第8話 「風神の味噌汁 〜自由の罠〜」
どこまでも続く青空の下、青年・透は一人で歩いていた。
働くのが嫌いなわけじゃない。ただ、決まった時間に出社し、決まった人と関わり、決まった道を往復する毎日が、どうしようもなく退屈だった。
旅を選んだ。荷物はリュック一つ、職も家も捨てた。
自由は心地よかった。風が吹くままに北へ、南へ。旅先で出会う人と笑い、気が向いたら別れる。それが透の生き方だった。
ある日、道に迷ってたどり着いた山間の村に、不思議な屋台があった。神味堂。
「自由を求める者か。ならば、この一杯を」
そう言って老人が差し出したのは、風神の味噌汁。
蒸気とともに、どこか懐かしい草の香りが漂う。具材はふわふわの湯葉、舞茸、青梗菜。風に舞う落ち葉のように軽やかだ。
一口飲んだ瞬間、透の体はふわりと軽くなり、心の奥から突き抜けるような爽快感が広がった。
「……これだ。これが、本当の自由だ」
それから透の旅はさらに加速した。誰にも縛られず、何にも執着せず、思いつくままに各地を巡った。
だが、不思議と心に穴が空いていくのを感じた。
人と出会っても名前を聞かず、別れても振り返らない。
景色は綺麗だが、誰かと分かち合うことがない。
「……俺、今、どこに向かってるんだろう」
ある夜、焚き火の前で一人、透は呟いた。
帰る家もない。待っている人もいない。自由の果てには、誰とも繋がらない孤独があった。
思い出したのは、昔通っていた喫茶店のマスター。笑顔で迎えてくれた、たった一つの“居場所”。
透は神味堂を探して戻った。
「自由とは風のようなもの。吹き抜けるだけでは、何も残らぬ」
再び味噌汁を啜ると、どこかに帰りたいという、静かな欲求が湧いた。
翌朝、透はマスターの喫茶店のドアを開けた。
「おかえり」
その一言が、彼の風を、初めて“止めた”。
自由とは、帰る場所があってこそ羽ばたけるものなのだと、透は知った。
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