一度も後悔しなかったことを、私は後悔している。
栗パン
さようなら
彼女の人生で、一番の後悔はなんだったのだろうか。
今の彼女には、それすら、うまく答えることができなかった。
臆病だった自分を、いちばん悔いているのか。
それとも——
出会ってしまったことそのものを、いちばん悔いているのか。
最初の出会いは、たしかに冬だった。
にぎやかだった野良猫たちの庭が、ある日とても静かで。
その真ん中に、小さくて、でも必死な目をした母猫がいた。
凶暴なオス猫や、いつも威張っているメス猫を押しのけて、
彼女は、彼女が用意した野良猫用の小さなハウスを奪い取った。
知らない猫だった。
避妊もしてないし、耳も切っていない。
でも、その目の奥にあった「生きたい」という輝きを、彼女は無視できなかった。
カイロを入れて、缶詰を置いて、毛布をかぶせた。
…今思えば、あれが最初の後悔だったのかもしれない。
母猫は、夜通し子猫を産み続けた。
4匹とも弱々しくて、彼女はできる限りの世話をした。
でも、2週間も経たずに母猫はどこかへ消えてしまった。
動物病院の先生は言った。
「この子たちはもう無理だよ。お母さんも、見捨てたんだ。」
…でも、彼女は諦めたくなかった。
だから一日中、ヤギミルクをあげて、カイロを取り替えて、
まだ目も開いていない子たちの排泄を手伝って、
命にしがみついた。
一ヶ月後、彼女は誇らしげに言った。
「この子たちは、お医者さんにも見放されたけど、私が育てたんだよ!」
…それが、二つ目の後悔だったのかもしれない。
4匹のうち、2匹には新しい家族が見つかった。
残った2匹、体が一番弱い三女と四女は、彼女の家族になった。
四女には「ミルクティー」と名前をつけた。
彼女はずっと小さくて、ずっと彼女にくっついていた。
彼女が授業に行けば、ポケットに入ってついてくる。
お風呂に入れば、きれいな洗濯カゴの中で待っていた。
だけど、6ヶ月目のある日、ミルクティーは何も言わずに旅立った。
どれだけ泣いても、どれだけお金をかけても、
どうしても、助けられなかった。
あまりにも突然すぎて、彼女はもう猫を救うことをやめた。
これ以上、こんな別れには耐えられないと思ったから。
…三つ目の後悔だったのかもしれない。
彼女は、その後も残ったクリム(三女)と、保護した5匹の猫たちと暮らした。
もう新しい猫は迎えなかった。
でも、ふとした瞬間に、恐怖に襲われる。
「あと6回、私はこの痛みを味わうのかもしれない」って。
クリムは、いつまでたっても2.5キロにしかならなかった。
たくさん食べてるのに、太れない。
でも、一番の食いしん坊だった。
クリムのことを、「一番好きな猫だった」とは……簡単には言えなかった。
今まで、何匹もの猫を保護して、何度も別れを経験して。
一体どうやって「一番」なんて決められるんだろう。
そして、たぶん、一番近かったあの子は、とっくに、いなくなってしまったから。
そんな中、クリムはいつの間にか7歳になっていた。
数日前、彼女は冗談っぽく言った。
「クリム、羨ましいよ~太らないなんて。でも、ちゃんと生きててね。」
…それが最後の会話になった。
突然、クリムは食べなくなり、水も飲まなくなった。
猫タワーの奥から出てこなくなって、
病院に連れて行ったけれど——
「たぶん、もう長くないです。本当にただ弱ってきただけです。」
入院すら断られた。
でも、彼女は諦めなかった。
お医者さんが見放しても、彼女は見放さない。
何度目か分からない、同じ誓いを胸に。
でも、やっぱりダメなものは、ダメだった。
それが、四つ目の後悔だったのかもしれない。
「クリムのお母さんは、ただの野良猫だったんでしょ……」
「でも、クリムは野良猫なんかじゃないよ!一日だって、私のそばを離れたことなんてなかった!どんな街に行っても、どんな国に行っても、ちゃんと手続きをして、ずっと一緒にいたんだ!名前もあるし、家族なんだから!クリムは——野良猫なんかじゃない!」
家族の慰めの言葉なんて、聞けば聞くほどイライラした。
涙は止まらない。理由もわからず、彼女は何かに必死でしがみついていた。
「だって、まだ口を動かしてたんだよ。」
「声が出なくても、ちゃんと私に話しかけてたんだよ。」
「わかってるの?あの最後のかすかな声は——私を呼んでたの!」
亡くなる直前、彼女はクリムの体をきれいに拭いた。
口に水を含ませた。
何もできなくても、何かしたかった。
……それが、五つ目の後悔だったのかもしれない。
ああ、どうしてこんなにも後悔が多いのだろう。
一番の後悔は——
もしかしたら、最初から保護なんてしなければよかったってこと?
もしかしたら、最初から出会わなければよかったってこと?
一番の後悔は……
クリムは、彼女の腕の中で息を引き取った。
最後の最後まで、力を振り絞って「にゃあ にゃあ にゃあ にゃあ にゃあ」って鳴いていた。
……だから、あなたは一体何を言っているの?
春が来た。クリムは、もう溶けてしまう。
……私が一番後悔しているのは、あなたと出会ったことを一度も後悔しなかったことかもしれない。
クリム、ミルクティーによろしく。
ふたりで、たくさん小魚を食べてね。
君の好きだったディズニーの袋に、
小魚いっぱい入れておいたから。
ーーーーーーーー
追記:
この文章を書いたとき、私は本当に立っているのがやっとでした。
今振り返っても、どうやって書いたのか、よく覚えていません。
けれど、こうして時間が経っても、このページを訪れてくださる方がいて、
温かな言葉を残してくださる方がいて、
静かに想いを受け取ってくださる方がいて――
そのことに、救われている自分がいます。
もしあなたが、あの子と同じように、誰かを愛し、見送った経験があるのなら、
そして少しでも、この文章が心に届いたのなら。
それだけで、私は十分すぎるほど、幸せです。
ありがとう。
心の底から、ありがとう。
そして、あの子が残してくれたものを、私はこれからも大切に抱いて、生きていきます。
最後に、クリムの姿を、そっとここに置いておきます。
▶︎ https://kakuyomu.jp/users/kuripumpkin/news/16818622174107845698
一度も後悔しなかったことを、私は後悔している。 栗パン @kuripumpkin
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