ばしても
立ち止まって声を出しても
誰も私の存在に気が付かない現状。
私は……この世界に存在しない?
えっ、それって言い返せば、
和鬼も私が生きる世界でそうだったってこと?
どれだけ守っても、どれだけ焦がれても、
ありのままの姿では和鬼は触れることが出来ない人間の世界。
だから和鬼は、
いつも……あんなに寂しそうな瞳をしていたの?
携帯電話の液晶に映る和鬼を見つめる。
この和鬼は和鬼ではなく、
YUKI。
和鬼の姿のままでは、
写真にすらその姿を捉えることはできない。
YUKIとして存在出来て、
和鬼は和鬼として人間界に受け入れて貰えなかったんだ。
今の私みたいに。
目尻から暖かいものが筋を描いて零れ落ちる。
和鬼はこんな寂しさを
とれくらい耐え続けてきたの?
思わず和鬼が歌うYUKIの曲をもう一度再生する。
蝋燭の炎がゆらめく、
大広間に和鬼の声が静かに広がっていく。
途端に人々が周囲を
キョロキョロとし始める。
思わず耳を澄ませてみると、
桜鬼神っとか何とか人々が、
和鬼のことを話しているのに気が付いた。
*
『
『今更、何を……』
『同族を狩ることしか出来ぬ
アレを現王は何故のさばらせる』
*
えっ?
桜鬼神は……和鬼は、
鬼の世界でも嫌われているの?
何故?
更に耳を澄ませてみるけれど、
それ以上は、私には話が見えなかった。
相変わらず、騒めき続ける大広間。
大広間にはたくさんの人々が居るのに、
私の存在に気が付くものは
今も誰も居ない。
「申し上げます。
男性の声が室内のすみずみまで響き渡る。
途端に騒めく人々がピタリと静まり返る。
慌てて私も携帯の音楽を止めると、
その声の方に意識を向けた。
静かに雅楽の音色が広がっていく。
鼓の音色。
琵琶の音色。
そして……重なっていく箏の音。
えっ?
これってYUKIの描く世界?
人々の視線が集中する先には、
姫と呼ばれた影と……もう一人……。
純白の天女のような衣装を
身にまとった一人の少女。
思わず視界に映る顔を見て
固まる。
鞄の中から鏡を取り出して、自分の顔を映し出す。
映した私の顔と目前の少女の顔が重なる。
どういうこと?
少女の隣には、少女を守るように肩に手を回し
導く少年が付き従う。
「……和鬼……」
思わず小さな声が零れ出る。
視界に映るのは、
今も寂しげな笑みを浮かべる和鬼。
「和鬼ぃ!!!」
どうせ届かないかもしれないと
思いながらも大声で和鬼の名前を呼ぶ。
和鬼……どうか気づいて……。
その気持ちを息にのせて。
次の瞬間、少年和鬼は私の方に
柔らかな視線を向けた。
届いた?
和鬼は瞼を軽く閉じて目を伏せると、
もう一度、開いて咲鬼と呼ばれる
少女のもとへ向き直る。
『……咲鬼姫さま……』
私の目の前では、
今も旅立ちの儀らしき行事が進行していた。
大広間に集まった人たちは、
鬼の角を見せながら、姫と呼ばれる少女のもとに
最敬礼でお辞儀をしながら歩み寄っていく。
参列者全ての挨拶が終わったところで、
少女は、ゆっくりと大広間に集まっている人たちに話し始めた。
『皆の者、良く聴きなさい。
私は桜鬼神の審判により、この世界を離れます。
私の魂は、この世界より離れますが
私は死ぬわけではありません。
新たな生命を頂くのです。
悲しむことはありません。
私の愛しの民人たちよ。
息災で……。
私の旅立ちを持って
我一族の御世は終息を迎えます。
旅立ちの前に私の大切な和鬼に、
この世界の王としての役割を託したいと思っています。
皆様の……意見を……』
凛とした声で一言一言を諭すように
力に強く語るその少女の声に民人からの拍手が沸き起こる。
『咲鬼姫さま、
異存はありません』
『咲鬼さまの意思を継いでこの世界を守るのは、
和鬼さまをおいて他にありません』
『私は……嫌でございます。
愛し合うお二人を桜鬼神は何故に
引き裂くのでしょうか。
姫さまはこの地に……留まられるべきです』
『そうだ。
鬼狩など滅ぼしてしまえ』
次々に厳しい声があがっていく。
だけど……この世界の人たちは、
どうしてそうなるの?
桜鬼神も和鬼も、
同じ一人の存在でしょ?
二人とも同じ和鬼なのに、
一人は受け入れられて、
もう一人はこの地の人々にも受け入れて貰えないの?
悲しすぎるよ。
洋服の裾を握りしめて、唇を噛みしめながら
私は……民人たちを睨む。
『皆の者。
勘違いをするな。
私は……桜鬼神を恨んではおらぬ。
先王である父と妃である我両親を失ったこの場所で
暮らすのが……辛い……。
桜鬼神は……私の弱さに気が付いて慈悲の裁きを下しただけだ。
桜鬼神の裁きは私が自分自身で臨んだ裁きなのだと受け止めよ。
これは我旅立ち。
良いな。
皆はこの先の未来、私が愛する和鬼を慕い生きよ。
私の我儘を許せよ』
少女はそう言い終えて、民たちの顔をぐるりを見渡すと
ゆっくりと大広間から退室した。
人々の声が室内に広がる。
『咲鬼の旅立ちに立ち会って参ります。
どうぞ、皆様もこの地で咲鬼の
未来【永久】なる幸せをお祈りください』
和鬼が一礼をして、咲鬼の後を続いていく。
『未来からの
君も着いておいで』
チラリと視線を向けた和鬼が、
私の中へと声を浸透させて来る。
小さな和鬼の指示通り、座り込んで祈りを捧げはじめた
民たちの合間を通って、少女と和鬼の後を追いかけた。
純白の衣を身に纏った少女は、
ゆっくりと鏡だらけの部屋の中へ歩んでいく。
『……和鬼……』
鏡の部屋に入ろうとしていた少女が
振り向いて和鬼を呼び止める。
そして自分が身に着けていた、
首飾りを外して和鬼の手にゆっくりと握らせる。
少女の瞳から涙が零れ落ちる。
『和鬼……』
『
こんなにも思われてボクはもう十分だよ。
ほら、もう行っておいで。
ボクは何時も咲鬼を見守ってる。
この世界から、遠い世界に生まれ行く君を』
和鬼の胸に抱かれた少女は、
自らの手で、首飾りを和鬼へとかける。
『咲鬼……』
『和鬼』
お互いの名を呼びながら
抱き合う二人。
気が付いたら、私の瞳からも
涙が溢れ出てた。
『有難う。
さっ、此処からは私一人で行かないと。
和鬼、この世界をお願いね。
さぁ、桜鬼神が来る前に貴方は民のもとへ』
少女は自らの心を閉ざすように、
和鬼の腕から放れて、
鏡の部屋へと入り扉を閉ざした。
部屋の外。
和鬼は……もう一つの姿へと
自らを変化させる。
桜鬼神。
鬼を狩る鬼の姿。
幼い寂しげな鬼の和鬼。
その和鬼の首には、
先ほど、手渡された咲鬼の首飾りは見当たらない。
少年和鬼は再び私の方を見て、
柔らかに目を伏せると鏡の扉にゆっくりと
手を翳し歪んだ空間から室内へと入っていく。
私も後を追いかけるように
室内へと入り込む。
部屋の片隅、見つめ続ける私。
『……
威厳溢れる口調で和鬼が呟くと、
少女は覚悟を決めたように頷いた。
桜鬼神が鼓と琵琶、箏の音色にあわせて
舞始める。
鬼神の舞う指先からは、
狂わんばかりの桜吹雪が広がっていく。
その雅やかな音色と鬼神の舞に
誘われるように少女はゆっくりと鏡の方へと歩いていく。
鏡に指先が触れる……。
その指は……留まることなく鏡の奥の世界へと
吸い込まれていく。
少女は鏡の中の世界へと旅立っていった。
旅立ちを見送って
少女のいなくなった部屋で歌を紡ぐ独り残された和鬼。
和鬼の指先には、
何時の間に手に入れたのか、
先ほど少女から手渡された首飾りの紐が握られている。
静かに首飾りを見つめて、
唇を押し当てた後、愛しそうに自らの首へとかけていく。
☆
……愛しき人……
君、在りし……
日を胸に秘め
我……
今を歩む……。
君に幸あれ
日の光溢れる
世界よ
君の旅立ちを
寿ぐ《ことほぐ》ものなり……
☆
伸びやかな和鬼独特の声が、
寂しげに室内に広がっていく。
その声に呼応するかのように、
鏡の向こうに本来映るはずのない
吸い込まれた少女の姿が映し出される。
鏡越しに伸ばされる指先。
その指は、愛しき人を求めるように鏡に映し出される。
和鬼は鏡の方に振り返って、
鏡に映し出された少女の指先に自らの指を重ねた。
『咲鬼……幸せに』
鏡越しに重ねる体は、
激しさを増していく。
『和鬼……有難う。
もう……いいから……
そんなに悲しまないで……。
いつか……桜の木の下で……』
*
……いつか……
桜の木の下で……
*
鏡に映った少女の姿が
ゆっくりと遠ざかっていく。
辺りに暗闇が広がる。
その暗闇の中、
和鬼が寂しげに声をあげて泣いていた。
堪らなくなって
私は少年和鬼を抱きしめる。
和鬼の温もりが、
鼓動が私へと繋がる。
少年和鬼を抱きしめながら、
私はゆっくりと瞳を閉じた。
切ない歌声が心の奥に遠くから響いてくる。
透き通る全てを
魅了する高音。
柔らかで、
それでいて力強い歌声。
そんな遠くから聴こえる歌声に
幼い和鬼が重ねあう歌が
私をゆっくりと包み込んでいく。
☆
……愛しき人……
君、在りし……
日を胸に秘め
現世を刻む。
……君、想ふ《おもう》……
夢、儚きて……
古より
想い焦がれし
愛しさよ
かの君の元
届きけり
君……
想ふことなかれ……
愛しきものよ
全て……
桜に……
託しけり……
☆
その歌声に誘われるように
少年和鬼に体を委ねる。
『迷い子よ。
貴女の今にお帰り。
ボクは貴方に辿り着くから』
まだ幼い少年の声が柔らかに降り注ぐなか、
私の意識はゆっくりと遠ざかって行った。
……和鬼……。
私の愛しい人……。
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