第4話:おじさんと私の家

 玄関のドアを開けた瞬間、母がキッチンから顔を出した。


「あら、小夜。遅かったわね。……って、その人は?」

「ただいま! この人、尾路さんって言って、ちょっと訳ありで……今日、泊めさてあげられたらって……!」

 母の眉がピクリと上がった。

「訳ありって……人!? あんた猫とかじゃなくて、人連れてきたの!?」

「ち、違うの! ちゃんと事情があって!」


 私は慌てて説明した。

 事故のこと、助けてもらったこと、家が燃えてしまったこと……。

 説明しながら、自分でも「これ、通じるかな…」と不安だった。

「……それで、ご職業は?」

 母は鋭い視線を向ける。

「あ、はい……こちら、名刺です」

 尾路さんはスーツの内ポケットから名刺を差し出した。


「広告代理店の営業をしています。今も普通に会社勤めです。本当に申し訳ないんですが、急に家を失ってしまいまして……」

 母は名刺を受け取り、じっと見つめた。名刺の角を指でなぞり、裏まで確認する。母のこういう癖、正直ちょっと怖い。


「……小夜、あなたがどうしてもって言うなら、一晩くらいはいいわ。でもね——」

 母は指を立て、すっと尾路さんを指差した。

「変なことしたら、即・警察だからね。それと、お風呂は一番最後に入って、ちゃんと掃除までしてね」

「了解しました」

 尾路さんは苦笑いし、そっと頭を下げた。


「ここ、おじいちゃんの部屋です」

 私は一昨年亡くなった祖父が使っていた和室を案内した。

 昔のタンスと本棚、座布団、仏壇。少し古めかしい畳の匂いが、なんだか懐かしい。

「え、いいの? なんか……特別な部屋じゃない?」

「大丈夫です。今は誰も使ってないし、むしろちょっと空気を入れた方がいいって母も言ってました」

「……そうですか。ありがとうございます、本当に」

 尾路さんは深々と頭を下げ、スーツ姿のまま畳に腰を下ろした。

 背中が少し丸まっていて、長い一日だったんだろうなと思った。


 夕飯は、母が用意してくれた唐揚げと味噌汁、野菜の炒め物。

「わぁ……唐揚げ、ありがたいです……」

 唐揚げを頬張るおじさんは、完全にただの疲れた社会人だった。

 母は少し笑いながら、「うちの唐揚げは評判いいのよ」なんて話をする。

 私は、黙ってそのやりとりを見つめた。

(この人、普通にここに馴染んでる……でも、普通の人じゃないんだよね)

 母は何も知らない。ただ、家を失ったサラリーマンが一晩泊まりに来たと思っている。

 

 夜。

 私はふと祖父の和室の前に立ち、襖越しに声をかけた。

「……尾路さん、休めてますか?」

「ん、ああ……はい、大丈夫です。 でも、ほんとに泊めてもらっちゃってよかったのかなって、まだ思ってるかも」

「……その、母が色々言ってすみません」

「え? いやいや、全然。むしろ当然だよ、親として。それに こっちは異世界で、もっと怖い人に散々しごかれて慣れてるから、平気平気」

 おじさんがちょっと笑う声が聞こえてきた。

 それを聞いて、私は少しだけ肩の力が抜けた。

「じゃあ、また明日話しましょう」

「うん、ありがとう、小夜ちゃん。おやすみ」


 自分の部屋に戻り、ベッドに潜り込んだ私は、天井を見つめた。

(ほんとに、いいのかな……)

 母には言えない。

 おじさんが異世界を旅していたことも、魔法を使えることも。そして私が楔になったことも——。

(でも……きっと、間違ってない)

 心の中でそう繰り返すと、少しだけ気持ちが落ち着いた。


 一方その頃、祖父の和室では。

 おじさんが布団に横になり、天井を見上げていた。

(……唐揚げ、美味しかったなぁ)

(会社三日も休んだから、怒られちゃうな)

(でも……やっぱり落ち着かないな。俺、ここにいていいのかな)

 心の奥底で、かすかに熱を帯びるような感覚があった。

 異世界で覚えた魔力が、まるで「ここでも目を覚ませ」と囁いてくるような。

(いやいや、今日はもう寝よう……)

 おじさんは苦笑し、目を閉じた。


——その夜、家の外で、かすかな風の音が聞こえた。

 小夜も母も気づかないその風だけが、異世界の残り香を運んできていた。

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