第11話 「病気の弟と兄の約束」
― 家族をつなぐ祈り ―
秋が深まり、朝の空気がどこか澄んで冷たくなってきた。
神社の境内には落ち葉が積もり、色とりどりの木の葉が風に舞う。
薄紅色に染まった空の下、静けさのなかに小鳥たちのさえずりが響いている。
俺――ご神木は、季節の移ろいを感じながら、今日も人々の願いを受け止めていた。
その日、拝殿の前にふたりの兄弟がやってきた。
小さな手を引かれた弟と、その手を包むように握る兄。
弟は細い身体に大きなマスクをつけ、時折咳き込みながら歩いていた。
兄は弟を気遣いながら、ゆっくりと境内を進む。
ふたりの歩みはゆっくりで、でも力強かった。
やがて兄は弟の肩をそっと支えながら、俺の前に立つ。
「……神さま、お願いします。弟が元気になりますように。
ずっと一緒に遊びたい。家族みんなで、また笑いたいんです」
兄――直人の声には、幼いながらも強い意志が宿っていた。
弟――悠斗は生まれつき体が弱く、季節の変わり目ごとに入院を繰り返していた。
家族の誰もが心配し、母親は病院通いに疲れ、父親は仕事と看病の板挟みに悩んでいた。
直人は小学校高学年。
友達と遊ぶ時間よりも、家の手伝いや弟の世話を優先する日々。
「お兄ちゃん、いい子ね」と周囲には褒められるけれど、
本当は、たまには家族みんなで何の心配もなく笑い合いたかった。
弟の病気が治ること――
それは直人にとって、「自分だけでなく家族みんなの願い」でもあった。
(人は、ときに“誰かのため”の願いに自分の心を乗せる。
けれど、奇跡が全てを解決するわけではない)
俺は静かに枝を揺らした。
悠斗の身体の中に、ほんの少しだけ回復への力を送り込む。
だが、すべての病が癒えるわけではなかった。
秋の間、悠斗は少しずつ体力を取り戻し、短い時間なら外で遊べるようになった。
直人は弟とボール遊びをしたり、神社の境内を一緒に探検したりした。
家族の会話も少しずつ増え、食卓には前より多くの笑顔が戻ってきた。
だが、寒さが増すにつれ、悠斗の体調はまた悪化し、病院で過ごす日が多くなった。
ある晩、直人は一人で神社に来た。
冷たい空気のなか、ご神木の前で目を閉じる。
「……神さま、僕、わがままなのかな。
弟が元気になったら、またすぐ前みたいに遊べるって、思ってたのに……。
でも、今度こそ一緒にやりたいこと、たくさんあるんだ」
直人はポケットから、小さな手紙を取り出した。
そこには、弟と「元気になったら一緒にしたいこと」が書かれていた。
遠足に行くこと、川で魚を釣ること、家族みんなで温泉旅行をすること。
叶わなかった約束が、幼い文字でびっしりと並んでいる。
俺はそっと枝を揺らし、夜風にその手紙を預けた。
奇跡を起こすことはできない。
けれど、“一緒に過ごす時間”をほんの少しだけ長くしてやることはできた。
冬が訪れ、悠斗は家で過ごせる日が続いた。
直人は放課後になると、すぐに弟のもとへ駆けつける。
ふたりで小さなゲームをしたり、絵本を読み合ったり、家族で温かい鍋を囲んだりした。
弟は「お兄ちゃん、ありがとう」と何度も言った。
直人は「僕のほうこそ、ありがとう」と優しく笑った。
家族みんなで過ごす一日一日が、直人にとって何よりの宝物になった。
やがて春が近づくころ、悠斗の体調は再び不安定になった。
でも、直人の心には不思議と穏やかな強さが芽生えていた。
別れの日は、ある春の日差しのなかで訪れた。
家族みんなで涙を流しながら、悠斗を見送った。
直人はその夜、神社に来て、ご神木の前で長いこと立ち尽くした。
やがて顔を上げ、ぽつりとつぶやいた。
「神さま、ありがとう。僕、悠斗といっぱい約束を守れたよ。
家族とも、たくさん笑えた。これからも、忘れない」
俺はそっと枝を揺らし、一枚の葉を直人の肩に落とした。
(命の奇跡は、必ずしも永遠を意味しない。
けれど“限られた時間”のなかで、家族が支え合い、心を重ねる。
それこそが、何よりの奇跡なのかもしれない)
春風が新しい季節を運ぶころ、直人はまた弟と交わした“約束”を胸に、
新たな一歩を踏み出していく。
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