10.鬼の役割 凍りつくボクの心 - 和鬼 -

咲と出逢って十年。

咲がボクに気が付いて九ヶ月。


真っ暗な暗闇に居たボクに

光をくれた咲。



咲と過ごし続ける時間。



その時間はボクにとって

暖かく優しい。




それはボク自身の罪が浄化されるように

穏やかな日々へと姿を変えて行く。



ボクは鬼。

咲は人。



どれだけ深く交わろうとしても

人と鬼である事実から解放されることなどない。



何も変わるはずなどないのに……。




「和鬼?」



心配そうに神木の枝に腰掛けて俯いたボクの傍まで

木登りをして、そっとボクに手を触れる。



「咲……、大丈夫だよ」


「嘘。


 和鬼はずっと辛い顔してる。

 私が辛い時は、助けてくれた。


 うちの神様を携帯電話で縛るなんてって思ったけど、

 一花先輩や司たちが用意してくれたプレゼントも

 受け取って使ってくれてる。


 逢えない時間、寂しいけど……

 携帯電話で声が聞こえる。


 メールをしたら、返信が届く。

 それだけで私は、寂しさを忘れることが出来る。


 和鬼が私を温かくしてくれるの。

 

 ねぇ……私は和鬼に何を返せる?」



咲たちよって手渡された

携帯電話を受け取ったのが一月の終わり。


久しぶりの逢瀬を楽しめている今日は、

あの日から更に一か月が過ぎようとしていた。



まだ夜の寒さは、人の体には厳しい。



冷え切った咲の体を、

ボクの方に引き寄せて、そっと唇を重ねる。


唇と共に流し込むのは、

ボクの生吹いぶき


口づけと共に流し込まれたボクの生吹いぶきは、

咲の体の中を気流に乗って駆け巡り、

内側から温めていく。



「……咲……」



ボクは充分だよ。


咲は沢山のものをボクに与えてくれる。

それだけで十分なんだ。


だけど……楽しい時間が続くたび、

ボクの心に闇が押し寄せてくる。




「さぁ、もう夜も深い。

 家まで送るよ」



咲をふわりと抱きあげて、

空へと舞い上がると、

暗闇に溶け込むように、

咲の自宅へと送り届ける。




「お休みなさい。

 和鬼」


「おやすみなさい。

 咲」



良い夢を……。




君を追い詰めて、不眠にさせる夢から

ただ一日、ボクの生吹いぶきが守るだろう。



ゆっくりと閉じられる扉。



扉が閉ざされたのを見届けると、

途端に、鬼の世界と人の世界の壁が分厚くなったような

錯覚に陥ってしまう。



独り寂しさをやり過ごすように、

自らの体をりょういだきとめながら

神木の扉まで飛翔した。





……咲……、ボクと出逢わなければ、

君がこんなにも辛い思いをすることなどなかった。






ボクを大切だと言ってくれる咲が、

ボクに隠し事をしている現実。



神木が教えてくれる。


鬼のボクの本質が感じ取ることが出来る

人の深層心理と通じる世界。



夢に魘され《うなされ》続ける夜。



咲が涙を流す、

悲しい夢の正体を知る存在であるボク。


咲がその夢を毎日のように見るようになってから

押し寄せてくる、恐怖と言う存在。



一緒に居るだけで楽しかった

咲との時間。



今は咲の目が怖くて見られない。

だからすぐに、ボク自身を見透かされることから逃げるように

視線を反らす。



あの日から何時かはこうなることを、

ボクは……知っていた。




交われば交わるほど

咲はボクを知りたがる。



それは人として当然の理。



ただボクが望む形とは違うだけ。



その歪みが、

ボクの心を凍り付かせていく。





咲のことが愛しい。


その気持ちは変わらない。





そう……ずっと昔から

ボクは咲を見守ってきた。



咲がボクと出逢う前から。



この鬼の世界と

人間の世界を結ぶ鏡を通して。





グルグルと考え事をしながら

神木の扉から、乾いた枯れ木を踏みしめながら

辿り着いたあばら家。



あばら家に帰宅したボクは、

自らの体を横たえながら、

ボク、本来の役割へと立ち返っていく。



芸能界をYUKIとして存在することだけが

ボクの仕事ではない。



YUKIは仮初。




ボクは鬼。


咲の知らない、

ボクの鬼としての時間が動き出す。



ボクの本来の役割は、

鬼の世界の審判者。



鬼を狩る鬼。

鬼狩鬼おにかりき



鬼に疎まれた《うとまれた》

同族を狩る《かる》おに



それがボク。



広い鬼の世界で

それが出来るのはボク一人。


鬼の世界の

秩序を管理する存在。



そして……、

もう一つは人を守る存在。




誰にも知られず、

その二つの役割を成す存在。



それが桜鬼神おうきしん



故にボクの住処は、

鬼と人間の世界の狭間。



一人しか存在することが許されない

この空間に長く存在出来るのは

今はボク……ただ一人。


閉ざされた孤独な世界。


ただ広い空間。


枯木かれき

色を失くした世界。


それがボクに

与えられた世界。




その世界に存在して、

鬼を監視し時に狩り、

鬼の世界に鏡を通して

迷い込んだ人を人間界へと導いていく。



それが鬼としての務め。





今日も一人

迷い人来たり……






精神を集中させて、

人の世の鏡の全てと意識を通じながら

現状を把握している最中、

ざわついた感触がボクに逆流する。


更に、固定した『鏡』とより深く

通じようと意識を集中させた次の瞬間、

鏡の中へと、ボクはそのまま吸い込まれていった。



辿り着いたその場所には、

血の気のない少女が一人、

力なく横たわっている。



ゆっくりとボクの刀を

少女の額へと翳す《かざす》と、

真っ白い手が、少女を招きよせている。



鏡の向こうの

声を聞いてしまったんだね。



鬼狩の剣を片手に意識を集中して向かう

その場所。




深い闇色に染まり底なし沼のぬかるみに

捕らわれたまだ幼い人間。





刀を一振り。



周囲の悪鬼を祓い

その幼子が捕らわれた

ぬかるみの水面を歩いていく。



ボクが一歩一歩

歩むたびに、その水面は

波紋を描いていく。






幼子をゆっくりと抱き上げる。





ボクの腕の中、目覚める幼子。




『……目覚めたね……。

 名前は?』



「ゆきむら ほのか」



『……そう……。


 幸村穂乃花ちゃん……。

 

 さぁ、返してあげるよ。

 君の世界へ』




ボクは、にっこりと

穂乃花ちゃんに微笑む。



不安そうな幼子は

少し微笑みを見せた。






幸村穂乃花。


鬼狩鬼・和鬼の名において

命ずる。



記を封じ、悪鬼をはらう。


なれ御手みてに刻まれし

鬼の烙印らくいん狩りとらん








鬼に引き寄せられた人間は

引き寄せられたもことがきっかけで、

心が寄り添った証の

鬼の烙印を御手に刻まれる。



鬼はその烙印を手掛かりに

再び、通い合わせようと鏡を渡る。



それを封じるための烙印の狩りとり。



記憶を封じ人の世に送り出す浄化の儀式。



全ての儀式を形式的に済ませて、

幼子の魂を……鏡越しに「肉体」へと

送り届ける



還霊かえりたまおくり





幼子が静かにベッドで

眠り始めたのを鏡越しに

感じとってボクは、

再び住処へと帰る。




そして魔性の夜は過ぎて、

人の世は朝を迎える。




人の世で住まう

いつもの日々が訪れる。




務めを終えた鬼狩の剣を

何時もの場所に安置して、

ボクは、神木の回廊を渡り、

いつものように……街を見下ろす。




桜の木に座りながら、

この一夜ひとよ守り通せた

この世界を慈しみ、風を感じながら。



鏡を隔てた二つの世界。



 

二つの世界それぞれに、

命を育む種。





そのどちらをも監視する

唯一の鬼【存在】。





静かに目を閉じる。





ボクの瞼の裏に映し出されるのは、

咲が慌てて駆け上がってくる様子。




「おはよー。

 和鬼」




にっこりと笑って

ボクに話しかける少女。





……ボクは……

彼女の笑顔を何時まで

奪わずに済むだろうか。






……彼女の……

柔らかな笑顔を。





ボクの本当の姿を

知ってしまった彼女は、

ボクに笑顔を見せてくれるだろうか?




沢山の鬼を裁いてきた血に染まった

このボクを。





「あれっ。

 和鬼、どうしたの?。


 ほらっ、和鬼っ!!」


「いやっ」



慌てて咲の言葉に、今に立ち返る。




桜の神木から舞い降りて、

息吹いぶきを操り、

YUKIとしての姿を形成すると、

ボクは咲の通学路をゆっくりと一緒に歩いていく。



「そうだ。

 咲、今日の夜は逢えないよ」


YUKIとしてのスケジュールを

思い浮かべながら告げる。



「知ってる。


 今日は23時から生番組だよね。


 明日学校なのにYUKI、

 TV出るの遅すぎるよ。


 なんで 20時とか21時の

 (うたばん)に出ないかなー」




一人、口籠り《くちごもり》つつ

言葉を続ける咲。




「今日はたまたま23時。


 この間は20時の番組にも出たし」




ボクが弁解するように

言葉を紡ぎだすと咲はクスクスと笑い始めた。




「ねぇ、和鬼。

 聞いてもいい?


 和鬼は昔から私を知ってる?」



「昔から?」



「そう、なんて言うのかな。

 前世とか……から……」





……前世……?





途端に……ボクの中に

不安が広がっていく。




「最近……夢見るんだ。


 雪が降ってる日に

 一人の少女が……

 鏡の中に消えていくの。


 それで和鬼が……泣いてるの」



ボクが泣いてる?


やっぱり……

咲も、ボクのそういう感情には

敏感なんだね。




生涯思い続けるその人と、

咲の存在が、

ボクの中で溶け合ってしまう。



それに対して、

ボクの心が、ボク自身に警笛を鳴らす。






せっかく話してくれた夢の話。



咲が、ずっとボクに隠し続けてきた

その話を咲の言葉で聞くことが、

こんなにも苦しくなるなんて思いもしなかった。





ただ待ち人を探し続けていた

永い時間。




その待ち人が咲だと確信した途端に

息苦しさが包み込んでくる。




早く、この場所から逃げ出さなきゃ。



通学路として歩く山道は、

コンビニの裏側へと歩き終えていた。




「咲、ほら……朝練でしょ。

 ボクも仕事に出掛けなきゃ」



逃げ出すように告げると、

咲は、少し拗ねたようにボクに抗議して

学校の中へと走って行った。






もう時間がない。


引き返すなら今しかないんだ。




これ以上、ボクたちが

交わることは出来ない。




それはボクが思うところではない。



ボクが

望む世界ではないんだ。



ボクたちは

出逢うべきではなかった。






いっそ、咲の記憶を全て

……消すか……。






だけど彼女にはボクの鬼の気が。



契りが永遠に残り続ける。


ボクのこの命が尽きるまで。





どうしたらいい?






咲を愛しい気持ちも

ボクには大切で、咲を守りたい

咲を傷つけたくないのも

ボク自身の思い。




そして……

咲を苦しめたくないのもボク自身。





どのボクも偽りはない。




相容れぬ複雑なボクの心を

すべて尊重する道は見当たらない。







……咲……



ボクは

どうしたらいい? 








「和喜、危ないわよ」



待ち合わせの交差点前。


有香さんが、

ボクの体を咄嗟に引き寄せる。



「……有難う……」


「言いわよ。


 幾ら、YUKIが身軽で運動神経がいいって言っても

 車と喧嘩は洒落にならないわ。


 交通事故なんて御免よ」


「うん」



言われるままに、有香さんの車に乗り込んで

現場へと向かう。




いつものように、

YUKIとしての姿を形どり、

何時いつもの仮初の日常に

自分自身の心の許す場所を求める。





仮初の時間。





その時間だけボクは……

鬼を忘れ……焦がれ続ける

……人と慣れる……。




うつつの夢に溺れながら……。






心は、この季節のように少しずつ

凍りついていく。





ボクは

どうしたらいい?





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