第21話 「天女の味噌汁 〜叶わぬ恋の味〜」

 秋の夜、落ち葉が舞う参道の先に、ひっそりと光る屋台があった。

 『神味堂』。


 風間啓介は、ふらりとその暖簾をくぐった。胸にはいつまでも消えない空虚感。誰かを愛した記憶があるのに、その輪郭がぼやけている。


 「恋の味が知りたいか」

 店主が、やさしくも哀しい目で彼を見た。


 「これは天女の味噌汁──地上に降りた天の者が残した、叶わぬ恋の記憶だ」


 湯気立つ椀を受け取り、啓介は口をつけた。

 その瞬間、視界が揺らぎ、彼は知らない世界に立っていた。


 白い羽衣をまとう天女が、微笑んで彼の手を取る。花が咲き乱れる草原、月明かりの湖畔、風が優しく吹き抜ける雲の上。

 ──それは夢のような日々。


 しかし、天女は毎夜、悲しそうに空を見上げる。


 「私は本当は、帰らなければならないの……」


 啓介は叫ぶ。「ずっと一緒にいよう。帰らなくていい!」


 だが天女は微笑んで言う。「それは、あなたの願い。でも私の願いは、あなたが前を向いて生きること」


 彼女は羽衣をまとうと、光の粒となって空へ昇っていった。


 ──啓介は屋台に戻っていた。

 椀は空になっていて、まだ温かかった。


 「なぜだろう、胸が痛いのに、温かいんです」


 「それが恋さ。たとえ叶わずとも、心に残るものだ」


 啓介は微笑んだ。記憶のどこかで、確かに愛した人がいた。

 彼はその想いを胸に、夜の道を静かに歩き出した。


 ──天女の味噌汁は、叶わぬ恋の記憶を映す、一夜の幻だった。


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