第四話 神殺し、始まりの光
ガルスの集落にある大きな囲炉裏で話を終えたのは、すっかり日も落ちた夕刻だった。
もともと強い雨が降り続く嫌な天気であったので、日暮れもひどく早い。
ヴァルターとリリスは連れ立って集落の外の山道へと出た。
そこからはラ・ファネラの様子が遠巻きながらに観察できたからだ。
「こっぴどく、叱られちゃったね」
「いま、そのハナシをしないで」
不機嫌そうにリリスは頬を膨らませて「んがー!!!」とウェーブのかかった髪の毛をがしがしと引っ掻いた。
ガルスの妻であるルグナに「リリス、あんたはどうしたいの!」と突き詰められた。
イゼル・ア・ムーナに対する信仰をぶっ壊したい。
そうした主張をしたからだ。
「信仰を壊すのはいい。ただ、そのためにどうしたいの? 信者を全員殺すわけ? 女も子どもも、あんたとヴァルターの強力な魔法で、ばったばったとたくさん殺して、イゼル・ア・ム―ナを信じている人を皆殺しにするわけか?」
嘲るようにルグナは言って「はんっ!」と鼻を鳴らした。
「それって、同じじゃん。イゼル・ア・ム―ナを信じない人間を異教徒とか邪教って呼んで、殺しまくった連中と同じことをあんた達もしようとしてる。それって、とんでもなくバカだと思わない? あたしは思う!」
そこまで言ってルグナはガルスの腕を強くたたき「え、なんで叩かれたの?」と旦那は当惑した。
「強大な力を持ったやつが考えそうな、短絡的で、馬鹿で、どうしようもない幼稚な考え!」
彼女はそう言って立ち上がり「そんな人に飯を作ってたなんて考えたら、あー、嫌だ! 考えるだけでもうんざりする!」と去って行ってしまった。
ガルスは「あっ、あの、ごめん……。ちょっと機嫌が悪いみたい。すぐに直ると思うんだけど……」と申し訳なさそうに言葉を残して、妻のあとを追って行った。
長く結婚生活を続けるコツを心得ているガルスは「そんな怒んなくってもさぁ」とルグナの機嫌を取り始めたが、集落の長の怒りは収まらないようだった。
ラ・ファネラの集落は、もはや集落とは呼べない現場になっていた。
いまも山賊の男たちが生存者や生活に使えそうなものを探している。降り始めた雨のおかげで、王国騎士団が放った炎は鎮火していたが――。少しの間だったが、寝食をともにした集落が焼けてしまった事が、つらかった。
「ザガート・ラモールっていう若い人が、ラ・ファネラのリーダーでさ。悪い人じゃなかったんだけど……」
「生贄を捧げる判断をしたやつでしょ」
「そうだね、そうなるね。いい人だと思ったんだけど――死んでしまうような罪なのか、正直よくわからないんだ」
「死ぬほどの罪よ!」
振り返ったリリスは目にいっぱいの涙をためて「死ぬべきだわ!」と頭を振った。
長い髪が、雨で重くなっていながらも苦悩を振り払うように大きく揺れた。
「生贄ってのはね、捧げる側の主張は聞けるけど……捧げられた側の意見は、永遠に封じられるんだよ。あんな暗い穴倉のなかで、必死に必死に生きようとして――それでも、助けはやってこない。静かで緩慢な死が、足元から頭のさきまで包み込むのを、じっと暗闇のなかで待たなくちゃいけない」
そこまで言って、彼女はぐっと奥歯を噛みしめて「あんたにわかる、ヴァルター!!!」と吠えた。
それは『生贄』とされ、三百年もの間を地中で生き続けた……少女の本音だった。
彼女は自分を捧げた村や両親を恨んでいるのだと思った。けれども、違うのだ。
「優しいんだね、リリスは」
ぽつりとヴァルターは言って、自らの両手を見つめた。
「ご両親とか村の人を憎んでるんだと思った」
「憎んでる! 殺してやりたい! でも、みんな『人生を終えて』いなくなってる! じゃあ、あたしの怒りはどうしたらいいの!!!」
彼女はぐうっと唾液を集めるように間を置いてから。
「三百年って気の遠くなるような……人間じゃないチカラを得て、結局はあたしは人間の世界に戻ってきた! これってなに? なんのために? あたしはただ、純粋に生きたかっただけ。フツーに生きたかっただけなのに!」
リリスの心の叫びにヴァルターは目を逸らさなかった。
神様の啓示でも悪魔の囁きでも、なんでもよかった。
ただリリスは生きたかった。大人たちが強引に決める生贄の犠牲となった少女は、ただ青空のもとで生活する『未来』を欲していただけなのだ。
この子は具体的には語らない。
ただ、暗い穴倉のなかで『生きるため』に『悪魔と契約』したのだ。
地の獄から伸びてくる黒くて血の匂いがする悪魔の手に助けを求めた。そうして三百年という長い時間を経て……幼虫が蛹となり、成虫となって地上へ現れてくるみたいに、彼女は復活を遂げた。
その長い長い時間のなかで、彼女は限られた記憶の抽斗を延々と開け続けて――。
「ヴァルター、あんたのことをずっと考えてた。なんであんたがアタマのなかに現れたのか、あたしにもわからない。ただ、あんたに会わなくちゃいけない。ずっと三百年――そう思ってた」
リリスはくすっと笑って「意味が分かんなかった。悪魔どもが、なんであんたの姿を明示したのか。でも、いまなら……ちょっとわかるかも」と頷いてから。
「あんたって、なんか、優しすぎるもの。あたしみたいな半身が悪魔になっちゃった女でも、差別せずに付き合ってくれる。そういう優しさが、あんたにはあるんだよ」
ヴァルターは「わかんないな」と顔を振った。
「リリスの苦悩も、記憶に現れたっていう僕も、うまく答えられない。ただ、リリスには向けるべき、怒りの矛先が……ないってことは、わかったよ。だからだよね」
ヴァルターはそう言ってしゃがみこんだ。
「向けるべき、怒りの矛先?」
リリスは優しい。
うん、とヴァルターは頷いて。
「本当は両親や村長や村のみんなに仕返しがしたい。でも、本心はそうじゃない。楽しい思い出が邪魔をして、心の底から憎めていないんだ。それはリリスが優しいから。優しいから――キミは『生贄』という偽善的な文化を創造したイゼル・ア・ムーナを憎んでいる。大切な人たちが、救いようのない愚行に走らなくちゃいけない道筋を作った、バカげた信仰を根こそぎ破壊したいと思っている。そうじゃないの?」
ヴァルターの問いかけにリリスは顎をくしゃくしゃにして、大粒の涙を流した。
彼女にもあるのだ。
両親との思い出が、兄弟や近所の友達との記憶が。
人間的な優しさが、ちゃんとある。
「あのさ、リリス。キミは悪魔のチカラを手に入れて、自分が怖い存在だと思う瞬間って……ない?」
手の甲で涙を拭いていたリリスは「ふぇっ?」と顔をあげた。
ヴァルターは自らの両手を見つめてから。
「僕は、あった。鳥や野犬や牛を殺して、大人に叱られて……その叱った大人を殺してしまいそうになったことがあった。でも、それを鎮めてくれたのはセレナなんだ。もし、セレナがいなかったら……僕は本当に『怪物』みたいになっていたと思う」
ルグナが言っていたように、絶大な力を持つ者は怪物のようになる。傲慢な秩序を作ろうとし始める。その芽が、幼い日の自分には『間違いなく、あった』と思う。
リリスは「わかんない」とぐしぐしと涙を拭ってから。
「いま、チカラが戻ってきて。不安なの?」
「不安、なのかな。ううん、不安じゃないと思う。強い魔法が使えるって、憧れていたことだから。ずっとずっと僕は落ちこぼれで、いじめられて、馬鹿にされてきたから――。だから、ライベンをやっつけて、僕をいじめた連中をぎゃふんと言わせることにワクワクしてて――」
「いつか、セレナを殺してしまうと思ってるんじゃないの?」
その一言にヴァルターはハッと目を瞠って息が詰まった。
リリスの何気ない指摘は、まさに正体不明の不安を言語化したものだったからだ。
胸の大きな少女は「大切な人を殺してしまうと思う」と容赦なく言って。
「あたしは一人ぼっち。大切な人もいない。悪魔からもらったチカラもある。だから、自分の身は自分で守れる」
そこまで述べてから、ヴァルターの決意を問うみたいに言った。
「だから、あたしはヴァルターの伴侶にならなくちゃいけないんだよ。あんたのチカラをチカラで押さえつけられるのは、たぶんあたしだけ。あんた、たぶんセレナと一緒にいたら、いつかセレナを殺すと思う。だって、一緒にいたら愛しあうし、ケンカもするでしょ」
彼女はそう言って、そっと手を伸ばしてきた。
「あたしのチカラが暴走したら、あんたが止めてよ。あたしも、あんたが狂い始めたら止めてあげっから。だってあたしらの心臓は、地の獄から真っ赤な血の鎖でつながれてるんだ。悪魔の気分ひとつで、あたしらはどうとでもなっちまう」
「だから、キミは僕と一緒にいようとするの?」
「そうだよ。愛とか恋が理由じゃないのは残念だけど……男女が長い時間を一緒に過ごしたら、きっとそう言う感情も生まれてくるでしょ? 腹が減ったり眠くなったりするうちに。だって、あたしらは若いから――」
ぎゅっとリリスがヴァルターの手をとったとき、茂みの中から「黙って聞いてりゃあ!」と尖った声が響いた。
涙に濡れたふたりの視線が茂みに向く。
そこにはあきれ顔で小首をかしげたセレナが立っていた。
「ルグナさんに叱られて、そりゃあシュンとなってるだろうなと思ってきてみりゃあ……。なに? わたしがヴァルターに殺される? だから、一緒に消えよう。なーにを話してるかと思ったら、そんなお姫様みたいな逃避行を求めてたのね。はんっ! 悪魔が聞いたら腹抱えて笑って、そのまま死んじゃうんじゃないの!?」
セレナの指摘にリリスは「うっさいな!」と耳の根まで赤くして「いいでしょ、別に!」と強がってみせた。
しかし、数時間前にラ・ファネラで口論したときのようにセレナは取り合わなかった。
落ち着いた様子でリリスを、そしてヴァルターを見据えてから。
「お互いのチカラが暴走し始めたら、どちらかが止めに入る。いい考えだと思う。だって、わたしには出来ないから。でも、リリスもヴァルターも……チカラに囚われないようにする。それが、わたしの役割なんじゃないかなって思った。話を聞いていてね」
「えっ……」
リリスはわずかに身を引いて「セレナの、役割……?」と聞き返す。
セレナは「悲しすぎるじゃん」と小首をかしげて、それから肩越しにガルスのアジトへ振り返る。そこには囲炉裏があり、女たちの議論の場があり、炊事と食事場があって……生活の匂いが満ちていた。
騎士になるべき少女は「悲しいんだよ」と繰り返して。
「みんなから拒絶されたヴァルターも、生贄にされたリリスも、また世間の目を気にして日陰に消えて行くの? 体質が負の属性魔法だと、そういう卑屈な考えになるわけ?」
「だって、あたしらは……」
「一緒に、明るい太陽のもとで生活しようよ。怒ることも、腹が立つことも……笑う事だってある。それが生きるって事でしょ。ルグナさんみたいに、情緒不安定なときがあったって、いいじゃん。ガルスさんが支えてるみたいな、そんな三人になれたらいいじゃん。みんなの弱いところを誰かが支えてあげたらいいじゃん」
セレナはそう言ってから、ちょっと笑って。
「神様も守護天使もいらないんだよ。だって、わたし達は人間の世界に生きてるんだから」
彼女は右手と左手を差し出して。
「三人で、生きて行こうよ。怒ったり、泣いたり、笑ったりできる場所を……見つけよう」
リリスとヴァルターは視線を合わせて、それからセレナの手を見た。
ヴァルターは懐かしさを覚えた。リリスはなにを感じただろうか。
そっとセレナの手をとったとき、彼女は「ヴァルターは素直でよろしい!」と大きく頷く。
当惑しているリリスに、ヴァルターは言った。
「僕がセレナから離れられないのは、こういう言葉を迷わず言えるのが、セレナなんだ。だから、彼女を守りたい。僕を甘えさせてくれるし、心を許して良いって思える。リリスもセレナに甘えていいと思うんだ」
言ってから、ちょっと身勝手で無責任な言葉の響きがあった気がする。
けれどもリリスは頬を染めて「じゃ、じゃあ、仕方ないわね。いまんとこは、休戦で」と唇を尖らせながらセレナの手を握った。
「うんうん、それでいい。バカみたいな争いは、いったんなくなったわけだしね」
セレナがにっこりと笑ったとき、暗く沈んでいた空に、ひとすじの青白い光がほとばしった。
遠く王都に現れた一条の光の柱――。
悪天の暗い夕暮れを振り払い、天から降り注いだ巨大な光の柱が、周囲を明るく照らしていた。
「な、なに――!?」
「ぐあっ、まぶしい!」
セレナとヴァルターは腕で目元を隠しながら、その光の衝撃に身を捩った。
「来た……」
凛然と佇みながらリリスだけが、光の柱を直視している。
天空の黒い雲は、光の柱を避けるようにぽっかりと円形に青空をのぞかせていた。悪天に現れた快晴――。
奇跡の如く王都を照らす光の柱は、神の存在を明らかにするもののように思えた。
火の胎動と水の流れ、風の囁きが光の来訪を歓迎していた。
「王都に、イゼル・ア・ムーナを降ろした」
リリスはぽつりと言って、ヴァルターとセレナに振り返る。
「嫌な予感がする。降臨は世界の変質を招く禁忌の儀式――」
ヴァルターは信じられなかった。
あの光のなかにイゼル・ア・ムーナが顕現しているのだとしたら。
守護天使は地上に現れた。
そして自分は『神殺し』などと言われる『闇の属性』を保有している。
「僕は、本当に神殺しにならなくちゃいけないの?」
「降りかかってきた火の粉は振り払う必要がある。ただ、それだけ」
リリスの一言に、ヴァルターはぐうっと拳を握った。
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