第4話 アイヌ民族


 ここでアイヌ民族がどのような変遷を辿って来たのか説明しておこう。


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 明治新政府はそれまでの蝦夷地を北海道と命名し、ロシアの攻撃、進出に対する防御の目的もあり「一方的に日本の一部」とした。


 そこに住んでいるアイヌの人たちを「平民」として戸籍を作成し日本の国民に編入する一方で、「旧土人」と呼び差別して来た。


 アイヌ民族は蝦夷地(北海道)に生活していた日本の先住民族。そして民族的にも文化的にも今の日本の豊かな文化・民族性に貢献して来た。


 明治維新後、日本政府は北海道の開発を始めた。それまで大自然の中で狩猟や漁業を中心に平和に穏やかに生活していたアイヌの人たちは近代化の波をかぶり、政府の抑圧策でその生活基盤を失い、悲惨な目に合った。徹底した「日本人化」を強いられ、民族としては一旦消滅しかかったが、最近アイヌ文化や歴史の見直しが始まっている。


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 アイヌ民族は日本語とは異なる言語体系を持ち、人間の周りに存在するさまざまな、人間にとって重要な働きをするもの、強い影響があるものをカムイと呼び「カムイ(神)」として敬うなど、独自の信仰や精神文化を切り開いて来た。


 北方の厳しい自然環境を生き抜いてきたアイヌ先住民族は、その起源は定かではないが、諸説あるがおよそ9〜13世紀の長きにわたりその地域でアイヌ文化が徐々に形成されていった。


 またアイヌは樺太(からふと)や千島列島など広範囲に分布して暮らしており、どの集落も周辺地域のさまざまな民族と交易を展開して生計を立てていた。


 クマやシカ、サケやアザラシなどを中心に狩猟や漁猟を行い、山菜を採取し、動物の毛皮や木や草の繊維などからさまざまな衣服をつくっていた。クマやラッコなどの獣の皮、昆布や干し鱈などの乾物、また美しい刺繍や木彫りが施された工芸品などといったアイヌの生産品は、日本を中心に各地で取り引きされていった。


 だがここで事件は起こる。

 時は1603年、日本では戦国時代が終焉を迎え、江戸時代が到来。その翌年の1604年、江戸幕府は北方エリアを領地とする松前藩に対し、アイヌとの交易を独占するように命じた。


 これがアイヌにとって苦難の道の始まりだった。それまで各地との交易によって富を得ていたアイヌ民族は、自由な交易を阻害されたばかりか、松前藩はアイヌに不利な交易条件ばかりを提示し、次第にアイヌの人々の生活は貧しくなり、また厳しい環境下での労働を余儀なくされていく。


 幕末のアイヌ民族は、蝦夷地(北海道)で大きく東西に分断。東の民族は「メナシクル」、西の民族は「シュムクル」。2つの民族は、両地域を流れるシベチャリ川の漁猟権を巡って長年対立していた。


 こうして…小競り合いの末「メナシクル」と「シュムクル」の抗争で「メナシクル」のカモクタイン首長が殺害されてしまった。そこで…副首長シャクシャインが「メナシクル」の首長となる。そして報復として「シュムクル」の首長オニビシをシャクシャイン一派が殺害した。


 だが、敵もおいそれとは引き下がらない。仇を討つため、シュムクルの人々は松前藩に武器の支援を要請。だが、松前藩はこれを拒否したばかりか、シュムクルの武器の支援にやって来た使者までも松前藩によって毒殺されたというのだ。


 これを知ったシャクシャインは、アイヌ同士の戦いをやめ、団結して和人を倒すべきだと呼びかけた。1669年(寛文9年)、アイヌ合同軍は、松前藩に対して武力攻撃を開始。こうして始まった戦いはシャクシャイン首長の名を取って「シャクシャインの戦い」と呼ばれ戦争が勃発した。


 この戦争は、和人とアイヌ間における史上最大の戦争へと発展したが、最終的には松前藩が和睦を申し出た形だが、その酒宴の場でアイヌの首長シャクシャインほかを謀殺し、これをきっかけに北海道全域にいるアイヌに対し絶対的な主導権を握るようになった。


 その後、徳川幕府の終焉とともに日本は開国し、1868年に明治政府(日本政府)が成立すると、その翌年には北海道地域の開拓を目的とする官庁「開拓使」が道内に設置。


 明治政府が作った北海道開拓使やその後の北海道庁は、アイヌ語の使用や生活習慣を禁じて日本人となるよう強制し、アイヌの人たちが利用して生きた土地や資産を国の物として取上げ、民間に売り払った。


 アイヌの人たちがそれまで行ってきた鹿狩りやサケ漁も禁止され、さらに強制移住により多くのアイヌは貧困に追い込まれていった。


 その貧困を救うという名目で、明治32年に作られた「旧土人保護法」により土地を与え、日本語や和人風習慣を強制したが(多くの土地は狭く、やせた土地だった)その内情は明らかに民族差別だった。


 この様な差別の下に長らくアイヌ文化の継承は途絶え、アイヌであることを隠して生きる人がいまでも多く存在する。


 そして1986年、当時の首相・中曽根康弘が「日本は単一民族国家である」という主旨の発言をしたことで、アイヌの人々の怒りが一気に沸騰する。


 日本は単一民族国家であるという日本社会の実情についてのまったくあやまった認識を前提とした発言であった。その直後から、米国において、複合民族国家における少数民族の尊厳を傷つけるものとしてきびしく批判され、非難され続けている。


「日本は単一民族国家である」貴殿のその態度は、日本社会の差別され、抑圧されている民族的少数者の存在を、国際社会に向けて隠蔽することにほかならない。


 例えば、アイヌ民族の存在についても、明治以来、日本政府は強制同化政策を推し進め、その強制同化政策にもかかわらず、アイヌ民族は現に存在している。そればかりでなく、在日韓国・朝鮮人ほか、国の政策上、日本国の一員として強制的に組み込まれてきたアジア人も存在している。それをいまさら、日本国内には少数民族はいないというのは、欺瞞もはなはだしい。


 この発言に対して北海道や全国各地のアイヌの活動団体が一致団結し、大きな政治運動が起きていった。それにより1997年「北海道旧土人保護法」は廃止され、アイヌ民族に関するすべての差別をなくし、文化を次世代に継承することを目的とした「アイヌ文化振興法」が成立する。


 2007年には国際連合において「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択されるなど、世界的に、先住民族への配慮を求める要請が高まってきた。(そうした世界的な要請も視野に入れつつ)翌2008年(平成20年)には日本の衆・参両院の本会議においても「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が採択された。さらに日本の国会は、2019年(平成31年)4月19日に「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律(アイヌ施策推進法)」を制定し、法律として初めて「先住民族」と明記された。


 いまアイヌは再び注目を集め、国内ではひそかなブームとなりつつある。2020年に開業したアイヌにまつわる最大規模の国立文化施設である「ウポポイ(民族共生象徴空間)」には大きな注目が集まり、各種メディアでも度々報道されるようになった。


 更にはアイヌの少女がヒロインとして登場するマンガ『ゴールデンカムイ』のヒットをきっかけに、若い世代にもアイヌへの関心が広まっている。


 こうした流れを受けて、近年はアイヌに関心を持つ若者も増え、現代のカルチャーやライフスタイルとの接続を図る機運も高まっている。


 今年の4月には北海道白老町に「民族共生象徴空間(ウポポイ)」も国費で開業した。しかし、そういう現代でもアイヌの人たちを差別する風潮や民族の復権など、多くの諸問題が残されているのが現状。












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