12.失った声-和鬼-



春祭りの翌日、

YUKIとしての仮初の時間。



いつものように歌を紡ごうと

口をゆっくり開いた。




鼓の音色は響き続けるのに、

ボクの声が出ない。



弦を爪弾く両手を箏から話して、

視時からの喉元にそっと添える。



『出ろ。出ろ、ボクの声』



何度も念じながら、

口をパクパクさせるものの、

声が出る気配は一向に感じられない。



カメラに映らないギリギリの位置で、

有香が駆け寄ってくる。




「YUKI、どうしたの?

 喉がどうかしたの?」




有香の問いかけに、

ボクはただ頷いた。





それからの有香の行動は早い。




生番組なので、CMを挟んで

それ以降の手順をスタッフがやり替えてくれる。



司会の人が、すかさずトークを入れてCMへ誘導。


今日歌うはずだったサウンドが、

フェイドアウトしていく。




「YUKI」




今も声が出ないボクに、

有香さんは駆け寄ってくる。





「病院に行かないと……。

 明日は、マスコミ覚悟しないといけないわね。

 社長と会長には連絡したわ。


 大丈夫よ、YUKI。

 貴方の声もちゃんと出るようになるわ。

 

 神前医大こうさきいだい、時間外だけど頼んでおいたから。

 車回してくるわね」




そう言って有香がボクから離れた途端、

ボクは闇に紛れて、

テレビ局から逃げ出すように

人としての姿を解いて暗闇に紛れ込んだ。










……何故……。





ボクが鬼として人に焦がれ続けたから?


鬼の務めを怠っていたから?




どれだけボクを責め続けても、

ボクの声は戻らない。





『ボクは一体……』





思わず独り言を紡ぐボク。



そしてその時、ボクの声が失われてしまったのは

人としての時間であって、

鬼としてのボクの声は今も発せられていることに気が付いた。




ボクは人の世に拒絶されたの?






神木の回廊を潜り抜けて

駆け込んだ、狭間の世界。



この場所はとても優しいけれど、

この場所は……とても寂しい。



……孤独……。



鬼を狩るモノ。

人を守るもの。




鬼の中でも異質のボクが、

唯一、安らげる門番の狭間。






鬼が人に思いを寄せ、

鬼が人の世のことわりを犯したから。





だからボクは、

人の世の声を失ったですか?







咲を知れば知るほど、

近づけば近づくほどに嬉しさと怖さが

ボクの中に広がった。





咲はボクが知らない世界を

ボクに教えてくれる。




咲は新しい世界をボクに伝えてくれる。





その世界に触れたいボク。


今を守りたい

……ボク……。





二つのボクが常に鬩ぎ《せめぎ》あう。






そしてボクの宝物。






遠い昔、咲鬼しょうきと……交わした……

悠久とわの誓い。






契り……

……約束……






ふいにボクの住処の

空間が歪む。






瞬時にあばら家で剣を手にして、

その歪みの生じたその場所へ意識を向ける。




剣を一振り。





鬼の力は失ってはいない。


桜鬼神おうきしんとしての力は、

今もボク自身から溢れ出てくるのを感じる。



ボクが失ったものは、

人の世に住む……権利……なんだね。



軽く目を伏せ、神経を狭間の世界の隅々にまで

巡らせていく。





意識を週中させた途端に、

ボクの心は戸惑いが隠せない。





桜の回廊を渡ってしまった咲が、

この世界の瘴気しょうきに中てられて《あてられて》

倒れているのが感じ取れた。




何故、君がこの場所に入れるの?





ボクが出入りする桜の回廊。

狭間の世界と、人の世界の出入口。




刀が映し出した空間内の情報に

慌てて、その場所へと向かう。




咲は、

もうこの世界まで来てしまったんだね。



何度も断ち切ろうと思った。


何度も終わらせようと思った。



記憶を抜いてボクは、

ただ……君を見守っていようと……。





そう思っていたのに……

君はことごとくボクの思いを

交わしてしまう。





だからこそ……ボクは出逢った頃以上に、

君に惹かれ、君に焦がれ、君を恐れてる。





ボク自身の心がコントロール

出来ない程に乱されていく。




……咲……


君はどうしてボクの中に

簡単に侵入してしまうの?


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