6.再会Ⅱ~惹かれあう糸~ - 和鬼 -


ボクの存在を感じた咲。


その記憶を封じたボク。





自らの意志で封じたはずのボクなのに

今も咲が気になって仕方がない。



鬼と人。



人を感じていたいと望みながらも

超えられない一線があることは

ボクが一番知っている。





知っていたはずなのに……。






毎朝、桜の神木に手を添える咲を

ボクは住処で感じる。



神木の扉の裏側、

無意識に咲の掌に自らの手を合わせる。




どうして、こんなにもボクは

彼女が気になるんだろう。



咲が神木から離れたのを感じて、

いつものように枝に座って、

彼女が山道を下って学校へと

通学していくのを見守る。



テニス部のメンバーとして

活躍している咲。





そんな咲が練習している光景を

枝に腰掛けて眺める。




ボク自身の仮初の仕事の時間まで。





YUKIとして

ボクが活動を始めたのは三年前。




鬼であるボクが

人恋しさに仮初の姿で街を歩いた。




人を少しでも感じたくて、

人の世界に少しでも寄り添いたくて。




放浪の中、辿り着いた楽器屋の前

懐かしい琴を見つけた。




その琴が飾られたクリスタルのケースの前で

固まっていた時、その店に居た女の人が近づいてきた。




『こんばんは。


 君、琴が気になるの?』




首までの茶色の髪を揺らしながら

ボクを覗き込む女性。



戸惑いながらも、

琴触りたさに頷いたボク。



彼女は鍵を取り出して、

ゆっくりとクリスタルのケースを開いた。




龍頭りゅうずから龍尾りゅうびまでを繋ぐ

木目の年輪を刻みこんだ美しいこう




吸い込まれるように指先で弦を辿る。

震える弦が、響かせる音色。





『貴方、奏でられるの?』




そう言われて、

触れることを許されたお琴。




一心不乱に十三弦を操って奏で終わった後、

気がつけばボクの周囲には人の輪が出来ていて

集まった人たちの拍手に包まれた。




『有難うございます』




一言お礼を伝えて立ち去ろうとしたとき、

輪の中にいた一人にスカウトされた。




『ねぇ、貴方名前は?


 私、ルビーレコードの有香琥珀ありか こはくよ』



そうやってボクに声をかけたのが

今のマネージャー。




彼女が人の世に、ボクの居場所をくれた。



例え仮初かりそめでも居場所は居場所。




咄嗟に名乗った、

由岐和喜ゆき かずきの名前と共に。



そうして彼女とボクの

芸能界での生活が始まった。





二人で築き上げたボクの居場所。




そして、その努力が実って今、

ボクはYUKIとして大勢のファンと呼ばれる

人と触れ合う。




求めた時間なのに満たされない思い。




彼女たちが見ているのはYUKI。





ボクが受け止めて欲しいのは、

そう和鬼としてのボク。





咲は、YUKIではなく、

和鬼を見つけてくれた。




それがどれだけ、

ボクが嬉しかったか。






だけど……ボクは

その温もりに自ら蓋をした。





ボクは鬼。


咲は人。




鬼は人に近くなりすぎてはいけない。



いやっ、そんなのは大義名分。



ただこれ以上、ボクが弱くなってしまうのが

怖かったんだ。




だからボクは咲から逃げるために、

咲の記憶を封印した。




YUKIの記憶だけを残して。





YUKIの記憶までを

消すことが出来なかったのは

ボクの甘さ。



何時の世でも決断出来ない

ボクの……甘さ。






ボクの希望。



そう願ったはずなのにいざ、

咲がYUKIの目の前に現れると戸惑いを隠せない。





『YUKI、よろしくて?』



楽屋のドアをノックした音が聞えて、

ボクは甘く柔らかい声色で彼女に入室を促した。



姿を見せたのは、

声の主でもある依子さん。



ボクがお世話になっている

所属事務所の社長令嬢。



そして……後ろにいるのは、

気配だけで十分すぎるほどに伝わる存在。


着物にスカートを重ねた

斬新な姿の咲が後ろに控える。







……どうして君が……。




……咲……


何故、君は……ここにいるの……?





ボクは君の記憶を消したはずなのに。



君の眼差しはYUKIを見つめているの?

それとも……?




『YUKI、こちら私の後輩・咲。


 さぁ、咲、ご挨拶なさって』



いやっ、違う。


ボクが求め続ける……咲だ……。



今……依子さんも

……咲……って言った。




別人じゃない。




残したYUKIの記憶を手掛かりに

彼女はこんなにも早く、ボクを見つけ出した。




彼女の一部となった、

ボクの血が証明してくれている。




咲を見つめるだけで、

あの日の契りを鮮明に思い起こす。


咲が依子さんに勧められて

ボクの前へと歩む。



動揺しているボクは

動揺を必死に抑えようと言い聞かせる。




こういう時、

人の世は……手を交し合う……。




確か……そうだったね……。





『こんばんは。


 咲さん、YUKIです。

 今日は楽しんで行って』




ボクは、ゆっくりと咲の前に

手を差し出した。



暫くボクの手を握り返そうとしなかった

彼女は……数秒後に慌てて握り返してくる。




譲原咲ゆずりはら さきです』




彼女の温もりが指先から伝わる。



血の拍動が少しずつ激しくなる。





……血が共鳴していく……





『すいません。


 私、塚本神社……桜塚神の孫なんですけど

 YUKIさんは……

 そちらに行かれたことはありますか?』




彼女の言葉は続いていた。





……写真集……。



確かにあの桜は、桜塚……塚本神社の神木を

モデルに生み出した。






『ないよ』


『そうですかっ。


 YUKIさんの写真集に写る桜の木が

 うちのご神木のような気がして……。


 気のせいですか……。


 変なこと聞いてすいません』






さすがだね。





君の記憶はボクが消してしまったのに、

君はこうしてボクに辿り着いてしまうんだね。






これは……ボクと君との

糸がお互いを惹き合うから?






だけど……このままでは……

ボクが見透かされてしまう……。




鬼のボクが捕らわれてしまう。



縋るようにドアの向こうの気配に集中させて、

有香ありかの存在を見つけると、

生吹いぶきに寄せて名前を紡ぐ。



鬼としてのボクが、

有香を利用した瞬間、再びノックがして扉が開く。




「依子さま、

 いらしてたんですかっ」


入ってきたのは、

マネージャーの有香とスタッフの中山。



「有香さん、お邪魔してます」


「依子さまもどうぞ、

 お席の方へ。

 

 中山、依子さまとお友達を

 お席へご案内して。


 YUKI、もうすぐ本番よ。

 ステージ前の……

 瞑想に入る時間よね。

 

 時間になったら呼びに来ます。

 今は集中してちょうだい」



有香はボクの願い通り、

二人の元からボクを連れ出した。



入れ替わりに、

二人がボクの控室から出たのを確認して再び戻り、

ゆっくりと扉を閉じた。




……救われた……。






静まり返った部屋。




ボクは、一人目を閉じて神経を集中させていく。



今日、ボクが伝えたい世界をイメージして、

その世界の為に……このステージの全てを賭す。





遠い昔、ボクが交わした約束を果たすために。



なのに……集中できない。



……心が乱れる……。






咲鬼のことを考えようとすればするほど、

咲がボクの思考に侵入してくる。





力強い眼差し。


凛とした姿。




そして美しい漆黒の髪を

持った……少女……。





ボクが気になる存在。




こんなにも一人の少女が

気になることなんてどれだけぶりだろう。




……咲鬼しょうき以来かもしれない……。



咲を思えば思うほど、

咲鬼を愛しく思っていた頃の感情がシンクロしていく。




苛立つ心の波が自分自身で抑制出来ない。




僅かな時間に少女はボクに安らぎをもたらし、

ボクを……満たしてくれた。





ボクは……飢えているの?……





人肌に……。





本番前のひととき。



ボクはまた目を閉じながら

記憶を辿っていく。







- 回想 -





咲の記憶を消した後、

いつものようにボクは、

ボクの世界へと帰る。



光の射さないモノクロの世界。



植物にすら、

命の宿らない世界。




足元に生気なく

倒れこむ枯れ木たち。



その枯れ木たちを

踏みしめるたびに最期の悲鳴のように

ポキポキと寂しげな音が世界に響き渡る。



廃屋へと帰りながら、

何度も自分に言い聞かせる。




『これが正しい選択』




咲は人だよ。



ボクがこれ以上、関わってはいけない。


ボク自身のその選択に過ちなどないはず。






……なのに……。



どうして、こんなにも心が重苦しいの?




少女を思い浮かべながら

今も咲の感触が甦る唇を指先で辿る。




温もりをくれた少女は、

明日には昨夜のボクを覚えていない。





大丈夫……。



ボクは思い出を抱いていればいい






彼女は人。


現世の存在。




鬼には……成りえない。






どれほどに人に焦がれても

人と鬼は交わることが出来ない

全て……仮初かりそめ……。





そして……その夜も……

ボクはいつもと同じように仕事をした。



いつもの日常だけど

いつもの繰り返しではない。





咲の記憶を消した自分自身の罪悪感と、

寂しさから逃げるために集中し続けた仕事。




夜通し仕事をクタクタになるまで続け、

廃墟に帰り着いて、鬼と勤めを果たすと

倒れるように仮眠した。




朝……、咲の気配で目覚める。


咲が学校に向かう時間。




桜の幹越しに、咲が触れるのを感じた。





昨夜、契り交わしてしまった血が

……共鳴しあうように拍動をうつ。







……逢いたい……






咲に逢いたい。








咲に逢いたいと望むボク。


それを拒むボク。



二つの心が対立しあう。









血の拍動をどうすること出来ず

持て余し続けるボク。







咲の気配が遠くなっていく。







拍動はやがて緩やかなものへと

変化を遂げる。








ボクは……君のことが……。






鬼の姿のまま、桜の回廊を渡って

人の世界へと降り立つ。


桜の木に座り、人のまちを見下ろす。





ボクの耳に届く

生ある鼓動。



人の住む証ともいえる文明の胎動。




咲の記憶を消した日から、

お互い、通じ合うことないままに

二週間の時間が過ぎた。



ボクは、YUKIとしてツアーも始まって

慌ただしい時間が続いていた。



遠征から帰宅して、

ボクの守るべき地元で行われる公演日当日を迎えた。



その日も咲を桜の回廊越しに見送って、

人のまちを暫く見下ろした後……、

姿を仮初に変えて

ボクは人の世の仕事へと影に紛れながら出かけた。





マネージャーとの待ち合わせ場所。





ボクは人としての気質を

強く練り合わせて人に捕えられる姿で

ゆっくりと歩く。






プラチナの髪を微かに揺らし、

朱金の瞳を少し伏せ目がちにしてゆっくりと歩く。




街中を通るたびに、ボクに視線が集中する。




振り返って行く。


立ち止まっていく。




それでも、ボクに声をかけようと

するものはいないしボクの動きを

邪魔しようするものはいない。





マスミコの記者たちも

ボクを追い続けるが、ボクをどれほどに

追いつめてもいざと言うときには

動くことが出来ずスクープにはなりえない。





ふと歩く先には、咲と同じくらいの少女が二人。



友達同士なのかボクを見ながら、

何かを話しあってる。


ボクの鬼の目に映るのは、

二人を取り巻く気の色が闇に捕らわれていく。



ふいに二人の少女の一人が、友達を突き飛ばし、

もう一人の少女はボクの方へと倒れ掛かる。



反射的にボクは、その少女の背後にまわって

受け止めやすいように抱きとめた。




抱きとめた瞬間、ふわりと地面をけって

舞い上がり静かにお姫様抱きにして地面へと戻る。




祐美ゆみ



裕美と呼ばれた少女を突き飛ばした友達は、

何事もなかったように裕美のもとへと駆け寄ってくる。





「……裕美ちゃん……。


 もう大丈夫だよ。


 これからは気を付けて」




優しい声色で

柔らかく話しかける。




裕美はその知人にされるがままに

慌てて……ボクの腕から……引っ張られる。




「YUKIさん。

 裕美を助けて頂いて有難うございます。


 今日のLIVE、裕美と二人で行きます。


 頑張ってくださいね」




朱金の瞳のみ一瞬……鬼のものへと

変貌させる。






……君の罪、自覚しなよ……






目のみで物語る。





ボクに裕美に話しかけたような

柔らかな声色を求めた少女は慌てて立ち去っていた。



裕美を引っ張って。








……そう……。



これが、汚れてしまった今の現世。




己が目的のために

誰かを傷つけることもある。






「YUKI、大丈夫」




人混みに囲まれている

ボクに気が付いたマネージャーの有香さんが

輪の中に入ってくる。



そしてボクの手を引いて車の方へと走っていく。




「YUKI、何してるの。

 ほらっ、だからいつも言ってるでしょ。

 

 家まで迎えに行くから待ってなさいって。

 貴方はもう少し、自分の知名度を学習した方がいいわ」




お小言を右から左へと流しながら、

咲と契りを結んだ瞬間を思い起こす。




裕美ちゃんと言うあの少女を助けた時も、

有香さんと手を繋いだ時も『ぬくもり』を感じることはない。





拍動を感じることはない。











……咲……




ボクが拍動を感じるのは

君、ただ一人。










- 現在 -




コンコン。



再び扉がノックされる音が

ボクを現実に引き戻した。




「YUKI。


 そろそろいいかしら?」



有香の声を受けて

ボクは自ら楽屋の扉を開く。




そして『YUKI』としての

ボクへと本格的に変わっていく。




人が求める理想のボクの姿。




有香と共にステージへと向かうのは、

人の世が求めるYUKI。




「YUKIさん、お願いします。


 後、30秒で鼓が入ります」





スタッフに促されるままに

ボクはステージへと向かう。




衣装の上から羽衣を纏う。






暗闇の中、鼓の音色が

会場内に静かに響き渡る。






場内から歓声が沸きあがる。






ボクは羽衣で顔を隠して

静かにステージへと歩いていく。




琵琶が鳴り響く。




羽衣を被ったままに

愛器のお琴の前へと向かい

いつものように立奏する。






……咲……






彼女が来ているだけで

いつもと同じステージが

色鮮やかに見える。





とても新鮮で真新しいものへと

姿を変えていく。








羽衣を落とし、ゆっくりと

舞いながら歌を紡ぐ。







一夜の夢。


現世の夢。






プラチナの髪が柔らかに

たなびくたびに歓声が沸きあがる。






ボクが瞳を伏せると

悲鳴にも似た歓声が会場内に響き渡る。











ステージから、

何度も何度も咲を捉える。








時に歌い奏で、

時に歌い舞い踊りながら。









君、想ふ……


現世の仮初の世



夢、儚きて


永久とわの契り……









ステージが

終焉に近づいていく。







桜の木が満開に咲き乱れ、

桜吹雪が舞い落ちる。






会場内全体が桜吹雪の

イリュージョンに包まれて

ボクはゆっくりと暗転の中、姿を消す。






暗転の中、会場内には鼓の音色だけが

静かに……鳴り響いていた……。









大歓声が湧き上がる。






ボクは軽く水分を補給すると

メイクを整えて衣装を早替えすると

アンコールへと向かう。





ステージ中央には、

ボクの相棒が調弦を変えて存在している。




ステージに再度、ライトが照らされる。




ボクはYUKIの仕草で

伏せ目がちに笑う。




そして視線を咲へと移した。




咲は……静かに涙を流して

まっすぐにステージを見つめていた。








「今日、最後の曲です。

邂逅かいこう』」







勢いに任せて、

ボクは演奏曲目を変更する。



幸い次の演奏は

ボクの独奏だから。  






遠い古から伝わり続ける鬼の調べ。










……何故……





ボクは……


ボク自身と相反することをしてしまうの?






……いや……、

ボクが……ボクとして……

彼女を求めてしまっているから。 







そう……ボクが彼女を求めてやまない。






彼女から奪った記憶を彼女に……。


この調べに乗せて……。







……咲が……

こんなにも愛おしい。







【邂逅】を琴の音で歌い上げた後

ボクは頬を伝う涙を感じた。






……咲の為になら……

ボクは再び……涙を流すことが出来るんだね。






涙なんて……

当の昔に忘れてしまったと思ってた。





ステージが終わって楽屋に戻ると、

依子さんと咲が姿を見せる。





ボクが挨拶回りをしている間に

控室に入室したようだった。





「YUKI、お疲れ様。


 今日のステージも幻想的で

 とても素敵でした。


 お父様もさぞ、お喜びと思いますわ」



依子さんは嬉しそうに微笑む。




嬉しそうに微笑む依子さんとは裏腹に、

咲はずっと俯いていた。




「咲」



依子さんに促されて言葉を

躊躇う《とまどう》ように紡ぐ。



「あっ、……あの……。


 YUKIさんは……和鬼……って

 呼ばれてませんか?」



ボクの真名まないんを咲の声が紡ぎだす。




「あらっ、咲。

 何を言ってるの。


 YUKIの本名は由岐和喜と言うのよ。

 だから……和喜とプライベートでは呼ばれててよ」



得意げに依子さんは咲に諭す。


だけど……依子が紡ぐのは和喜。


そして、咲が紡ぐのは……

鬼としてのボクの名、和鬼。



「今日は素敵な時間を有難うございました」



咲は声を出してボクに話しかける。


その声は……途中で意図的にかき消され

口形のみで伝えられる。





『また……『桜の木の下で』待っています。

 

 ……和鬼……』







ボクの血が

激しく呼応する……。










……咲……。


ボクは君を、ボクの孤独の中に

巻き込んだだけかもしれない。




だけど……嬉しいんだ……。




君の記憶の中に、ボクの存在を

刻みつけられることが。







ボクたちは、

巡りあうために此処に居た。







……咲……










「……桜の木の下で……。


 今日は有難う。

 また来てください」







YUKIとしての言葉で、

怪しまれないように、想いを伝えた。




咲と二人だけの秘め事。

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