第6話 「大食い王者の祈り」
― 食の奇跡が招く満腹と苦悩 ―
陽射しが濃くなり始めた夏の昼下がり。
神社の境内には、どこか祭りめいた高揚感が満ちていた。
参道には色とりどりの屋台が並び、焼きそばや団子、揚げたてのコロッケの香りが風に乗って漂ってくる。
今日はこの町で年に一度の“大食い大会”の日だ。
俺――この神社のご神木も、いつもより賑やかな境内を見下ろしながら、ふと葉を揺らす。
毎年、願いが集まる日は決まって“人間の欲”が渦を巻く日でもある。
案の定、昼すぎになると一人の男がどかどかと参道を駆け上がってきた。
太陽の下、ひときわ大きな体と声。
今年の大食い大会に賭けている男――名を克己という。
「どうか、どうか、今年こそ優勝できますように!」
額に汗を光らせ、息を切らせて手を合わせる克己。
その必死さは、勝負の神にも通じるものがあった。
(……また、食いしん坊の願いか。いや、これはもはや“執念”だな)
克己はこの町で三年連続準優勝。
優勝まであと一歩届かない悔しさを、今年こそ晴らしたい――そんな執念が全身からにじみ出ている。
小さな町の誇り、大食い王者の称号は、克己の家族や友人、職場でも話題になる。
けれど、勝てない悔しさに、最近は少し自分自身を責め始めていた。
「もう食べられない体質になりたいなんて、贅沢だよな……。でも、せめて今日だけは……!」
俺は枝を揺らしながら考える。
願いの重さや尊さは、内容よりも、その人が“どんな思いで祈るか”に宿る。
克己の願いは単なる食欲じゃない。「努力の証明」や「自分を認めてほしい」――そんな渇望が混じっていた。
(……よし、今日だけ“満腹にならない体質”を授けてやろう)
風がひときわ強く吹き、克己の背中を押す。
体の奥から、不思議な活力が沸き起こるのを彼は感じた。
いつもの大会なら、途中で満腹感に負けるところを、今日はなぜかまだまだ食べられそうな気がした。
大食い大会が始まった。
商店街の広場にテーブルが並び、山盛りの焼きそば、カレー、肉まん、スイーツ……色とりどりの料理が次々と運ばれる。
克己は自信満々に箸を持ち、出場者たちの中でもひときわ豪快な食べっぷりで観客を沸かせた。
五分、十分、二十分――
普通なら満腹でギブアップするはずの量を、克己は次々と平らげていく。
「おお、まだ食えるのか!」「さすが克己さんだ!」
周囲のどよめきが高まる。
克己は内心、少しずつ異変を感じていた。
いくら食べても、腹が苦しくならない。
むしろ、食べるほどに“もっと食べたい”という渇きが強くなるのだった。
(これが……奇跡なのか……?)
やがて、ライバルたちは次々と脱落していった。
克己は圧倒的な勢いで決勝に進み、ついに念願の優勝を果たした。
トロフィーを受け取る克己。
けれど、その顔には奇妙な疲れと、焦燥が浮かんでいた。
「……あれ? 優勝したのに、なんだか……嬉しいのに、満たされない……」
表彰台の上で歓声を浴びながらも、克己は違和感を拭えなかった。
体はまるで底なしの穴になったようで、どれだけ食べても“本当の満腹”には届かない。
終わってからも、ひたすら食べ続けてしまう。
家族や友人が心配して声をかけても、笑ってごまかすしかなかった。
(……やりすぎたか。奇跡には、いつも“代償”がつきまとう)
夜になっても、克己の食欲は止まらなかった。
だが、ふと彼は気づいた――
「食べることでしか、自分を認めてもらえない」と思い込んでいたこと。
本当に欲しかったのは、“優勝”ではなく、“家族や仲間と食事を楽しむ温かさ”だったのだと。
克己は夜の神社にふらりと戻り、誰もいない境内で膝をついた。
「神さま……どうして、こんなに苦しいんだろう。
僕は、本当は誰かに『頑張ったね』って言ってほしかっただけなんだ……」
その瞬間、俺はそっと枝を揺らし、一枚の葉を彼の肩に落とした。
心の奥に染み入るような静けさが、克己の中に流れ込む。
(人は、何かを満たそうと必死になって、逆に自分を見失ってしまうことがある。
「満腹」も「満足」も、他人に認められることじゃなく、
自分で「もう十分だ」と思える瞬間にしか訪れない――)
翌朝、克己は目覚めると、ようやく“普通の空腹”に戻っていた。
窓から差し込む朝の光のなかで、久しぶりに心から「おいしい」と思いながら、家族と一緒に朝食をとった。
大会の優勝トロフィーは、家の居間に静かに飾られた。
けれど、それ以上に克己の心に残ったのは、
「もう無理しなくていい」「一緒にごはん食べよう」と笑い合える温かさだった。
俺は静かに葉を揺らす。
“奇跡”は一瞬で消える。
けれど、「満たされる幸せ」は、きっともっと身近なところにある――
そう願いながら、今日もまた人々の祈りにそっと耳を澄ませている。
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