南国の様相

書矩

鳥の茂るところ

 ――きみ、南国の森林にどういう印象を持っている?

 先生は僕にそう聞いてきた。いつもの突拍子もない問い掛けだった。先生が興味を失う前に、僕は急いで考えを巡らせて、「色とりどりなのに、鬱蒼と草木が繁っていて、手前は暗く、それでいて不思議と奥のほうほど明るいようなイメージですね」と言った。

 先生は「ふうん」と一言口にして、どこか満足そうに片方の口角を上げて手元の書類に目を落とした。うっすら、面倒事の気配がした。

「しかし、なんでそう唐突に聞いてくるんです」

「次のきみの行き先、南国なんだ」今度はにっこりと笑って、先生はサプライズを仕掛けた子供のように両手を広げた。「しかも、まさしくきみの思うような躁鬱の絡まった熱帯雨林さ」

 僕は書類の詰まった封筒を受け取った。重ねられた紙の一番上には任務しごとの概要が書いてあった。

「出発は明後日だから、すぐに荷物をまとめておいで」

 もっと早く伝えてほしいとか、いくらでも出てくる文句を言うのはとうに諦めていた。先生はこういう人だから。「行ってきます」とだけ挨拶をして、僕は柔らかな寝台に暫しの別れを告げるべく、自室に向かった。



 指定の地に降り立つと、即座に湿った温い空気が纏わりついた。衣服が取り零した顔と首、手、この僅かな面積を湿気に包まれただけで、すでに息苦しかった。

 遠くの暗雲を見ていると、一台の車が僕の側でつんのめるように停まった。先生は迎えを寄越すくらいには優しい人だったらしい。

 僕は車に近づき、ガラスをこつこつと叩いた。運転席には毎度世話になっているノモス研究員がいるのが見えた。

 窓が開くのを待って、僕は念のため名乗った。

「ヒュレー・パライバ特任教授のところの、エイドス・ペレスです」

 ノモス氏は「おお」と手を挙げて応えた。

「エイドス君か、久しぶり。またムチャ振りをされたのか」

 後部座席のドアを開けながら、ノモス氏は言った。

「その通りです。学生を研究員と同じような現場に出すんだから、先生は本当に人使いが荒い」

 僕はシートに身体を預けて、鞄を脇に置いた。今回の荷物はこれひとつに圧縮した。必要なものは全て、容量を拡張したこのボディバッグに入っている。

「……でもムチャ振りで言えば、ノモス氏、あなただって相当でしょう」

 車がぐっと進み出した。

「事前調査をしたくらいだよ」

 ノモス氏は視界の端に地図を広げ、浮遊させて行き先を確認しながら、事も無げに答えた。僕はしっかりと補足をする。

「急に命じられて、僕が来る数日前から、ですよね」

 確かに、とノモス氏は笑った。

「帰ってからの追加報酬が楽しみだな」

「ええ、まったくですよ」

 僕らは、同じく先生に振り回される身として、苦労を分かち合うようににやりとした。

「それで、エイドス君。任務しごとのことはどれだけ把握している?」

 ショルダーバッグから書類の詰まった封筒を取り出して、事前に付箋を貼っておいたところを順にめくる。

「『鳥の茂るところ』と呼ばれる、森についてですよね」

「そうだ。その真偽や重要性についてはどう考える?」

「こうして僕が駆り出されている以上、何らかの“修正”が必要な案件なんでしょう。だったら現に起こっている、真偽で言えば『真』の出来事の筈です」

 そうじゃなくて、とノモス氏は言った。

「ヒュレーさんからもらってきた情報だけを見て、君は『鳥の茂るところ』といういわれをどう思ったのか聞きたいんだ」

「……レトリックとしてはアリですが、表現としてはおかしいと言わざるを得ない。鳥は植物ではないから、本来であれば『茂る』という記述はしない筈です」

 ノモス氏は続けて僕に聞いた。

「なら、どうしてそう言われていると思う?」

「資料にあるように、そうだから、でしょう」

 僕は資料をめくって、別の付箋に指をかけた。雨天を走る車内の空気で、紙の束は少し湿って柔らかくなっていた。

「もらった資料には森の周りで生活する人々による証言が記載されています。森において鳥がただの木からいきなり飛び立つ事例も、逆に、木に止まった鳥が目の前で忽然と葉や蔓の間に消えてしまうことも人々の間で『起こったこと』になっている」

 僕の答えを受けて、ノモス氏は「なるほど」とだけ言った。ちらと見やると、さらなる洞察を求める研究員らしい顔が見えた。

 次に聞かれることはわかっていた。

「推測可能な理屈、ですが……」

 バックミラー越しに、ノモス氏は満足そうに目を細め微笑した。

「聞かせてくれ」

 僕は資料に書いてあることも含めて、思い付いたことをいくつか挙げた。

 まず、その森が特異な生態系を有していて、何らかの理由で鳥と森とが循環している説。次いで、鳥が森に溶け込み、森から出ずるというような錯覚が起きているという可能性。最後に、集団幻覚によってそのような現象が引き起こされているかもしれないこと。

 これだけ喋れば、湿度の高い地であっても喉は渇く。僕は水のボトルを開けて喉を潤した。

「エイドス君、きみはどれが有力だと思っているのかな」

「“修正”しないといけない何かが発生しているということは、二つ目の錯覚か……もしくは三つ目の集団幻覚の線があるのかも、と」

 ノモス氏は強く頷いた。

「よし、そろそろ件の森の近くに着く。降りる支度をしてくれ」

 さあ答え合わせの時間だ、と冗談めかして言うノモス氏の調子はすっかりいつも通りで、親しみやすい空気が彼を包んでいた。



 その森は一見どこも変わりが無いように思えた。(いや、僕の住居や先生のいる研究所のあるいつもの場所に比べれば、もちろん植生は全く違うけれども。)

 任務しごとでなく来ていたら、教科書通りの木々の配置だと思っていただろう。ノモス氏の後について、僕は森の近くに住む人々を尋ねた。

 ノモス氏は既に、何人か現地の協力者を確保しているらしかった。そのうちの一人が主に案内をしてくれるらしい。にこにこと愛想よく僕らを迎える人物が見えた。

「やあ、来てくれましたか。……そちらの青年が、仰っていた?」

「ええ」ノモス氏は後ろにいた僕の背に手を添えて、前に送り出した。「期待の若手です。経験も実力も確か。このような事態においてはもっとも適任といえます」

 僕は名乗って、軽く頭を下げた。第一印象は大事だよ、きみはちょっとシャイなところがあるようだね、と昔先生に言われたのを思い出しながら。

「では、行きましょうか」

 森をよく知る案内役に先導されて、鬱蒼とした生命のカオスに迎えられる。熱帯雨林とかジャングルだとかいうものは、何者も招かない、すべてを拒むような場所に見えていたが、ここは少なくとも歩いてゆける程度に草が刈られて道があった。人々の生と密に関係しているからだろう。

「ああ、ほら」

 顔に当たる葉や蔓がだいぶ増えたころ、先頭にいた案内役が声を上げた。壮年期に差し掛かろうという風貌の彼は、少し身を屈め、僕と目線の高さを合わせて一点を指差した。

「鳥が、いるでしょう」

 いますね、と僕は返事をした。いますけど、それが……? と愚にもつかないことを言いそうになって、すんでのところで飲み込む。馬鹿。蒸されているうちに、記憶が水蒸気に紛れて、すっかり何のために調査に駆り出されたのかも忘れてしまったのか、エイドス・ペレス。

 僕はその瞬間を待った。

 鳥はふっと姿を消した。鳥の止まっていた木の枝は揺れもせず、音もせず極彩色の鳥を隠してしまった。ノモス氏は「いやあ、本当に見るとやっぱりすごいな」と浮かれたようなことを言っていた。

「ご覧になりましたか」

「え、ええ」裏返った声を咳払いで落ち着かせる。「あれがずっと起きているんですか? その、何年も?」

「もっと。何十年も、です」

 思いの外長い。ならばすでに、鳥が木に溶け込む異常は、ここでは異状ではなくなっているのだろう。しかし、案内役の彼の言い方には引っ掛かるところがあった。

「……もっと長いと言いながら、何百年も、とは仰らないんですね」

 彼は腕を組んで頷いた。では、いつから、と僕は尋ねた。

「明確に、このときからというのは分かっていません」彼は腕をほどいて、近くに繁っていた植物の葉をそっと触った。「ただ、連綿と伝え続けられる物語から察するに、大昔にはこのように植物と鳥とが融け合うということはなかったようです」

 僕はその当時に思いを馳せた。もし僕が第一発見者だったら、間違いなく仰天していただろうし――何より、今後の狩猟や建築、もっと言えば生活はどうしたらいいんだと思っただろう。

 色々と困りませんかと訊くと、意外なことに否定された。

 この地域では異常が確認されて以降、「鳥が森に融けてしまう前に捕まえる方法」や「葉や枝や蔓が飛び立ってしまわないように留めておく技術」が次々と編み出されたらしい。

 本当か? と僕は僅かに思った。あまりにも、起こった事態に対して都合が良いのではないか。

 僕の表情から疑念を読み取ったのか、案内役の彼はひときわ真剣な声色で話を切り出した。

「ペレスさん、我々はこれが『自然でない』ことを分かっています。けれど、ここ数十年もの間我々にとって鳥と木の相互変化は自然の中で起こることでした」彼は困ったように言葉を選んで、少し逡巡していた。「……正直なところ、どうしたらよいのかは我々にもわからない」

 僕のすぐ傍の蔓が、何の前触れもなく翼を広げ、羽根を整えて、鳥として飛び立った。この場にいる全員が、それを見遣った。

 ペレスさん、と改めて呼ばれる。僕は声の主、案内役の彼に向き直る。

「……それでも、お願いしていいですか。我々の森のことを」

「はい」目の前の彼にも、そして森にも聞かせるつもりで僕ははっきりと返答した。「きっと答えを探してみせますよ」



 “修正”とは、世界の条理を変えることである。

 やっていることとしては改変と呼んでも差し支えないが、僕は先生から“修正”と呼ぶように言い含められている。

 ――単に何かを変える訳ではなく、何かを正す。そのために、ぼくも、きみも力を使うべきなんだよ。

 初めて会った日、教え子になったばかりの僕に、先生はそう言った。

「ヒュレー・パライバ。乞われてここで教授をやっている。よろしくね、エイドス・ペレスくん」

 しかも、自己紹介よりも先に。先生はそのまま前置きもなく本題へ移った。

「エイドス、きみは比喩ではなく世界を変える力を有している。でもそれは、きみにすべてが許されているということにはならない」

 世の標準から数年早く高等教育機関に進んだ僕は、ちょうど思春期只中でひねくれていた。稀少だと言われる改変能力だっていまいちうまい使い方がわからず、ヒュレー・パライバ――“星さえ騙す”と囁かれるほどの力の持ち主――のただ一人の学生になんかさせられなければ、魔法ではなく哲学か物理学を専門にやろうと思っていたのだ。自分が講義棟ではなく研究室にいるのは、本当に計算違いのことだった。

 そんなことを思いながら、僕は手っ取り早く話を進めようとした。

「使いどころを考えろという話ですね」

 先生は少し笑った。全てを見透かすような、余裕のある表情が少し気に入らなかった。

「理解が早くて助かるよ。まあ、もう一つ他にも理由があって」

 先生は人差し指を立てた。

「出来事を書き換えたり、消し去ったり、新たに創造して加えたりしたあとは、世界がそこに筋書きを足す。このメカニズムはよくわかっていない。ぼくが今研究しているところでもある」

 その研究は随分面倒なのか、それともあまり順調には進んでいないのか、先生は溜め息をついた。

「……無理のある改変は、世界にも改変を行なった本人にも、大きな負担をかけることになる。きみに伝えておくべきはこれだね」

「まるで経験があるかのような言い方ですね」

 うん、と軽い返答をしたのち、先生は一人掛けのいかにも教授が座っていそうなソファから立ち上がって、簡易的な椅子に窮屈に座っていた僕に、基礎的な教科書数冊と論文のまとまった冊子とを渡してきた。何冊かには著者名に先生の名前が見えた。

「きみにはね、教えないといけないことがたくさんあるんだ」先生は何度も使用されて草臥くたびれた教科書を開きながらそう言った。「じゃあ、これの一章から始めるよ」

 てっきりお喋りが続くものと思っていた僕は、困惑して「えっ」と声を上げた。

「たくさん、ですか。というか、先程の話の続きは……」

「うん、たくさん。さっきの話はおしまい。また機会のあるときにでも話すよ」

「なんでたくさんなのか、聞いても差し支えありませんか」

 ヒュレー・パライバは教科書を開いて立ったまま、まっすぐに僕の目を見た。

「きみには基本的な魔法をある程度使いこなせるようになった上で、“修正”を活かして様々な案件に出向いてもらうつもりだからね」

「あ、案件? 働くんですか?」

「厳密には違うけどフィールドワークみたいなものかな。でも数は多くないし、きみに一任するわけでもない。とりあえずぼくはきみを指導学生として、弟子として、大人として導くつもりでいるよ」

「……別に、僕は魔法をやりたくてこんな急いで進学したわけではないんですが」

 僕は最後の抵抗を図った。

「ぼくは魔法だけやれ、なんて言っていない。むしろ、複数の学術分野を跨いだ思考を身に付けてほしいと思っている。だから、きみのやりたがっている他の学問も、好きにやったらいい」

「そんな時間が、どこに」

「きみは覚えがいいから、きっと魔法の基礎はすぐ終わる。応用にも苦労しないだろうね」先生は事も無げに言った。「まだ何か反論材料はあるかい?」

「……」

 それ以上反論できずに、結局僕は「だったら、早くやりましょう」と言って魔法の基礎を扱う教科書の第一章を開くことになったのであった。


 もう今から3年前の話。

 先生の言う通り、学ぶことは多かったが、僕の学生生活が魔法漬けになることはなかった。僕は先生の元で魔法の扱いに慣れながら、その傍らで色々な講義を聴きに行って、結果的に入学前の想定よりも遥かに多くの収穫を得たのだった。

 ……ああ、いけない。

 先生が実際に経験したことは何なのか、ずっと聞きそびれていることをふと思い出したために遠く脇道へ逸れていた思考を、回想から現在の問題へと戻す。

 森から戻ってきたあと、僕とノモス氏はある建物の客人用の部屋へと案内された。ノモス氏は他の部屋へ向かって何やら協力者と話していたり、帰ってきて報告書を書いてみたりしていたが、相当疲れていたのか僕に一声掛けて仮眠を取り始めた。

 僕は質素なつくりの椅子に腰掛け、側のテーブルに沢山の資料を広げながら、頭の後ろで手を組んで唸った。さて、どう解決したものか。

 あまりにまっすぐな依頼につい格好付けて返事をしてしまったが、僕はいくつかの方策の間で迷っていた。

 大きく分けて、架空を否定するか、擁立するか。

 先生は「自分が存在ごと無くなったとしても破綻しないような“修正”が最善だね」と言っていた。改変者ありきの“修正”ではいけないということだ。ならば否定も擁立も一定のリスクがある。

 一先ず、現状を改めて整理してみよう。

 この地域の森では、鳥が植物の一部として溶け込んでしまい、反対に植物の一部が突如として鳥となり飛び立つ現象がある。そのためここ一帯は「鳥の繁るところ」と呼ばれている。……しかし、そのような事態が起こり出したのはここ数十年と、決して大昔のことではない。この事態が住民に与えた影響は大きな驚きくらいで、早々に鳥や森に対応する策を身に付けた。

 ではどうしようか? 人々の生活が既に成り立っている以上、大きな“修正”――例えば、生態系そのものを変えてしまうこと――はできない。

 空いた時間に読むつもりで任務しごとに出る前に急いでまとめた資料を取り出す。結局今に至るまで目を通さずじまいだったが。

 森の植物種や動物種について集められるだけ集めた資料を眺めながら、じっと考える。

「……ああ、これだ」

 最善の案かはわからない。先生ならもっと上手いやり方を見せてくれるかもしれない。けれど、僕に思い付いた策のうち、一番辻褄合わせに無理がないのはこれだった。

「ノモスさん」

 呼び掛けてから、彼の姿がないことに気づく。

「あれ、ノモスさん?」

 少し声を張り上げると、返事が聞こえた。声の所在に向かうと彼は住民らに混じって夕食の支度をしているところだった。

「何か用かな、エイドスくん」

 彼は大皿を手にして僕の方を向いた。何やらご馳走が盛られているらしかった。

「あの、思い付きました……この森をどうにかする方法。今すぐにでも解決しに向かっても良いんですけど……」部屋は食欲をそそる匂いに満ちていて、僕はあっさりと空腹に服従した。「まずは食事ですね」



 翌朝、僕とノモス氏、そして住民たちの中で特にまとめ役についている数名は連れ立って森へと入っていった。

「ここで、大丈夫です」ぼくは湿気に少し息苦しさを感じながら一行の歩みを止めた。「少し待ってください」

 イメージを形にするために深呼吸をして集中力を高める。世界と僕とが今、交渉のテーブルに着いた。

 目を閉じて黙っている僕を、複数の視線と――森とが、捉えている。

 僕は目を、次いでゆっくりと口を開いた。

「済みました。ひとまず、異変は解決された筈です――鳥が枝葉になることも、反対に草木が翼を広げることもなくなるかと」

 僕以外が、各々ため息を吐いた。やっと緊張を解くことが出来たかのような、安堵のため息だった。

「あとは鳥が来るのを待ちましょうか」僕はそう言ってから、「ちなみに」と話を変えた。「みなさんの間では、ある忘れられかけた伝承があると聞きますが」

 一人が少し考えたあと、「ああ」と合点の行ったような声を漏らした。

「はい。『一羽の鳥を狩るときは一本の木が枯れることを思え。一本の木を切るときは一羽の鳥が飛んでまたと帰らないことを忘れるな』というものですね」その者は感心したように僕を見た。「すっかり忘れていました。あなたは若いのに随分物知りですね」

「いえ、どこかで聞き及んだだけです」

 バサバサという羽ばたきが聞こえて、僕らは会話をやめた。やってきた鳥は木の枝に留まり、姿を消してしまうことなく周囲を見遣り、少し羽繕いをしてまたどこかへ飛び去った。

「本当に」初日に森を案内してくれたひとが、感嘆の声をあげた。「本当に、解決してくださったんですね」

 その後ももう少し観察を続け、鳥と森の交換が起こらなくなったことを確かめてから、僕らは森を後にした。緊張した面持ちの住民たちが僕らの帰還や報告を待ちきれずに戸外に出てきていた。僕が事態を解決したことが村の中のまとめ役から人々に伝えられ、小さなコミュニティに瞬く間に喜びが伝播した。

 よければ明日まで、せめて今夜まで滞在しないかと引き留められたが、僕とノモス氏はお昼だけご馳走になって家々を後にした。“修正”について口を滑らせないためだった。

「ヒュレーさんにいい報告ができるな」

 ノモス氏は少しうきうきしたように、そう口にした。僕は素直に「はい」と頷いた。僕の策は思ったより上手く行き、想定したよりも上々の成果が得られたから、謙遜する必要はなかった。



 先生は、ノモス氏が僕の任務しごとについて前準備から問題解決までまとめたものを読み、簡単な僕の報告を聞いて「ふむ」と言った。

 ヒュレー・パライバの「ふむ」は、疑義を示す言葉である。長くなりそうだから、僕は「座りますね」とだけ伝えて近くの椅子に腰を下ろした。

「きみ、本当は何をしたの?」

「何だと思いますか」

 先生は重厚な机に両肘をついて、にやりとした。

「ぼくには及ばないけど、決して悪くない手を打ったんだということはわかるよ」

 僕はストレートに褒められるのには弱かった。きっと今赤くなっているんだろうなというのを頬の熱で感じながら僕は言った。

「……知覚をいじりました」

「ほう? 知覚……というのは、その地に住むひとたちの五感とか、共有している意識や常識みたいなこと、でいい?」

 ええ、と僕は頷いた。

「そうか」先生は納得したように頷いていた。「具体的なこと、教えてくれるかい?」

「現地の民話まで遡って何か発端となった出来事がないか確かめました」

「ふうん。何が見付かったの」

 先生は脚を組んで身体を傾け、椅子の背もたれを軋ませた。

「木と鳥に関する伝承です。曰く、『木に化ける鳥がいる』と」僕は古びた書物の手触りを思い返しながら言った。「実際植物に擬態を行なう鳥はいましたからね、そこから出た話でしょう。まあ、僕が“修正”に利用してしまったので、今は変容してしまっていると思いますけど」

 先生は合点が行ったように声を漏らした。

「なるほど。その大元の伝承が『鳥の茂るところ』を産み出した、という繋げ方をしたんだね」

「はい。本当のところは確かめようがありませんが、これなら世界の方も納得してくれるかなと思いまして」

「……ちゃんとぼくの教えたこと、守っているんだ」先生は眦を緩めた。「初めはあんなに突っ掛かってきていたじゃないか。驚きだな」

「ともあれ」からかいには取り合わず、僕は報告を続ける。「これで『鳥が茂るところ』は現象ではなく彼らにとっての教訓になった。言わばフィクションですから、今後暫くは今回のような事例は再発しないと思います」

 たとえ再発してもまた無理なく“修正”できますし、と付け加えると先生は深く頷いて「完璧だ」と言った。そして、ぱっと顔を上げた。

「さ、お茶しに行こうか。エイドスくん」

「……先生のすることっていつも、何もかも急ですよね」

「臨機応変でいいだろう?」

 先生は笑って、外出用のジャケットを選びながら言った。そして不意に真面目な顔をして、何故人間とその知覚を対象とした改変を行なったのか僕に尋ねた。

 理由は一つに決まっている。改変、もとい“修正”を行なうための大原則として先生がかつて僕に教えたことだ。でも、なんでそんなこと聞くんですか、なんて馬鹿げた質問はしない。気楽に見えて案外神経質な先生は、きっとそれを僕の口から改めて聞きたがっている。

「――畢竟この世で一番ヒトが新しく、変化に耐え、柔軟にその思考を変形させることができるから」

 僕は教わったままを口にし、先生の支度が済んだところで、長く腰掛けていた椅子から立ち上がった。

「今日はどのカフェへ?」

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南国の様相 書矩 @Midori_KAKIKU

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