9.夢の始まり ~ 引き寄せられる心 ~ - 咲 -
桜の花弁に惹かれるように
その名前を口にした途端、
私の周囲はまた変化を遂げた。
夏休み最終日、YUKIが記者会見を開き、
あの日、
トパジオスレコードとオフィス・クリスタルへ
移籍が発表された。
その一週間後には依子先輩のお父様の脱税と
汚職事件がマスコミに報じられ、
ルビーは倒産。
二学期が始まって、
二週間で依子先輩の名前は退学者として
張り紙が出された。
依子先輩が居なくなった途端、
私の周囲には、
いつもの日常が戻ってきた。
二学期になり、三年生部員が正式に引退した今、
新主将となったのは、
穂乃香先輩の指導の下、
私たちはいつもと変わらない風景が始まる。
時代は変わっても、
テニス部の練習メニューが変わることはない。
朝練・授業・放課後練習。
部活で、ラケットを持って本格的に練習させて貰えるようになった今も
そのスクールに、穂乃香先輩も通っていらしたことを
二学期になって知った。
「咲、今日の練習。
スマッシュの時のラケットの面をもう少し意識しなさい。
ラケットの中心で、しっかりと狙いを定めて相手のコートの急所に打ち込まないと意味がないわ。
咲の球は、勢いがあるの。
しっかりとコントロール出来れば、成績はしっかりと残せてよ」
そう言って部活終了後のコート整備をする
私の元へと近づいて助言をくれた。
一学期、特待生としての成績を残すことが出来なかった私は
二学期も引き続き、特待生として
免除対象となるかどうかの審査があったらしい。
その時に、二学期の可能性を語って
私を引き続き、特待生として残らせてくれたのは
この新部長を拝命した、
穂乃香先輩の説得が大きかったのだと司情報で知った。
そして九月下旬から始まった
校内の選抜トーナメント。
私は順調に成績を勝ち残して、
No.2としての成績で、穂乃香先輩の次に名前を刻むことが出来た。
移籍した直後から、
さらに変化を遂げたのは私を取り巻く環境。
私と和鬼の関係をサポートすると
宣言した通り、移籍後、すぐに私の名前は
事務所公認のYUKIの恋人とされた。
一般人故に、写真が公開されることはなかったけど
譲原 咲の名前は、
YUKIの恋人として誰もが知るところになった。
事務所公認の証に、
その記者会見の場に集っていたのは、
トパジオスレコードを経営する華京院。
オフィス・クリスタルの経営陣には、
名を連ね、それを取り仕切るのは、
トパジオスレコード傘下の
それぞれの財閥の経営陣も顔を並べた
異色の記者会見。
その記者会見が、ある意味ビジネス業界においての
圧力の一つだと知ったのは、
その記者会見を見た司のボヤキから。
その記者会見の圧力は、私の想像を超えるものだったみたいで
ここ聖フローシアに置いても、上級生・同級生共に
ビジネスのパイプがある一族の御令嬢は、
一気に態度が急変して私に優しくなった。
まさに鶴の一声。
一学期までの疎外感が一気に消えて、
聖フローシアが私の学校だと
感じることが出来るようになった。
和鬼はYUKIとしての仕事の合間に、
ふらっと学園に姿を見せては、
シスターの許可を得て、
私を指名して学園内を散策する。
「YUKI、咲さまとお幸せに。
次回の新曲も楽しみにしています」
少しでもYUKIに近づきたいと思う
女生徒たちが、ゆっくりと近づいてきて声をかける。
そんなファンの女の子たちに、
YUKIは優しく微笑み返す。
それだけで黄色い悲鳴をあげて、
女の子たちは盛り上がる。
私の通学時間もまた、
タイミングさえあえば
「咲、有香が言ったんだボクに。
咲のボディガードもつけましょうか?って。
だから今日は、ボクがボディガードだよ。
時間が許す限りだけど」
なんて無邪気に笑って、
私が通学する山道を一緒に下山していく。
下山して門の前に姿を見せた時には、
周囲はプチパニック。
だけど和鬼の魅惑の笑顔は、
シスターをも虜にするみたいで
固まったまま、
じっとYUKIとしての和鬼の姿を見つめ続ける。
「はいっ。
ちょっと貴方、今、YUKIの許可を得ずに隠し撮りしましたわね。
ファンのマナーの心得が足りませんわ。
その画像を削除して、隠し撮りではなく正々堂々し
YUKIに申し込みなさい。
はいっ、そこの貴方。
ちゃんと整列しなさい、YUKIの前ではしたないですわ」
門の前で一切を取り仕切るのは一花先輩。
そして一花先輩の斜め後ろで、
溜息を吐きながら、サポートする司。
「一花、今日も有難う。
咲、時間みたいだ」
和鬼はそうやって呟くと、
校門の前、ファンの声が見つめる中で
私を抱きしめて小さなキスを降らせる。
一際、甲高い悲鳴があがる中
事務所が用意した車へと乗り込んで仕事へ出かけた。
それが変わりすぎた私の朝の風景。
和鬼もまた事務所を移籍して、
活躍の場が広がりすぎた。
街を歩くとYUKIを見ない日が
ないくらいYUKI・YUKI・YUKI。
事務所公認の関係で、
やりたい放題のYUKIとしての和鬼。
YUKIとしての彼の傍で微笑む時間も好きだけど、
誰にも見えない和鬼とのデートは、
独り占め出来るから、もっと好きだと思えた。
恋に部活に、学業に必死に走り続けた二学期は、
秋季大会の試合での高成績と、
冬季大会に繋がる高評価もあって、
三学期の学費も免除が決まった。
冬休みに入り、新年を迎えた頃から、
私の中に、変化が訪れ始めた。
毎夜、見る不思議な夢。
どんな夢かと問われれば
正直、よく覚えていない。
だけど、その夢を見た後の
悲しみの余韻は私の心に
突き刺さるようで。
夢なんて滅多に見ない私。
見てるのかもしれないけど、
覚えてない私なのに、
その悲しみだけは、朝起きた後も引きづってしまって
体にも怠さを感じる。
そして眠りのたびに見る夢が、
共通しているように、感じるんだ。
*
……そう……
夢の始まりは
何時も……こう……。
ひらひらと……。
はらはらと……雪が降ってるんだ。
まるで桜吹雪のような
柔らかな舞を見せながら……美しい雪が。
そして……一人の少女が……
真っ白い着物を着て真っ暗な世界へ
歩いていく。
傍にいる誰かを置き去りにして。
最後は残されたその人の涙が
頬を霞めて地面に吸い込まれていく。
*
目覚めるのは、いつもこの場所。
目が覚めた私の涙からも、
涙が溢れて、泣きながら目覚める。
頬を伝う涙を掌で拭って、
ベッドから這い出す日の出前。
ストーブに火を灯して、
カーテンを少し開けると御神木をじっと見つめる。
裏山を見つめても、
和鬼の姿が見えるわけじゃない。
和鬼は相変わらず、
多忙なスケジュールをこなしてる。
新年早々に発売される予定の
事務所を移籍後の初アルバム。
そのアルバムを引っ提げての、
ツアーの支度に慌ただしい。
明日に控えた発売日を初日に、
全国ツアーが始まるYUKI。
半年をかけてまわる、
全国ツアーに、
来年の夏以降からはワールドツアーまで控えてる。
CDラックに片付けた、
和鬼より直接貰った、一足先のプレゼント。
そのアルバムを再生しながら、
床に体育座りをして毛布を羽織った。
和鬼が奏でる琴の調べが
心に寄り添うように入り込んでくる。
その調べを聴きながら
ゆっくりと辿っていく夢の記憶。
そう……、いつも感じる
夢の中で涙を流すその人の
何故か和鬼と結びついてしまうのはどうして?
明確に見えないその顔が、
和鬼に思えて……。
和鬼と出逢って八ヶ月。
和鬼は私の隣で微笑んでくれるけど、
やっぱりその笑みは真実の笑みではないようにも思えて。
私の中に強く残るのは、
物悲しそうに憂いを見せる和鬼ばかりで。
和鬼……和鬼、和鬼。
和鬼を思い浮かべるだけで、
今の私は、こんなにも嬉しくて満たされる。
充実してる毎日。
私の知らない世界を沢山教えてくれる和鬼。
恋なんて私には
無意味なものだって思ってた。
お父さんもお母さんも最初は恋愛して
駆け落ち同然で結婚して私を生んだのに、
すぐに離婚してる。
恋をしても人は簡単に別れることが出来る。
そうやって悲しみに誰かを苦しめるだけの恋なら
最初からしない方がいいって恋を敬遠してた。
私みたいな、悲しみを抱く存在を増やさないために。
そんな私の殻を突き破って、和鬼は恋を教えてくれた。
塗り替えてくれた。
恋がくれる副産物。
沢山の感動。
ドキドキ。
ワクワク。
ハラハラ。
キュンキュン。
正直、知らなくてもいいって
私には必要のないものだって
自分に言い聞かせて閉ざしてた未知の世界。
『恋をして心がどうかなりそうだよ』
今までの私は、そんな言葉軽く聞き流してた。
恋愛相談を持ちかけられても
適当に返事して深く考えてなかった。
だけど今は、バカにしてた気持ちに
私自身が振り回されてる。
振り回されてて、苛立つはずなのに
何故か嬉しくて。
そんな自分に戸惑う部分もあるけど、
やっぱり新しい自分に次から次へときずかせてくれる
和鬼の存在は、日に日に大きく膨らんでる。
なのに私は和鬼のことを殆どしらない。
その現実が不安にさせるの。
二度寝することなく
ストーブの熱で暖をとりながら
朝まで過ごした私は制服に着替えて
いつものように部活の練習のため、学校に行く準備をする。
お祖父ちゃんの朝食を用意して、
ラケットと鞄を担いで、
御神木の方へと歩いていく。
冬休み中でも部活が休みになるのは
大晦日と正月の三が日だけ。
「……和鬼……。
今日も居ないんだね」
神木の枝に座っているはずの存在が居ないことを
確認すると、それだけの朝のモチベーションが下がってる私。
鞄とラケットを地面に置いて、
ゆっくりと御神木に手を合わせる。
『おはよう、和鬼。
今日も仕事頑張って。
行ってきます』
祈りを捧げると、荷物を持って
学院までの山道を下山していく。
寒い冬の山。
ところどころに真っ白な雪が残り、
うっすらと氷が張っている水溜り。
霜をザクザクっと踏みしめて
ようやく辿り着いた、いつものコンビニ裏。
悴む《かじかむ》手に、息を吹きかけながら
少し温めると、靴下を履き替えて、
乾いたタオルで制服の革靴をゆっくりとふき取る。
髪を小さな手鏡で確認して、
いつものように学院の門を潜っていく。
「ごきげんよう。
咲さま、皆さま部活に集まっててよ」
「えぇ。
すぐに参ります。
今日は少し遅れてしまって」
学院のシスターたちにお辞儀をしながら、
早々に更衣室へと駆けこむと練習着に着替えて練習を始める。
寒さで指が悴むのを感じながら、
手袋をつけて練習する乱打。
「咲、コートに入りなさい」
穂乃香先輩が私をコートの中へと指名する。
「お願いします」
気を引き締めて、ラケットのグリップを握りなおすと
一礼してコートへと歩みを進める。
「レギュラー陣、ボレボレスマッシュ」
穂乃香先輩のコールが響くと同時に、
レギュラーメンバーは、コートの所定の位置に順に整列する。
同時に対面コートには、
三人の部員がボールの入った籠を足元に置いてスタンバイ。
「練習始め」
指示が入るのと同時に、対面コートから順番にボールが打ち出される。
ボレー・ボレー・スマッシュ。
その順番に対面コートから打たれるボールを
打ち落としていくコート右側から左へと移動していく。
一斉に打たれるボールを一球も取り残さないように
打ち返して最後尾に並ぶ。
「
咲、狙いながら
確実に打ち落としなさい」
自分も練習に参加しながら、
絶えず目をひからせる穂乃香先輩。
悴む手を、擦りあわせながら
何とか練習終わりを告げるチャイムを聞き届けて
解散するテニス部員。
更衣室に雪崩れ込んで、
着替えを済ませて出ると、
そこには司の姿。
「お疲れ、咲」
「うん。
ちょっと疲れたかも……。
でも思い通りの場所に少しずつ
コントロール出来るようになってきたよ」
「そりゃ、良かった。
秋季大会から咲は期待の新人だもんね。
ほら、期待の星が肩を冷やさないの」
そう言いながら司は、
私の肩に鞄の中のストールを取り出してかける。
ふんわりと編まれた、手編みのストール。
「これって……」
「そう、一花からの貢物。
一花、推薦で大学も決まったし、
マーチングバンドの部活も引退したしね。
この冬休みも、暇を持て余して必死に内職してるよ。
その成果の一つが、咲を温めるこれ。
ちなみに、私の首に存在するこれも一花の作品なんだけどね」
司はそう言うと私の手を引いて校門を出た。
校門前のロータリーには横着けされた司の家の車。
「家までちゃんと送るから。
今日は咲を連行」
そう言うと後部座席に、
私を強引に押し込んだ。
車の中には自宅から共に迎えに来た一花先輩が
編み物を続けながら座ってた。
「ただいま、約束通り咲、連行してきたよ」
司が告げると、編み物の手を止めて
一花先輩の強烈なスキンシップが炸裂。
例にもれず、
この日も車内には私の絶叫が響き渡る。
「あらっ、咲ったら可愛い」
そんな笑顔を浮かべて、
ハグから解放された時には
体力も気力も奪われてた。
……なんか……
意識が奥へと引っ張られる気がする。
その感覚に委ねるように、
私は意識を手放した。
次に目を覚ましたのは見慣れない天井。
ふわふわの羽毛布団。
布団を引っ張り上げながら、
ゆっくりと暗闇に視界が慣れた頃、
ドアが開かれる。
「咲、起きた?」
「司……」
「咲、うちの車の中で意識失って倒れたの。
咲の家には今日は泊まらせるって
連絡しておいたから。
うちのホームドクターに、
家まで来て貰ったけど過労だってさ。
後は睡眠不足。
過労と睡眠不足が重なって、貧血になってたみたい。
何、眠れてないの?」
私のベッドサイド、
椅子を持ってきて、座り込む司。
「ごめん……。
最近、夢見が悪くて眠れないんだよね。
和鬼とも思うように会えないし」
「なるほどねー。
そんな不安が不眠を招いてるってわけか」
「あっ、一花が晩御飯作ってたからもうすぐ届くと思う。
それ、ちゃんと食べて寝なよ。
明日から三学期になるんだから。
冬休みの宿題も終わってるよね」
司……それは言わないで。
冬休み最終日にも残した、
大嫌いな教科がまだ四頁ほど残ってる。
「司ー、数学の問題集。
四頁だけ明日写させて」
そう告げた私に司は溜息をつきながら
了承してくれた。
持つべきものは頼もしい親友だ。
その後、一花先輩の手料理がテーブルいっぱいに並べられて
私は一花先輩の監視のもと、晩御飯を食べていく。
貧血になった私を気遣ったらしいメニューは
夜一食で食べきれる量をはるかに超えていた。
そのまま眠りについた私は、三学期の始業式の早朝
司の家の車で自宅まで送られて、
着替えを済ませて、鞄を持つといつものように登校した。
昨日は、あの夢を見なかったからか
はたまた、一花先輩の晩御飯が効いたのか
翌日に残る怠さは消えていた。
三学期が始まった後も、
何時もと変わらない学校生活が繰り返されていく。
朝練後の授業。
ボーっと過ごせるその時間は、
考えるのは和鬼絡みの不安ばかり。
一人で考えられる時間になると、
私の意識は、常に和鬼を思い描いてる。
無意識にノートに増えていく
和鬼の名前。
いつの間にか午前の授業は終わり、
昼休み。
「恋する咲ちゃん。
まぁた、和鬼君の名前を
そんなにノートに書きこんじゃって」
そうやって姿を見せた司。
「……もう終わってたんだ。
授業」
「おいおいっ、恋する咲ちゃん。
重症だねー。
一花に聞いた。
今、和鬼君全国ツアーなんだって?」
司の言葉にコクリと頷く。
「今日の昼休み、一花とカフェテラスで
待ち合わせなんだ。
ほらっ、咲も準備する」
司はそう言うと、
私の鞄の中からお弁当を抜きとると
手を繋いで、テラスまで走っていく。
「一花、ごめん。
遅くなった」
司の声がテラスに轟くと、
一斉に視線が集中する。
「一花さま、ごきげんよう。
お隣、宜しくて?」
次々と掛けられる声に一花先輩は
にこやかに対応しながら
私と司にもそれぞれに席を指定した。
テーブルの向かい側に行くように促すと、
私には隣の席を支持する。
近づいた私に今日も強烈なスキンシップの日課が
襲い掛かったのは言うまでもない。
気力を吸い取られて、
へにゃへにゃになった私は
力なく一花先輩の隣に着席した。
昼食に箸を進めながら、
ゆっくりと取り出したのは
YUKI絡みの写真ばかり。
YUKIのLIVE会場の写真や、
LIVEのグッズ売り場などの風景を
納めた写真と共に綴られた文字。
「咲、貴女も見るかと思って
持ってきたのよ。
私のYUKI仲間のレポートよ」
そうやって悪戯な笑みを浮かべると、
そのレポートたちを私の方に並べていく。
福岡会場。
神戸会場。
広島会場。
それぞれに会場ごとの、
会場の様子が納められた写真とセットリスト。
YUKIのMC内容がまとめられているのを
追いかけながら、私の知らない和鬼の時間を
共有できた気がして心が仄かに温もりで満たされる。
「いかが?
私のYUKI仲間も素敵でしょ」
一花先輩にお礼を言いながら、
堪能したLIVEレポート。
「ねぇ、咲。
最近、和鬼君とは?」
YUKIではなく、あくまで和鬼くんと
言う呼び方で問う一花先輩。
「三週間逢えてないかな。
一度、和鬼が帰ってきてたみたいで
枕元に桜の花弁が一枚残ってたけど私が気が付かなかったから
それっきり。
声だけでも聴きたいよ」
思わず呟いた私に、
一花先輩と司はお互いの顔を見合わせた。
「ねぇ、一花。
今、同じこと思ったよね」
「えぇ、司。
多分、同じだと思いましてよ」
そう言いだした二人が声を揃えて
私に伝えた言葉は『和鬼君に携帯を持たせなさい』って。
携帯を持たせたら、声が聴きたくなったら、
和鬼君の帰りを待つだけじゃなくて咲も連絡できるでしょ。
いたずらっ子な笑みを浮かべて組んだタッグ。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、
午後の授業が始まる。
午後の授業を受けながらも、
私の意識は和鬼と携帯にばかり集中して
注意力散漫で先生に注意される始末。
授業を終えて放課後の部活に顔を出した私は
何とか練習を終えるものの、
集中力が続いてたとはいいがたかった。
春季大会に向けての練習が始まっていく。
日が落ちてボールが見えづらくなると
練習が終わり、いつものように
コート整備を終えて帰宅準備をする。
「咲、はいっ。
これ使いなよ」
そうやって手渡されたのは、
早々に手配された携帯の端末。
「携帯の端末って高いじゃん」
「高いとか安いとか気にしない。
私と一花が渡したかったの。
名義は兄名義だけどね。
咲が契約するには、
お祖父さまの許可いるでしょ。
それにつけて、私と一花には
便利な兄貴がいるから」
そうやって悪戯な笑みを浮かべた。
司の家の車で一緒に送って貰う車内で
改めて、手渡された携帯電話を覗き込む。
手に持った電話会社の紙袋。
神様を携帯電話で縛るなんて
聞いたことないよ。
ったく、とんでもないこと
言い出すんだから、司も一花先輩も。
でもそうやって、
サラリと言ってくれる二人の存在は
私には頼もしい。
和鬼を神様として意識しているのは
私なんだと、気づかされた瞬間。
和鬼の何もかも全てを知りたいと欲する私。
鬼の世界で和鬼はどんな生活をしてるの?
鬼の世界ってどんなところ?
和鬼には……家族はいるの?
和鬼には……
和鬼には……
和鬼には……
求めだしたらキリがない。
こんにも私の中で
和鬼の存在は大きくなっていくのに私は……
和鬼の事を本当に何も知らない。
悲しいくらいに。
私が感じるのは出逢った頃から、
ずっと感じてた……
寂しそうな瞳をする人だなーってことだけ。
その瞳の印象が強すぎて……。
その特徴ある瞳が、
あの夢の瞳と似ている気がするんだ。
はっきりとは見えないけれど……。
和鬼がずっと苦しんで
泣いてるような気がする。
私には……想像することしか
出来ないけど……。
自宅の坂の下。
司の家の車から下りて、
坂を歩き始めると『咲……』っと
聴きなれた声か耳に響く。
ゆっくりと姿を見せたのは
鬼の姿の和鬼。
「お帰り」
小さな声で告げる。
『ただいま。
今日は名古屋公演だったんだ。
終わったから、帰ってきた』
私にしか聞こえない
鬼の声で囁く和鬼。
影の中に身を潜めた途端、
力強く私を体を抱き上げて
一気に宙を舞った。
影から影を渡りながら、
瞬く間に辿り着いた神木の前。
和鬼をギュっと抱きしめて、
体温を感じる。
「逢いたかった」
「ボクもだよ。咲」
お互いの寂しさを埋めるように
暫く寄り添った二人。
くっついた二人の体温が、
互いの血に呼応して上昇していく。
「ねぇ、和鬼。
これ、司と一花先輩が
用意してくれたの。
和鬼と離れ離れになってても
寂しくないようにって」
そう言いながら手渡す、
携帯会社の紙袋。
初めてのプレゼントに戸惑いながら
恐る恐る受け取って袋から取り出す和鬼。
そんな和鬼を見るのも新鮮で。
和鬼の掌にすっぽりとおさめられた
携帯電話。
「貸して」
携帯電話を手に取ると、
自分の番号のデーターを電話帳に登録する。
「はいっ。
電話してみるよ」
言うのと同時に発信ボタンを押すと、
和鬼の電話が、チリリンと音を鳴らす。
びっくりした表情を見せた和鬼。
「このボタンを押して」
そう言った指示通りのボタンを押した和鬼は、
初めて携帯電話と言う文明の利器に触れた。
『もしもし、和鬼』
『も……もしもし……。
これでいいの?』
なんて答えながら、
受話器を外して私に微笑みかける。
「咲の声が聞こえたよ」
「うん。
そうだね。
こっちはメールって言う機能。
こうやって使うんだよ」
一通り、携帯の使い方を説明すると
嬉しそうに触り始めた。
携帯に夢中になってる和鬼を見つめながら、
湧き上がった心に秘めた質問を投げかける。
「和鬼……。
和鬼ってどれくらいのこと知りえるの?
人間の世界なんて狭いよ。
私なんてよく言っても、この山からだったら、
住んでる家の先くらいまでが解れば上等だよ」
すくっと立ちあがって、
あの辺ねーって指さししながら説明する私。
「……咲の世界……。
本当に狭いんだね」
クスりと悪戯っ子のように
微笑む和鬼。
「うるさいっ。
どうせ……私の世界は狭いわよ。
狭いけど……
私には大切な世界だよ。
この狭い世界の中で
私は……和鬼を見つけたんだから」
……そう……
この世界が
私に、和鬼と出会わせてくれた
大切な世界なんだから……。
愛しい世界なんだから文句なんて
言うはずないじゃん。
「……咲……。
良い世界だね……」
和鬼は私の瞳から視線を
少し逸らせて小さく呟いた。
とても
寂しそうな瞳で……。
……まただ……。
和鬼と距離を縮めたい。
少しずつ、一歩ずつ、
1ミリずつでも距離を縮めて行きたいのに
和鬼は……いつも寂しそうな瞳をする。
……私が……
私が和鬼にさせてるの?
私が和鬼を苦しめているの?
私はただ……和鬼の傍に居たいと
願っているだけなのに。
そして……和鬼の寂しげな瞳が
1日も早く……心から笑ってくれる
そんな日が来て欲しくて。
その手伝いがしたくて。
私の思いは、望む形で和鬼には届かない。
どうしていいか
……わからないよ。
苦しくて、切なくて……
心が痛くて……
心臓が張り裂けそうで……。
なのに……何も出来ない。
私は和鬼に沢山の宝物を貰ってる。
私には何が出来る?
「咲、……ごめん……。
家まで送るよ。
ほらっ、ボクに捕まって」
和鬼は俗にいう、お姫様抱っこで
私をふわりと持ち上げると柔らかに地面を
軽く蹴り上げる。
風が和鬼を包み込み
風になびくプラチナの髪が
私を霞めていく。
和鬼の着物の袖も
風に柔らかく揺れて
ありえない速さで流れていく景色。
あっと言う間に、見慣れた我が家の
二階のベランダ。
「和鬼、……有難う……。
でも……いきなり、
ベランダはちょっとマズイかも。
玄関から入らせて。
祖父に挨拶してからじゃないと」
お願いすると和鬼はまた私を抱き上げて
ふんわりと地面へと着地した。
「……有難う……」
この時ばかりに……
和鬼に抱き着く。
和鬼の両手が
私を包み込む。
「お休みなさい」
「お休み……咲……」
次の瞬間、和鬼は天に飛翔する。
周囲には暗闇だけが広がった。
久しぶりに交わった和鬼との時間。
その時間はとても早くて、
とても愛しくて、苦しい時間。
私は貴方に何が出来るの?
その答えは今も見つからないまま。
この愛しさを募らせながら……
日々の時間を1日、1日、1秒・1秒を
辿りながら貴方を……待ち続ける。
本当の貴方が私に花開いてくれるのを
春を待つ
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