第4話 折れた翼


 天使は初対面から容赦の無い悪口を言う、っと。

 この三日間で嫌と言うほど学んだ事実をもう一度心のノートに書き込みながら、それでも私は嬉しかった。


「まず自己紹介からしない?」


 初めに抱いた神秘的なイメージを良い意味でぶち壊してくれたので、私としては動きやすくなったからだ。

 それに、彼女の悪口にはそれ以上の意味が込められていなかった。


 ただ事実を述べただけ。

 今までのように、魔力が小さいから弱そうだとか、頼りないとか、含んだ意味を感じなかった。


 実際、誰から見ても私は魔力が少ない。

 少なくとも天使養成学園に天使をスカウトしにきた人間の中で、歴代最低値なのではないだろうか。

 だからといって初対面にぶつける言葉では無いかもしれないけど、この天使から私を傷つけたいだなんて意思は伝わってこなかった。


「良いわ、スカウトマンには自己紹介を。常識よね」


 え?

 何その常識、聞いたことないんだけど。

 少なくとも私はこの三日間で自己紹介など一度もされたことがなかった。


 なんだか泣けてくるけど、これだけでもこの子への好感度が上がってしまう。私は凄まじいチョロインなのかもしれない。


「シニエル。見ればわかると思うけど下級天使で、ギルド所属歴は無いわ」


 シニエル、と名乗った天使は腕を組み、できる限り胸を反り、顔をぷいっと右斜め上に上げつつ言った。


「私はソラノ、仮面師志望の16歳! ギルドはこれから作るところ!」


 私も元気に自己紹介を返す。

 シニエルは耳をぴくぴく動かしてからちらり、と私の方を向いた。


「あんた、ほんとに仮面師志望なの?」


 これは私の魔力が少なすぎるから、確認しているのかな?

 よしよし、興味を持ってくれているということはつまり私の話をきちんと聞いてくれているということだ。


 門番さんがくれた最後のチャンス、ここで逃す手はない!


「もっちろん、悪魔と戦ったことだってあるんだよ!」


「そう。それでギルド設立の条件のために私をスカウトしにきたってわけ」


 シニエルはもう一度耳をぴくぴく動かして、わざわざ左斜め上に顔を上げ直してからまた質問を投げてきた。

 さっきからこの動作は一体なんの意味があるのだろうか。


 不思議に思いつつも、ここまで平和に会話が続いたのは初めてでドキドキする。


「うん。仮面師がもう一人仲間にいるから、あとは天使さんが必要なの」


 それに、だ。


「私、すごくシニエルが気に入った。他の色んな天使さんにも声をかけたけど、シニエルが一番だよ」


 素直な気持ちを伝える。

 他がひどすぎるのかもしれないけれど、シニエルほどちゃんと話を聞いてくれた子は初めてだ。

 宵闇の王のことがなくても、私を馬鹿にしてひどい対応をする天使ばかりだった。


 それに、シニエルはたぶん────


「な、なな、なななな!」


 シニエルは耳まで真っ赤にして、あわあわ腕を振った。

 ふぅ、と一息ついてから、なぜか私に背を向けてしまったのだ。


「そ、それで? ギルドの設立目標はなんなのよ」


 遂にきた。

 ギルドにはそれぞれ設立目標がある。

 例えば私が直近で面接に落ちた大規模ギルド『ラファエラ』なら、防衛地域の被害者数を年間100人以下に押さえるというものだ。


 これは並大抵の目標ではない。

 しかしラファエラはすでに6年間この目標を達成しており、それゆえに大規模ギルドにまで上り詰めたのだ。


 そしてもちろん、私たちの設立目標は。


「最上級悪魔、『宵闇の王』の討伐だよ」


 一息に言うと、場を静寂が支配した。

 痛くなるほどの静けさのなか、シニエルがぽつりと呟く。


「声をかけてもらって悪いけど、あんたと私じゃ釣り合わないわ」


 そっか……。

 シニエルは校門の方に指を指して、首を振る。


「今日はもう遅いし、さっさと帰んなさい」


 背中を向けたまま肩を振るわせるシニエルにそう言われて、私はトボトボと歩き出す。

 期待していただけに、喪失感も大きかった。


 ごめんフラッテ。

 天使さんのスカウト、想像してたよりもずっと難しいや。


 悲しみを胸に、私は校門へと向かった。









「よろしいのですか? ハデン様」


 屋上からその光景を見ていた一人の若い天使が、その横に立つ老齢の天使に問う。

 天使が纏う魔力は圧倒的で、それでいて静謐だった。

 だが、それも隣に立つ彼に比べれば霞むというもの。


「むぅ、そうじゃのう」


 そう答える老齢の天使。

 天使養成学園校長、ハデン=バルディニア。

 学園で唯一、2対の荘厳な翼を持つ上級天使で、その力は最上級悪魔にすら届くと言われている。


「じゃがやはり、あの子は眼が良い。ワシと同じようにな。他の者とは違い、全てが見えてしまったからこそシニエルは断ったのじゃろう」


「そのことには同意しますが、その上で聞いているのです。よろしいのですか、と」


 若い天使の言葉を聞いて、ハデンは顎髭を撫でる。

 そして口の端をにやり、と吊り上げた。


「若者に道を示すのもまた、先達の役目じゃな」


 それだけ呟くとハデンはその場から姿を消した。

 若い天使では全く追えないほどの速度で、ただ飛翔したのである。


「まったく、私が言わずとも動くつもりだったでしょうに」


 若い天使は苦笑気味に言うと、その場を後にした。







 自分には才能が無い。


 魔力は持って生まれた量が全て。体の成長に合わせて多少変わるが、訓練によって変わることはない。

 だから一般的な下級天使より少し多い魔力を持ってこの世に生まれた幸運を、シニエルは感謝している。


 けれどシニエルは真に恵まれたかった、ある才能を取り零していた。

 それこそシニエルの背負う最大の欠陥であり、今まで一度もシニエルがスカウトされなかった理由である。


 権能、天使が持つ固有の特殊な能力だ。


 上級天使が振るう時間停止や法則操作。

 中級天使が持つ大嵐、海龍、浄火、自然を操る力。

 下級天使でも有する、光線や鎌鼬、魔力を特別な形で武器とする天性の才。


 仮面鎧装に憑依して戦う天使は、その権能を仮面師に貸し出すことができるのだ。

 だから、強い魔力を持つ天使より、権能の強力な天使の方が選ばれる。


 そしてシニエルが選ばれたことなど、ただの一度も無い。

 シニエルが持って生まれた権能は、あまりにも役に立たないものだったのだ。


 2段ジャンプ。

 端的に説明するなら、空でもう一度足場を作りだし、ジャンプできるだけの力。


 しかも普通の権能にはない、次に権能を使えるまでの空白クールタイムが存在するのだ。

 このせいで、空を自由に飛び回る立体的な戦闘もできない。


 本当にただ、空中で一度跳ねるだけ。


 これで一体何をしろと言うのだろう。

 翼ある天使たちの中では全く無用の長物。

 シニエルは数え切れないほど馬鹿にされたし、その度に涙を堪えた。


 確かに天使が戦う上では全く役に立たない力かもしれない。

 だが、仮面師ならどうか、と。


 結論から言うと、シニエルの権能はまるで役に立たないものだった。


 仮面師は重い。

 仮面鎧装は軽いものでも200キロを超えるし、多くの魔力を持つ者ほど現実世界に干渉する質量を併せ持つ。

 その重さに耐え切れる強度の足場を作るには、結果に見合わない大量の魔力が必要とされたのだ。


 選ばれるはずもない。

 シニエルは出来損ないの烙印を押され、地獄の日々を送ることになった。


 毎日、スカウトされていく同期の天使たち。

 必要とされるみんなと、見向きもされないシニエル。


 あぁ、だれか助けて。

 体の内側から焼かれるような、この苦しみから救い出して。


 もがいて、もがいて、もがいて、もがき続けて。


 ある日、朝起きるとシニエルは飛べなくなっていた。

 翼をはためかせようにも、その風が体を浮かせることはない。


 何が原因かなんて、シニエルには分からなくて。


 ただ己の権能に対する煮詰められたような嫌悪が、自分を空から遠ざけたのだと、そう思った。



 だからかもしれない。


 あの透き通るような空色の瞳に見つめられて、シニエルは自分の醜さに気がついたのだ。



「はぁぁぁああああ!!」



 月明かりが照らす校庭の中央で、一人の天使が舞う。

 白い光に包まれた無骨な剣を握り、ただがむしゃらにそれを振るっていた。


 何度も、何度も。

 それは天使の心に生まれた何かを、断ち切らんとするかの如く。



「見事な太刀筋じゃ。しかしそれではいかんのう」



 突如として柔らかな声が響く。

 同時にぴたり、と天使が振っていた剣は細い指に止められていた。


「魔力が乱れておる。これでは何も切ることはできんじゃろうて。のう、シニエルや」


 現れたのは2対の翼を持つ上級天使、ハデンであった。

 はぁ、はぁ、と息を切らせながらもシニエルは動きを止め、その場に座り込む。


「校長先生、見てたんですか」


 普段は勝気な口調のシニエルだが、上級天使であり校長でもあるハデンには流石に敬語を使う。


「聞きたいことは本当にそんな細事かの?」


 全てを見透かすようなハデンの視線が、シニエルとぶつかった。

 落ち着いたブラウンの瞳を見て、シニエルも少しずつ落ち着きを取り戻していく。


「どうすれば、それほどに強くなれるんですか」


 ハデンの言葉に、シニエルも本心で返した。

 今も昔も、シニエルがずっと知りたいことだった。


「強く、か。難しい質問じゃのう。本当に答えがあるのかさえ不確かじゃ」


 ハデンは顎髭を摩り、シニエルの眼を見つめる。


「しかし確かなこともあるじゃろう。シニエル、お主はその答えを見たんじゃあないかの?」


 そう言って、ハデンはゆっくりと自分の手を胸に当てた。

 シニエルもそれに従って、自分の胸に手を当てる。


 いまだ力強く、鼓動する心臓を。

 そしてその奥、決して色褪せぬ心の灯火を。


 シニエルは確かに感じとった。


 それでも、それでもだ。


「やっぱりあたしは、強く在れません」


 シニエルは俯いてぽつり、と零した。

 人生において一度も外に漏らしたことのない、剥き出しの本心を。


 ふむ、とハデンは一つ頷き、手のひらをすっと差し出す。

 その上には優しくゆらめく魔力の灯火があった。


「なぜ、天使が仮面師と共に戦うか、知っているかの?」

「知りません」


 ハデンはもう片方の手のひらを掲げて、今度は歪に揺れる灯火を作り出す。


「種として、天使の強さは悪魔と同じじゃ。違うのはその在り方。悪魔はその凶悪な自我により魔力体として安定しているがゆえに個として強い」


 歪に揺れる灯火がゆらめく灯火に触れる。


「天使はその逆、常にゆらめく自我に魔力体としての安定はない。ゆえに個として弱いのじゃ」


 ゆらめく灯火のそばに、小さな灯火が生まれた。


「だから、天使は仮面師と共に戦う。全てを預け合う生涯の友として、な」


 灯火は寄り添い合い、やがて大きくなり、歪に揺れる灯火を呑み込んだ。


「シニエルよ、老人の戯言と思って聞いておくれ」


 顔を上げて火を見つめていたシニエルに、ハデンは優しく語りかけた。


「己の拠り所になる者の拠り所になることじゃ。さすればお主は悟るじゃろう」


 シニエルの頭を優しく撫でて、ハデンは続ける。


「魔力は心の力。戦う理由無き者に微笑むことはないのじゃ」

「魔力は、こころのちから……」


 呆然と繰り返すシニエルに背を向け、ハデンは満足げに微笑んだ。

 さて、先達としての役目は果たした。


 そろそろハデンも、“門番”としての仕事を果たさなくてはいけないだろう。

 ここはシニエルと、そしてに任せられる。


「心の赴くままに。若いんじゃから後のことなど気にするでない!」


 そんな言葉を残してハデンが飛び立つと同時。


 学園に設置されたアラートが、けたたましく鳴り響いたのだった。


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