5.YUKI- 咲 -



「咲、どうした?

 もう七時半をまわったぞ。


 部活の練習に遅刻するぞ?

 熱でもあるのか?」



お祖父ちゃんの声が聞こえて、

布団越しに揺すられる私の体。


額に触れるお祖父ちゃんの手。



「熱はないようだな。

 どうかしたのか?

 

 昨晩、神社の方に出掛けていたみたいだが」




えっ?

神社の方に出掛けてた?



私が?


ボーっと頭が痺れるような感覚を残しながら

重く感じる掛け布団をゆっくりと取り払う。





頭が痺れるように重怠い私は、

目覚めもあまり良くなくて、

血が上手く循環していないかのような

冷たい体をベッドから必死に起こす。




私の脳裏には、昨日TVで見た

YUKIと呼ばれた人の存在だけが大きく残ってた。



だけど今となっては、どうしてその人が

こんなにも印象に残っているのかさえもわからない。





どうして?



思わず痺れる頭に、

右手を添えて抱え込む。





「学校には行けそうか?」




心配そうに覗き込むお祖父ちゃんに

小さく頷くとベッドから這い出した。



私が動き出したのを確認して、

お祖父ちゃんは階下へと降りていく。


遠ざかる足音を聞き届けながら

ベッドの頭元にあるはずの目覚ましの方へと視線を向けるが、

時計はそこにない。




あれ?おかしいな。




げっ、まさか投げた?



慌てて視線を床に移すと、

ご臨終の気配漂う動かない目覚まし時計。




チーン。




今年になって5つ目かぁ。




幾ら、お手頃なの買ってるとはいえ、

目覚まし時計の出費もバカにならない。




それもこれも私の寝起きの悪さが

マズイんだけどね。





壊れた目覚ましを拾い上げて、

机の上に置くと、

机の定位置に置いてあった携帯電話を覗き込む。



携帯電話を枕元に置いて、投げて壊したなんて言ったら

洒落にならない私は、

いつもベッドから少し離れた机の上に置くことにしていた。




七時四十分。





液晶画面を見た途端に、

真っ青になる。




七時半には始まっている朝練。


慌てて私は連絡網として配られた

部員の連絡先表から知った依子よりこ先輩の携帯番号へと、

初めて電話をする。



練習が始まってるのか、

なかなか先輩が出る気配がない。



そろそろ切ろうかと悩み始めた頃、

電話の向こうから依子先輩の声が聞こえた。



「ごきげんよう。

 咲、今朝はどうかして?」


「ごきげんよう。


 依子先輩、連絡が遅くなりまして申し訳ありません。


 今朝、起きた時から頭痛が酷くて動けませんでした。


 今から準備が整い次第、学校には向かいますが

 今日の朝練はお休みさせて頂いて宜しいですか?」



ドキドキし緊張する鼓動を感じながら告げる。




せっかく、依子先輩の今大会のパートナーにして貰ったのに

発表の翌日から、朝練休むなんて……最低だよ。




「まぁ、それは大変。

 咲、ゆっくりとお休みなさいな。


 学校にも気を付けて来るのよ」


「有難うございます。

 それでは、失礼します」




依子先輩との電話を終えて、

少しだけ心にゆとりが戻ってくる。




まだ怠さの残る体に気合を入れるように

両手でパンパンっと頬を打った後、

私は制服に袖を通して鞄を手にして階下へと降りた。




「咲、おにぎり作っておいたから、

 後で食べになさい。


 体調が悪いときは、いつでも連絡してきなさい」




そう言ってお祖父ちゃんに見送られて、

私はいつもの道程を通学し始める。



こんな体調の時くらい、

遅刻してでも電車で行けばいいのかも知れないけど、

それでもどうして、うちの御神木に挨拶をして出掛けたかったから

いつもの様に山越え経由での徒歩通学。



神社へと続く坂道を歩いて、

いつもの様に御神木の前で鞄を置いて抱き付く。






坂道を上り、

桜塚神社の御神木の前へと向かう。





『おはよう。

 今日も1日、見守って』





そう念じる私に、桜の木は

不思議な映像を流し込んでくる。






桜の木の下でプラチナの髪・朱金の瞳の少年に

抱かれる私。






顔なんて見えなくて、はっきりわからないのに、

プラチナの髪と、瞳の色だけは鮮明で。






えっ?


何?






戸惑いの中、慌てて桜の木から離れる。




神木に再度、両手を合わせて祈ると

鞄を掴んで、いつもの山道を下山する。





いつもは軽い足取りで降りることが出来る、

その道程も今日は特に険しく感じられて。





山を下山し終えたのは、

八時十分を告げようとしていた。






軽く制服の埃を叩いて《はたいて》、

そのまま校舎へと向かった

私は校門の前でシスターに止められる。






「ごきげんよう。

 

 譲原咲さん、

 制服のリボンが曲がっていますよ」





あっ……。


言われるままに

立ち止まって胸元を見つめる。




「ごきげんよう、シスターまりあ」


「ごきげんよう、射辺一花いのべ いちかさん」


「ごきげんよう、咲さま。

 シスター・まりあ。


 後輩の咲さまの指導は、私が……」




そう言って一花先輩は一礼すると、

私の手を引いて、シスターの前から救出してくれる。


そんな私たち二人の後ろを、

司もまた難なくクリアしてついて歩く。



「ごきげんよう、咲。


 リボンが歪んでいるなんてどうしたこと?

 あらっ、今日は顔色が悪くてよ。


 司、そう思わない?」




ゆっくりと手を伸ばして直しかけた私の手を退ける《のける》ように、

横から滑り込んできた手は器用にリボンを結び直して行く。


そうやって私をお世話するのは、一花先輩。




「咲、体調が悪いなら保健室へ行く?」



つかさがいつもの砕けた口調で話しかける。




「あっ、多分大丈夫。


 朝から頭が痺れて重いって言うか、

 夢見が悪かったような気もするし。


 何もなかったような気もするし、

 よくわかんないんだ。


 でも熱は、お祖父ちゃんがないって言ってたから」



私がそう言った言葉と、

司の指が額に触れたのが同じタイミング。



「そうだねー。

 うーん触った感じ、35度前半くらいかなー」


「でも司、私元々から平熱低いから。


 それより昨日、風呂上がりに見たよ。

 二十二時からの音楽番組に、YUKI出てたね。

 

 あぁ、あの人が学校に居たんだって思いながら

 髪乾かしながらTV見てて、歌が始まったら興奮」



幻想的な桜が舞い踊る中、

YUKIが奏でる琴の音色が、

歌い上げる言の葉が心に触れて。




「あぁ、ついに一花に続いて

 咲まで毒されたか?」



っとちょっと、うっとおしそうに呟く司。



「まぁ、咲。

 

 貴女もYUKIの虜なんて私、嬉しいわ。 


 ファンクラブもコンビニから簡単に入れるのよ。

 興味はあって?」




調子が悪そうな私に遠慮して

いつもの濃厚強烈スキンシップを自粛してくれていた

一花先輩がYUKIの話題になると段々活発になり、

今日最初のハグが炸裂する。





ぎゃぁぁぁぁぁ。





校内に響く私の悲鳴。





そんな二人のやり取りを見ながら、

司は隣で溜息をつくのが聞こえた。





その日、ポーっとしながらも

何とか学校の授業を終えた放課後。




夕方の部活動もお休みを貰う。




『咲、今日は無理しないで休みなさい。


 練習がこの後、ハードになるから

 ちゃんと体調管理もしていくのよ』




そう言いながら、私の手には

高級そうな箱に入った、

有名店のチョコレートを握らせる依子先輩。




「疲れたら甘いものも必要よね。


 お大事に、咲」




依子先輩に見送られて、

私は同じく習い事で、サッカー部の練習を休む司と合流し、

何時もの帰りとは違う、電車ルートの際に通る商店街を歩いていた。




流石に山越え出来る

コンディションじゃないだろうから。



入学以来、

初めて通る学校近くの商店街。




その通り道、本屋さんのガラス越しに

音楽雑誌の表紙を飾るYUKIが視界に映る。




「司、寄ってもいい?」




司の腕を掴んで、そのまま本屋の中に入ると

音楽雑誌コーナーに直行して、

その雑誌を手に取りレジへと向かう。


初めての音楽雑誌をそのまま愛しく抱きしめて、

私は司と二人、書店を後にする。



そしてCD屋の前を通った時も、

店内から聴こえてきたYUKIの歌声に引き寄せられるように

ふらふらと入っていった。



そんな私の傍、ちゃっかり司も入ってきていて

新作コーナーをガン見してる。



「あっ、Ishimael《イシマエル》のアルバム、

 ようやく出たんじゃん」




なんてテンション高く、CDを掴み取ると

レジへと駆け出す司。


そんな司を見送りながら、

固まって動けなくなる店内モニターの前。



YUKIのPVらしき映像が流れてた。





「咲、どうかした?」


「あっ、司」


「あぁ、YUKIねぇー。

 一花も、この店来ると此処から動かなくなるんだよね。

 家にPVあるのに、いつも固まるんだよね。


 私にしてみれば、Ishimaelも流して欲しいところなんだけど

 今度、店長に頼んでみようかな。


 ここの店長って、お祖父様の知り合いなんだよね」




えっ?



司、今なんて言った?

家にもPVあるって言った……。




家でも見れるの?




「ねぇ、司。


 どれ?

 私、そのPV連れて帰る」




慌てて鞄の中から財布を取り出す。




お祖父ちゃんから六月に入ったばかりの今日は、

お小遣いを貰ったばかりで5000円は入ってる。



それに毎月、貯金することの方が多いから、

通帳にはそれなりに諭吉さんが居たはず。



「これで足りる?」




そうやって財布から出した

五千円札を見た司はため息をついた。




「こりゃ、よっぽど重症だわ。


 でも咲にも夢中になれるもの出来たんだ。


 そう思ったら私も嬉しいわ」




そう言うと司は、私の手を引いて

新譜売場へと連れて行く。




似たようなCDが三枚。




「これがYUKIのCD。


 新曲のね。

 Aタイプが、1曲目・2曲目が共通。


 3曲目が、1曲目のinstで、

 それプラスLIVE DVDが10分間。



 Bタイプが、一曲目・2曲目は同じ。

 3曲目は、2曲目のinstで、

 それプラス、一曲目のPV。


 Cタイプが、一曲目・2曲目が同じ。

 3曲目は、Cタイプのみに収録された曲。


 それプラス、DVDにはYUKIのジャケット撮影の模様と

 LIVEの楽屋裏の様子が収録されてる。


 さっ、どれにする?


 ちなみに一花は、全部買ってた」




司は私にもわかりやすいように、

新譜コーナーの前で、

YUKIの新曲CDのそれぞれの特徴を教えてくれた。



そんなやりとりをしている間にも、

新譜コーナーにはいろんな人が集まって来ては

お目当てのCDを手にして消えていく。



一枚ずつ少なくなっていくCDに焦りを感じる私。




CDそれぞれに、

そんなに特徴があるなんて。




どれか一つなんて選べないよ。




「私、ATM行ってくる」




そう言うと、商店街の中の銀行で

お金をおろして再び、その店へと戻る。



A・B・CタイプのCDを

3種類手に取って、レジへと持って行った私は

おまけのポスターと、購入特典の写真を手に入れて

凄く心が満たされていた。



鞄にすっぽりと収まった初めて買ったCD。




そして電車に乗って帰宅する道程。




電車の中にも、吊られたYUKIの広告。




YUKI一色に染められた

そんな空間が今は何故かとても嬉しかった。



嬉しいのに、理由がわからない。


私はどうして、

こんなにもYUKIが気になるの?




駅に着いたら、

司の家の車が駅に横付けされていて、

司たちに自宅まで送り届けて貰った。




「ただいま、お祖父ちゃん」




時代劇を楽しむお祖父ちゃんに声をかけて、

自分の部屋へと戻る。




買ってきたばかりのCDを

コンポの中に吸い込ませて、音楽を楽しみながら

私はベッドの中に寝転んだ。



疲れていた体は、

すぐに眠りの世界へと私を誘う。




夢の中、私は桜吹雪が

幻想的に舞う場所で、

抱きしめられていた。





晩御飯の支度をするのも忘れて、

朝まで眠り続けた私は、翌日からいつもの日常へと戻った。




起床、朝食作り、朝練、授業、放課後の部活練習、晩御飯作り。



相変わらず、もやがかる記憶に違和感を感じるものの

体は問題なしに日常生活を送ることが出来ていた。



今までと違うことは、

YUKIにどっぷり包まれて、生活しているってこと。




生徒手帳に挟んだ、

YUKIの切り抜き。



MP3プレーヤーに詰め込んだ、

YUKIの曲。



部屋にはCD屋さんで貰った

YUKIのポスターを飾った。



YUKIに包まれて生活する時間は、

恋にも似て、ドキドキと楽しかった。



何時もは殆ど見ることがない

TVのCMに、YUKIの曲が流れるだけでときめく。



YUKIがCMするお菓子……。



あれっ、これって……

あの日、依子先輩がくれたものと同じ?



そんな発見すらも楽しくて。




楽しい時間はあっという間で、

六月に入って二週間が過ぎようとしていた。





- 二週間後(六月中旬)-




その日もいつもの様に、朝の支度を終えて

日課である御神木にも挨拶をして、

YUKIをお供に山越え通学。


軽快な足取りで山道を降りると

コンビニの後ろでイヤホンを外し、

mp3プレーヤーも鞄の奥深くに片付ける。



靴下を履き替えて、

スカートのしわ・リボンも整えた。



鞄は右手。


腕に取っ手を通して肘で美しく固定する。


校則に指定された持ち方。



しずしずと歩きながら、

校門の方へと向かう。




「ごきげんよう。

 依子先輩」



車で送迎されている依子先輩の姿を見つけて

慌てて駆け寄ると背後から挨拶をする。




「あらっ、ごきげんよう。咲」



振り返った依子先輩は

にっこりと微笑み返した。



「依子先輩。

 今日も宜しくお願いします」





依子先輩と肩を並べて、

校門を潜ると、

二人揃ってシスターに朝の挨拶を告げる。



今月初日、体調不良で部活を一日休んだものの、

依子先輩は私をダブルスの

パートナーとして指名してくれた。


他校との交流試合にも、タブルスを組んで試合出場し

好成績を収めることが出来た私に、

今は嫌味や嫉妬を剥き出しにする存在も少なくなってきた。


多分、こうやって何かと依子先輩が気にかけてくれているのも

存在が大きいのだと思う。




「咲、先日の交流試合。


 澤野さわの高校のテニス部の、山村美千留やまむら みつる主将が関心してましたわ。

 美千留さんと話していて、私も凄く咲の存在が誇らしくてよ」


「山村主将がそのようなことを……。

 そう言っていただけたのも、依子先輩が親身になって指導してくださるからだと思います。

 引き続き、頑張りますので宜しくお願いします」


「えぇ、私もこの夏の大会で引退ですもの。

 咲、優勝目指しましょうね。


 でも優勝の前に、問題はテストですわね。

 咲は、テスト勉強大丈夫かしら?」




ふぇ?


突然の依子先輩の不意打ちのような言葉。


テスト?




白紙の綴られた問題の山を

打ち消すように頭を振る。




「えっと……あっ……、

 テストの存在……忘れてました……」



段々小さくなっていく声に、

依子先輩は、クスクスと口元に手を添えて笑った。



「あっ、でも勉強も頑張ります。


 ここ数日、遅咲きだと思うんですが

 YUKIに目覚めて……家ではYUKI三昧だったって言うか……」




って私、依子先輩にまで

『YUKI』のことを話すなんて、

何やってるんだろう。


そう思っていたのに、

依子先輩の反応がその場で変わった。




「YUKI?


 咲、貴方YUKIが好きなの?」





突然の問いかけにコクリと頷いた。




「なら私も切り出しやすいわ」



依子先輩はそう言うと

私の前に真っ白い封筒を差し出した。




「これは?」


「父にチケットを頂いたの。


 私、一人で行くには寂しくて。


 もし宜しければ、 

 咲、一緒に出掛けませんこと?」




司情報では、確か依子先輩のお父様は

芸能プロダクションを経営してるはず……。






手を伸ばして真っ白い封筒を受け取ると、

その中から、チケットを取り出す。






チケットに刻まれた文字は


-YUKI-。







……YUKI……







その名前は私にとって、

大切な何かと繋がっている。




何故かそんな気がした。






何に対して懐かしいか、今はわからない。





考えようとしても頭の中が霞みがかって

何も思いつかない。





「……咲……」





依子先輩が心配そうに私を覗き込む。





依子先輩と共に出掛けたら、

YUKIに逢うことが出来たら

何かわかるかも知れない。




部活を休んだあの頭が痺れるように重かった朝に

御神木が見せたビジョン。





「先輩、行きたいです。

 私で良かったらお供させてください」




満面の笑みで伝える。




あの夢も気になる。



夢も気になるけど、

依子先輩と一緒に外出出来るのも楽しみ。




そして再びチケットへと視線を移す。






YUKI

-四季の木漏れ日 現世の夢-


公演日:20●●.6.15

開場:17:00

開演:18:00





「ふえぇぇぇ」




私の声が校内に響く。



慌てて依子先輩が私の方へと歩み寄る。





「咲、どうかして?」


「よっ、依子先輩。


 すいません、公演日今日なんですか?


 私、この開場時間部活終わってません。


 祖父も厳しいし、行きたいけど……」





脳内パニック。



依子先輩からのお誘い。




突然のお出かけ日が、

何の準備も出来ない……今日……。



私は特待生で部活を休めない



部活が終わるのが十八時。





行きたい、行けない。


行きたい、行けない。


でも……行きたぁーい。




滅多にないチャンスだもん。




「咲。


 何を百面相してますの。


 咲が行けないなら

 私も行けませんわよ。


 私も咲も同じ部活では

 ありませんの?」




そう言いながら、

にっこりと笑う依子先輩。




……確かに……。



依子先輩が行けるなら私も。





「安心なさい。


 今日の放課後の部活は、

 明日からの二日間に渡る

 実力テストの為にお休みですわ」



「あっ……。


 ……はい……テストでしたね……」





あぁー、忘れてた。

テストの存在。



テストも明日だったんだ。


そしたら益々、LIVEどころじゃない?




「えぇ、一年生・二年生には重要な実力試験ですわ。


 だけど部活はお休み。

 LIVEには行けましてよ。

 

 咲はどうなさいます?」




テストとYUKIと依子先輩とのデート。



三つを天秤にかけたとき、

私はテスト勉強よりも、誘惑に溺れることを最優先した。



「行きますっ」



いろいろと思い浮かぶことはあれど、

単純な私は次の瞬間、

……行きますって……大きく宣言。




「あぁぁぁぁ。


 行きます。行きます。

 行きたいです。


 だけど、どうしたらいいですか?

 私、祖父が」




落ち着け、私。


なんか何言ってるかわかんなくなってきた。




「えぇ、存じていますわ。

 咲は確かお祖父さまと二人暮らしでしたわね。

 

 それでは、こう致しましょう。


 咲、今日は私の家に泊まれば宜しいですわ。

 テスト勉強を理由に」




依子先輩は悪戯っ子のように

柔らかに微笑んだ。



その後、練習着に着替えて朝練で

コートに入った私は依子先輩と

コースの隅から隅を互いに狙いあいながら

乱打を繰り返し続けて汗を軽く流す。


六月の梅雨特有の、ジメッとした湿度を感じながら

朝練を終えると、水に濡らしたタオルで

ベタツク汗を拭きとって、着替えを済ませた。



そして教室へと直行する。



「おはよう。


 咲、宿題やってきた?」



席に座った私の元にプリントを片手に

司が姿を見せる。



「あっ、忘れてた……」


「やっぱり。


 ほらっ、咲……さっさと

 書き写しちゃいな」



プリントを写し終って司へ返した頃、

ショートホームを告げるチャイムが

校内に鳴り響く。

 


厳かに教会の鐘が鳴り響く。



それぞれが慌てて

着席するとそのチャイムの間

目を閉じて十字を切りながら、

朝の祈りを静かに捧げる。




退屈な授業が始まる。





授業中は睡眠学習が多い私も

今日は明日の実力テストに

青ざめながら必死に教科書を追いかける。





依子先輩に言われるまで、

実力テストのこと忘れてた。




一年間のなかで、春・夏・秋・冬に

一回ずつ行われる校内実力テスト。



この学園での【卒業】にまで影響する

大きな行事の一つ。



1日、3科目。



テスト時間、1科目につき:50分。 


問題数100問。

合格は、85点以上。


ただし1科目でも落とすと無効。


あくまで2日間で行われる

6科目の成績を全て、

85点以上でクリアされないと追試になる。


しかも追試のチャンスは一回のみ。


追試でも落とした場合は

三年生でしっぺ返し。


三年生での再試験に合格できないと

卒業できないっと言う末恐ろしい行事。



それが、明日と明後日。



司越しに聞いた、

一花先輩の情報によると、その試験の日、

三年生も大学受験を意識した実力テストが行われるらしい。





チャイムが鳴り昼休み。



司が私の方へお弁当を持って駆け寄ってくる。



昼食はカフェラウンジか教室、

学校の庭園ですることになっている。



私と司は、三階のカフェラウンジへ

食事に出かける。



司はお弁当。


私は学校から特待生特権で頂ける、

今日の日替わり弁当。



「咲、今日行ってもいい?」



ご飯を食べながら司が一言。



「ごめん。

 今日、用事出来ちゃった。


 依子先輩とお出掛け」



声を弾ませて司に報告。



司は私の方に顔を近づけてきて



「何。


 咲……何時からそんなことになったの。


 でも依子先輩が相手だったら

 私はおとなしく引き下がるしかないなー。


 今日は一花もYUKIのLIVEで居ないから、

 久しぶりにゆっくりと羽伸ばすかな」



司がそう言いながら、

諦めて席に座ろうとした時、

カフェテラスの周囲が騒めき始める。



悪寒を感じてくるりと振り向くと、

そこにはお久しぶりの一花先輩が、

にっこり笑って背後から強烈なハグ~。




「ぎゃぁぁぁぁぁ」




またもや私の声は

……校内に響く……。




「あらっ、一花さま。


 うちの部員が何か失礼なこと致しまして?」



何時の間にいらっしゃったのか、

依子先輩の声が聞こえる。



ぐったりと体力を奪われた体で、

依子先輩を見つめる私。



依子先輩が一花先輩と私の間に、

スルリと割り込んでくる。



「いえ、依子さま。


 咲にご挨拶したかっただけですの。


 司がお世話になっていますから」




一花先輩は、にっこりと微笑んで

目の前を立ち去っていく。



「……咲……。


十七時半に夢山ゆめやま駅で」




依子先輩もゆっくりと立ち去っていく。




一花先輩の襲撃でヒットポイントを

かなり奪われてどっと疲れた体を庇いながら

午後からの授業をやり過ごし放課後。




校門を出て、裏山に続く脇道まで

ゆっくりと歩く。



山道に入ってからは全力で

山を駆け上がる。




御神木に手を翳し、ただいまの挨拶。




ご神木は久しぶりに

あの日視たビジョンを流し込んでくる。



そのビジョンに

血が高鳴っているって言うのか……

拍動を大きく感じる。




御神木を後にして慌てて、

坂を駆け下り家に飛び込む。





「咲、騒々しいぞ」



お祖父ちゃんの声が、

部屋から聞こえる。



部屋の前で呼吸を整えて

ゆっくりと襖をあける。



「ただいま戻りました。


 今日は、明日からのテスト勉強のため

 学園の依子先輩のもとで勉強することが

 朝練の時に決まりました。


 明日の午後には戻ります。


 勝手をお許しください」




一礼をして部屋を後にする。




慌ててシャワーを浴び、自分の部屋に戻ると

箪笥の中からありったけの服をベッドに広げる。




これはあまりにボーイッシュ。


こっちは……味気ない……。


こっちは?




なかなか気に入った服が見つからない。





やっぱり、

こうなったら和服ベースかな。




YUKIの衣装も和服っぽいものが多いから

許されるかな?




和服だけは祖母の形見が沢山あるから。




和箪笥を開けて単衣ひとえを取り出す。



単衣を丈を短めに着つけて、

アンバランスの黒いスカートを履く。



着物とスカートを抑えるように、

細帯で変わり結びをして仕上げる。



最後に帯揚げ・帯締めをピシっとしめる。



黒く長い髪の毛はポニーテールに結い上げて、

ゴム付近を軽く逆毛でふんわりさせ、組紐くみひも

アクセントのリボンを結びあげた。



大きな鞄の方には制服や、

試験勉強のためのテキスト・パジャマをいれる。


手持ち鞄には

ハンカチ・チリカミ・MP3プレーヤー・携帯電話

そしてYUKIのチケット。



荷物を持つと最寄駅から、

待ち合わせの夢山駅へと向かう。




夢山に向かう途中

電車の広告は……YUKI一色。





満開の桜。


プラチナの髪。

……朱金の瞳……。







何故私は……

この瞳に懐かしさを覚えるの?





夢山に到着したら、駅前にはチケットを

売ろうとしている様々な人たちが

プラカードや紙などを持って立ってる。



売ろうとしている人、買いたいと望む人。



人それぞれが手に紙を持って主張しあっている。




ふと駅前の書店に目をやる。


その書店も、YUKIの存在が

デデンっと主張してる。



視界に映るのは満開の桜。




あれ?

もしかして……うちの御神木さくら




思わず写真集に引き寄せられるように近づいて、

その足でレジへと持っていく。





待ち合わせの時間。




依子先輩を乗せた車が

駅前で停まり、窓がゆっくりと開くと

車内から私を手招きする。





運転手が降りてきてドアが開く。




私はその車に乗って、

関係者専用入口から会場内に入ることとなる。




会場に到着すると依子先輩は、

私を連れて手慣れた様子で歩いていく。




依子先輩が社長令嬢としる関係者は

次々と深くお辞儀をしていく。





「YUKI、宜しくて?」




辿り着いた場所は

-YUKI様 控室-と記された部屋。





「依子さん、どうぞ」




その扉が開くと中から雅やかな衣装に身を包んだ

プラチナの髪に朱金の瞳を持つあの人が……微笑んでいた。




「YUKI、こちら私の後輩・咲。


 さぁ、咲、ご挨拶なさって」




依子先輩に促されて、

YUKIの前に歩み寄る。


 



「こんばんは。


 咲さん、YUKIです。

 今日は楽しんで行って」




その人がゆっくりとその手を出す。



透き通るように白い肌。


流れるような指先。





「譲原咲です。



 すいません、私……

 塚本神社……桜塚神社の孫なんです。


 YUKIさんは

 そちらに行かれたことはありますか?」



思わず声にして紡いだ言葉。



「ないよ」


「そうですかっ。


 YUKIさんの写真集の桜の木が

 うちの御神木のような気がして。


 気のせいですか……変なこと聞いてすいません」



そう言いながらも、

否定されたのに腑に落ちない私の心。



私が御神木がわからないはずなんてないのに……。




すると楽屋の扉がノック音の後、開く。




「依子さま、いらしてたんですかっ」




入ってきた人は先輩に気が付く。



有香ありかさん、お邪魔してます」


「依子さまもどうぞ、お席の方へ。


 中山、依子さまとお友達をお席へご案内して。


 YUKI、時間よ」



その女性はゆっくりと告げると、

YUKIと共に何処かへ消えていく。




私も依子先輩と共に、

スタッフの中山さんに連れられて関係者席の

センターアリーナ前列の方に連れて行かれる。



一般のファンと隔離された

その場所……センターアリーナーの一角は

ちょっとしたお茶会スペースになっていた。



飲み物がテーブルに置かれ

ファンの視線が突き刺さる。



やがて……場内アナウンスが流れ

会場の灯りが落とされた。





湧き上がる歓声。






真っ暗な会場に鳴り響く

鼓の音色。


重なる琵琶。



……お琴の調べ…… 






私はYUKIの生み出す

その現世の夢の中に……溺れていった……。

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