8.仮初の時間~僅かな解放・引き合う心~ - 和鬼 -
咲がボクの記憶を取り戻した六月から
月日は流れて、季節は夏を迎えた。
あの日、人の世のことを何も知らないボクがとった
考えもない行動が、世の中に騒ぎをもたらせた。
学院前、咲と一緒に居た写真を
ゴシップ誌専門のカメラマンと言われる存在に撮影された。
その写真を片手に数日後、
事務所を訪ねてきた日を境に
ボクは自由に身動きが取れなくなった。
社長の命令の元、
ボクの傍には常にスタッフが誰か在中する。
今はツアーの真っ盛り。
八月になれば……、
咲に逢えるかもしれない。
今回のツアーが終われば、
ボクはYUKIを辞めたっていい。
ボクには咲が居るから。
ボクはただ……憧れ続けたことを
咲と一緒にしてみたいんだ。
咲が通う登下校の道程、
桜の木から見渡す、人の子供たちがしているように
ボクも一緒に話をしながらその時間を楽しみたいんだ。
少しでも咲の傍に居たい。
ボクのそれだけの想いを満たしたい。
この永き闇き《くらき》世界に、僅かに灯った光に縋り付くように、
傍で感じていたいだけなのにそれすら思い通りにならない。
人の目に触れたいと願う思い。
人に寄り添いたいと思う心。
この寂しい世界に独り留まり続けるのは
あまりにも寂しすぎるから。
その思いですら、
ボク自身が満たされることを
許してはくれない?
依子によって引き裂かれた時間は、
今も交わることがない。
YUKIは和鬼のボクに僅かでも光をくれた。
そのYUKIが今は、咲への思いを邪魔していく。
「有香、お願いがあるんだ。
明日の起床時間には帰ってくる。
だから今日は、
此処から抜け出していい?」
その日の監視役が、
「YUKI、どうしたの?
あの咲って言うお嬢さんが気になるの?」
有香さんの言葉に、ボクは素直に頷いた。
「あのお嬢さんは、YUKIの大切な人?」
その問いかけにもゆっくりと頷いた。
「見つけたの?
貴方が探し続けてた、その人を……」
「見つけたよ……。
そして彼女もボクを見つけてくれた」
そう言いながら、目を閉じて意識を
あの御神体へと集中させていく。
離れていてもそれが成しえるのは、
ボクがあの神社の守り神であるが故。
御神体がボクに流し込んでくるイメージは、
どれも苛立ちを覚えるものばかり。
咲が苦しんでる。
咲が苛められている。
闇に捕らわれそうになりながら、
必死に友である司と一花に支えて貰い
前を向いて、壁を乗り越えようとしている咲。
「大切な人をボクは悲しませたままなんだ。
だから、守りに行きたい。
明日の朝までには、帰ってくるから」
それだけ告げるとボクは窓を開けて、
バルコニーに立つとそのまま、有香に『見えないよ』と暗示をかけて
その場所から闇に紛れて、影を渡ってあの場所へと急いだ。
ボクが辿り着いたその神社の境内に、
先客の姿を捉える。
「今、戻ってきましたわね。
こちらに居るのはわかっててよ。
姿をお見せなさい」
この地に住む視える者。
咲の親友である射辺一花の視線が
確実にボクの瞳を捕えながら強く言い放つ。
「ねぇ、一花。
やっぱり居ないんじゃない?」
一花の妹になる司には、
今はもう、その力は消え失せているみたいだった。
「司、貴方は邪魔しないの。
これも咲の為なんだから」
咲の名前に惹かれるように、
ボクはいつもの桜の木の枝に腰掛けた。
桜の花弁が数枚、形跡を残していく。
「見つけた……小さな角が愛らしい鬼さん。
桜の上は楽しくて?」
穏やかに微笑みながらも、
目力強く、その芯はボクを逃がさないと
念で封じるように絡めとっていく。
「人の子よ。
神気を纏う鬼として対峙するボク。
「射辺一花 《いのべ いちか》。
貴方、私の名を知れて満足?
貴方も教えてちょうだい。
私から咲を奪おうとする貴方は何者?」
ボクはYUKIとしての姿を保ち、
ゆっくりと地上へと降り立った。
「まぁ、貴方がYUKIですわね」
そう言ってボクを呼ぶ一花。
「
アーティストとしてのYUKIはボクの仮初。
ボクの名は和鬼。
咲を慕う者。
そして君が知る通り、この神社の
警戒を緩めて、
ボクの名を心の中に刻み込むように浸透させていく。
それを助けたのは、神木が教えてくれた
咲がボクのことを話したいと願っていた二人だと知ったから。
咲がボクのことを相談しあえる存在が居れば、
咲に寄り添う、闇が少しでも遠ざかるかもしれない。
「司、悔しいですわ。
私の愛しいYUKIが、
私のライバルだなんて」
「一花、論点ずれてる」
「でも大丈夫ですわ。
愛しいYUKIと対峙することも
咲の為なら厭いませんわ。
YUKI、お答えなさい。
貴方は今、咲がどのような身の上になっているかわかってて?
依子の罠にはまり、蜘蛛の巣から身動きが取れぬように
じわりじわりと大切なモノを奪われていく苦しみがわかって?
依子がキツクなったのは、YUKIの存在があるからよ。
和鬼として咲を守りたいと言うならば、
YUKIとしても咲を守り切りなさい。
仮にも神様が思う人、一人守れぬなど弱くてよ。
違って?」
時に責めるように、包むように
言いたい放題ボクにぶつけてくる言霊。
言葉は乱暴でも、魂の思いは伝わるから。
二人と話している時、
背後から咲の気を感じ取る。
咲も会話するボクたちを見つけたのか、
息を潜めるように、
社の影に体を潜めて見つめている。
「咲、出ておいで。
何時まで隠れているの?」
咲に向かって、ゆっくりと手招きをすると
社の影から逢いたかった姿をのぞかせた。
「咲、お帰り」
「ただいま」
咲はそうやって言いながらも、
ボクの後ろの二人が気になるみたいだった。
「ごきげんよう、咲。
悧羅の
「一花先輩、有難うございます。
今日も無事に、練習させていただけました」
咲はそう言って、一花にお辞儀をした。
「って言うか、一花のおかげで
今も咲が一人じゃないことを知って安心した」
「司」
「一花、帰るよ。
私たちはこれから逢瀬を楽しむ二人には邪魔ものよ。
ほらっ」
司が一花を引きずっていくように
神社から離れていく。
「咲、和鬼と楽しんで。
何かあったら言いな。
私も一花も、咲の味方だから。
和鬼っていったわね。
咲、泣かしたら誰が許しても私が許さないから」
そう言いながら、ゆっくりと去っていく二人。
桜の木の下、ゆっくりと背中を合わせるように
腰掛けたボクと咲。
「良い友達だね」
「……うん……。
司も一花先輩も私がこの街に来た時から
ずっと一緒に居てくれる大切な人」
「知ってる」
「有難う。
和鬼、二人に逢ってくれて……。
和鬼の話、二人には隠し事せずにしたいって
思ってたから」
「そう……」
咲と過ごす時間はいつも優しくて、
ボクを包み込んでくれる。
「……咲……。
一花と司に突き付けられた。
明日、咲の用事が終わったらボクの仕事場へ来て。
ツアーは中日でお休みだから、
TVの収録が入ってるんだ。
YUKIとしても、 和鬼としても、
ボクが守りたいものは咲だけだから。
送るよ……今日はもう遅い」
咲を抱き上げると風の力を借りて、
ふんわりと舞いあがる。
ベランダから咲を部屋へと送り届けて
ボクはまた自分の住処へと帰った。
そのまま鬼としての務めを明け方までこなして、
起床時間前に、闇に紛れてホテルへと戻った。
「おはよう、YUKI」
「おはよう、有香さん」
「ごめんなさい。
私ってば、貴方より起きるのが遅かったなんて」
「疲れてるんじゃない?」
「有難う、YUKI。
でも大丈夫よ、私は貴方を守る役目があるもの。
今日はツアーの方は中日で移動だけで、
次の会場に移動した後、
ホテルに入ってその後はCDショップでのサイン会。
後は、新作のジャケットの撮影と
最後がテレビの収録ね」
いつもの様に今日のスケジュールを聞くと、
スタッフと一緒に朝食を終えて、次の会場へとバスとトラックで移動していく。
YUKIのLIVEの宣伝をプリントした
トラックと共に、移動していくスタッフ車両。
高速道路を飛ばして、五時間後に目的の場所へと辿り着いた。
機材車両はそのまま、明日のLIVE会場へと向かい、
ボクは今日のホテルへとチェックインを済ませる。
ホテルで軽く昼食を取った後は、
CDショップでのサイン会を終えて、
次のジャケット撮影に向かう。
そして今日最後の現場になる、
テレビ局は、咲が住む塚本。
いつものように守衛に挨拶をして、
地下駐車場から建物の中に入ると、
新曲の披露を兼ねたステージが用意されていた。
新曲には……
ボクの決意が塗りこめられてる。
咲に出会うまで、ボクはこの仮初にすがって
歩き続けてきた。
この仮初こそが、
ただ一つの光のように感じた。
咲と出逢った今、ボクが心から守りたいものは
ただ一つ。
「YUKI、お疲れ様。
新曲の【傀儡幻想-かいらいイリュージョン-】
斬新な視点と設定を切り口に完成しそうだね」
「有難うございます。
傀儡絵巻みたく……さまざまな現実を綴っていこうと思っています。
今は……自分があるようで、流されている人たちが多い時代ですから。
だからこそ……自分を見つける旅に誘えるような……。
そんなシチュエーションで演出してみたいんです。
次もお願いします」
番組の収録後、スタッフとの話し合いを済ませて
腕時計をチラリと覗き見る。
少しずつ近づいてくる咲との約束の時間。
ボクが成すべきケジメの時間。
咲はまだ姿を見せない。
今日、咲の存在をスタッフの前でも公にする。
自分で決めているように見えて、
実は流され続けていたボク自身。
そんな思いからの卒業をこめて
……咲の想いながら……完成させた曲。
この想いに込められたボクの全て
……傀儡幻想……。
その完成していく時間を一緒に共有したいと
願うのはボクのわがまま?。
ボクの大切な願い。
スタジオの自販機の前に座り、珈琲タイム。
自動で豆を挽いてくれて
一杯一杯ていねいにドリップしてくれる自販機。
お気に入りの一杯を体に浸透させる。
その時、血がボクにヒジョンを伝えた。
『……
無意識化の彼女が必死に紡ぐ、
ボクの最後の名が頭の芯に響く。
契りを交わしたもののみが
ボクに紡げる名前。
伝わるのは、スタジオの前の情景。
YUKIを出待ちするファンの集団。
ふいに近くにあった硝子窓に手を触れて、
そこに神木が伝えるビジョンが映し出される。
*
『あらっ、貴女。
依子さまが言ってたYUKIの悪い虫ね。
YUKI様がお優しいからって
調子にのっていらっしゃるのはどうなの?』
咲を苦しめる存在。
あの者は……確か、
依子の手足となって動く三浦。
その三浦の傍に依子が乗る車が止まって
我が物顔で車から降りる。
依子の顔を見た途端に、
咲の表情は曇っていく。
『おはようございます。
依子さま。
今日もYUKIにお伝えください。
私たち、ファン一同礼儀正しく
YUKIを見送らせて頂きます』
『そう、三浦さま皆様方。
YUKIも喜ぶと思いますわ。
皆様のお力で、YUKIはトップアーティストとして
走り続けることが出来るのですもの。
引き続き、YUKIをご贔屓に……。
いつか、YUKIとのファンミーティングを
セッティング致しますわ。
その日をお楽しみになさって』
得意げにボクの心を知るはずもなく
勝手に繰り広げられる会話。
依子はファンの視線を集中して受けながら、
堂々とボクがいるこの建物に入ってくる。
依子が去った後も、
三浦たちの咲に対する嫌がらせは続く。
『YUKIには、依子さまがいらっしゃるのよ。
あの方ならば、私たちもYUKIの恋人として
認めざるを得ないけど貴方は論外なの。
目障りなのがわからないの?
YUKIも迷惑してるのよ』
次の瞬間、三浦の取り巻きは
飲みさしのペットボトルの中身を
咲の服や髪に向かってぶちまけた。
オレンジジュースが
咲の服に染みを作り咲の毛先からは滴が零れる。
*
全てのビジョンを見終えると、
再び硝子窓に手を翳す。
瞬時にして、ただの硝子に戻ったのを確認した後は
ボクの中に流れる鬼の血と向き合っていく。
掌から桜の花弁を生み出して、
咲の周囲を纏わせる。
「
咲の口が小さくそう紡いだ途端、
ボクの全身の血が勢いよく滾《たぎ》っていく。
ボクの魂へと刻み込まれる名前。
……
正確には……
桜
ボクの持つ、鬼の世界の役職名。
略して桜鬼-おうき-
この名を呼ぶものは、鬼の関係者。
そして血の契約を交わした存在。
その名を呼べるものは、
今は咲……ただ一人。
君たちはボクの咲を……。
咲の元へ向かおうと立ち上がった時、
首謀者がボクの前に姿を見せる。
「YUKI、ごきげんよう。
私、貴方にお願いがあるの……」
「依子さん、君の思い通りにはならないよ」
ボクの方に真っ直ぐに歩いてくる
依子さんを読心して先に言葉で封じると
慌てて……入口の方へと向かう。
……咲……。
玄関前……ボクは……
鬼としての凍りつくような
眼光と共にガラス扉を潜る。
『君たち咲に何をしてるの』
鬼としての言葉で
魂に刻み込んでいく。
『咲に手を出すことはボクが許さない』
足元から凍り《こおり》つかせるように
気を高めていく。
咲を取り囲んでいた者たちは
ボクが送り出したビジョンで空間を隔離して
魂から凍りついてしまう。
『君たちは、それだけのことをしたんだよ。
君たちの一人が居なくなったとて
世界は何も変わらないよ。
責めるなら自分自身を責めるんだよ』
最後に力を加えようとした時
ボクの手に暖かい温もりが伝わってきた。
その温もりがする方に、視線を向けると
咲がボクの手をギューっと握りしめていた。
「……和鬼……有難う……。
もういいから……。
そんなに悲しまないで……」
咲は小さく確実に届く声でボクに紡ぎだした。
*
『……和鬼……有難う……。
もう……いいから……
そんなに悲しまないで……』
*
遠いボクの琴線にその言葉が触れる。
……咲鬼……
「……咲……」
「和鬼……私は大丈夫。
だから……これ以上悲しまないで」
咲の柔らかな声にボクの
凍てついた心は、ゆっくりと溶け出していく。
空間の隔離を解くと
止まっていた現実の時間が動き始める。
「きゃー、YUKIが出てきたわ。
はい、皆様整列して」
代表者の声で、
いつもと変わらぬ
ファンたちが作り出す花道を、
咲を抱いて歩いて抜けると、
ボクは事務所に連絡をいれる。
鬼の……言葉で……。
『YUKIは現社長の元では
活動を続けることは出来ない。
YUKIとしての活動は、
咲の存在あってのモノなのだと』
相手の心に刻みつけるように。
そして『ノー』と言わせないように。
咲を苦しめた依子への代償。
今の社長親子を失脚させる話題は豊富だから、
ボクが手を下すまでもなく、ゆっくりと地に墜ちていく。
「和喜」
ボクたちを追いかけて、事務所から駆け出してきたらしい
有香が名を呼ぶ。
「ゆっくりと対面するのは初めてね。
依子さんの貴方に対する嫌がらせ、
確認させて貰ったわ。
ねぇ、YUKIとしての貴方に話があるの。
実は私、
クリスタルレコードから引き抜きがかかってるの。
貴方がよければ……移籍して活動を続けるのはどう?
咲さんと、貴方の関係は
トパジオスレコードと、オフィス・クリスタルが全面的に守ることを約束するわ」
そう言った有香の言葉に即答できないまま、
ボクは、咲と二人……
時を見て、闇に紛れながら住処へと帰った。
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