2.追憶の調 -和鬼-



ボクは鬼の住処である

廃屋の中、

逃げ込んで先ほどの出来事を思い返していた。



ボクの視線をじっと捉えたまま

その桜の木の下で立ち尽くした少女。



少女の名は、

譲原咲ゆずりはら さき




彼女のことは、

彼女がこの地に辿り着いた時から知っていた。



それでも名前を問うたのは、

それしか思いつかなかった……。




人を魅了するはずの鬼のボクが、

一瞬にして彼女に捕らわれてしまった。





ボクは鬼。





人の世に生きる鬼であるボクの姿は、

仮初かりそめの姿をした時以外、

人が見ることは叶わない。





なのに……

彼女はボクをしっかりと捉えた。





今までどれだけボクが見守って来ても、

決して見えることがなかった咲。




だけど……今日の咲には、

ボクの姿が見えた?




ボクの姿が……。



人の中には、僅かな物のみが

視る力を失わずに成長するものもいる。



現にこの地にも、

一人だけ……そういった類の少女は存在する。



だけどそれは、咲ではなかった。



だけど今日の咲は、

鬼であるボクの目をまっすぐに捕えて

魅了して縛り付ける視線。




咲の突然の視る力に、

心がトキメク、ボクとそれを望まないボクが

交錯していく。





彼女は……?





ボクは人の世界とは

離れた場所に住まう。






そして、あの日を境に

この場所でボクは生活を続けている。


ここは鬼の地と、人の地を映し出す

狭間の世界。



この世界と人の世界は

鏡のような世界。





言葉で説明するのは

とても難しい。




この場所は、

人の世に近い場所でありながら

決して通常の人が

捉えることが出来ない空間。




だけど時折、自らの意思で迷い

飛び込んでくる狭間せかい




薄暗く明るい光が

まっすぐに差し込まない

この場所を遠い……

いにしえの昔、誰かがこういった。






『この場所は、

 水面の下の世界みたいだね』







水面の下。



深いところにある世界。





そう言われたのは、

どれくらい昔のことなのか、

今はもう思い出されない。




発狂しそうなほどに

永い《ながい》時をボクは一人、

この地に暮らし続ける。




この場所にボク以外の鬼はなく、

この場所にボク以外の生も存在しない。




ボクを取り巻くものは、

生気せいきついえた木の枝。


乾いた音を立てながら

無造作に地上へと落ちていくその上を、

ボクは踏み鳴らしながら山道を歩く。



その先に見える祠の中に、

ボクの住処である、廃屋の日本家屋が佇む。



廃墟の一室に飾ったままの刀の鞘を解き放ち、

刃が映し出す景色を見つめる。



桜塚神社の神木が感じ取る情報が、

ボクの相棒を通して、情報を流し込んでくる。




その刃が映し出した、

人間としてのボクのマネージャーの姿を確認して、

意識を人間界の時計へと集中させる。



刃には、

デジタル時計の数字が映し出される。





『行かないといけないね』




誰も居ない空間で吐き出すように紡ぐと、

廃墟の中で一人、食事を済ませて

人間界へ向かう準備を始めた。




*


……約束したんだ……






遠い昔、

ボクはボクの大切な人に。




*




気を高め、力を集中させて

ボクは鬼の証である角をゆっくりと隠す。



次にゆっくりと目を閉じて一呼吸置き、

息を吐き出しながら、

呼吸をゆっくりと変化させていく。



全てを操る生吹いぶきという名の

呼吸にボクは切り替える。



体内を巡る気が一定に満ち足りて安定したのを

感じ取ると、再度、気を集中させて辺りの気を纏い、

一気に散らす。





ゆっくりと瞳を開くと

そこには人の姿をかたどった

ボクが存在した。



この姿を維持したまま、

ボクはゆっくりと人間界の門へと続く、

あの桜の木へと向かう。




合わせ鏡になる桜の木に

ゆっくりと手を翳し、人間界へと続く

異空の門を開くとその中へと一気に吸い込まれる。



吸い込まれ辿り着いた場所は…

人間界の桜の木。





……そう……。


あの咲と言う少女が

ボクを捉えた、あの桜塚神社の御神木。



桜の木が繋げた異空間から

ボクはゆっくりと抜け出すと、

静かに掌を幹へと翳した。



異空の扉は、

ゆっくりと閉じていく。



異空の扉が閉じたことを確認すると、

ボクは陰に身を隠しながら、

今日の仕事の場所まで、移動を始めた。




確か……、

有香ありかマネージャーの連絡だと、

今日は雑誌のモデルと、

音楽番組の出演だったはず。




人の姿を模した、

仮初のボクの名は、

由岐和喜《ゆき かずき》。



和鬼ではなく、

ボクが演じる人としてのボクの時間。



狭間の中、発狂しそうになる時間の中で

ボクに手を指し伸ばしたのは、

鬼の同族ではなく、人だった。



人の心に触れ、人を知りたくなった。




人間を操り、この世界での

『由岐和喜』としての戸籍を得た。



運転免許証も、学歴も、

全てのものを記憶を操り手に入れた。




全ては心に秘めた

大切な人と出逢う為、

今の仕事と出逢った。




本性を隠した仮初のボクは、

記憶を操った世界の中で

芸能人として活動している。




ミュージシャン YUKI。





ボクは今、

歌い続ける。



大切な人へと

辿り着く為に……。



遠い……約束を

果たすために……。




影を渡りながら、

辿り着いた待ち合わせの仕事場所。







「YUKI、お疲れ様。


 あらっ、今日もいい男ね」




敏腕マネージャーの

有香さんがスケジュール帳を

片手にやってくる。



TVドラマ。

音楽番組。

ラジオに取材。


なんでも来い。





永い時を生き続けるボクにとっては、

この芸能活動もある意味、

一つの息抜きの方法で暇つぶしの術でもあり

遠い約束を果たす……大切な役割。




有香さんと一緒に車で移動して、

最初の雑誌の取材のスタジオへと向かう。



その場所で、雑誌に掲載される

新曲のレコーディングに纏わるエピソードを話し、

写真を数枚、カメラマンによって撮影される。




明りが集中する狭いステージの中、

カメラマンがシャッターを切る音だけが、

室内に何度も木霊する。



愛器である琴を奏でるボクの後ろには、

ボクの演出のトレードマークになっている

桜の花弁が幻想的に舞い踊る。




「YUKIさん、有難うございます」




カメラマンの声を合図に、

ボクは演奏する手を止めて、

ゆっくりとお辞儀をした。



するとすぐにボクの上着と、タオルを持って

有香さんが近づいてくる。



「はいっ、

 雑誌の取材お疲れ様。


 次はYUKI、生番組よ」




生番組のうたばんの収録時間が近づいてくる為、

雑誌の取材を受けたスタジオを早々に後にして、

有香さんの車は、テレビ局の駐車場へと滑り込んでいく。



テレビ局前には、会場内に入れなかった

ファンらしき人たちが、建物を見つめていた。




会場に辿り着いて、

番組関係者と、共演者に挨拶を済ませると

楽屋へと移動して、出演の準備をする。




「YUKIさん、最終確認お願いします」




その声に誘導されるように、

ボクは今日の演出の打ち合わせと、

立ち位置の確認をしていく。



「本番、10分前です。

 出演者の皆さんは、移動してください」



番組スタッフの声を受けて、

ボクは、中央階段の裏口へと向かう。



「YUKI、新曲の宣伝も忘れずにお願いね。


 今度は、歌詞を即席で変えないで

 原文通りに歌うのよ」



原文通りって……

その言葉には、引っかかるものがあるけど

いつものように、微笑み返す。



「今日も届けてくるよ」


「えぇ。


 ファンは、貴方のメッセージを

 待ってるわよ」

 


有香さんはそう言うと、

他スタッフの邪魔にならないように、

スタジオの隅へと移動した。



22時頃から始まる音楽生番組。





「本番、十秒前です」




出演スタッフに向けて、

放たれる一言。




時間が来て合図が起きると、

スタジオ内には

オープニング曲が流れ始める。






司会進行役の三人が

中央階段裏から、

ステージ中央へと歩んで

観客とTVの前に居るであろう

観客に挨拶を始める。




番組スタッフに言われるままに、

次から次へと、

出演者たちが裏階段からステージへと姿を見せていく。




「次、Ishimael《イシマエル》さんの後に

 YUKIさんお願いします」




スタッフに指示されるままに、

Ishimaelのバンドメンバーが

ステージへと出た後にボクも続く。





「はいっ、本日の最後のゲストは

 今、話題のYUKI。


 今日は新曲なんかの

 話題も聞けるのかな?」



 

自己紹介と共にステージへと呼ばれたボクは、

YUKIの笑みで、

ゆっくりと中央へと近づいていく。




ボクのファンも来てくれているのか、

観客席から、一際高い歓声が沸きあがった。




番組が始まった途端、

ステージの後ろに作られた

出演者控え席に座って、絶えず微笑みながら

出番の時を待ち続ける。





正直、

こんな空間は苦手だ。





それでもボクは、

見つけると誓ったんだ。





遠い昔……、

ボクの大切な人と……。






時折、目を閉じながら

記憶の中のそのかおを思い起こす。






「有難うございます。

 Ishimelの演奏でした。


 次は、皆さんお待ちかね。

 YUKIさん」




突然、呼ばれたボクの名に驚いて

顔を上げる。



「YUKI、どうした?

 少しびっくりしたような顔をして」



メイン司会者の一人が、

ボクを気遣う。



「すいません。

 今日は宜しくお願いします」


「YUKIさんは、

 こう言う話し合いの場が苦手なんですよね。


 確か、前にも仰ってましたよね」



フォローするように、

もう一人の司会者が続ける。



「はいっ。


 こういう場所に立つと、

 何話していいか

 わからなくなってしまいます」



司会者の言葉を受けて、

辺り触りなく答えるボク。



「えっと、YUKIさんに

 質問が来ているのですが、

 YUKIさんは作詞作曲はどう言うときに

 思いつきますか?ってことなんですが……」



「作詞、作曲ですか……。


 大切な人を思い描くと、

 ふと湧き上がってくるんですよ。


 歌詞もメロディーも。


 さっきも…… ふと浮かんだその言葉を

 煮詰めていました」




会場内の声は、

ボクの言葉に反応して

悲鳴に近い変化を遂げていく。





「大切な人……。


 YUKIには心に

 秘めた人がいるってことですか?」



「あっ……えっと……」






浮かび上がったその顔を

その名を必死に閉じ込めて、

再び笑みを作る。





「ファンの皆さんに

 届けたいメッセージぱかりなので」




瞬時に、鬼の息吹に乗せて

人の意思をコントロールするように

暗示をかける。



*



余計なことは

話さなくていいんだ。



*




ボクの秘密は

誰にも知られるわけには

いかないのだから。 



『いつも凄いですね』


『ホント、YUKIが来ると

 ここのホールが変わるよね』


『今回は新曲の宣伝を兼ねて

 当番組に出演してくれました。


 YUKIさんの新曲は各放送局が

 一番を奪い合うくらい壮絶な戦いが繰り返されるそうですが

 今回はYUKIさんたっての希望で

 当番組からの初放送とのこと。


 本当に嬉しい限りです。


 それでは。

 YUKIさんの大人気曲。


月夜桜つきよざくら】と新曲の【憂季節うれいのとき

 二曲つづけてお楽しみください』






観客を含めて記憶を息吹で

操作したボクは、

何事もなかったかのように

舞台へと移動した。





真っ暗な闇の世界に、

厳かに響き渡る鼓の音。



その透き通った

音に重なっていく琵琶。





背景には液晶に映し出された

満開の桜。





前奏部分が終わるにつれて、

深呼吸をした後、

ゆっくりと愛器のお琴の方へと近づく。



立奏の姿勢で

そのお琴の一音一音に

思いを込めて爪弾いていく。




静かに空間を包み込むように

響き渡るボクの歌声。





マネージャーには、

歌詞通りにと言われたけれど、

今日もボクの心が赴くままに。



何度も何度も、

繰り返し

続けられるその歌詞うた

生吹いぶきはない。



その歌詞にいのち

宿ってないから。




言葉は言霊ことだま


言霊は強い。





だからこそ、

生吹で歌わなければ意味がない。






……ボクの歌は

   ……特に……。





ゆっくりと差し込んだ

照明の光と共に鼓と琵琶、

お琴が奏でるその調べに

重なり合うように、

やがてドラムやギダー、ベースが

交わり始める。





その音色が一つに溶け合う頃、

静かにその声色こえ

周囲に響き渡らせた。






鬼の持つ生吹に乗せて歌い上げる。









移りゆく……

  長の年月




四季の

  移り変わり




人の世に

   憧れ……


人の世を

   憂い……


人の世に

   焦がれ……


人の世を

   儚む







桜、舞い散る

……その場所で……





霞みかかるその土地で

一人、孤独と向き合う。






長い年月をただ一人。






遠い昔の契りを誓いに

今を紡ぎ続ける。







周囲の空気が一言一言、

紡ぎだすたびに

研ぎ澄まされていく。




ボクの声色に引きずられるように

人々の視線は、ただ一点を捕える。






*





『……かの人よ……。



 その桜……

 願い……儚し……

 無常の季節ときよ……



 移りゆく久遠くおん

 散りゆく景色



 霞みゆく面影

 遠のく……面差し……



 月夜桜よ

 舞い踊れ


 かの君に……

 その思いをのせて……』





*














奏でる琴の弦に触れる

指先に力が籠る。








激しく情熱的に……


そして……物悲しく……

響き渡るその調べは

ゆっくりとやがて光の時に包まれる。







演奏をし終えたボクは、

ゆっくりと呼吸を戻す。 





生吹で歌う真実の歌ではなく、

人として……由岐和喜として……の波長へ。






「はい。


 有難うございます。

 YUKIさんでした」





鬼の歌に捕らわれた

女性司会者は慌てて、

我に返って自分の仕事を始める。




「ありがとうごさいました」



ボクは、

YUKIとしての

笑顔で微笑みかける。





番組は……進んでいく。




「さて。


 それでは……

 今週のランキングです」



ランキング発表が始まり

ボクの歌が

上位にランキングされると……

出演者から拍手が送られる。




静かに拍手を受け止めて

笑みをたずさえる。










ボクの変わらない仮初いま




その仮初かりそめの優しさに

時折、溺れながら

ボクは今を歩き続ける。









-刹那の契り-





この思いを歌い綴りながら、

思い浮かべたのはボクが視えた少女・咲。







収録が終わった直後、

有香さんと別れ、

夜の闇に溶け込むように

ボクの住処へと帰って行く。






いつかは、

解き放たれる未来。




いつかは、

流れゆく未来。






その光は……

まだ届かない。

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